第二話  大牛

九州大地北の領土 翼州よくしゅう


(あのねーちゃん胸大きいな~)


すれ違う女の子に目を奪われる少年。


(やっぱ大きな町は僕の村とは大違いだ、奇麗なおねーちゃんがいっぱいだ)


中年オヤジみたいな事を考える十三歳。


「おい! 大牛おおうし、ぼーっとしてんな!、ちゃんと手綱ひいとけ」


「わかってるよお父さん」


「こいつを売ったらそのお金で今夜はたらふく食べさせてやるからな」


そう言って男は連れている牛をぽんぽんと撫でた。


牛はおとなしく男についてくる、上には男の子が跨ってがって落ちないように手綱をつかんでいた。


「うん、有難うお父さん」


大牛と呼ばれたその男の子は淡々とそう答えて、また町行く女の人たちに目線を戻した。


お父さんはチラっと大牛を見た、相変わらずの無表情、なにを考えているか分からなかった。


まあ、いつものことだ、とお父さんは無言で牛を先導する。


お父さんは自分のこの息子が理解できなかった。大牛は小さいころからぼーっとすることが多い子供だった、あまり自己主張をせず、自分の考えも口には出さない、そしてどんな時でも自分の思うままに行動する。焦ったり、怒ったり、天真爛漫に笑ったりしたところをお父さんは一度も見た覚えがない。誰に似たんだろう、そう思う事はあった。それでも大牛はいい子だった、家事の手伝いを毎日のようにしてくれて、下の兄弟の面倒も見る、その上農家の仕事もさぼらない。今回、家の年取った牛を一頭売るために町に行くと言ったら珍しく自分も行きたいと申し出た、お父さんも久しぶりの息子の要求を断れず町まで連れてきたのだ。


「ねえ、お父さん、あの建物は何? すっごい鮮やか」


大牛は前方にある二階建ての旅館のような建物を指さして聞いた。


「うん?」


お父さんは大牛の指さす建物を見た。


その建物は他のと比べて見栄えがいい、赤い大きな提灯ちょうちんが所々につるされており、大きな看板に金色の文字で『春来堂しゅんらいどう』と書かれていた。二階の大きな露台ろだいには団扇うちわを持った若い娘たちが座っていた。妖艶な眼差しで人々を値踏ねぶみしていた。それは町一の娼館しょうかんだった。


「あぁ~、あれね、あれはそう、なんだ、男の憧れの場所だ、まあでもお前にはまだまだ早い所だ、今は知らなくてもいい」


「へぇ~、じゃあお父さんも行った事があるの?」


「はは、お父さんは行った事がないな、あの中に入るには沢山お金が必要なんだ、それこそこいつを売ったお金でも足りないくらいな」


「ふ~ん、あの大きな看板はなんて読むの?」


「あれはしゅんらいどうって読むんだ」


実のところお父さんも字は読めないが、さすがに町一の娼館の名前ぐらいは知っていた。


春来堂しゅんらいどうかぁ、男の憧れ、大人になったら僕もいってみたいな、奇麗なお姉さんたちがいっぱいいるし絶対いいとこだよね)


そう思いながら春来堂の名前を心に刻み込む十三歳。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




夜の山道を大牛とお父さんは歩いていた。


「大牛、疲れただろ、もう少しだからな」


「大丈夫だよ、お肉食べたから全然へっちゃらだよ」


町ですんなり牛を十五匁もんめで売ったあと、お父さんは大牛に肉が入ったラーメンを御馳走した。二人でラーメン一杯頼んで、お父さんは懐から焼併シャオピンを取り出してラーメンの汁につけて食べた。それから家族にお土産を少々買って家に向かった、町から徒歩で五時間の距離だ。


