初詣
「ちょっと遅いんとちゃう?」
薄暗く、肌を刺すような寒さの元旦。長い階段の頂上に建つ鳥居の柱にもたれかかって俺を待っていた彼女は、目が合うと開口一番小言を放った。
「厳しいなあ……まだ5時半やで? しかもしっかり年明けまで起きとったから――」
「でも5時に来る予定やったやろ?」
「それはまあ……そやけどさあ」
実際、寝坊して遅刻したのは彼女の言う通りなのでバツが悪い。俺はさっきから目を合わせられないでいた。
「ま、ええけど。さっさと始めよや」
しかし、そんな憂慮とは裏腹に、彼女は本当に何も気にしていないかのようにニッと笑みを浮かべると、スタスタと奥へ歩き出してしまった。
その呆気なさに少々拍子抜けしていると、
「あ」
「ん?」
数歩進んだ彼女が、何かに気づいたかのようにくるっと振り返った。
「あけましておめでとう、佐々木。今年もよろしくな」
「あ、ああ。こちらこそ、よろしくお願いします」
うちは代々神職の家系で、じいちゃんも、ひいじいちゃんも、そのまた先祖の時代から宮司の任に就き、この神社の管理を行っていた。じいちゃんは今もピンピンしているが、神職としての一線は退いており、現在は親父が宮司の任に就いている。長男の俺も例に漏れず、親父の後任となるため、修行中の身だ。
規模としては小さな神社だが、古くからある住宅街の一角に位置しており、普段から参拝客は一定数いる。今日は、初詣客のため、開門時間より前に境内の手入れをしに来ていた。
「あーもう疲れた……」
ゴミ拾いを始めて数分、お菓子の包装や酒の空き缶など、それなりにゴミの溜まった袋を肩に担ぎながら、俺は愚痴をこぼしていた。
そもそも、小さい神社とはいえ一人で全部やるには少々広い境内。早朝の眠気と寒さも相まって、作業は捗らないでいた。
「ドジ親父め……」
「佐々木ー!」
「ん? ってちょっ、つ、冷たっ!」
名前を呼ばれて振り返ると、目に映ったのはなんと、柄杓を振り抜いた彼女の姿。当然避けられるはずもなく、首から上を豪快に清められてしまった。
「何すんねん! 罰当たりな」
彼女はケタケタと笑っている。
「そんなんええのええの。で、目ぇ覚めた? 元気出た?」
「まあ、目は覚めたけどさ。もうちょい他の方法が良かったな……。寒いし」
「ごめんごめん。でも、今日はアンタに頑張って貰うしかないからな。弱音吐いとる暇あらへんで!」
「厳しいなぁ」
「文句ならコケて骨折った親父さんに言いや」
「はいはい」
ケガで来られなくなった親父の分も働かないといけない、という事実を改めて突きつけられ、親父への不満が募る。しかし、言っててどうにかなるものでもないから、俺は持っていたゴミ袋を隅に置き、竹箒を手に取ると、石畳の掃き掃除を始めた。
「終わったーっ!」
地面の掃除、本殿や狛犬など施設の手入れ、賽銭箱の確認、おみくじの用意など、全ての作業が終わり、石畳の上で仰向けになった。動いて温まった身体の背中で感じる冷たさが心地いい。
「ご苦労さん。頑張ったな」
「ありがと」
作業中、散々やいのやいのと言ってきた彼女も、労いの言葉をかけてくれた。
木々の隙間から所々日光が差し始めていて、見上げる空はもうすっかり青みがかっていた。
「初日の出、見逃しちゃったな。……って、やべっ!」
だいぶ時間が経っていることに気づいて慌てて時計を確認すると、時刻はもう8時前。遅くとも8時には開門する予定だったので、急いで立ち上がり、小走りに駆け出そうとした。
「ちょっと待ちや」
「っと。なんや?」
呼び止められて、振り返る。彼女は本殿を指差して、こちらを向いていた。
「初詣、今のうちにしとかんでええの?」
「いや、時間もないし、門開けてからでええかなって――」
「そんなちょっとくらいええやろ。頑張ったんやから特権活かしや。毎年親父さんと一緒に2人だけで初詣してたやん?」
彼女の言う通り、毎年、手入れが終わったあとは、門を開ける前に初詣を済ませていた。俺はあの人の誰もいない静寂が好きだった。
「たしかに、ちょっとくらいええか」
俺は鳥居の方に背を向けて、本殿へ歩き出した。
「ちょい。まずは手ぇ清めてからな」
「……はい、ごめんなさい」
柄杓に水を一杯汲んで、左手、右手。左手で水を受けて口をすすぎ、再び左手。最後に柄に水を流し、柄杓を戻す。慣れた手つきで手水を使うと、改めて本殿の前に立った。
財布から五円玉を取り出し、賽銭箱の中に入れる。有名な語呂合わせに則って、賽銭はいつも五円玉を入れていた。
二礼二拍手をし、
(去年はありがとうございました。今年もよろしくお願いします)
最後に深く一礼をした。
「なんや、相変わらずずいぶん漠然とした願いやな」
「去年一年分の感謝と新年の挨拶。初詣ってのはこんなもんや」
