第4章:狂気と混乱

第1話

 マトとクリストフは第4区画を歩く。ここは最初に感染者が出た区画として、もっとも風評被害を受けている。ここの住人全員が病原菌のような扱いを受け、配給物もろくに届かない。元々、ダウナーサイドの中でも貧しい場所だったため、余計に不衛生で治安が悪くなった。死者数も増加し、いくつかの建物では全員が感染して死に、今や誰もいなくなったビルもある。

「おー。雰囲気あんなー」

 夜で明かりも少ないせいか余計に暗い。周りを見ながらクリストフは興奮気味に言う。

「こっちであってんのか?」

 二人に挟まれるように歩く青年は、無言で頷いた。彼は、前に悪漢らから助けられた青年だ。

「それで、ホントに魔女がいるんだろうな」

「いるよ。前からおかしな女だったんだ。牧師様にも相談してた・・・・・・。親父も頭がおかしくなって、お袋を・・・・・・」

 青年がその時のことを思い出して口ごもる。何度も聞いた話なので内容は知っている。家族で夕食を取っていた時、、父親が急に何かをわめきながら立ち上がり、包丁を持つと母親の頭をそれで割ったのだ。そして彼も殺されかけるが、慌てて部屋から出てビルからも走って逃げた。そしたら第4区画から出てきたと、リンチにあったそうだ。

 彼曰く、あまりの恐怖で定かではないが、彼の家のような出来事は、彼の住む集合住宅全体で起きたのではないかと話す。廊下を逃げていた時、あちこちで悲鳴が聞こえたらしい。

「いい、いい。全部言わなくってもな」

 クリストフは豪快に、小さな十字架を握る青年の背中をバシバシ叩き励ます。

 すると青年は足を止め、目前のビルを指した。そこが彼の住んでいたビルらしい。

「あそこです。これ以上は、足が動かない・・・・・・」

 泣き始める青年を見ながら、マトとクリストフは顔を見合わせて、歩き出す。

「坊主、じゃぁ、ちょっくら行ってくるからよ。その辺で待っとけ」

 青年は目覚めてから救援隊の一員として働いている。まだ怪我が治っていないが、動けないほどではないので雑用を任された。ここには二人の道案内役として、半分無理矢理連れてこられたのだ。ただ帰る時は、勝手に帰ると前のようにリンチにあうかもしれないので、二人が戻るまで待つほかなかった。青年は「ほ、ほんとに行くんですか?」と声を投げかけるも、二人からの返答はない。

すでに二人は臨戦態勢だった。



 入り口の扉を開き集合住宅へ入るとヒンヤリとした空気が二人を迎える。

 どこにもガス灯が灯っていないため、中は真っ暗だ。目が慣れるまでにしばらくかかる。廊下の奥に階段がある。周囲に気を配りながら一歩ずつ慎重に進む。青年の話では魔女は一番上の階に住んでいたらしい。階段を踏みしめる度に、手入れのされていない木製の板が軋む。静かなビルには大きすぎる音だ。

 一歩一歩、踏み出す度に空気が重くなるのを感じる。

「こりゃ、当たりか?」

 クリストフは腹の底からくる震えを誤魔化すようにあえて明るく話す。隣のマトは相変わらず何も言わない。慣れているのか、緊張しているのか、表情はいつものままだ。だが、すでにトマホークと呼ばれる斧、分厚い鉈を取り出していた。クリストフもボウイナイフとリボルバーを構える。

 二階に上がると、廊下に何人か倒れている。まったく動かない、おそらく事切れているだろう。死んで何日も経っているだろうが、見えている肌はまるで先ほど死んだよう。おそらく、もはや寒いとすら感じるビル内の空気が、死体の腐敗を防いだ。

