4話かにゃん‼︎ まさかこんなはず

「もしかして、ユキ……なのか?」


 陽希はるきの言葉に、優希わたしの胸がドキドキしている。下僕は、わたしのことを覚えててくれた。もう、それだけで嬉しい。

 これが、天にも登る気持ちだ……と、いうのだろうか。ん……? 違った⁉︎ すでにわたしは登っちまったんだっけ? 天国への階段を。

 下僕たちの住む現世うつしよでは猫又ねこまたって呼ばれる存在に生まれ変わってるんだ。これぞ、正真正銘、ホントの怪談だ。

 下僕の、その問いかけに、わたしは小さく頷いた。

 そして、わたしが呟いた。






「優希の体に、ねこまたとして転生しちゃったみたいなんだ……」 


 優希は目覚めてはいるようだった。わたしの泣き言を言葉として発声したし、瞬きも何度かしていた。細い指先も微かに動いている。でも、優希の視界に映り込んでくることは、わたしだけが認識しているようだった。

 わたしは、優希の目覚めの兆候を促すために、体が動くイメージを膨らませてみた。


「わたしの猫又の魂が、優希の人間の魂を圧迫してるみたいなんだ。妖のわたしのほうが、力が強いから、次第に優希の魂を塗りつぶしていってる。このままじゃ、優希が……」

「優希がなんだってっ?」


 下僕の表情に必死さが増した。怖いくらいだ。

 あの事故から今までの、優希の奇怪な行動の原因が、全てわたしにあるのだ。優希いもうと思いの下僕なら、怒っても当然だ。

 そんな陽希だったが、大きな深呼吸をひとつした。そして、優希わたしの目を見つめた後、頭を下げている。


「あぁ、悪い。ちょっと動揺しただけだ」

「ちょっと……?」

「イヤ、だいぶ……かな? でも、おまえはもっと動揺してんだろ? その慌てた口調で判る」

「下僕が、取り乱さないでいてくれたから、少し冷静になれたよ」


 未だに起き上がることのできない優希が、少しだけ笑ったように思えた。しかし、優希いもうとの微笑を見たはずの下僕は、首を傾げていた。というより、しきりに首を捻っている。どうした? 安心したんじゃないのか?

 わたしが、不安に包まれていると、下僕の口角が片方だけ上がり、右の手が優希に向けて伸びてきた。


「おまえ、今、俺のことを下僕って呼んだよな?」


 下僕が、優希わたしの頬をムニムニと引っ張りながら、文句を言っている。もちろん、下僕のその手に、わたしの研ぎ澄まされた爪を立ててやろうと意気込んだものの、優希の華奢で柔らかな手は、それを許してはくれなかった。


「しかしなぁ……、人間時間で百年も生きてて、なんにも知らねぇ……って、どうなんだよ」

「わたしだって、妖になって人間の体に憑依するとか初めてなんだよ。仕方ねぇだろ」

「仕方ねぇだろ……って、その間も、優希は苦しんでるんだぞ」

「うっ‼︎ そこは申し訳ない……としか」


 わたしの返事が、次第に弱々しくなっていく。下僕の顔を直視することができずに、視線を優希じぶんの手元に落としてしまう。小さな肩を落として背中も丸くなってしまった。

 そんなわたしを見て、下僕が呟いた。


「優希は、まだ生きてんだろ?」


 下僕のこの疑問の言葉と、猜疑心に満ちた視線が、優希わたしの胸に突き刺さる。


「うん……」

「だったら、ユキと優希を無事に分離させる方法を見つけるしかねぇだろ?」

「うん、でも、そんなこと……」

「そんなこと……じゃあ、ねぇんだよ‼︎」

「い、いひゃい……」


 優希わたしの頬が、もう一度、ムニっと引っ張られた。



「まぁ、いいか。ユキが、今まで、俺のことをどう見ていたのかがわかっただけでヨシとしておこう。ところで、ユキや、どうして転生先が優希だったんだ。あの事故の時、最後にぶつかったのは俺だっただろ? そしたら、普通は、というかお約束では、俺に転生なり憑依なりするもんなんじゃねぇの?」


 不満げな下僕からの問いに、わたしは、優希のかわいい口の口角を片側だけ上げて、得意げに語った。


下僕おまえなら、すき好んで、むさっ苦しい男に転生したいなんて思うのか? 当然、かわいらしい、愛くるしい女の子のほうがいいだろ? 下僕おまえと優希じゃあ優希の方が断然いいに決まってるだろが?」

「ユキよ、おまえ、なにおっさんみたいなノリしてんだよ。つうか、優希のかわいい顔を使って、悪魔みたいな笑顔を浮かべんな! 俺のかわいい妹のイメージが悪くなるだろ」

「おっさん、言うな! 人間たちの心理には、綺麗なモノを愛でるっつう風流とかねぇのかよ?

