2話だにゃん‼︎ 生まれかわれるはず
「おまえたちってさ、百年生きると妖怪になるってホントなの?」
わたしを自分の目の高さまで抱え上げ、こんなアホなことを言っているのは、現在、わたしの下僕である、
本人は、『寝癖だ、ねぐせっ』と言って誤魔化してるようだが、わたしにはわかるんだよ。風呂上りに、バスタオルで拭いた瞬間から跳ねてるんだからな。
わたしの心の嘲笑が伝わったのか? 下僕の抱え方が変わった。
「おい、わたしは、これでも、花も恥じらう女の子なんだぞ。こんな恥ずかしい格好させるなっ」
わたしは、早く降ろせと叫んでいるわけだが、この下僕には『にゃにゃにゃ〜ん』くらいにしか聴こえていないのだろう。
理不尽極まりない。両脇を抱えられて伸びきった無防備かつ、真っ白いもふもふの薄いお
無駄な抵抗と知りつつも、羞恥心には耐えきれず、必殺武器の爪をシャキンッ……と出してみせる。しかし、この下僕の指先にひと撫でされただけで、わたしの攻撃意欲は削がれてしまった。
悔しいことに、猫扱いは上手いのだ。それに、この下僕の指先は、わたしの気分が良くなる部分に、いつも先回りしてくるのだ。特に、耳の後ろが……。
「そうだ、もっと、頭を撫でてくれ。耳の後ろもだぞ」
わたしの要求は、この下僕には『にゃ〜ん♡』くらいには伝わっているのか? 絶妙にくすぐったい所為もあるが、瞼が重くなってくるのが癪に触る。
いちおう、今の飼い主である。
「おい、ユキ、ホントのところどうなんだ?」
下僕の絶妙な指使いに
ユキとは、わたしの毛色が、雪のように真っ白だったからといって、この下僕がわたしにつけてくれた名前だ。下僕にしてはセンスがある。わたしは結構、気に入っている。
それなのに、顔をあげたわたしの、事もあろうにたいせつなヒゲを、柔らかい力加減でクイっとやられた。それに不満を示す意味を込め、下僕の手に爪をたてる。わたしも力は込めていないが。
「なんだよ、そんなことも知らねぇのかよ」
わたしは鳴いた。下僕からしてみたら『にゃ?』くらいか?
下僕は、自分の言葉に、わたしが反応したと思ったのだろう。わたしの瞳を覗き込んできて、ニコニコと笑っている。
「知ってるんなら、教えろよ」
「おい、今、なんて言った? 伝わって……る訳、ねぇか。でも、ついでだから教えてやるか」
「うん、ありがとう。ユキは、ホントに賢いなぁ」
「まただ? なんだ? この不思議な感覚は……? ホントに通じてねぇんだよな? 猫と人間、言葉が通じ合うなんて聞いたことねぇぞ。う〜む、猫はな、ヒトの世界で百年生き永らえると、魂だけが隠り世に転生して、
わたしの言葉は、『にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ……?』と随分長いものになっていたようだ。
「お兄ちゃん、何、ユキを虐めてんのぉ。かわいそうじゃない?」
キッチンのカウンターの向こうから、優しい言葉をかけてくれたのが、わたしの下僕の
下僕と同じ高校に通っている。毎朝、一緒の通学……なるものを楽しんでいるようだ。
朝、出かける時の、優希の嬉しそうな顔を見ると、わたしまで癒されるんだ。
この優希、わたしのように、ココ大事だから敢えてもう一度言う。わたしのようにかわいい顔をしているのに、学校に行っている以外は、いつもこの家にいるのだ。不思議だろう? 引っ込み思案というか、内向的というか……、どっちも同じか?