 クリストフは足で、うつ伏せの死体をひっくり返す。

顔がなかった。

 えぐり取られたような顔面。クリストフは、熊などの猛獣に襲われた人を思い出す。だがここに熊はいない。思わず武器を持つ手が汗ばむ。

 視線を死体から目前の扉へうつし、ゆっくりと扉を押した。抵抗なく開く。中はやはり真っ暗だが、目が慣れており、正面のテーブルに突っ伏している人影は分かった。

 銃を構え、周囲を警戒しながら進む。

 空気が重い、体にまとわりつくようだ。自分の心臓の音が聞こえる。

 突っ伏す人影のそばへ寄り、軽く押した。人影はそのまま床へ倒れる。銃を向けるクリストフ。だが人影は動かない、しばらく様子を見る。変な緊張感がある。

「うわっ!」

 人影に集中していたが、いきなり肩を叩かれて思わず声が出た。見ると正体はマトだった。

「ビックリした! こういう時に、驚かすんじゃねぇ!」

 怒りと恥ずかしさで声を荒げるクリストフだが、マトは人差し指を口元に持って行き、静かにと合図。さらに文句を言ってやろうと口を開きかけるが、彼の耳にも微かな音が聞こえた。

 声だ・・・・・・

 くぐもり、消えそうな、少しの音でかき消えてしまいそうなほどの小さな声。このほとんど無音の中でしか気付かなかっただろう。

「なんだ? 魔女の何かか?」

 警戒を一層強くする。マトが周囲を見渡し、声の主を探す。それはクローゼットの中だった。

 武器を構えながらも、扉を開ける。

「・・・・・・ガキだ」

 中には子供が倒れていた。かなり衰弱し、意識が朦朧としているが生きている。祈るように手を強く握りしめ、身を丸くして倒れている。先ほどから口にしていたのは、神に救いを求める祈りだった。それを何度も繰り返して言っている。

「もう大丈夫だ。よく頑張ったな」

 マトが武器をしまい子供を抱きかかえるのを見ながら、クリストフは優しく言う。

「一旦外に出るか」

 二人は子供を抱えて、廊下へ出る。そこで、足が止まった。


 一歩出た瞬間、心臓を鷲づかみにされたような、締め付けられる感覚。

 ギシリギシリ・・・・・・

 階段の床板を軋ませる音がする。

 視線を向けると、上階から降りてくる素足が見えた。やけに白くハッキリと。その足の主は、廊下からでは見えなくなる。

 呼吸が苦しい。気付けば、吐く息が白くなっていた。

 音から察するに、すでに白い足の主は、階段を降りきっている。廊下の先を、食い入るように睨む。

 そしてついに、廊下の端の壁に真っ白な手がかけられる。続いて頭が・・・・・・


 瞬きをした瞬間、その姿は逆側の壁へと移動する。再度、瞬きをすると女が廊下に立っていた。

 黒く長い髪を垂らし、ボロボロのドレスを着る女だ。

 真っ白な肌に穴が空いているような漆黒の目が二人を捉える。

「誰?」

 おしとやかな、綺麗な声だった。それが逆に怖い。

 考えるよりも早く、クリストフの銃が火を噴く。

 弾丸が女の額に直撃。女の頭が後ろに大きく震える。

「まただ・・・・・・また余計な奴が来た・・・・・・」

 女は何ともないように、後ろに仰け反らした頭を戻して言う。

 次の瞬間、女は大口を開き絶叫する。耳を塞ぐクリストフだが、頭の中で声が聞こえてくる。

 コロセコロセコロセ・・・・・・

 自分の中から沸き起こる衝動。誰から殺してやりたいという感情に、意識が遠のく。隣のマトは不快そうに顔をしかめるが、クリストフのようにはなっていないようだ。

 クリストフは耐えきれず、ボウイナイフを隣のマトに向かって振り下ろした。その時、彼の抱きかかえる子供が目に入る。そして彼の呟く祈りが聞こえた瞬間、理性が働き始めた。ナイフはマトの首筋で止まる。まだ頭の中で声が聞こえている。クリストフは、自身の頭を壁に打ち付けた。

 痛みで頭の中の声が吹き飛び、意識が完全に戻った。

「忌々しい忌々しい忌々しい!」

 暗い目がよりその濃さを増すと、廊下で倒れていた死体だと思っていた人影が動き出し、クリストフに襲いかかる。顔面のえぐれていたそいつが、彼の太ももにフォークを突き立てる。いきなりのことに驚愕するも、すぐさま自分を落ち着かせる。自分たちが相手にしているのは魔女なのだ。奇天烈なこともしてくる。

 痛みに歯を食いしばりながら、ボウイナイフを一閃。顔面のない者の首が転がり、動かなくなる。だがそれで終わらない。部屋の中にあった人影も起き上がっており、奇声を上げながら向かってくるので発砲。弾丸が頭蓋を砕き、後ろに倒れた。