「あぁ、優希を愛でるってのなら、風流かな?」


 そう呟く下僕の顔を見上げると、そこでは、わたしに対抗するかのように、得意げな表情を浮かべた陽希がいた。なんだか、凄い悪い顔をしている。


「人間時間で百年……ということは、ユキ? おまえ、相当な婆さまだったんだな?」


 そこで、毒舌か? そうくるのか? しかし、そういう機微に聡いところ、わたしは好きだぞ。






 兎に角、わたしたちは早急に解決方法を見つけなければならなかった。

 今までは優希の奇行だと思っていたことが、わたしが憑依したことでの変化だということに思い至った。ただ、それほど簡単に解決策など見つかるわけがないのだ。

 考えに詰まった陽希が、ふと呟く。


あやかしに先輩とかいねぇのかよ」

「そ、それだっ」

「どれだ?」

「だから、猫又の先輩たち探して聞いてみよう」

「安直すぎだろ?」

「なら、陽希は、ほかに手があんのかよ?」


 渋々、頷く陽希を従え、経験豊かだろう、先輩猫又を探すことになった。なんとなく躊躇が見られる陽希を連れ出すために、わたしのガラじゃねぇけど、がんばった。

 

陽希おにいちゃんは、こんなかわいい女の子とデートしたくないの?」

「自分で言うな! つうか、優希の顔して、優希の体を使って言うな!」

「自分で言わなきゃ、誰が言ってくれんだよぉ〜、ほれ、ほれほれぇ、かわいいだろ?」


 頭に拳骨でも落とされるかと思ったが、陽希が優希に手を上げるはずがない。わたしの作戦勝ちだ。






「ユキ? 猫又って、この世界にどんだけいるんだ? 猫又密度、高すぎじゃね? 猫又だけでこんだけいるんだ。ほかの妖もいるんだろうな……? ここ、人間界だよな?」


 陽希が肩で息をしている。

 それもそのはず、今日だけで、どれだけの猫又に出逢ったのだろう。先輩たちなら、問題解決の方法も知ってるんじゃないかとタカを括っていたわけだが、全員が『そんなもん、知らん……』と一蹴だった。


「人間たちだって、妖の一種かもしれんぞ。そしてここは妖界かもな?」

「そうか……。まぁ、人間も本質、怖いところがあるからなぁ……」

陽希おまえのそういう柔軟なところ、わたしは好きだぞ」

「そうか? ありがと。優希の声で言ってくれんのは嬉しいな」

「なんだとっ? わたしじゃ嬉しくねぇのかよ」


 優希の姿のまま頬を膨らませてみせる。膨れっ面も、元が優希だからかわいいのだが。下僕の頬が少し紅くなってるから、そのとおりなのだろう。ちょっとばかり、癪に障るなぁ……。まぁ、仕方ない。わたしと下僕の関係はそんなもんだ。



「さて、もう一件あたってみようか? うん、よいしょっ……と」

「ユキ、なに婆さまみたいな掛け声かけてんだ? あっ、婆さまだったか? こりゃあ、失礼!」


 勢いをつけて立ち上がろうとしたわたしに対して、婆さまときたか? 好きだって言った、わたしの純情を返しやがれ、下僕よ。どうせわたしはババアだよ。


「仕方ねぇだろ? 猫はもとより二本足で歩く習慣なんかねぇんだよ。わたしからしたら、小柄な優希の体でも大きいんだ」

『ユキ……、わたしと代わろう。無理しちゃダメ……だよ』


 毒づくわたしの頭の中で、優しい声が聞こえた。声の主が誰なのかは明らかだが、その声に泣きそうになっているわたしがいる。優希はこんな時でも優しいなぁ。この辛い状況だって、わたしが招いた結果なのに……。


『うん、そうだけどね、優しいわけじゃないよぉ〜。わたしも、お兄ちゃんと並んで歩きたいだけ。せっかく、外にいるのに……、腕組んで歩きたいじゃない? そろそろ、お兄ちゃんの隣のポジション、譲ってよぉ』


 わたしの頭に直接語りかけてくる、優希の言葉に呆れつつも、その中に隠されてる、わたしへの思いやりに、ついに涙の滴が溢れた。






「わぁ、かわいい。猫神さまって言うんですか? この神社、お兄ちゃんともよくくるんですけど、本物の神さまに逢えるなんて、とっても素敵です」


 優希が胸の前で、両手を組み合わせて見つめていた。その瞳は、眩しいくらいに輝いていることだろう。


「真っ白な子もかわいいけど、神さまみたいに真っ黒なニャンコもかわいいですね。撫でさせてもらってもいいですか?」


 そう言って、優希がそっと手を伸ばす。でもな、残念ながら、人間は妖に触れることはできないんだぞ。あれ? 猫神さまが喉を鳴らしてる? なんだか、気持ちよさそうでもある?

