母の祈り
ポリキヤースと母との暮らしは天に居た頃のように穏やかで幸せでした。
ポリキヤースの父はポリキヤースが生まれる前に死んでしまったようですが、かわりに素敵な家と沢山のお金を遺してくれていました。
ポリキヤースの家には広い庭があり、母は色とりどりの花を植え、野菜を育てていました。
そしてその花を使ったフラワーアレンジメント教室や庭でとれた野菜を使った料理の教室を開いていました。
ポリキヤースは一日のほとんどを庭で過ごすことが多く、母はポリキヤースのために簡易的なテントを作ってくれました。
庭は母が一から作ったせいで整地が不十分で不格好にデコボコだったけれど、それがポリキヤースの歩く訓練になりました。
それにフラワーアレンジメントや料理を習いに来る生徒さん達はみんなとってもお喋りで、ポリキヤースにも遠慮なく色んなお喋りを聞かせては感想を求めるので言葉の訓練にもなりました。
それなのにポリキヤースは、いつまでたっても歩くことに慣れなかったし、言葉はすぐにつっかえていました。
けれど、ポリキヤースも母もそして生徒さん達もそんなことちっとも気にしていませんでした。
歩くのが遅いのなら、ゆっくり歩けばいいのです。
言葉が多少つっかえても、気持ちは伝わることをみんなは知っていました。
実のなる樹には春にはたくさんの小鳥達がやってくるので、ポリキヤースはよく小鳥達とテレパシーで会話を楽しみました。
-やあやあ、よく来たね!
たくさん実があって、母と僕とじゃ食べきれないんだ。-
小鳥達は驚いて、だけどとっても嬉しそうに答えます。
-あらあら珍しい。
あなたは私達と心が通わせられるのね。
そんな人間、もういなくなったのかと思ってた。-
ポリキヤースは得意になって言いました。
-僕は天からやって来たんだよ。
天には言葉はないからね。-
小鳥達は興味津々でポリキヤースの側にやってきました。
-まあまあそうだったの。
私も次は天で暮らそうかしら。
ねえねえ天はどんな所なの?-
ポリキヤースは天の素晴らしさを小鳥達に聞かせると、小鳥達はうっとりしながら聞き入りました。
小鳥達に囲まれているときのポリキヤースはなんとも生き生きしていて自信に満ちていて、そんなポリキヤースを見るのが母はとっても大好きでした。
そんな幸せな日々をいくつもいくつも繰り返したある日の午後
少しだけ大きくなった、だけどやっぱり痩せっぽっちのポリキヤースが庭の絵を描いていました。
母は言いました。
「あのね、あなた小学校へ行くのよ。」
「えっ!
小学校って、あの、子供が、たくさん。」
ポリキヤースはまだ言葉が得意にはなっていませんでした。
「そうよ。
町の子供達はみんな小学校へ行って、そして中学校に行くの。」
「い、いやだ!」
ポリキヤースは想像しただけで胸が苦しくなりました。
母や生徒さん達は好きだけれど、人間はまだ好きになれていないのです。
外の世界の人間は、いつだってポリキヤースに奇異なものを見るような目を向けてきました。
まだ上手にうまくは歩けない姿や、言葉がスラスラ出てこないポリキヤースをまるで責めるような視線です。
天ではみんな自分に夢中だったのに、人間はみんな自分のことは置いてけぼりで、いつだって他人を気にしているのです。
そんな人間の群れの中に入れられて、とてもまともでいられる自信がないのです。
そう母に訴えたかったのに言葉がうまく出てこなくて、ポリキヤースは苦しくて、また大声で叫びながら暴れました。
そんなポリキヤースを見ながら母は神に問うように祈りました。
-神様どうしましょう。
私もこの子を学校に行かせることを悩んでいるのです。
この子の気持ちがわかります。
私も学校には行きたくなかった。
天では何もかも自由なのに、決まった時間に決められた通りの行動をしなければいけないなんて・・・。
だけど私はこの子よりは言葉も喋れたし体も使えたんです。
この子は私よりももっと辛い思いをすることになるのではないですか?-
母の祈りが届いたのか、光の球がポリキヤースと母の前にぼんやり現れた。
-ポリキヤース、ポリキヤース、落ち着きなさい。-
神の声だ。
神の声は天の空。
神の声はたちまちポリキヤースの癇癪を鎮めた。
-ポリキヤースは苦悩を選んだのだろう
苦悩を見たくて、苦悩を知りたくて、天から人間へ降りたのだろう-
優しい神の声にポリキヤースは力一杯抵抗しました。
涙がどんどん流れていきます。
-だけど神様!私はもうすっかり苦悩を経験しています!
わざわざ食べ物を食べたり排泄したり、毎日毎日手や脚を動かさなければならないのです。-
ポリキヤースの訴えに神は言った。
-では、もう天へ帰るかね?
全てはお前の自由だ。-
ポリキヤースはドキッとしました。
そしたら母とはお別れです。
母の優しい声や抱き締められる喜びは天にはなかった何物にも変えがたいものなのです。
ポリキヤースは泣くのをやめて言いました。
-神様、わかりました。
私はまだ苦悩の中で暮らします。-
神は言った
-ポリキヤース、お前は天での記憶を失わなかった。
だから分かるだろう?
全ては自由だ。
お前は苦悩を選んだが、そこには苦悩だけしかなかったかい?
喜びはひとつも無いだろうか?
お前が苦悩を望むなら、苦悩はいくらでもやってくる。
お前が苦悩の中でも喜びを望むなら、苦悩の中へ居ても喜びは必ず訪れるのだ。
そのことを決して忘れてはいけないよ。-
光の玉がぼりやり消えたあと、ポリキヤースは母の方をしっかり向いて言いました。
「お、お、お母さん!
ぼ、ぼく、小学校へ、行く!」
ポリキヤースの力強い声に、母は胸がぎゅっと締め付けられるような思いがしたのです。
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