-6- 不可欠な彼等
夕刻。
除雪の施された中庭で、雪入りの麻袋を抱えた私と鞭を構えたセシリアとが対峙する。
以前予測した通りに身が慣れているらしく、吸血後一時間と経たぬ内に彼女は目覚めた。……あの男の分もやはり含めてしまったが、それすら物ともせぬ。
通常の食事を取る故、この身も少量の血で事足りるのか、自らの抑制も利くようになっており……まるで、これまでの生き様が覆されるかの如く、妙な戸惑いを覚える。
「そんな重い物持たなくたって、すぐに締まると思うけど!」
一礼後、すぐさま距離を開け、彼女は薙ぐように鞭を振るう。変則的なそれは中々に読み難い。避け切れたかと思えば僅かに髪が触れ、毛先が飛ぶ。
「思い違えるな。今後またあのような事態に遭遇せぬとも限らぬ。抱え戦う事にも慣れておきたいだけだ」
「そーお? 結構動揺してるように見えたけどなー」
……。
そうだ。確かにここ数日の生活に変化はあれど、その反面、
だが、仕立てに支障を来たさずに済んだ事は幸いであった。……元々調節の利く衣装だからという事もあるが、順調にいけば明日中に仕上がるという。
女王に滞在を言い渡されてから、明後日でやっと一週間か。雪解けとやらがどの程度で収まるのかは計り知れぬが、本当に二週間も必要なのか。
……いい加減、耐え切れぬ。
「バーンフレア!」
「!」
幾度かの攻防の末、彼女は突然鞭を引くと、手印結びて術を発動させた。
思わず麻袋を放り投げ、後方へと跳躍する。
放たれた炎は大きく弧を描き、地に残っていた少量の雪を蒸発させ、麻袋諸共直径三メートル程の範囲を呑み込んだ。
「貴様、術を使うなどっ……聞いておらぬぞ!」
「おねーさま強いから手加減しないよって、さっき言ったじゃない! ていうか今、油断してたよね? その袋があたしやおにーさまだと仮定して……黒焦げなんですけど」
「……」
確かに、通常ならば唱え始めの術を聞き逃すはずがない。明らかに集中を欠いていた。
何とも言えず、鎮火し煙を立ち上らせている元麻袋に目を遣る。持ち出して五分と経っていない。全く訓練にならなかった。
「やはり、性に合わぬようだ」
「うわ開き直ってるし。……ま、あたしも守ってもらいたいワケじゃないから、燃えてくれて良かったわ」
腰を落とし、再び鞭を構えるセシリア。竜戦での失態は二度と繰り返さぬと、強気な眼差しは語っているようであった。
「そうか、要らぬ世話であったな。……ならば私も、奇怪に躍る鞭使いとの戦いを率直に堪能するとしよう」
こちらも半身を下げ、体勢を整える。互いの準備が整ったところでしかし、彼女は場にそぐわぬ悦とした笑みを浮かべ、自身の側面で無意味に得物を振り回し始めた。
「んあーもうっ、ゾクゾクするぅ! おにーさまが居たら他の魔法も練習し放題なのにぃ」
「…………集中しろ。ゆくぞ!」
不意に見せる不気味さはやはり聞き流し、地を蹴る。
途端、戦慄させる程に無を湛える面構えで、彼女は鋭く一撃を繰り出した。
戦いに関する変わり身の早さと
知らず、口端を吊り上げ、容赦無く放たれたそれを身を捻って避ける。どう見ても直進的な攻撃。故に、労せず入り込めるとその懐を狙う。
「フローズンシャワー!」
が、待ち侘びたように左手が突き出され、無数の
そしてどうやら、大男のように始終声は張らぬらしい。雑音飛び交う中の聞き取り辛い小声と、鞭を躍らせるが故に手印も読めず、術が突然発動するように見えてやや反応が遅れてしまう。
固い土を陥没させる程の威力を持つそれを、しかし私は避けようとはせず、変わりにマントで身を覆いながら猛進した。
「!」
驚愕するセシリアであったが、すぐさま礫の方向へと鞭を振るう。
術任せにしない、牽制の一撃。
苦笑と共に横手へ飛び、仕方無くそれらを見送る。
「ちょっと! なに今の当たる気満々な突込み! 避けてよ! 掠るだけでも危ない術なんだから!」
大袈裟な手振りで、聞くに珍しい怒声を張る。女王から教わった種明かしをしようと思うも、余りの剣幕故にくつくつと笑いはぐらかし、マントを背に流した。
「避けさせる為に鞭を加えるとは……それこそ要らぬ世話よ」
材料には竜も含まれているというこの代物。柔布のどこにそのような力を秘めたるのか、女王曰く氷やら寒さを打ち消してくれるらしい。
確かに、覆われた部分であれば雪原でも凍えを感じなかった。キッドを氷の術から守るべく咄嗟に投げた事もあったが、打撃をも無効化する程に強力であった。
それを、自身でも試すつもりでいたのだが。
「もう!