まぁ、いいや。それから、わたしと名前が似ているというのも、優希のことが好きな理由のひとつなのだ。ほかにもいろいろあるが、とにかく優希は、わたしに優しいのだ。
いつも、わたしにカリカリをくれるのは優希、カリカリを目の前でフリフリするのが下僕。
遊んでくれるのも優希のほうが断然多い。下僕は案外飽き性である。わたしが無視した後、面倒そうな視線を向けるのもいけないのかも知れんが。
夜、優希の隣で寝るのは、暖かくて安心できるから大好きだ。下僕の布団に潜り込むと、途端に蹴り出されるから困ったものだ。
それに、優希は、女の子のわたしを辱めたりしないのだ。『オマエ……女の子だったんだな』、とか言い放つアホな下僕と違って。
ただ、そんな非の打ち所がない完璧超人の優希にも、問題がひとつあった。
それは、 お兄ちゃん、大好き♡……なのである。特に、この♡である。
もう、わたしの目の前で、ベタベタべたべたしやがるのだ。優希よ、よもや、衆人環視のある、外でまでやってないだろうな? 場所くらいは弁えられる
わたしは、もう、数日もしたら、優希たちの前から姿を消さねばならんのだぞ。
せめて、わたしが『
「ユキがいなくなって……寂しいんだ、お兄ちゃん、優しくしてよ」
とかなら、まだ許せるが。イヤ、ふたりの保護者としての立場では、それも許してはいかんのか? しかし、わたしを抱いたままで、下僕の隣に寄り添って、くっついて、猫なで声で甘えるのは辞めてくれ。目のやり場にだって困ってるんだから。
こんなふたりを見ては、どうしようもなくザワつく、わたしの気持ちがなんなのか、理解できないから不安にもなるんだよ。
まぁ、優希が下僕にべったりなのも、仕方ないっちゃあ仕方ない事ではあるが。
もう、三年になるもんなぁ……。下僕たちの両親が、ふたりの目の前で、暴走トラックの犠牲になって……。揃って事故に巻き込まれて亡くなってから。
あの時は突然すぎて……。中学生だった優希は泣きやまないし、高校に入ったばかりの下僕は泣かない。こころを歪ませた子どもたちだったもんなぁ。
相手側からの補償とか、両親の蓄えとかで、生活に困窮することはなかったけど、突然襲いかかったふたりの不幸に、わたしが見る限り、手を差し伸べることのできるおとなたちはいなかった。それだって、仕方のないことなのも解ってるけど。
困惑の表情を浮かべながら、今後のふたりの処遇を話し合う身内たち。
その決定を拒絶して、兄妹ふたりで暮らす道を選んで……。ふたりで、良くやってきたよ。
しかぁ〜し、それも、わたしが見護ってきてやったおかげなんだからな。感謝しろよ。
「ユキ、わたしと一緒に寝てくれる?」
両親の葬儀を終え、下僕とふたりの生活が始まった初日だったか。それまで、泣きやむことのなかった優希が、わたしを抱きかかえて、耳元で囁いたのが、この言葉だった。
「どうした? 優希? わたしでよければ、いつでも優希のそばにいてやるぞ」
わたしの返事が、どう、優希に届いたかは定かじゃないけど、わたしを抱いた手に、少しだけ力が入ったのは判ったぞ。
その想いは、これから、兄妹で暮らしていくことへの決意だったんだろう。いつまでも泣いていたら、下僕に心配をかけてしまうという優しさだったんだろう。
わたしには、物心ついた時には、もう、親なんてものは存在していなかったが、下僕と優希にとっては最愛の者たちだったのだろう。
「お父さんたちが、もう帰ってこないのは寂しいし辛いけど……。ふたりで暮らそうって言ってくれたお兄ちゃんに迷惑かけちゃうから……。お兄ちゃんの前では、もう……泣かないから。ユキ……、ユキの前でだけ……泣かせてね」
ベッドの上で布団に包まり、声を
それからは、優希が泣くことも少なくなったよなぁ。
で、下僕のほうは、
でも、下僕も優希と同じことをしてたから、わたしが下僕の布団に潜り込んで、下僕の流した涙を舐めてやったんだ。そうしたら
頭にきたから、布団の上から下僕の頭に上に乗っかってやったわ。丸くなって寝てやったわ。で、息苦しくて布団から顔を出してきた下僕の鼻の頭を、改めて舐めてやったんだ。
「ごめん、ユキ。俺が泣いてちゃ、優希が不安がるよな。気づかせてくれてありがとな」
う〜ん、そんな意図はなかったんだがな。ただの意趣返しだ。優希と同じことをしてやっただけなんだが。兄と妹では思うことや感じることが違うのか?
