第3話
ルーヴィックはキャシー、ニックを連れ、夜の街を進む。今ではほとんど人も出歩かないので、誰かを見かける事も少ない。
特に息を殺して進む必要もないが、面倒事に巻き込まれても困る。慎重に進むルーヴィックの後をニック、キャシーの順番でついてきた。
「きっと黒人だ、さもなきゃアジア人かアイルランド人のせいだ」
後ろでニックが声を潜めながらぼやく。
白熱病を移民などが運んできたという噂を言っているのだ。
「あいつら、俺らの仕事を奪うし、病原菌を撒き散らす害虫だ。住んでる所に火を付けてやればいいんだ。そう思うだろ?」
ニックの問い掛けにルーヴィックは「ああ」と気のない返事をする。
「最近じゃ、チームを組んで、そういう奴らが自分らの区画に入ってきたら粛正する運動もあるんだ」
「それで死人も出てるんだろ?」
「死んだって構うかよ。あいつらのせいで何千人って死んでるんだ。綺麗にしてるんだよ。それに、死体は嘆きの火に投げ込めば関係ないしな」
「やけに詳しいな。お前、まさか参加してるのか?」
「まだしてねぇよ。でも誘われてる。俺たちも参加しようぜ!」
「・・・・・・ダメだ。ワイルドが許さねぇ。」
「ワイルドが何だよ。この状況を解決できるんだぜ?」
「お前の言ってることも分かる。けど、それはワイルドが一番嫌がる」
ルーヴィックもニックとは似たような考えだ。南北戦争で市民権を得た自由黒人、新天地を求める移民が集まるニュージョージのような都市では、彼らに仕事を奪われて困窮するアメリカ人も多い。奴らさえいなければ、ちゃんとした仕事に就ける。つまり飢えて盗みをする子供が減り、体を売る女が減るのだ。今回の白熱病の原因。それはルーヴィックには分からない。救援隊の医師に聞いたが、移民が原因ではないという。ただ最初に死人が出たのはダウナーサイドの中でもさらに貧しい移民区画からだ。つまりは、意図的か偶発的かはさておき、彼らが原因で広まったのだろうとルーヴィックは考えている。そして、今更彼らを追い出しても広まった感染は治まらない。それも分かっている。分かってはいるが、だからといって感染源を許せるかは話が別だ。これまで蓄積された不満や不服もある。
若者たちが移民、黒人、数は少ないがネイティブアメリカン狩りをしている。そして襲撃を受けた側もその報復をし、死人が出る。相手に対する悪感情が募り、負の連鎖に陥っていた。だが、大きな暴動になってない。一重に治安を維持するワイルドが目を光らせているからだった。大きくなりそうな芽は素早く摘んだ。つまり、そうした人種で人を分ける人間をワイルドは最も嫌うのだ。それをルーヴィックは知っている。だから自分の気持ちはどうあれ、彼は差別的な集まりに参加しない。ルーヴィックはワイルドの保安官補佐だから。
「なんだよ! 黙って参加すりゃ、気付かねぇよ。治安を守るためだ。ぶっ殺しにいこうぜ!」
「止めてよ、兄さん! ぶっ殺すぶっ殺すって。ルーヴィックは保安官補佐なのよ!」
まったく乗り気ではないルーヴィックへ不平を言い続けるニックに、今まで黙っていたキャシーが痺れを切らして口を出す。
「だいたい、もう大勢死んでるのよ。人が死ぬのはうんざり。今は、みんなで助け合うべきじゃないの?」
キャシーは小刻みに震える手で首に掛けた十字架を強く握りしめ、語気を強める。妹からの叱責に、ニックはバツが悪そうな顔をして「分かったよ。悪かったよ」とすねた子供のように返事をした。粗暴なニックだが、幼い頃から二人で過ごしてきた妹には弱かった。
「ルーヴィックも、変なこと考えないようにね」
「分かってる。大丈夫だ。俺たちのことは気にすんな。お前は、自分の心配をすればいいんだ」
ルーヴィックはぶっきらぼうに答える。
そして三人は目的地へ着いた。
ダウナーサイドの端、川を越えればミッドサイドだ。橋からは遠く監視の目も届かない。その川辺に小舟が一隻用意されていた。
ルーヴィックがダウナーサイドに残った理由はワイルドに言ったことに加え、もう一つあった。