知らぬ彼女は更なる怒りを誇張するかのように、地を鞭打って真っ向から私を指差す。
「戦いにこのような冗談を持ち込める程、私も器用では無いがな」
対し、笑みながら再び構え、今度は捉えられぬであろう動きで彼女に迫った。
「!…………バインドっ……んもう!」
視界にこの身を映さぬまま急ぎ術を唱えたようだが、何故か止め、数歩後退する。
が、瞬く間の接近を免れる術も無く、両の腕を拘束されて口惜しげに呻いた。
「標的が見えぬと発動出来ぬのか?」
見下ろし、嘲笑してやる。
「大よそで当てる事は出来るけど……アレ使うとおねーさま絶対動けなくなるもん。卑怯かなと思って」
即座に撥ね付ける、好戦的な胡桃色の双眸。
「束縛の術であろう? こちらの俊足を見せるのと同時に来るとは踏んでおったが……つまらぬ理屈だ」
あの術は常に不意打ちであった。
冷静に予測すれば、射程距離外へ逃げ込む事で対処出来る。
それを証明してやろうと思うて迫ったのだが、まさか侮られるとは。
「抗えぬ力に拘束されるは今のお前とて同じ事。両手が塞がれば術も発動せぬのではないか? それとも、後ろ手でなければ望みはあると?」
掴む腕に力込めてやると、彼女は鞭を取り落とし、痛みに顔をしかめる。得物の全てを奪われ、勝負は付いたかのように思われた。
「はっ!」
だが、その目見開くのと同時に腰を落とし、向日葵色の残像が右膝を繰り出す。
「体術で敵うと思うてか」
「思ってない!」
反論と共に、解放された右手でこちらの腕を掴み返す。それが強く引かれるのと同時に彼女の顔が目前へと迫り、勢い良く額を撃ち付けてきた。
途端、互いに小さく悲鳴を漏らし、思いがけず距離が開く。
間近で鐘を打つような混乱を生む脳内。その視界が捉える、鞭を拾い上げ構えたセシリア。
体は本能的に間合いを取り、繰り出された一撃を避けるも、見切る事叶わず頬に鋭い痛みが走った。
「
「成る程、相違無い……」
両者表情を歪めつつ、額をさする。
お転婆め。頭突く令嬢など予測出来るものか。
悪態とも敬意とも付かぬ呟きと共に、後引く頬の痛みを抑える。
力に関しては確かに慢心していた。実際、城の屈強共すら私を伏す事は叶わなかったのだから。王女に対する遠慮と、女であるという侮りがあったやも知れぬが、それでも純粋な力比べで屈した事は無い。
だが、世は広い。
令嬢らしかぬ鞭使い、鬼の力を凌ぐ魔道士、……多種多様なのであろう。
「ふ、もはやダルシュアンの道理は通用せぬか」
頬の血移った手の甲を認め、今一度半身を下げる。
構えるこちらと相対するように、彼女も鞭をしならせる。
……快い。
そう感じられる程、今この時、満ち足りているように思えていた。
「あれ? おにー……ラバングースは不在ですか?」
私より数十分程遅れてきたセシリアが、席に着くなり誰にともなく尋ねる。急いでいたのか、入浴直後のその髪は乾き切っておらず、誤魔化すように左右二つに束ねられていた。
「お食事は自室でなさるそうです」
侍女の一人が申し出る。
「へぇ、何でだろ。慣れたかと思ってたけど、遂に音を上げた?」
一人くすくすと笑み溢した後、女王の声を合図に皆で食前の祈りを捧げる。普段とは違い、奇声上がらぬ静かな晩餐が始まった。
特にそれを穏やかとも感じられず、暗雲のような思いを巡らせ、スープを一口。
……。
此度は何故か、味が感じられない。空席を横目で見遣っては溜息ばかりが漏れる。