 一息つく間もなく、そのフロアの部屋全ての扉が開き、家にある刃物や鈍器を手に住人だった者たちが現れる。同時に、階段を駆け下りてくる足音も。

 クリストフは銃を撃ち、弾丸が尽きると、ボウイナイフを右手に持ち替えて近づく者に薙いだ。腹を割かれ、内臓をぶちまけ倒れる住人。

 マトは、その様子を見ていた。

 狂気に爛々と目を輝かせる住人たちはクリストフにだけ襲う。まるでマトがいないかのように。

 恐らく魔除けだ。

 この住人たちは、先ほどクリストフがおかしくなりかけた「狂気の叫び」で操られたのだろう。だが、マトの魔除け、さらには少年の祈りがその効果を弾いた。さらに魔除けによって、操られた者たちからも守られている。

 と、マトは推測する。

 上階から駆け下りてきた住人たちは魔女の脇をすり抜けて向かってくる。

 マトは手に抱える少年をクリストフに渡した。「それどころじゃねぇ!」と文句を言っていたが、構わない。手の空いた彼は、即座に腰の道具箱から煙り玉を取り出し、火を点け投げる。煙が一気に吹き出すと襲いかかろうとする者たちの動きが止まり、奥の女(魔女)が明らかに顔をしかめた。

 退魔で使われる草を練り込んだ物だ。

 動きが止まったそのすきに、マトはトマホークを掴むと前へ走る。呆然と立ち尽くす者をうまくかわし、身軽に壁を蹴って、彼らの頭上を飛び越えながら魔女への距離を詰め、トマホークを振り下ろす。刃は魔女の肩口へ深くめり込む。

 魔女が口を開くと、叫び声と共に大量のネズミをマトへ吐き出す。襲いかかるネズミを下がりながら振り払うと、肩にトマホークを突き刺さった魔女が目前まで迫っていた。即座に鉈を引き抜き、後ろに倒れ込みながらも突き出される腕を切り捨てた。

 魔女は何かを呟く。意味は分からなかったが、聞いているだけで不吉な言葉だと分かる。手を叩くと、冷たい空気がさらに下がり、あらゆるガス灯が激しく燃え上がった。

 周囲が一気に明るくなる。

 後ろに倒れるマトに、それまで無反応だった住人たちが一斉に襲いかかる。彼の持つ魔除けが魔女の力に破られたのだろう。身を翻しながら攻撃を躱し、鉈で足を薙ぎ、頭を割る。

 肩に痛みが走り、見ると白目の男が噛みついていた。肉を抉り、噛み千切ろうとしている。さらに別の者に何発か殴られ、意識が飛びかける。気付いた時には目前にハサミを振り上げる女性がいた。間に合わない。そう背中に冷たい物を感じた時、女性の腹部から刃物が突き出る。クリストフが少年を廊下の隅に置いてから駆けつけていた。乱暴に女性を投げ捨てるとマトに噛みつく男の頭を掴んで、ナイフの柄で潰した。