ルーヴィックは船に置いてある遮光板で包んだランタンに火を付け、対岸に向かって遮光板を二度ずらす。すると対岸から光が二回灯った。
「よし、準備はできてるな。キャシー、用意はいいか?」
ダウナーサイドからミッドサイドへの脱出だ。そのために脱出させてくれる準備をする人間を探し、根回しをして、お金をばらまき、ミッドサイド側の見回りを買収してもらいタイミングを待っていた。
「キャシー、向こうに着いたら、できるだけ身を隠せよ。向こう側にいる奴が、住む部屋は用意してあるはずだから」
ニックは少し寂しそうに話す。
脱出させるのはキャシーだけだ。ルーヴィックはまだ残ってやることがあるため、最初から離れるつもりはない。ニックに関しては単純にお金の問題だった。脱出するためにはかなりの高額なお金が必要だった。無理すればニックも逃げれたが、その分をキャシーのミッドサイドでの生活費に当てると、彼は脱出を辞退した。
「キャシー、金はちゃんと持ってるな? 白熱病の騒動が収まるまでは極力外出は控えろ。収束してダウナーサイドから俺らが会いに来なかったら、一人で金を持ってこの街から離れるんだ」
ルーヴィックは脱出後の行動を説明する。キャシーはうつむいて何かを思い詰めたようにして黙って聞いていた。
「・・・・・・ない」
「ん?」
消えそうなキャシーの声。
「私やっぱり、行かない」
「おい、何を言い出すんだ。ちゃんと話し合ったろ? 俺たちのことは心配すんな」
ルーヴィックがキャシーの手を取ろうとすると、彼女はそれを躱して少し離れる。
「やっぱり、行けない・・・・・・」
彼女の様子がおかしいことに、ようやく二人は気付く。
「おい、どうした?」
彼女のうつむく顔をのぞき込むと、声を殺して泣いていた。ボロボロと涙が地面に落ちる。彼女は何かを言っていた。それはあまりにも小さい声で、二人は最初意味が分からず顔を見合わせたが、次第に何を言ってるかが分かった。
「私、多分、感染したから・・・・・・」
ニックは反射的に一歩下がり、ルーヴィックは十字架を握るキャシーの手を掴む。
「な、に?」
それが喉から絞り出せたギリギリの単語だった。キャシーの嗚咽が酷くなり、余計に何を言ってるかが分かりにくくなった。
「きのうから、手がふるえて、止まらないし・・・・・・すこし、ねつっぽいぃ。わたし、多分、感染してると思うからぁ」
「ちょっと待て、落ち着け。気のせいかもしれないだろ。俺だって、酒飲んだ翌日は手が震えたりするぜ」
励ますが、キャシーの涙は止まらない。
「仮に白熱病に感染したとしても、十分に金があるんだ。あっちに行って、ちゃんとした病院で見てもらえば、助かるかもしれん」
ルーヴィックは救援隊の現場も見ている。正直、あそこで治るとも思えなかった。もちろんあそこで働く医師たちは必死で対処している。ただあそこは、感染の拡大を防ぐことが第一なのだ。それよりはミッドサイド、もしくはアッパーサイドの大学病院のようなしっかりとした場所の方が治る可能性は高いだろう。
だが、キャシーは首を横に振る。
「なんでだ?」
イラだちをあらわにして語気を強めるルーヴィックに、キャシーは膝から泣き崩れる。
「うつしちゃうから・・・・・・あっちに行ったら、私が、みんなにうつしちゃうかもしれないから」
それを聞いて、ルーヴィックはもう何を返していいか分からなかった。
「そんなこと、お前・・・・・・そんなこと言ったってよー。
分かった・・・・・・分かったから。今日は一旦、家に戻ろう。もしかしたら、ホントにお前の気のせいかも。お前の手の震えが止まったら、また来よう」
それは誰に言ったというよりも自分に言い聞かせていた。
ルーヴィックは優しくキャシーを抱きかかえ立たせると、ニックと共に来た道を戻る。「大丈夫、大丈夫」と何度も口に出しながら。
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