顔を合わせられぬ心境は向こうも同じなのか。何食わぬ様で声掛けてくるのが彼らしいというもの。それを、朝から押し黙っ……否、目も合わせず押し黙っているのは私か。
朝の挨拶ですらこの部屋で放たれた為、特定の人物へ向けたものとして見られず、両者間で続く会話も無かった。
それとも、こちらの様子を窺っているのであろうか。幾度かは視線を感じたように思える。
何故だ。全く掴めぬ。……夢から遠ざかる為とは言え、面倒な事をしたものだ。
「あ、傷消しの術使うの忘れてた。おねーさま、後でほっぺた見せてね」
けれど、あのままでは確かに、極度の不眠症故に日々を過ごす事も儘ならぬ。それを思えばあながち間違いとも……。
「おねーさま、聞いてる?」
『発想を変えてみればいいのよ』
「!」
突如掛かった声に、思わずスプーンを皿の上へ取り落としてしまう。
「え、ごめん、びっくりさせた? 大丈夫?」
「……いや、すまぬ。……申し訳ありません、陛下」
「構いません」
お取替え致しますと言う侍女の申し出を断り、私はまたスープを啜り始める。
一際大きく脳へ響くそれが、このような場で現れるとはまるで予期しておらず、身体が大袈裟に強張っていた。
『あら、ごめんなさいね。余りに滑稽だったものだから、つい』
……。
『ねえ、強がり王女様。あの男以外の胸を考えてごらんなさいな。貴女の自尊心が許さないんじゃなくて?』
眉根を寄せ、響く声に意識を集中させる。心内での会話など慣れておらぬ故、不意に口が動くが、声を出す訳にもゆかず、ただ黙々と話を聞くに留めた。
『マリスにはこれ以上甘えられない、かつての王族気質が召使なんかに助け求めるはずも無い。仲間と認めたその少女かあの男、対等に物事を頼めるのは二人。けれど、お転婆さんとの夜は、男と共にするよりも危険』
今日はよく耳にする、またあの不快な笑みが脳内を駆け巡る。
『ね? やはりあの男に行き着く。それでも“面倒な事”と思うのなら、こう考えればいい。あの時、どちらのアレキッドとの抱擁を望んだか』
……。
『不意であったかも知れないけれど、昨晩あの男は確かな選択の余地を与えたわ。それを踏まえて下した決断をよく思い出す事ね』
そこで一旦、女は皮肉染みた溜息を吐く。
『自分で女々しいと思わない? 亡郷の民を想う資格なんて貴女には無いのに。御託なんて並べてないでさっさと選びなさい。その余地を今宵は私が与えてあげる。言っておくけど、夢のアレンは貴女が望んだ姿。身分の違いなど物ともせず触れて欲しいと、かつて妄想したであろう姿よ。ふふふ、それを撥ね付けたんだもの、ねぇ?』
食器を握る手に力が籠もる。周囲に談笑が沸き起こったのを見計らい、ナプキンの下で誰にも気取られぬよう呟いた。
「だから何だ。資格無き事などとうに理解しておる。貴様の発言は先程から、キッドに傾けと言わんばかりで気味が悪い」
昨晩は悪人に見せようという言動も在ったりで訳が分からぬと一息に漏らし、食事を再開する。
『その性格を考慮した上での演出とでも言うべきかしら。初めから惹かれる事は分かっていたもの。見苦しい平行線に苛々しているだけ』
「勝手な事を。早急に傾けば得られるものでも在るのか」
スープを飲み終え、口元を拭う裏で再び吐く。
『……あれを繋ぎ止めておかなければ、貴女も私も困るのは事実よ』
「我が身を世に留めておく為、か?……下らぬ」
