2 ─ 3

 エラルドに投げつけられた薬と包帯で応急処置をして、僕は彼とともに家に帰った。

 動けるようになったとはいえ、傷は治っていないし全身が痛む。しかし腹が減って仕方がない。

 食料を探していると、エラルドによってベッドに押し倒され、顔面を一発本気で殴られ、毛布で視界を奪われた。

「おめぇは寝てろ、阿呆!」

 怒鳴り声が、毛布を被っていても尚うるさく頭に響いた。

 続いてがちゃがちゃと金物をぶつける音がする。

 きっと何か料理をしようとしているのだと思うけれど…。調理器具の扱いが雑すぎる。

 寝ていろと言われたので大人しくするけれど、この騒音の中では眠れはしない。

 瞼を閉じて、遠く昔のことを思い出す。

 

 エラルドは僕にとって唯一の友人である。

 友人、という言葉を使わないで表すのだとしたら「血の繋がっていない兄」だろうか。

 友人、と一言で片付けてしまうには、僕と彼との関係はやはり深すぎるような気がする。

 僕はエラルドと初めて会った日を記憶していない。

 それは記憶がないほど遠い昔のことである。

 これはエラルドから聞いた話なのだが。

 彼は4歳のとき、まだ小さかった僕を拾ったらしい。街の端っこで眠っていた僕を、たまたま見つけたのだと言っていた。

 何でそんなところで眠っていたのか、親族はどこにいるのか、その時いくつだったのか、わからないことだらけだ。

 兎に角そんな経緯とも言えないような偶然から、エラルドは僕を拾ってきた。

 と言ったって、彼も彼で、拾われの身であった。

 当時4歳の彼が共に暮らしていたのは、20歳前後の男性。父親ではなく、全くの赤の他人ということだった。

 あるときその男性がふらりと姿を消してからというもの、僕とエラルドは二人きりで暮らしてきたのである。

 僕は幼いころ、エラルドが自分の兄であると信じて疑わなかった。

 それが当然のことだと思っていたので、彼のことを「兄ちゃん」「兄貴」と呼んでいたものだ。

 幼い頃の記憶のどこを探っても、僕の隣にエラルドがいる。

 今でこそ面倒な奴だと思っているが、幼い頃は単に面白い奴だと思っていた。

 面白い兄貴。

 僕には家族というものがわからないので何とも言えないところだが、エラルドと過ごしていると、家族とはこんなものかなと思う瞬間がある。

 無条件に優しく、見返りを求めず。

 身勝手で無遠慮なのに、なぜか上手く憎むことができない。

 確認し合うまでもない、疑いようのない信頼──。

 ふと気付くと辺りが静かになっていたので、視界を遮っている毛布をのけてみた。

 午後の日差しの中に兄、否、エラルドの姿があった。

「よお、病人」

 ベッドのそばの椅子に腰掛けていた彼は、すかさずちょっかいを掛けてきた。

 うるせぇ、と軽く睨む。

 僕がむくりと上体を起こすと、エラルドは湯気の立つ容器が載せられた盆をこちらに押し付けてきた。

 食え、ということらしい。

 中身を覗いてみると、赤色の液体に野菜が浮かんでいる。

 僕はありがたくいただいて、空の器をエラルドに突き返した。

 彼は盆ごと器を受け取って、テーブルの上に置いた。

「また行くんだろ…」

 エラルドが言った。

 どこへ、なんて野暮なことは訊かない。

「行くよ」

「死ぬぞ」

「死なないさ」

 僕は不敵に笑って見せる。

「わかってるのか。相手はただの小さい女の子じゃないんだぞ」

「承知も承知。グレイヴ・キーパーだ」

 わかってて行くんだよ、という僕の言葉に、エラルドは本当にわからないという目をした。

「僕はわかってるんだ。あのコに僕は殺せない」

「そんなの詭弁だ。お前はわかってない。墓荒らしを生かしておくグレイヴ・キーパーなんているわけないだろ」

 いつになく真剣な目で、彼は言った。

「行くな」と言った。

 ああやっぱりこいつは僕の兄なのだと呑気に思い、彼に優しく微笑みかける。

 僕は何も言わず、エラルドはただ僕をずっと見ていた。

 大丈夫。

 兄の心配が杞憂に終わることを、僕とあのコは知っている。

 あのコは僕を殺さない。

「兄貴」

 僕の呼びかけに、エラルドは驚いたようだった。しかしすぐに静かに言った。

「やめろ。俺はお前の兄貴じゃない」

「なぁ、兄貴。ちょっとは僕を信じてくれよ。いつもみたいにさ」

 穏やかに、歌うように、僕は言うのだった。

 何か言おうとしているのに何も言い出せない、そんな表情の兄は、何だか不憫に思えた。

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