 あぁ、わたしの妖力が作用してるのか? わたしが優希に憑依したから……?

 陽希も、そんな優希いもうとを見て唖然としていたが、そろそろと猫神さまに手を伸ばし始めた。しかし、陽希の手は猫神さまの体を見事なまでにとおり抜けていく。その先で、手を握ったり開いたりしているが、妖って、そんなもんだ。


「嬢ちゃん、猫扱いが上手いな」


 一方で猫神さまは、優希の手によって、すっかり酔わされている。


「これじゃあ、話が進まんのでな、優希、わたしと代わってもらうぞ」


 その言葉が聞こえたのか、首を捻っていた陽希の表情が真剣なものへと変わっていった。

 その場の雰囲気が変わったことに、猫神さまも気づいたようだ。偉そうに、ひとつ咳払いをして、着崩れた着物の襟をなおしている。どこまで、優希に弄ばれたんだ? この猫神さま? わたしの、そんな不敬な想いをみすかされ、睨まれた。


「ユキよ……、お主は、素晴らしい家族に迎えられ、幸せな生涯だったのだな……」


 わたしが憑依してしまった優希を前にして、猫又の大先輩でもある、猫神さまの相好が一瞬だけ崩れた。そう、一瞬だけ。


「ユキ、今の状況は、猫又おまえの魂が、優希じょうちゃんの人間の魂を圧迫してるんだ。妖のおまえのほうが、力が強くて、次第に優希じょうちゃんの魂を塗りつぶしていってる。このままじゃ、優希じょうちゃんが……」


 猫神さまの言葉に、わたしと陽希は、視線を合わせ頷き合う。猫神さまは、言葉途中で遮られる形になったところで、不満そうな表情を浮かべて、わたしたちを見ていた。


「う〜ん、猫又あやかしになっても、やっぱ、メリットってないんだな? 俺らの推測どおりに、ことが進んでる」


 陽希が呟く。猫神さまの口元が引きつった。


「にゃ、にゃにを言うか? ワシは猫又の中でも最上位の存在だぞ?」

「何故に疑問形なんだ? 猫神さま? 最初から噛み噛みだと、更に威厳がないな……」

「噛んでにゃいぞ」

「あぁ、お約束のほうでありましたか? 失礼しました」


 陽希が深々と頭を下げた。でもな、陽希? そういうのを慇懃無礼って言うんだ。いちおう、神さまだからな……? 優希との分離方法を教えて貰わねばならんのだぞ。それまでは奉っておかなければ……。

 この時の優希わたしは、不遜な態度を取る陽希にドキドキしていたんだ。そんな、わたしの心のうちを見抜いたのか、猫神さまの口角が僅かに上がる。


「ワシに対して、そのような不遜な態度で良いのだな? 分離の方法、あったとしても教えてやらんぞ」

「猫神さま、それはかなり、いきなりの横暴だな。そんなだから、俺たち人間の信仰心も薄くなるんだよ。う〜ん、まぁ、いいか。なんとかなりそうだし……」

「にゃん、イヤ、なんとか? どういうことだ?」


 猫神さまが、更に、陽希を睨んだ。陽希は、猫神さまからの視線の圧力を受け流しているように見えた。

 でも、陽希は、なにをするつもりなんだろう。わたしには、まったく予想がつかないのだ。


「陽希、どうすんだよ。おまえは物理的に猫神さまには触れないんだぞ」

「そうだな、まぁ、俺は触れないけど、ユキなら触れんだろ。優希の手で……。おまえの耳の後ろを教えてやるよ」

「耳の後ろ?」

「そう」


 陽希の口角が上がった。その表情は、悪戯を思いついた悪餓鬼のようだ。ニヤリと笑いながら、陽希が自分の眉間を指さしている。


「そうか、わたしの耳の後ろ……か」

「そうだ、理解したなら、ユキ、行けっ!」

「おうっ!」


 優希の柔らかな指が、猫神さまの眉間をカリカリと撫で始めた。『はふん〜』と、かわいげのない溜め息が漏れた。

 猫神さまは、腰が抜けたようにその場に座り込む。後ろ足を投げ出して、でっぷりとした貫禄のあるお腹を露わにしている。もちっと、羞恥心を持とうぜ、猫神さま。あぁ、目がとろんとしてきた。なんか、体がぴくぴくしてるじゃねぇか?