捨て置いた台詞に次いで、女王へと呼び掛ける。
ここ最近は寒さが一定し、山にも変化は無くなっているように見えたが、港町への道はどうなっているのであろうか。幾ら盟約とは言え、ある程度の雪は残るはず。
その旨を問えば、彼女の表情は瞬時に曇ってしまった。
「……気付かれてしまったのね」
聞けば既に幾人か、城と港を往来しているらしく、危険を伴う程の雪解けは収まっているそうな。
長く留まらせれば、少しは揺らぐと思われていたのか。……恐らく、その目論見は正しい。
城での生活、母と似た彼女と過ごせる日々。全てに幸福を感じてしまう。
それ故に、辛い。
「ならば、明後日には発ちます」
抑制に慣れたとは言え、いつまた鬼が顔を出さぬとも限らぬ。平穏は束の間だと、己の身が語り続ける。再び壊してしまうやも知れぬその可能性だけは、確実に絶やしておかねばならなかった。
「……明後日、ですか」
「あ……えっと、ほら、今生の別れみたいな顔しないで! おねーさま、マリス様も……あの、手紙書きますから! この人が書かなくても、あたしが逐一報告しますから!」
場を取り繕うべくセシリアが声を張る。私と女王は視線を交わし、互いに苦笑した。
「ありがとう、そうして貰えると嬉しいわ。……それと同じくして、ギルヴァイス邸へも報告して差し上げなさい。今日、貴女を連れ戻す為に、わざわざ使いの者が訪ねて来たのよ」
「んなっ」
「ふふ、旅の許可は私が出しておきました。幼き日にドレス姿でここへ訪れた時よりも生き生きしているもの。勿体無いわ」
顔を綻ばせる女王に、セシリアは何度も礼と謝罪を繰り返す。
それに今度は目を伏せ、二藍色の髪を肩に落とし、彼女は慈しみの声色を小さく響かせた。
「貴女方が連れ立ってくれて、本当に良かった」
独り言のように呟かれたそれに、思いがけず頷いてしまう。
そうだ、彼等の同行無ければ此処へ行き着く事は叶わなかった。それどころか、今を生き延びていたかどうかすら危うい。
未だ口に出す事叶わぬ感謝の言葉が、幾度と無く胸に浮かぶ。言葉にせずとも伝えられる、などと容易く思うてはおらぬ。
……いい加減、言わねば。とうに理解はしているはずなのだ。
その言葉は呪いでは無い。あの出来事も偶然。
目を伏せ今一度、私は小さく頷く。
けれどあと少し、……ほんの少しだけでいいから、時間が欲しい。
何を躊躇う事があるのか。夢を拒むのなら今すぐ此処を開けば良い。
佇む扉を見つめては迷い、背を向ける事十数分。
扉を叩こうとする手を、度々妙な葛藤が抑止する。否、理解している。もはやただの羞恥だ。
ならば反対に、それ故避けている昨晩の出来事に思い馳せてみてはどうか。
あの胸中にこの身委ねれば、意識は自ずと眠りにつく。
得られる安堵、微かな鼓動の音。少なくとも、あれらは身を休める為に必要なもの。旅へ支障を来たさぬ為だ、何を想う訳でも無い。
包み込む温かな腕、耳を擽ぐる息遣い……違う、考えるな。そこに至ればやはりこの手は動かぬ。
少年のように無邪気な笑みを湛え、心地良い低音で私を呼ぶ。……その声色に感じるは、紛う事無き――
「ええい、考えるなと言うに!」
口が、遮るように声を張る。知らず放たれたそれを、まるで客観的に耳が捉えては膝を折る。羞恥は打開するどころか増すばかり。
頭を抱え、理解不能な自身の行動を大いに呪った。
「何か喚いた?」
