「どうして『恋人が欲しい』といった発言が出てくるのでしょうか?」と尋ねられたんだけど……
海ノ10
峰岸さんと僕
「
春風が気持ちいい文芸部の部室。二人きりの空間で古びた本をペラペラとめくって読んでいると、向かい側から聞き慣れた声が僕を呼んだ。
「なに?
「少し尋ねたいことがあって」
「おっけー、少し待ってね」
僕は本に栞を挟むと、「なに?」と峰岸さんに尋ねる。
おそらく先ほどまでスマホを見ていたのだろう。彼女の手には僕のとはメーカーが違うスマホが握られていた。
最近、スマホで様々なことを調べるのがマイブームらしく、今回のように僕に何かを訪ねてくることが多々あった。
僕に尋ねるよりも調べた方がいい、と言ったのだが、「最上くんの考察を聞いた上で調べた方がわかりやすいんです」とのことで、僕に聞くのをやめる気はないようだ。まぁ、話すのは楽しいし問題はないのだけれど。
彼女は何というか迷うように視線を彷徨わせた後、口を開いた。
「その……恋人として付き合うって、どう思いますか?」
「…………どういう意味?」
あまりにも漠然とした問いに、僕ははっきりとした答えを返すことができず、聞き返してしまう。
普段ならもう少し答えやすい質問をしてくるのだが、どうしたのだろうか。
「……わたし、恋人というのは互いに好き同士だから付き合う、というものだと認識しているんです」
「うんうん。それは間違ってないと思うよ」
「では、なぜ日常会話において『恋人が欲しい』などと言った発言が出てくるのでしょうか?
今わたしが読んでいるネット小説のシーンにあったのですが、このシーンです」
スマホのロックを解除して僕に文字の羅列を見せつけてくる。
少し前のめりになってそれを読むが、何の変哲もない、ただ主人公が友人キャラに「彼女欲しい」とぼやくシーンだった。
「好き同士だから付き合う、というのは、好きという気持ちが先に発生しその結果として交際に至るものですよね? なのに先にその結果である『恋人』を望むというのは、結果と手段がめちゃくちゃというか……おかしいと思うのですが……」
なるほど。彼女の言いたいことは何となくわかる。
誰かを好きだから恋人になりたいと思うのであって、恋人を作りたいから誰かを好きになる、というのは明らかにおかしい、というのは誰でもわかることだろう。
「恋人が欲しい」とぼやくということは、それを実現しようとした場合には「恋人が欲しいから誰かを好きになる」という訳のわからない状況になることを表している。峰岸さんはそこに違和感を覚えて僕に尋ねているのだろう。
「うーん……難しいな。
たしかにその通りだと思うんだけど、でもその主人公の言いたいこともわかるよ」
「というと?」
「この主人公に限らず、日本には……って言い切っちゃっていいのかもわからないけど、少なくとも一定数の人は『恋人という存在がいることに価値を見出す』んだよ。
恋人がいるということは、恋愛において勝者であることの証明になり得るよね。自分が好きな人から好かれていることの証明、って言ってもいいかもしれない。
一般的に、好きな人から好かれているというのは幸せでしょ? だから、恋人がいるっていうのは、これだけで一種の『幸せの証明』になり得るんだよ。
他者より自分の方が幸せである。それを強く認識できるというのは優越感に浸れるのかもね」
「なるほど。恋人がいるのは幸せの証明、ですか。
人間とは幸福を追求したがる生き物です。恋人が幸せの証明だとすると、幸福を追求するうえで恋人を欲するというのはごく自然な流れなのかもしれませんね。
この主人公の言った『恋人が欲しい』というセリフは、『恋人がいることによって得られる幸福を得たい』という意味だと解釈できます。それならばこの主人公の発言も理解できます」
「ありがとうございます、勉強になりました」と頭を下げる彼女に、「あくまでも僕が勝手に言っているだけだから信じすぎないでね」と言っておく。
僕の言っていることは全部想像だし、これ以外の理由で恋人が欲しいと言っている可能性だってあるだろう。ここまで考えずに何となく言っているだけ、というのも十分あり得る話だ。
「ちなみに、最上くんはどう思っていますか?
やはり、恋人は欲しいですか?」
「うーん……興味はある、ってところかな。うまくいってるカップルは幸せそうにしてるし、どんな感じなのかなとは思うよ。まぁ、好きでもない相手とは付き合おうとは思えないけどね」
「なるほど、同感です。やはり恋人という存在に興味が湧きますよね。わたしも好きでもない相手とは付き合いたいと思いませんが……幸福の追求をしてみたくなりますね」
峰岸さんはそこで言葉を区切ると、窓の外に目を向ける。
僕もつられてそちらを見ると、吸い込まれそうな青空が広がっていた。
どれくらいそうしていただろうか。「最上くん」と僕を呼ぶ声がして、そちらの方を見る。
「なに?」
「最上くんは、自分が知らない幸福に興味はありませんか?」
「そりゃあまぁ……あるけど」
やばい薬とかで与えられる幸福なら遠慮したいところだが、合法的に幸せになれるというのであれば、そりゃあ幸せになりたいし興味もある。
そんな当たり前のことを言うと、彼女は満足そうに頷いた。
「ですよね。わたしも興味があります。幸せになりたい、というのは当然の話ですし」
彼女はそこで言葉を区切ると、息を深く吸う。
肩が少し動き、短めの髪が揺れる。
「最上くん、わたしに『恋人がいる幸せ』を教えてくれませんか?」
唐突なその言葉に、僕は言葉を失った。
おそらく間抜けな顔をしてしまっているだろう。でも、この時の僕には自分の表情に気を回している余裕はなかった。
「それって……」
どういう意味?
そう尋ねようとしたが、言い切るよりも先に僕の口に彼女の細い人差し指が当てられて、それ以降の言葉が遮られる。
「……全部言わせないでください。ばか」
でも、鈍感な最上くんのためにちゃんと言ってあげます。
そう続けられた言葉を聞いて、僕の――彼女と同じく、幸せになりたい僕の――返事は当然一つしかなかった。
「どうして『恋人が欲しい』といった発言が出てくるのでしょうか?」と尋ねられたんだけど…… 海ノ10 @umino10
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