5話がにゃん⁉︎ エピローグだったはず

「お兄ちゃん、わたし、今日、友だちの家に行くんだけどぉ……。つきあってくれないかなぁ? 見てもらいたいモノがあるんだよ」


 わたしは、リビングでぼんやりしているお兄ちゃんの背中に声をかけた。

 先日、わたしが倒れて、目を覚まして、回復して、その時にはもう、こんな調子だったんだ。そりゃあ、わたしが突然倒れたら心配もするよね。してくれるよね。今は、お兄ちゃんとわたしのふたりきりなわけだし……。

 わたし、もうだいじょうぶだよぉ〜。元気になってるよぉ〜。未だに倒れる原因が判らないから、心の中だけで叫ぶしかないんだけど。

 でも、お兄ちゃんの落ち込みようは、それだけじゃない気がするんだ。



 理由が思い当たらないわたしは、そんな提案でお兄ちゃんを外に連れ出そうと計画を立てていた。


「友だちに会うんだろ? 俺がついていったら邪魔にしかなんねぇじゃん」

「う〜ん、邪魔になんないから誘ってるんだけど……。お兄ちゃんは、こんなかわいい女の子とデートしたくないの?」

「自分で言うな!」

「自分で言わなきゃ、誰が言ってくれんのよぉ〜」


 わたしが、頬を膨らませて、そんな反論をすると、お兄ちゃんにジト目で睨まれた。わたしがそのジト目を見つめる。その瞬間、ふいっと、視線が逸らされた。

 わたしの勝ち……だ。

 次の断り文句が出る前に、一気にたたみかけることにする。


「お兄ちゃん、そんな格好のままじゃダメだからね。ちゃんと着替えてね。う〜ん、いっそ、わたしがプロデュースしてあげようか?」


 そう言ったわたしの頬が、ぐにっと摘まれた。


「い、いひゃい……」






「で、見せたいモノってなんだよ」


 お兄ちゃんが、仏頂面をして、更に面倒そうな口調で問いかけてきた。まぁ、それくらい我慢しよう。お兄ちゃんを連れ出すことには成功したんだし。

 でも、お兄ちゃんたら、ちゃんとすればカッコいいのになぁ……。隣に並んで歩けるわたしは役得だ。腕……組んじゃおうかな?

 そんなことを考えだすと自然に頬が熱くなる。困ったなぁ、お兄ちゃんなのに。


「うん、学校で友だちに言われたの。助けてほしいんだって」

「助けて……? それなら、俺なんか役にも立たないだろうが?」

「あぁ、そういうんじゃなくて」

「どういう……?」


 お兄ちゃんは、完全に意味不明の顔をしている。


「一匹もらってくれないか……って。でね、画像、見せてもらったの。もう、スゴくかわいい子なんだよ。真っ白で、もふもふしてて、小さくって……。ひと目で気にいっちゃったんだよね。何故か懐かしさもあって……、不思議な子なんだ」

「一匹? 動物かなにかか? うちじゃ飼えないだろ? 誰が面倒見んだよ」

「えぇっ、そんなのわたしに決まってるよぉ」

「学校あんじゃねぇか」

「だいじょうぶ! わたしがいない間は、おとなしくできるように躾けるから」

「なにを根拠に……?」


 お兄ちゃんがこんなにも渋るとは思わなかったよ。

 この子がうちにきたら、わたしのわけの判らない寂しい気分や、お兄ちゃんの気の抜けた毎日が埋められると思うんだよね。もうひと推ししてみようか。

 そんなことを考えたわたしが、先を歩いていたお兄ちゃんの、パーカーの袖口を摘んでみた。お兄ちゃんが、それに気づいて立ち止まる。そして振り返った。

 よし、今だ! チャンスはここ!


「お兄ちゃん……、ダメ?」


 甘えた言い方で、上目遣いで、更に、摘んでいた袖口を、くいっ……って、引っ張ってみた。

 わたしの勝ち……だ。

 お兄ちゃんの腕に、そのままわたしの腕を絡ませた。






 友だちの家につくと、まずは、お兄ちゃんが、友だちのご両親に挨拶をする。わたしも一緒になって頭を下げた。

 こういう、そつのないところが流石だな……って、いつも思うんだ。お兄ちゃんは、処世術だって笑うけど、そのおかげで、わたしたち兄妹は、周囲から弾かれずにすんでるんだって思う。