と、部屋の中から唐突に、くぐもった声が湧く。
キッドの部屋だと確信して聞こえたそれは、しかし少女のもの。
「さあ、何やってんだか」
次いで響いたのは、部屋の主のそれ。
驚き立ち上がり、扉から後退する。聞かれぬようにか押し殺して囁かれた会話。……それは“誰”の耳に入れぬ為か。
常人ならば、確かに気付く事など無い声量であろう。出入り口付近で会話せぬ限り、室内の声など、扉に聞き耳を立てねば捉えられぬ。
「ねぇ、もう十分以上居るんじゃない?」
だがこの身体、常人に非ず。その聴力の程度は知り得ぬのであろう。
しかし、何故彼等は扉前に佇む我が身に気付いているというのか――
「!」
そこでようやっと、この部屋の主は特定人物の行方を察するという事を思い出す。
「この、魔道士風情がっ……」
声にならぬ言葉が、口をつく。私が此処へ立ってから既に十五分は経過している。その間、室内では物音一つ立てられていなかった。この耳ですら捉えられぬ声で囁き合うていたのか、筆談でも交わしていたのか。
どちらにせよ、私が喚く以前より息を潜めてこちらを窺っていたとしか……。
「待ってても入って来なさそうだし、出てみれば?」
「良いけどお前、ここに居る理由ちゃんと考えてあるんだろうな」
「そんなの、三十秒もあればじゅーぶん。扉に着く前には出来上がってたわ」
先程と同様の小声が、再び耳を掠める。……次いでこちらへと近付く足音。
かつて軽快で心地良いと思うたそれすら不自然に押し殺され、妙な隔たりを感じた。
「……よう。何?」
間も置かず扉は開かれ、紺碧の瞳が私を捉える。温厚とも冷淡とも感じられる眼差し。それを、瞬きの間も見つめる事が出来ず、すぐさま視線を這わせた。
「……ぁ……、あす……明後日には、発つ。それを、伝えに来ただけだ」
「ふーん。それで、数十分も立ち往生?」
意地悪く言い放たれ、目を細める。気付いておりながら捨て置くその様に、羞恥と同様の苛立ちを覚えた。
「……。そんなに嫌だったか」
けれど、次いで小さく……まるで虫が鳴くように呟かれた言葉に、思わず目を向けてしまう。
と、同時に、その背にもたれ掛かるようにしてセシリアが脇から顔を覗かせた。
「やっほ。どうしたの? 今日はもう寝るとか言ってなかったっけ」
「それは……お前の口からも聞いたと思うが」
「あー、うん、そうなんだけど、出発は明後日でしょ? おにーさまにも言っておかないと、と思って」
成る程、確かに三十秒……どころか五秒もあれば思い付く理由だ。
「ファルトも同じ事言いに来たんだとよ。じゃあもう分かったから、二人とも部屋へ戻れ」
「はーい」
だが、口実が必要な程に隠密な何かが行われていたのもまた事実。問い質したいが、まるで石化してしまったかのように唇が動かない。
口を遮るのは、何かが崩壊するやも知れぬという憂慮。大袈裟に思えるが、私の旅にはもう彼等が不可欠だ。二人の血以外は許さぬとでも考えているのか。
今を看過すれば、これまでと変わり無く過ごす事が出来る。……現在、キッドの態度が気掛かりではあるが。
「行こ、おねーさま」
その背から廊下へと抜け出で、私の腕を引くセシリア。
これまでと変わらぬはずのそれは、しかし望むものとは違えて見えた。
「やはり、捨て置けぬ」
全く、私はいつからこのような小心者へと成り下がったのか。不可欠だからこそ、摘み取っておかねばならぬ物もあるはず。