 休んでいる暇はない。次々と襲ってくる者たちを切りつけ、殴りつけ、叩き付ける。

 どす黒い腐ったような臭いのする血を浴びながら道を拓き、ついに魔女にたどり着く。その様子を見ながら、魔女はケタケタ笑う。

「クソッタレが!」

 吐き捨てるように叫ぶクリストフが魔女の首を掴み、強引に壁に押しつけると、ナイフを逆手に持って渾身の力で振り下ろす。ナイフの刃は頭に深く突き刺さった。

「ぐぁ・・・・・・」

 小さく悲鳴を漏らしたのはクリストフの方だった。頭に刺さった刃が、魔女の首を掴むクリストフの左手の甲を突き破ってきたのだ。ナイフを抜くと、手の甲のナイフも消える。

 後ずさるクリストフに変わって、マトが前に出る。肩口に刺さったままのトマホークの柄を掴んで引き抜くと、振りかぶって首を薙いだ。

 弧を描いた首は高笑いをしながら床に転がる。体は力なく崩れ落ちる。燃えさかっていたガス灯が消えた。もう動かない。

「やったか?」

 血の流れる左手に布を巻きながら様子を見る。

 マトは廊下で寝かされる少年を抱えて立ち上がる。

「これで病気も収まるのか」

 警戒しながら魔女の体をすり抜けて階段へさしかかった時、魔女の首のない体が音もなく立ち上がり、瞬きの間に距離を詰め、手を伸ばす。気付いたのはクリストフだけ。咄嗟に隣のマトを突き飛ばす。魔女の手がクリストフの背中を撫でると、鋭利な刃物で切られたように裂けて血が噴き上がる。痛みで意識が飛び倒れそうになるがなんとか踏みとどまり、クリストフは驚き目を見開くマトから鉈を勝手に引き抜く。そして雄叫びを上げ、勢いを付けた鉈で魔女の股下から切り上げ、そのまま縦に裂いた。真っ二つに切られた魔女から噴き出したのは、血ではなく無数の錆びた釘。それをクリストフはまともに受けて後ろに倒れる。

「クリストフ!」

 マトは彼を受け止め、魔女へ視線を向けると、魔女の体は大量のネズミへと変わっていた。ガス灯が再び、燃え上がり、その火が壁にうつり、あっという間にビルが火事に、ネズミたちはその火の中へと飛び込んでいった。



「クリストフさん、マトさん!」

 外で待っていた青年が合流。マトが少年と傷ついたクリストフを抱えているのに驚いた。ひとまず路地へと入る。ビルが火事になり、周辺は大混乱だ。意思を持っているかのように次々と隣接するビルへ引火する。

「く、クソが・・・・・・こんな所で・・・・・・」

 全身に釘の刺さったクリストフが血の泡を吐きながら苦しそうに呟く。立派なあご髭も今では真っ赤に染まっている。マトが血を止めようと手当をする手を、クリストフは掴んで止めさせる。

「いいから、聞け。マト・・・・・・こんなこと言っても、お前には分からないんだろうがよ。俺の罪の告白だ・・・・・・」

 苦しそうに呼吸をしながら話し始める。

「俺は、お前ら、インディアンを大勢殺してきた。それも動物を狩るようにだ。最初は、お前らに家族を殺されて憎しみから始めたことだ。でも、いつからか変わってた。お前らを殺す度に、自分が必要な存在なんだと実感した。でも必死で自分に言い聞かせてた。奴らは人間じゃねぇ。だから殺してもいいと。じゃないと、俺はただのクズになっちまう・・・・・・でもよぉ、お前ら見てたら、やっぱ人にしか見えねぇんだわ」

 クリストフの目からは涙がこぼれる。

「家族や殺してきた奴らの顔が見える・・・・・・ごめんなー、お前らはなんにもしてやれなくて。ごめんなー。怖かったよな。さぞ、俺が憎くいだろうな。マトよぉ。お前と会って、魔女を知った。お前を助けることが、ほんの少しでもインディアンを殺してきた罪滅ぼしになればと思った。ごめんなぁ。全然、役に立たなかったよな。俺、文句ばっか言っててよ。魔女を殺すこともできなかった。ごめんなぁ。最後までダメな人間でよぉー」

「もう、いいんだ」

 血を吐きながら、大粒の涙を流すクリストフに聞き慣れない声が振ってきた。最初は、誰の声か分からなかった。

「クリストフ、お前が苦しんでるのは近くにいたから知ってた。でも、そんなことを思ってたんだな。もう、苦しむな。話してくれてありがとう。お前のしてきたことは許されないことかもしれない。でも、俺たちのために涙を流してくれてありがとう。俺は、お前に何度も助けられてた。ありがとな」

 マトがクリストフの手を掴み返し、彼に英語で話していた。いきなりのことに、最初は唖然としたクリストフだったが、笑い顔に変わる。

「お前、しゃべれたのかよ・・・・・・」

「つまらない誓いを立ててた」

「なんだよ。しゃべれたのかよ。だったら、もっといろんなこと・・・・・・お前と話したかった・・・・・・」

 クリストフはそう言い終わると、フゥと呼吸が口から漏れて、力尽きた。

 マトはクリストフの亡骸を横たえると、自身の装飾としてつける鷲の羽を取り、クリストフの胸に乗せ、その上に手を置く。そして祈った。

 彼の魂が、あらゆる悩みから解放されるように。

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