 ほら、もう、友だちのご両親に認められてるみたい。



 そんな、大人の社交は、お兄ちゃんに任せて、わたしは、友だちに誘われ彼女の部屋に向かった。

 中に入った途端、その部屋の真ん中で、小さく丸くなってる白い毛玉を見つけた。

 その子は、す〜す〜と寝息を立てている。


「あれ? スマホの上で寝ちゃってるんだ。貰われていくのが寂しいのかな? このうちから離れたくないのかな?」


 友だちの匂いを感じているのだろうか? わたしはそう思った。友だちが優しげに笑っている。


「違う違う。この子、優希のところに行くのを楽しみにしてるみたい。だって、ほらぁ〜」


 友だちが、下敷きにされていた自分のスマホを取り出した。そっとどかされた、白い毛玉は、起きる様子さえ見せない。パッと画面が輝き、画像が写し出された。


「驚いたよ、わたしが、優希の画像をこの子に見せたんだ。この子のうちの子になるんだよ〜って。そしたら、昨日からずっと、こんな感じ。優希なら、だいじょうぶって解ってるのかもしれないね。かわいがってあげてね」


 友だちの言葉が聞こえたのだろうか。毛玉が顔を上げた。その視線が、わたしを数秒見つめ、起き上がり、近づいてきた。わたしの膝の上によじ登り、そこで、「にゃん♡」と鳴いてまた丸くなった。

 その様子を見ていた友だちも、笑顔を浮かべていた。


「お兄ちゃん、この子なの♡」


 わたしが、お兄ちゃんの元に戻り、この小さくて白い毛玉を紹介する。友だちのご両親も驚いていた。だって、既に、わたしの足元で纏わりついてるんだもん。「にゃん♡」なんて、かわいい声で鳴きながら。

 そして、友だちとそのご両親に向かっても、同じように「にゃん♡」と鳴いて、その足元に纏わりついていった。その様子は、なんだか、お別れの挨拶をしているように、わたしには見えた。



 わたしは、この毛玉に、『ユキ』って名前をつけた。






 ユキは、わたしとお兄ちゃんのうちにきて、最初から寛いでいた。まるで、この場所を知っているかのように。

 わたしが手を差し出せば、「にゃん♡」と鳴いて、頬をすり寄せてくる。もう、本当にかわいい。



 それなのに、お兄ちゃんが、ユキに懐かれてないみたいだ。わたしのように手を差し出せば、爪を出した手を乗せられ、足元に纏わりつく代わりに、いつも頭の上に登られてる。このところ、お兄ちゃんには引っ掻き傷が目立つ。


「ユキ〜、ごはんだよぉ〜」

「にゃん♡」

「ユキ、餌!」

「ふんっ!」


 お兄ちゃんとユキの対決は、見ていて楽しいけどね。






「おい、ユキ、俺さまに対してそんな態度とって、おまえの正体を優希にバラしてもいいのか?」


 陽希が、器用に右の眉尻だけを上げ、悪い顔をしてわたしを見下ろしている。

 わたしは、フンと、それを軽くあしらい、『にゃあ〜』と泣いて見せた。途端、陽希の表情が強張った。聞こえて、理解できているようだ。

 わたしは、わざと陽希たちの言葉で、改めて呟いてやった。


下僕おまえが、かわいいかわいい優希いもうとのおっぱいを見て、ハアハアしてたってバラしてやってもいいんだぞ! なぁ、変態兄貴?」


 わたしの言葉に、陽希は一瞬だけ目を見開き、顔を紅くして……、項垂れ、そして……わたしに、無言のまま土下座した。ふん!



「ユキ、ごはんだよぉ〜、おいで」

「にゃん♡」


 優希がキッチンから顔を覗かせていた。そして、わたしにとって、この強制力のある言葉が発せられたのだ。わたしは優希の優しい声に、抗うこともできずに、誘われるようにフラフラと近づいていく。

 その時に気づくべきだったのだ。いつもごはんを食べているのはリビングだった。仔猫に転生して、危機感が希薄になっていたのかもしれない。そもそも、優希の優しい『ごはんだよぉ〜』の声は魔法の響きなのだ。

 あぁ、優希がカリカリの箱を振っている。



 食欲に負けたわたしが、優希の足元に纏わりつく。優希がカリカリの入ったお皿を、わたしの目の前に置く。それなのに、何故か、そのお皿が少しずつ遠ざかっていった。


「ごはんはちょっと、待とうねぇ」

「にゃ?」


 思わず、猫の鳴き声が溢れてしまった。お皿の行き先を視線で追う。そこには、満面の笑顔を讃えた優希がいた。

 優希に抱え上げられ、優希の視線と同じ高さになった。優希は未だに天使のような笑顔を浮かべたままだ。わたしは、こてんと首を傾げた。


「ユキ、さっきの話を聞かせてもらってもいいかな? わたし、小さい頃ならともかく、ここ最近、お兄ちゃんに見せたことないよ。おっぱい。さぁ、どういうことかな? ユキちゃん?」


 わたしは、ここまで、生きながらえてきて、初めて、血の気が引く……という音を、経験した。


「猫にはな、発情期っつう厄介な習性があってな。ごめん! 優希。わたしがチラッとな。無理やり陽希に……」


 そんなこと言えるわけもなく、わたしは、ただ、上目遣いに姫君を見上げるだけだった。

 わたしと優希の、笑顔での攻防が暫くの間続いた。

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