第4話

 ダウナーサイドのアヘン窟、だった場所にワイルドはいた。

 パベルが錯乱して凶行に至った部屋だ。その真ん中のソファに腰を下ろし、煙草を吸っている。事件から数日経つも、血生ぐさい臭いがしてきそうだった。

 その晩、パベルはアヘン窟でアヘンを吸った後、すぐ「魔女が、魔女が」と叫びながら、そばにあったハサミでキセル運びの若い女を刺し殺した。何度も必要以上に刺しており、死体は見るに堪えないものだ。その後、自らの両耳をそぎ落とすとそのまま喉を突いて死んだ。

 何人も犯行を目撃しており(アヘン中毒者の話を全て鵜呑みにはできないが)、現場の様子からもおそらくは間違いないだろうとワイルドも判断している。

 事件以来、と言うより事件を機にアヘン窟は閉鎖させた。以前からここは潰そうと考えていたが、ギャングの息のかかった建物だったため簡単には手が出せなかった。今回の事件で、建物、アヘン全て押収した。ギャングに目を付けられたが、虫の居所の悪いワイルドにとってはそれどころではない。

 ギャングの弁護士を名乗るインテリが現れたが、眼鏡と前歯をへし折って、丁重にお引き取り願った。

 あれから、あちらからの動きはない。

 ワイルドはソファから立ち上がると室内を調べる。すでに何度も調べているが、特に何も見つけていない。ただもしかしたらという期待も込めて探す。パベルの言った「魔女」の存在を信じているわけではない。だが、何らかの陰謀があったのかもしれない。それに巻き込まれていたのかも・・・・・・

「何やってるんだか」

 眼を皿のようにして『何か』を探している自分に独りごちて笑う。そんなわけがないのだ。アヘン中毒者が幻覚を見て、イカれて暴れた。それだけの事件だ。殺された女の素性も調べてある。ダウナーサイドに暮らす貧しい家の出の普通の少女だ。パベルとも接点は見られない。

『魔女の仕業だ』

 パベルがそう言って事務所へ入ってきた時のことを思い出す。白熱病の蔓延は魔女のせいだという。ワイルドの死んだ父親も死ぬ間際まで言っていた「魔女に備えよ」と。だが当時の彼はその言葉を真に受けてなかった。父は精神を病んでいたからだ。

 魔女の存在を話して死んだ父親、そしてその父と共に魔女と戦ったというパベル牧師も魔女の存在を指摘して死んだ。ただの偶然か・・・・・・自分まで頭がおかしくなりそうだった。

 なんであれ白熱病の蔓延を抑えなければならない。大学病院では治療薬の開発に躍起になっているようだが、まだ先になるだろうと聞いている。どちらにしてもこの部分はワイルドにどうこうできる事ではない。感染経路については、まだ分かっていない。どこから広まっているのか、人間同士感染する可能性があるとのことだが、関わりのないエリアでも感染者が現れ、増えている。「神の教えに反したからだ」と牧師が路上で演説しているのを見たが、人種などによる感染の差はいまのところ見られない。皮肉にも病は平等だ。だがそうなると、川を挟んだミッドサイドで感染者が出ないのが分からない。

 何かおかしな事は・・・・・・

 そこまで考えて、川に浮かんだ魚の死体を思い出した。

 あれからもしばらく流れてきたが、数日したら流れてこなくなった。テレンスに川の上流にある工場を調べさせたが、特に何かを流しているとの報告もなく状況も収まり、しかも白熱病の騒ぎもあったのですっかり忘れていた。

「考える事が多すぎるぜ」

 うんざりするように天井を見上げて大きなため息をついた時、急に外が騒がしくなった。

 窓から外を見ると、大勢の人が橋の方へと走っていく。

 何かあったようだ。

 また、トラブルだ・・・・・・

 問題が次々と起こり、手が足りない。

 頭を掻きながら、ワイルドは外へ出た。



「待て待て、大丈夫だ。まだ十分あるから!」

 ダウナーサイドの一角で、ルーヴィックとニックは群がる住人を前に声を張る。

「並べ、配給じゃねぇんだぞ」

 二人は大量の缶詰を並べて近くの住人に安価で販売していた。缶詰はもちろん正規のルートで仕入れた物ではない。白熱病の影響で物資の行き来が乏しくなり、裏取引で入ってくる物が増えていた。その缶詰もその一つだった。恐らくギャングが裏ルートで仕入れたものなのだろう。出所については、ルーヴィックは分からなかった。缶詰を売った事で、ギャングが潤うのかもしれない。ワイルドがアヘン窟を閉鎖したと聞いた。そちらの収入源を減らしたのなら、少しぐらいなら問題ないだろう。と勝手なことを思っている。