意を決して踏み張り、閉じ掛けていた扉へも呼び止めつつ、絡む腕を振り解く。
「どうしたの?」
「二人して何の悪計だ」
「……は?」
二人を交互に見つめ、低く問う。双方の訝し気な視線が突き刺さるようであった。
「セシリア、お前は此処で何をしていた」
「何って……さっき言ったの聞いてなかった?」
「抜かせ。床に着くと申してから既に二時間は経っておる。長話が過ぎるのではないか?」
「そりゃお前、仲間と積もる話して何が悪いよ。つーか自分はどうなんだ。同じく寝るっつって二時間経っ、…………ぁ」
皮肉めいた口調で反論するキッドであったが、突然腑抜けた声を漏らし、押し留まる。
確かに自身の不都合は捨て置いたが、消沈するそれならば取り合う気は無い。
「では、私に聞かせぬよう声を潜めたのは何故だ。ただの談話であったなら、此処に居る理由をわざわざ言い立てる必要もあるまい」
「……あの音量で聞こえんのかよ」
口早に吐くこちらに対し、今度は扉に手を掛けたまま肩を竦める。早々に認めるその様に、先程の内なる軟弱者は成りを潜め、強くその目を見据えた。
冷淡なる表情が揺るがず、紺碧の双眸が負けじとこちらを見下ろしている。
「えっと、多分ね、おねーさまが思うほど悪い事じゃないと思うんだぁ」
腕を組みつつ、指先を自身の唇へと宛がうセシリア。
何やら考え込みながら、自信無さ気にそう呟く。
「ねえ、じゃあこうしない? 別に隠し通したいワケじゃ無いの。その内バレるの。ただ、反応が予測出来るから今は言えない。……三日後……ん、次の大陸に渡ってからの白状でもいい?」
「戯言を。目に見えて如何わしい思惑に納得すると思うてか」
「その間、首から飲んでいいから」
「……」
妙な取引だと眉をひそめつつも、魅力ある事に相違無い提案に、思わず喉が鳴ってしまった。
男に比べれば柔らかいとは言え、やはり腕は筋張っていて噛み難い。それを知り得ているはずだが、最近の彼女は頑なに首からの吸血を拒む。毒の回りが早いと危険に思えるという理由らしいが、こちらとしては満ち足りぬ思いが募るばかりで堪ったものでは無い。
けれど、それが解禁されるとなれば……。
「何
「おー、確かにアレは生殺しだよなー。首に来られるだけでもヤバいのに、背中とか腰とかに手ぇ這わせられるともう、ソワソワするっつーかモヤモヤ……」
「一緒にしないで変態。とにかく、こっちも苦痛を我慢するワケだから、お相子って事で許して欲しいの」
顔を傾け、胡桃色の瞳が哀願する。左右に結ばれた髪が、その首元を普段よりも露にしていた。
「良かろう」
躊躇わず受け答え、彼等に背を向ける。それ以上の遣り取りも無く、早々に歩み出した。
……白い素肌が目に焼き付いてしまっている。堪らず口端が上がり掛けるのを、不自然に顔を歪めて耐え忍んだ。
「あ、待って、一緒に行こーよー」
「……じゃ、おやすみ」
背後で響く声は、先程とは違い、やや不審が拭われたもの……のように思えた。
今となって彼等との関係が崩れる事に、私は如何程の恐怖を抱いているのか。全く、小心振りに嫌気が差す。
だが、いつか自身で手放すとしても、やはりその温かさだけは身近で感じていたい。
情け無い様でも良い。
願わくは旅の果てまで、どうか変わらず。
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