「そうか、ならよかった、今日は楽しかったか?」


「うん、町にはいろんなものがあってすごかったよ、特に春来堂が奇麗だった」


「そ、そうか、でもな、春来堂の事は内緒だぞ、村に着いても誰にも言うんじゃないぞ」


まだ十三歳の息子を町に連れ出して、戻ってきたときに娼館の名前が連呼されたら村の人たちにとんでもない勘違いされてしまう。


「なあ、大牛聞こえたか、絶対誰にも言うんじゃないぞ」


念を押すお父さん。


「え? うん。 ねえ、お父さん、見て星が落ちてくるよ」


「え?」


不意に大牛の方に向いたら、大牛は夜空を凝視していた。


なんだろうとお父さんもその夜空の方角を見上げた。


三つの光の点がこっちに飛んでくる、一つ目は赤、その後ろに少しだけ距離を置いて、追いかけるように続いてる二つの白い光。


流星? 最初にお父さんの頭にそう浮かんだのだが流星ではないことに瞬時に気づいた、流星にしては遅すぎるし、大きすぎる。 なんだあれは、そう思っていた時に三つの光に変化が見えた、赤い光がまるで何かに当たった様によろめいたのだ、そしてその光は高度を下げてこっちに向かってきた。


人?!! そう認識した時その光はもうすぐそこまで来ていた、それは人の輪郭をした何かだった、でも人ではない異様に大きい蝙蝠こうもりの羽が両腕の代わりに生えていた。その人ならざる者は体から赤い光を放ちお父さん目掛けて急降下してきた。


「うわああああ、化け物!」


お父さんはその蝙蝠の化け物に地面に押し倒された。


ブチィッ!


「がああああ!!」


肉と骨が引き裂かれる音と共に血と叫び声が辺りに広がる。


お父さんの首元がその蝙蝠の化け物に食いちぎられたのだ、そしてそいつはそのままお父さんの血を吸い始めた。


「に...逃げろ」


お父さんは最後の力を振り絞って大牛にそう叫んだ。


大牛は何が起こっているのか理解できなかった。


彼の脳裏は完全な驚愕に支配されていた、起こったすべてのことが彼の理解範疇を超えていた、まるで夢でも見ているような虚ろで非現実な出来事は瞬く間に自分の小さな世界に突入し、破滅させた。


大牛が唖然としていた時、空から黒い煉瓦れんがが蝙蝠の化け物目掛けて飛んできた。


当たると思った刹那、フンッっと冷笑れいしょうして、即座に振り返り大きな蝙蝠こうもりの羽で飛んできた黒い物体を弾き飛ばした。


「鬱陶しい禿はげどもめ、そのような低俗な玩具おもちゃが二度とわしに通用するか」


「誰が禿だ、さっきはその低俗な玩具おもちゃに撃ち落されそうになったやつがよく言う」


声と共に人が二人空から降りてきた、後ろから追いかけてきた二つの白い光は彼らだった。声を出したのは背の高い女性で腰まである長髪と全身を覆う白い服が風でなびき。背中には剣を背負っていて片手に六寸ろくすん前後の金属のくしを持っていた。もう一人は筋肉隆々な男性で、袖がない服を着ていて太くてたくましい両腕には龍と虎の入れ墨がはいっており禿であった。


女の人はあいている手をまえにかざした、すると先ほど弾き飛ばされた黒い煉瓦はまるで意思があるみたくあるじの手元に飛んできた。黒煉瓦を手にした女は血まみれで地面に転がっているお父さんと、その隣で震えている大牛を見て「チッ」っと舌打ちをした。