本当は、おもいきり泣かせてやりたいんだけどな。下僕は、今でもずっと我慢したままだ。
でも、もうそれもしてあげられないかな?
わたしに残された時間は、あと数日のはず。
百年経った時、わたしの姿は、隠り世の
尻尾が二本生える代わりに、ヒトと話をすることができるようになる。
でも、姿は見えないから、気味悪がられるだけだって、猫又の大先輩には言われた。
なんだよ、それじゃあ、下僕をからかうこともできねぇし、優希を慰めてやることもできねぇじゃねーかよ。
う〜ん、
そんなカウントダウンをしながら、この日は、下僕たちふたりの家の近所を散歩していたんだ。
というより、少しずつ、下僕たちから、距離を取り始めてたんだな。急にいなくなることで、ふたりに与える哀しみが大きくなることは知っているつもりだったから。
最愛の両親ほどではないだろうが、いちおう、わたしも家族の一員と思っててもバチは当たらないだろ?
でも、優希たちにとっては、それすらもいけないことだったようだ。
轟々と大きな音をたて、わたしの目の前の車の流れは途切れることがない。
そんな大通りの向こう側で、優希がなにかを叫んでいる。ふと、優希が視線を、左にそらした。わたしも、優希の視線の先を追いかける。そこには、優希とは反対側の歩道を必死な形相を浮かべて走ってくる下僕の姿が……。下僕も、なにか叫んでいた。
突然、それまでの轟音が、わたしの耳に届かなくなった。振り向いた先の大通り。車の流れが一瞬だけ途切れた……。
優希が、向こう側のガードレールを飛び越える。それも、ほんの一瞬。
わたしに向かって駆け出した。
同時に、わたしの右のヒゲが風の流れを捉えた。その発生源は猛スピードで迫ってきて、今にも下僕を追い越そうとしている大型のトラックだった……。
「ユキっ‼︎」
「優希ーーっ」
優希がわたしを呼ぶ声と、下僕が妹に向けた叫び声が重なった。
わたしを呼ぶ優希の目には、大きな脅威が見えてないのか? 襲いくる大型のトラックが映ってないのか?
「優希、きちゃダメだっ‼︎」
わたしのその想いは、『にゃぁーーッ』という響きにしかならなかった。
「下僕ーーッ。優希が死んじゃうッ。助けてッ」
下僕は? アイツ、こんなところで動けなくなりやがったのか? 立ち竦んでやがる。こんな時にフラッシュバックかよ?
下僕が動けなくなった理由を理解した瞬間、わたしは、車道に飛び出していた。息つく間もなく、わたしに向かって走ってくる優希に飛びかかった。
反対側から車は来てないっ。どこまで、わたしの小さな体で押し出せる? でも、そんな泣き言、言ってられっかぁっ。
渾身の力を込めて、優希を押し倒す。間に合った。
「ユキーーッ」
わたしが飛び出して来たほうから、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
その声に振り向いたわたしの、すぐ目の前には、下僕の顔があった。
そして、そのすぐ横には、大型トラックのバンパーが鈍色を揺らして迫っていた。
「この馬鹿ぁーーッ」
わたしの『ニャーッッッッ‼︎』が響き渡る。
優希を助けた、わたしの苦労を無駄にすんなーッ。
ドンッ‼︎
現場の周辺は騒然となった。
一匹の真っ白い猫を追いかけて飛び出した少女は、なにかに押し出された拍子に意識を失っていたが、目立った外傷も見当たらなかった。その少女を助けるために飛び出した少年が、少女のもとに駆け寄り必死に呼び続けている。
あわや、大事故から一転、奇跡の生還であった。
あぁ、まだ猫だったんだな、わたしは。はねられた瞬間は痛かったな。
でも、優希も下僕も無事だったんだから、良しとすっかぁ。あのふたりを護ってやれたんだからな。ふたりとも……、幸せになってくれよな。
あ〜あ、もう少しで、不死の
下僕の奴、まだ優希を呼んでやがる。もう少ししたら、目ぇ覚ますっつうの。
わたしも、あれくらい、下僕に名前を呼ばれたかった……なぁ。
ユキの意識が途切れた瞬間、下界で、ひとりの少女が目を覚ました……。
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