 神さまの威厳が零になるのに、時間はそれほどかからなかった。


「わ、わかった、方法は教えてやる。だから、その攻撃をや、やめ……」

「教えてやる……? ユキ、猫神さまは、もっと撫でて欲しいそうな」

「おうっ!」


 陽希の笑顔に、悪魔が憑依したみたいだ。あ、憑依してんのはわたしか? でも、なんだか楽しそうだな。

 わたしも一緒になって、ついつい悪ノリしてしまった。わたしの目の前で、猫神さまが『はうっ』とか言ってる。ちょっとだけかわいそうに思えてきた。

 陽希の、わたしたちの気持ちいい壺を見抜く能力はスゲぇな。陽希こいつわたしの時には加減してたのか? わたしには心地いいだけだったからなぁ。



 猫神さまが、プルプルと震える前足でおふだのようなものを差し出してきた。霊剣あらたかな護符らしい。護符なのに霊剣とは、猫神さま、ヤキが回ったか?






 猫神さまから授かった、というより、半ば強引に出させた護符を前に、わたしも陽希も動きが止まっていた。だって、溶けきった猫神さまが言うには、どちらか一方だけなんだって? 助かるのが……。

 そんな中、わたしたちの沈黙を破ったのは、優希だった。優希の自分の意思から出た言葉だった。だって、わたし、そんなこと言わせてねぇもん。言わせるはずもねぇし。

 その衝撃的な言葉が。


「じゃあ、ユキが残んなよ」


 わたしは、優希の口から出た言葉を、すぐには理解できずにいた。陽希を見ると、アホ面を浮かべている。おい、しっかりしろ。おまえの妹君いもうとぎみ、今、とんでもないことを仰ったぞ!


「はい? 優希、おまえ、なに言ってんだ! そんなこと赦せるわけないだろ」


 そりゃそうだよな。陽希の言いたいことは当然だ。ちょっと淋しいけどな。でも、陽希にとっては、優希はたいせつな家族で妹で……、対してわたしは厄介者の猫又だからな。


「でもね、お兄ちゃん。ユキがいなくなったら、それっきりだけど、わたしなら、わたしの体だけは残るでしょ? ユキが使ってくれるなら、ふたりともにこの世界に残れるよ。わたしは、ユキにもここに残って欲しいんだよ。ユキだって、お兄ちゃんが大好きなんだよ……。わたしは、もともと、あの事故の時に死んじゃってたはずなんだよ。それをユキが助けてくれたから、今、こうしてるの。本当なら、ユキは今でも幸せに暮らしてたはずなんだよ」


 優希の頬に涙の雫がひとつ流れた。

 そこで、優希の意識が途切れた。






「う〜ん、猫又あやかしになっても、やっぱ、メリットってねぇんだな? 結局、二択しか方法がねぇんだから……」

「なんか言ったか? ユキ?」

「あぁ、イヤ……。それより、よく、わたしだと判ったな?」

「あぁ、見てりゃ判んだろ? それに、優希は、やさぐれた婆さまみたいな言葉を使わないし……」

「やさぐれた婆さまで悪かったな」


 陽希とは、わたしが猫又ねこまたとして優希に憑依したあの事故以来、上手な掛け合いができるようになった。それが嬉しくて、随分と自分勝手に、優希の身体を酷使してしまった。

 わたし……、陽希のことが好きだったんだろうなぁ。たぶん、ひとりのヒトとして。

 だから、陽希の優しさに甘えちまったんだ。そして、優希の言葉をそのまま受けようと画策した。わたしったら、なんて最低なヤツなんだ? あやかしの風上にも置けねぇ。


「おい、陽希……、今までありがとう」

「どうした? 突然」

「それとな、優希が持ってる、わたしについての記憶は、ついでに持っていくからな」

「なに言ってんだ。優希がそんなこと望むはずないだろ」

「だけど、優希は自分のこと……、それでずっと責め続けんだぞ! いいのか?」


 陽希が唇を噛んだ。


「わたしは、陽希が覚えていてくれたら、それだけでいいよ……。優希いもうとのこと、しっかり護ってやれよ」

「俺にだけ、重荷を背負わせて押しつけんのか?」

「あぁ……」






 それだけの肯定の言葉を漸く絞りだし、猫神さまから貰った護符に両手をついた。そして、最後に、精いっぱい微笑んでみせた。



 そこで、わたしの感情は消滅した。

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