「そっか、偉いな」
神様へしっかりと「ありがとう」を伝える。これは誰に言われたでもなく、自分で決めてやっていることだった。
「っと、のんびりしとる場合じゃなかった。ちょっと門開けてくるわ」
「ん、了解」
踵を返し、今度は本殿に背を向けると、石畳を蹴って再び鳥居の方へ駆け出す。新年の空気を顔に感じながら、俺は鳥居をくぐった。
「やっぱおみくじは引かんのやな、あの子。引いてたら大吉やったのに」
「すみません、お待たせしました! あけましておめでとうございます!」
階段を降りているときから見えていたが、門の外では既にたくさんの人が開門を待ちわびていた。門を開くと、皆々こちらに一つ会釈をして、続々と階段を登ってゆく。
「おう、佐々木んとこの坊主! 元気してるか?」
「あ、水谷のおっちゃん。あけましておめでとうございます。元気ですよ」
水谷のおっちゃんは、近所に住む顔見知りで、いつも笑ってる元気な人だ。
「そりゃあよかった。ところで……彰人は大丈夫なんか? 口出すのもどうかと思って詳しいこと知らんのやけど」
彰人は親父の名前だ。水谷のおっちゃんは、親父と小さい頃からの友だちだ。
「大丈夫ですよ。ただの脚の骨折……って言い方はちょっとおかしいけど、それだけなので。最初『救急車で運ばれた』って聞いたときには流石に肝が冷えましたけどね。良かったら帰りに顔出しにきてください」
「おお、そうかそうか。そりゃあ良かった! じゃあそうさせてもらいますわ」
「ほな後で」とのそのそ階段を登るおっちゃんに手を振って見送ると、帰路に着くべく門をくぐった。
「あれ、裕貴じゃん。やっほー」
「裕貴くんあけおめー!」
「お、大河と麻衣ちゃん。あけおめー」
見知った顔と鉢合わせた。幼なじみの大河と、その妹の麻衣ちゃんだ。
「もう初詣終わらせてきたのか?」
「それどころじゃねえよ……。朝からずっと神社の掃除しとったんよ。結局初詣はしたんやけど」
「えっ、一人で!?」
「ああ、親父が急に来られんくなってな。もう眠いしヘトヘトやし、帰って寝ようと思てて」
と、口に出して改めて実感したのか、大きなあくびが出てしまう。
「そっか。なんか悪いな、ありがと」
「まあ、これがうちの役目やしな。別に嫌でもないし」
「なら良かった。じゃあ、明日にでもお疲れ様でした飲み会するか?」
「ちょっと、それ兄ちゃんが飲みたいだけでしょ」
「あ、バレた」
妹からの横槍に、大河は苦笑いを浮かべて頭を搔いた。
「じゃあ俺、そろそろ帰るわ」
「おっと、引き止めて悪かったな。またな」
「おう」
しっかり休めよ、と手をひらひらさせながら門の中に消えていった大河と麻衣ちゃん。それをこちらも手を振りながら見届けると、再び帰路に着いた。
「ただいまー」
神社から家までは歩いてたった3分ほど。ただでさえ短いのだから、慣れてしまえば一瞬だ。
「おお、おかえり」
返ってきたのは親父の声だけだった。
「あれ、母さんは?」
「ちょっと買い物行ってくるってさっき出かけた」
「そっか」
リビングは、外の寒さと比べるとまるで天国のようで、暖かさが身に染みる。俺はこたつに潜り込むと、朝の大仕事に区切りをつける、大きなため息をついた。
「すまんな、全部任せることになってしまって」
「だからもうええって言うとるやろ? わざとケガしたわけやないんやし。それに、俺ももう子どもやないんやから」
今朝家を出る際も、同じような謝られ方をしていた。
「そっか……そうよな」
このやり取りも2回目である。
「ところで。変なこと聞くようやけど、お前、神様には会えたか?」
「は? 神様?」
こたつの中でうとうとしていた俺は、親父の質問に飛び起きた。そういう冗談を言うような人ではなかったからだ。
「ああ。会わんかったか? 神社で」
さらに、そう語る父の目は、冗談を言っているようには見えない。
「いや、神社ではずっと一人やったけど。なんでそんなこと?」
「実はな、『あそこの神社にゃ神が住んどる』って古くから言い伝えられとんのや」
「なんやそれ。神社なんやから、そらそうやろ」
「そう思うやろ? けどな、実際に神様に会うたことある人がおるって話やねん。ただの噂話に聞こえるかもしれんけど、なんかどうにも他人事じゃないような気がしててな」
「ふーん」
ただの妄言、戯言だ。そう思う心の奥底で、自分が得体の知れない引っ掛かりを覚えているのを感じた。何か大切なものをそこに置き忘れてきてしまったかのような。
「もしかしたら、会うたことあるんちゃうかな。覚えてないだけで」
糸乃小切の短編集 @pencer_etc
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