誰のために


それは歌の授業でした。


一人一人、前に出て、歌を覚えているか、上手に歌えるか教師がテストしていました。


生徒達は素直に従っていました。


しかし、ある生徒の順番になったとき、教室の空気が変わります。


その生徒は、みんなの前へ出ると、俯いたまま一言も声を出しませんでした。


教師は最初は生徒に歌うように促しました。

生徒は変わらず下を向いています。

何度言っても聞かない生徒に次第に教師は顔を真っ赤にして叱りつけはじめました。


生徒の顔は青ざめて、震えているのが分かりました。

それでも教師はやめません。


叱り付けていた声が次第に怒鳴り声へ変わったとき、たまらずポリキヤースが叫んだのです。


「なぜ!なぜですか!

彼女は明らかに拒んでいます!

やりたくないことをやりたくないと主張することは悪ですか?

やりたくないことを無理矢理に強制することが教師の役割ですか?

僕はあなたを軽蔑します。

このような授業は拒否します!」


不思議なことに一度もつっかからず、スラスラと言葉がでました。


ポリキヤースはみんなの前で震えている生徒の手を取り、そのまま教室を飛び出しました。


なぜか足はもつれることもなく、リレーのアンカーのように早く走れたのです。

教師が何か叫んでいるのにも構わずに、ポリキヤースは走りました。


「先生怒ってるよ。どこへ行くの?」


その生徒は大変に怯えていたけれど、ポリキヤースはプンプン怒っていました。


「僕は、もう、帰るよ!君も、好きに、したらいいさ!」


またいつものようにつっかえながらポリキヤースが言うと、生徒は困った顔をして、ポリキヤースについて来ました。



ポリキヤースの足もまたいつものようにからまりはじめたので、家に着くまでずいぶん時間がかかりました。


生徒は決まりが悪そうに、家の前でじっとしていました。


「うちに、くるのかい?」


ポリキヤースに言われて、生徒は青い顔をして言いました。


「でも、お母さんいるんでしょ?

怒られるんじゃないかしら。」


ポリキヤースは目をまん丸にして言いました。


「なぜ?」


「だって、先生にあんな事を言って、学校を抜け出して来たのよ。

きっとひどく怒られるわ。

私のせいで…。ごめんなさい。」


ポリキヤースの目は更にまん丸になりました。


「なぜ?謝るの?」


「だって、私のためにあんなこと、先生に言ってくれたんでしょ?

ありがとう…。」


ポリキヤースは首を捻って、さも不思議そうに言いました。


「僕は、あのとき、そりゃあ!もう、嫌な、気持ちに、なった!

だから、授業を、拒否、した!

君の、ため?

そんな、こと、考え、ても、みなかった!」




今度は生徒が不思議そうに首を傾げました。



「だけど、あなたのおかげで私は助かったわ。

ありがとう。」


お礼を言われる筋合いはないのだけれど、嫌な気持ちにはなりませんでした。


ポリキヤースはいつだって自分に正直に生きているだけなのです。


目の前で誰かが誰かに傷付けられている、それを見ていることが嫌で我慢できなかっただけでした。



ポリキヤースは大きな声で、た、ただいまー!!

と、元気に玄関を開けました。

ちょうど靴箱の整理をしていた母と目が合いました。


「まあまあ今日はずいぶんと早かったわね。

あら!新しいお友達かしら??

よろしくね!いらっしゃい!」


母はやっぱりいつもと同じ笑顔で迎えてくれたのです。

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