第5話
昨晩、マーシャルが悪漢らに襲われたことは、一気に噂が広まっていた。何者なのかまでは分からないらしいが、この事件は治安の悪化を意味した。もはや脅威は病気だけでない。
救援隊も周辺から厳しい目、言葉を向けられることが多くなった。感染症患者と関わる事が多いため、周辺に住む者たちからの不平が寄せられるのだ。さらに救援隊に協力してくれていた者たちの中には、家族からの反対、近所の者たちからの嫌がらせで、来なくなることも少なくない。少し前には不審火が起こるなど、不安な夜が続く。
マーシャルは自警団を救援隊の区画に配置してくれたので、幾分かは安心できるとの声が聞かれる。
「本当に、助かりました」
クラークは感染症患者のメモを見ながら歩き、隣のリリーにお礼を言った。彼女は「いえいえ」と軽く笑みを浮かべ、控えめに答える。
「私だけでは、どうにも皆さんの口が重くて。牧師様がいてくれたらいいんですが」
いつも患者への質問を一緒に回ってくれる牧師は、数日前から来てない。彼は救援隊を手伝ってくれてはいるが、街中を歩き回り、演説をしたり、人々の悩みに耳を傾ける活動もしていた。少し前に、最初に感染者が出た第4区画(今も感染者数、死者数が多い)へ行くと話していた覚えがある。
ただ、牧師がいないとクラーク一人では、警戒されて質問に答えてもらえず困っていた。そんな時に、リリーが協力を申し出てくれたのだ。彼女はダウナーサイドの人間ではない。だが、白熱状態(最も症状の重い)の患者の世話をし、寄り添っていることから、救援隊だけでなく、患者や住民からも信頼されていた。温かな雰囲気と優しい声は、多くの人に安堵感を与えた。
「それで、何か分かりそうですか?」
クラークにとって、その問いは一番聞きたくないものだ。つまり、何も分かってない。感染源の特定、さらには拡大を防げばと思うが共通点がない。人種や宗教、職業に差はない。次に井戸水か、とも思ったが、同じ水源でも病気が広まっている区画と広まらない区画がある。
「いやー、それがなかなか」
「焦ってはダメです。見落としてしまうから」
落ち着いた言葉。自分よりも年下であろう女性に諭されているが、彼女には嫌な気持ちにならない。不思議とすんなり胸に入ってくる。
「目に見える情報が全てでない時もありますしね」
意味深な事を言ったので、リリーの顔を見るが、それに気付いたリリーは気付いて笑う。
「ごめんなさい。私、たまに思ったことが口に出てしまうですよ。特に深い意味はないんです」
不覚にもドギマギしてしまった。
「あー、でも、あれですね。あなたは凄い。厳しい作業を率先して引き受けている」
「厳しいと思われるかは、その人の捉え方によりますよ」
「でも、治安も悪くなってきています。あなたのことを心配する声も多いですよ」
「それはありがたいことです。でも、大丈夫ですよ。私は、信じてますから、皆さんを。確かに悪事を働く人はいます。騒ぎを起こす人も。でも、ここで一緒に働いている人や、あなた、マーシャル、それに善良な人たちも大勢いますから。こんな時こそ、人の良心を信じて乗り越えるべきでしょね・・・・・・私は信じることしかできませんから」
祈るように手を前で組みゆっくり話すリリーに、思わずクラークは見惚れてしまった。
「まるで、牧師様と話してる感じになりました」
「私たちも、主(しゅ)に仕える身ですからね」
笑顔で返す彼女は、視線を少しずらした。視線を追うと、そこには救援隊を手伝う女性たちが集まって休憩している。リリーが近づくと、女性らも笑顔でリリーに挨拶をする。
「ご機嫌よう。ケイトさんはだいぶお腹が膨らんできましたね」
リリーも挨拶を返して、一人の女性に声をかけた。ケイトと呼ばれる若い女性。金髪でソバカスが特徴的なかわいらしい人だ。彼女のお腹が膨らんでいた。そう妊娠しているのだ。まだ出産までは先だが、それでも妊婦を活動に参加させるのには、当初反対意見がほとんどだった。しかし、どこにいても感染するリスクはあること、家にいるよりも人のために動きたいと本人の強い意志で参加を決めた。彼女のお腹の子供の成長は、救援隊の者たちにとって最近では少ない明るいニュースの一つだ。
「ありがとうございます。みんなが元気に育つようにと祈ってくれているので」
「でも、無理はいけないよ。お腹の子に何かあれば、ここにいるみんなが悲しむからね」
クラークも近づき優しく声をかける。そこで彼女の前に置かれた見慣れない物に気付く。「これは?」と尋ねると、彼女は「主人が持ってきた缶詰」だと答える。
栄養をしっかり取るようにと、彼女の旦那が買ってきたのだという。
「配給なんかでは見ない物だね」
「あぁ、教授はダウナーサイドのお人じゃないから、知らないんだね」
別の女性がクラークに教えてくれた。
最近、ダウナーサイドに出回る裏ルートの缶詰があるという。何人も売人はいるらしくさまざまな区画で販売しているが、数に限りがあることから、売人に近しい人たちが優先的に手に入れられる。だから売人であるダウナーサイドの住人と関わりの薄いクラークなどには、手に入らないとのことだった。
「主人も、ようやく手に入れられたって喜んでました」
ケイトはその場面を思い出して笑いながら話す。
「そんな誰が流しているか分からない物、安全なの?」
リリーは何気なく皆に問い掛ける。みなは「缶詰だから大丈夫じゃない?」と曖昧に返すが、クラークだけはその問いが引っかかった。折りたたまれた地図を開いて、脳みそを振る回転で動かす。
「リリーさん。もう一度、隔離棟に戻って聞きたいのですが、ご協力願えますか?」
しばらく考え込んでお願いするクラークに、リリーは快諾してくれた。
「ケイトさん。リリーさんの言うとおり、一度、安全か確認してみましょう。大丈夫、ちゃんと返しますから」
クラークが手を差し伸べると、少し渋るような顔をしたが「返す」との言葉と「安全と分かって食べた方がお腹の赤ちゃんにもいい」というリリーのアシストもあり、安心したのか缶詰を渡してくれた。
「それで、何を聞かれるんですか?」
「感染者が我々の知らない、裏ルートで出回っている物を口にしていたかどうかです」
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