「この不細工は私がやる、東鉉とうげんお前はあの親子をみてやれ」


そう言うなり東鉉とうげんの返事を待たずに蝙蝠の化け物に向かって黒煉瓦を投げ出す。


「何度やってもそれはもうわしには通用し..」


羽を前にかざしてもう一度黒煉瓦を弾き飛ばそうとした蝙蝠の化け物がとっさに何かに気づいたのか、すかさず空中に飛んで回避した。


「黒煉瓦に貼った爆発符ばくはつふだに気づいたか、不細工のわりに感がいいな,その汚い羽に穴をあけてやろうと思ったのに」


「汚いのはお前の口だ、血を吸った今の私ならお前たち小童こわっぱどもを血祭りにするなど造作もないこと」


「へっ、やってみな」


そう言うなり、女は蝙蝠の化け物に金属串を投げつけた。


小さな串は空中で見る見るうちに大きくなっていく、瞬く間に一丈近くまで大きくなり蝙蝠の化け物をまとに飛んで行った。


飛んできた金属串を難なくかわし、同時に地上の女に突進していく。羽の先に伸びだしてるおおきな爪を女に振りかざした。女は紙一枚でその爪を躱すと背中の剣を抜いて応戦する。


爪と剣の打ち合いが始まった。女の剣術は見事だった、次々と降りかかってくる爪の襲撃をさばきながら邪魔する羽をかいくぐって身体までその剣先を届ける。


二人が打ち合いしている中、東鉉はお父さんの近くに駆け寄り容態を調べた。


かすかだが、まだ息があった。


(これならまだ助かる)


そう確信した東鉉は懐から竹の水筒をとりだし中の水を傷口に流し込んだ、すると傷口からみるみる新しい皮膚が生えてきて出血をとめた。血がとまったのを確認したのち東鉉は懐から小さな入れ物を出した、中には仙丹せんたんが数個入っていた、それを一粒自分の口に入れてかみ砕き、寝ているお父さんの顔に近づき口移しにそのよくかみ砕かれた仙丹を飲ませた。


「ふう、これで問題ないだろう。君、もう大丈夫、一命は取り留めたよ」


そう言って優しい笑顔を大牛に向ける東鉉。


東鉉の一連の動きは迅速だったが、彼が口移しの前に一瞬だけいやな顔で躊躇したことは、始終見ていた大牛の目からは逃れなかった。


「有難うございます」


大牛は東鉉にお礼を言い、お父さんに駆け寄って状態を確認した。まだ意識はないが、呼吸が落ち着いていた。首元には大きなえぐられた傷跡ができていたが、出血の様子はなく、その傷跡の周りに青アザができていた。


「あとは毒抜きだな、まあそれはやつを倒してからでもいいだろう」


そう言って東鉉も戦場に加わった。


剣と爪のうち合いはまだ続いていた。


「どうした不細工、このままだと蜂の巣になるぞ」


引分けに見えた攻防はどうやら女の方が上手うわてらしい、蝙蝠の化け物は所々に傷を負っていた。致命傷になるものはないが、それでもじわじわと負傷は重なっていく。


あねじゃ、どいてくれ!」


女は東鉉の叫び声と共に反射的に後ろに飛んだ。


青龍掌せいりゅうしょう!」


右の掌を化け物に打ち出す、龍の入れ墨が腕から消えたと思いきや巨大な黒龍になり旋回せんかいしながら化け物に襲う。


「なに?!!」


襲ってくる黒龍を前に体を丸め羽で全身を包み、卵の殻に引きこもる様になった、そしてその体から眩い赤い光が飛び出す、その光を飲み込むように黒龍が衝突した。


黒龍は赤い光と相殺する、バチバチバチバチバチと音を立てながら、黒龍の光と触れた部分から消滅していく。赤い光も急速に輝きを失っていった。やがて光は黒龍に耐えかねて完全に消滅した、残った蝙蝠の化け物が黒龍の余力を受け止めた。


「ぐおおおおおおおおお!」


蝙蝠の化け物は攻撃を受けた体の大半以上が焦げた炭のようになっていたが辛うじて東鉉の青龍掌を耐えたのだ。


ぜぇぜぇと息を鳴らしながら嫌悪な表情を男女に向ける。


「もうあきらめな、観念して私たちと鳳来山までこれば命を取るつもりはない」


いつの間にか金属串をもとの大きさに戻して手にしていた女がそう告げた。


その隣で東鉉は虎の入れ墨が入ってる腕で、こぶしを引いた体制を取っていた、その姿勢は無言で脅威を語っていた、このまま続ければもう一発似たような攻撃を出す、そう訴えていた。