 それにダウナーサイドの住人も缶詰には助かっている。経路不明の病気が蔓延する状況下では、食べる物にも気を遣う。その点、缶詰は腐らず、栄養価も高い、そして何よりも他の物よりも安かった。と、言うよりも、ニックとルーヴィックが利益をほとんど取らずに販売していた。同じ地区で苦しんでいるのだ。より多くの人が乗り越えられるようにと、二人で相談して決めた(安く売るのは、もちろん白人限定の話だが)。

 ニックの話では、大量の缶詰が倉庫に積んであり、それを朝に運び、街で売りさばいて、売上を持って行く。最後に倉庫で取り分をもらうのだそうだ。そして、売人はニックの他にもたくさんいるらしい。ルーヴィックも連れて行くように何度も話したが、保安官補佐の彼には絶対教えてくれなかった。立場的なものもあるが、ワイルドにばれた時のことを考えてだろう。

 最近ではルーヴィックもそのことには触れなくなった。ニックはしっかりルーヴィックの取り分を渡しているし、何よりも人のために何かできていると実感できることが嬉しかった。

「いつも助かってるよ」

「うちには小さな子がいるから、これで栄養のあるものを取らせてあげられる」

 魚の缶詰は飛ぶように売れる。そして売れる度に人々から感謝された。「ありがとう」と言われることに、慣れていない二人は照れ隠しに口悪く返すも内心ではまんざらでもなかった。これほどまで喜ばれるのなら、多少危ない橋を渡っても価値があると思った。

「ところでワイルドにはばれてないんだろうな」

 あらかた売り終わり、帰りの用意をしているとニックはルーヴィックに声を潜めて尋ねる。

「あぁ、今はアヘン窟の事件や白熱病の騒動で頭がいっぱいみたいだからな。ただ、このままだと時間の問題だろうから、なんか対策考えないとな」

 と、言ってはみたが特に名案は浮かばない。気付かれる前に止めるのが上策だろうが、缶詰がなくなると困る人も多い。白熱病のせいで人の密集を極力避けなければいけない。そのためダウナーサイドに多い日雇いの労働者は、仕事に出られなくなった。つまり収入源を絶たれたことになる。明日の生活にも不安を感じる者も多くなっているのだ。感染が一段落して、皆が働けるようになるまでは、続ける必要があるだろう。

「まぁ、なんとかなんだろ?」

 ルーヴィックは考えるのを止めて返す。ニックは多少不安げな視線を向けるが、ため息をついて頷いた。彼の中にも案がなかったのだろう。

「ほれ、お前も持ってけよ。ルーヴィック」

 ニックは残った缶詰を一つ渡す。

「俺のはいいから、キャシーに食わせてやれ。あいつ、最近痩せてんぞ。ちゃんと食ってんのか?」

「なんで妹の体調まで管理せにゃならんのだ。お前が持って行って食わせればいいだろう?」

「俺よりも、お前が言った方が聞くんだよ」

「そんなことないって・・・・・・」

「いいから、これ(缶詰)と俺の取り分を持ってけって」

 この販売で得たルーヴィックの取り分は、キャシーへ渡していた。最初はルーヴィック本人から渡したが、受け取らなかったので次からはニックに頼んでいた。

「なんで、自分でやらないんだよ。あいつも喜ぶと思うけどね」

「・・・・・・ぃだろうが」

「は?」

「恥ずいだろ、そんなことしたら。なんか、スッゲー気にしてるみたいで」

 真面目に答えるルーヴィックに、呆れてものも言えない。何を言っても無駄だと思ったのだろう、ニックは首を横に振りながら「はいはい」とテキトウに返す。

 その時、少し離れた大通りが騒がしくなった。

 見に行くと多くの人がミッドサイドとダウナーサイドを分ける橋の方向へと走っている。つられて向かうと、橋にはこれまであったバリケードよりも頑丈なものが設置され、銃を持った者達が並んでいる。先頭ではワイルドの姿があったので、ルーヴィックは人をかき分けながらワイルドの元へと駆け寄る。

 珍しくワイルドが声を荒げて話している。相手は服装から軍人だと分かった。

「こんなにも急にはおかしいだろ? 誰の指示だ? アホタレの市長か?」

「いえ、我々は連邦政府の命を受け、配属されました」

「お前ら、戦争でもやりにきたのか? もうとっくの昔に、国内での戦争は終わってるぞ」

 橋の向こう側には、戦争でもするかのような武器が並んでる。

「マーシャル。落ち着いて。あなた方に使う武器ではない」

「この橋を渡ろうと暴動になった時に使うのか?」

「我々は命令に従うだけです。そして、反発する者へのある程度の権限も得ております」

 威圧するような言い方をする軍人にワイルドは突き刺すような眼光を向けるも、しばらくして眼をさらして踵を返す。

「ワイルド、何があったんだ?」

 そばに駆け寄るルーヴィックにワイルドは軍人へ振り向き、大きく舌打ちをしながら答える。

「ダウナーサイドが完全に封鎖された・・・・・・」

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