「わ、わかった、わしの負けだ」


蝙蝠の化け物は状況を瞬時に見計らって、逃げ場はないと判断し、負けを認めた。


「賢明な判断だ」


女は金属串を懐にもどし、東鉉も警戒を緩めた。その隙に蝙蝠の化け物は瞬時に大牛の方へ飛びよった。


「しまった!」


二人が反応できた時は既に遅かった、大牛はあっけなく捕まり、首に鋭利なものを感じた。


「油断したな、動くなよ、妙な真似をしたらこいつの首をかっききってやる」


蝙蝠の化け物は大牛を人質にして、飛んでその場を逃げようとしていた。


「このクソ不細工、楽に死ねると思うなよ」


そう言ったものの二人になす術はなかった、下手に攻撃すれば子供を盾にされてしまう。


大牛は不思議と落ち着いていた、彼の頭は今の状況をどう打破しようか猛回転していた、もしこのまま連れ去られれば、間違いなく殺されるだろう。


その時近くに落ちていた黒煉瓦にきずいた、先ほど放たれてそのままどこに転がっていた。


女の人の動作が頭に浮かび上がった。化け物に悟られないように掌を煉瓦の方向に向けて、「来てくれ」と念じた。煉瓦はかすかにピクリと動いた様に見えたが反応はなかった。「頼む助けてくれ」そう強く念じた、するとシュッと音とともに煉瓦が大牛の手の元に飛んできた。


「----っ!」


化け物がそれにきずいた瞬間大牛は手に取った煉瓦を逆手で化け物の顔にたたきつけた。 


ボンッ 、黒煉瓦が顔に触れた瞬間に貼ってあった爆発符が小さな爆破を起こした。


「ギャーッ!!」


爆音とともに悲鳴を上げた化け物は大牛を落として、顔を覆って地面にくずり落ちた。


同時に女と東鉉も動き出す、女は素早く金属串を投げ出し 「ビャン」と叫んだ。


金属串は飛びながらその大きさと 数を増やしていった、一瞬に数十本の長い串になり蝙蝠の化け物を地面に針り付けにした。


東鉉は気を失った大牛を抱き起し黒煉瓦を持っていた手をみた。さっきの爆発で手を巻き込んだのだ。その小さな手は親指以外の四本の指がなく、肉塊となった掌からは血が滲み出ていた。


東鉉は先ほどと同じ水筒を出し大牛の手に水をかける、すぐさま新し皮膚が掌から生え出して傷口を覆う。


「その子の手...」


化け物を『妖縛縄』(ようばくじょう)と言う縄で縛りあげてこっちに来た女が大牛の手に気づいて呟いた。


「ええ、もう元には戻せないでしょう、かわいそうに」


「そうか...」


場に重い空気が流れた。二人は自分たちの力を自負していた、だからこそ大牛の怪我はその傲慢さが招いた結果で、そのことに罪悪感を感じずにはいられなかった。


「油断していなければ...」


悔しさを嘆く東鉉。


地面に落ちている黒煉瓦を手元まで引き寄せた女は不意にあることを思いついた。


「なあ、東鉉、この子私の黒煉瓦を呼び寄せたよな」


「え??! そういえばそうですね!」


東鉉も何かに気が付いた様に驚いた口調になった。


「この煉瓦、私の霊力がほとんど入っていないとはいえ、それを無意識に手元まで引き寄せるなんて、もしかしたらこの子はとんでもない逸材かもしれない」


「よし、この子を鳳来山に連れ帰り、そこで弟子入りさせよう」


また東鉉の返事が返ってくる前に言い出した。


東鉉もそれに慣れているかのように少し頷くと、「そうですね、そうしましょう」と同意した。




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