-5- 流され生きる

『ふふふ……弱い貴女。言ったわよね、傾くのも時間の問題だと。想い人を忘れる前に、その男に惹かれたのだと知りなさいな』


『意固地なその胸は心変わりを否定し続ける。“夢”はその見苦しさを断ち切る為のものだったという事にも気付いて欲しいわね。……“試した”というのもあるけれど』


『さあ、いよいよ楽しみになってきたわ。……待っていなさい、目にもの見せてあげる。アレン……アレキッド』


『貴方が驚愕し跪く姿、その絶望、それこそが全ての清算。そして新たなる自由への幕開け』


『それまでどうぞ、読書でも何でも楽しんでいればいいわ。……私に必要なのは貴方じゃ無い』


『どうせ聞いているのでしょう、ファルトゥナ。夢も見なかったはずよ。いい加減目を覚ましなさいな』


『貴女は何も考え無くていい。ただ、身を任せていればいいわ。生も死も望まず、流れゆくままに。そうしていれば、願う幸福も望む絶望もその内きっと訪れる。……ふふふ、一石二鳥じゃない?……くっふふふふ』






 不快な声と共に、瞼が持ち上がる。何か小言を述べられているように感じたが、目覚めると何も記憶してはいなかった。


 窓の無い部屋故に朝日の有無は不明だが、どこからか響く食器類の音が、忙しい朝を告げている。


 目の前には天井、……右手にキッドの背。抱き合うて眠ったにしては妙な距離が開いており、思わず苦笑する。


 静かに起き上がり、そっとベッドから抜けでて靴を履く。拍子に机で身を打つけてしまい、積まれていた本を揺らす程に大きな音を立ててしまった。


「!」


 途端、ぶわりと身の毛弥立つと共に、鼓動が激しく脈打つ。

 けれど、彼の寝息は揺るがず、本も崩れる事は無かった。


 ……今起きられては顔も合わせられぬ。

 昨晩はどうかしていたと、自ら進んで男と寝た事を今更ながらに恥じ、やや急ぎ気味に扉の前へ立つ。


 しかし、ドアノブへ手を遣ろうというその瞬間、外から慌しい足音が……あろう事か目前で止まった。


「ねえ、起きてる? おねーさまが部屋に居ないんだけど、どこ行ったか知らない?」

「う……」


 扉が強く叩かれ、セシリアのふためく声が響く。何故かそれに酷く動揺し、後退しつつ辺りを見回してはクロスの垂れ下がる机の下へと駆け込んでしまった。


 扉は更に叩かれ、程無くしてベッド方面から唸り声が湧く。クロスの隙間から足が見え、靴も履かぬままにそれは、鈍い足取りで扉へと向かっていった。


「誰? 何?」

「何その寝ぼけ声! 一大事だから早くして!」


 開錠の音に次いで、朝日入り混じる廊下の明かりが部屋へと差し込む。地に付いていた手がクロスの隙間からそれを浴び、思わず胸の前へと引っ込めた。


 その弾みで、鈍い音と共に机の脚へ後頭部を打ち付け、顔が苦悶の形に歪む。


「波動捉えられるんでしょ! おねーさまを捜して!」


 ……。

 ああ、そうか。私は何をしておるのだ。魔道士相手に身を隠すなど、愚劣極まる。


 後頭部の痛みが晴れるも表情は更に歪められ、遂には羞恥の余り頭を抱え込んでしまった。


「昨日の今日でしょ? もしかしたらやっぱり眠れなくて、色々思い詰めちゃったりなんかして……あーもーいいから早く!」


 自ら出て行く事も出来ず、何と弁解して良いやも見出せず、この場が暴かれるのをただ待つ。

 喉の奥が奇妙な熱に侵され、心臓が張り裂けるのではと思う程に強い緊張を帯びる。窓があればそこから飛び出し、雪に身を晒していたに違い無かった。


「えー? んー、いやー、近くにあるからその心配は無いだろー。またどっかで迷ってるんじゃねー?」

「ぇ」


「そうなのっ? なぁんだ良かったー。……って、おにーさま今日は遅いね。髪が踊ってるよ」

「んー? んー」

「朝食には遅れないように。……じゃ、ありがとねー」


 軽い遣り取りの後、扉は閉じられる。闇が戻った室内に、けれど明かりは灯されず、足音が目の前を通りすがった。


 そのまま、緩慢な動きでベッド方面へと戻り、間も置かず寝息が湧く。……どうやら、完全に寝惚けているようであった。


 拍子抜けと共に胸を撫で下ろし、すぐさま机の下から這い出る。ちらりとその姿に目を遣れば、頭から毛布を被り、丸くなっていた。

 その姿に、失態とも言えるべき昨晩の出来事が鮮明に思い起こされる。慌て、上気し始めた頭を振り、足早に部屋を後にした。






「馬鹿な、昨晩は冷静になれぬ故に流されただけだ」


 退室後間も無く悪態を吐いていると、脳内でも溜息を吐く音を捉える。低く嘲笑い、女が囁いた。


『昨晩だけなものですか。流され生きる、それが貴女よ。……呆れるわね。私の言葉を忘れただなんて』


 目覚めの瞬間、微かに聞こえていた声を思い出す。浅き眠りの間に話しておったのは此奴か。

 他は記憶に無い故その内容を低く問うてはみたが、女は冷たく拒み、言い捨てた。


『今夜、もう一度夢を見せてあげる』

「!……は、何を言うかと思えばそのようなもの……」

『そうよ、退ける方法は知っての通り。恐れる事なんて何も無い。今夜もそれを実行すればいい。……“冷静になれぬ”らしいその頭で』


 言われ、反論すべく眉を吊り上げ……けれど言葉紡ぐ事は叶わなかった。


『二夜目よ。さすがにそんな見苦しい言い訳も遠慮願いたいわね』


 挑発のようなその言い回し。いつも含まれていたはずの笑みは、無い。


『これでも私、必死よ? 多くを語り過ぎると貴女は望まぬ方向へと傾いてしまうもの。だからと言って、全くの無言で居れば微妙な平行線。……扱い難いったら無いわ』


 鬼として動かされる事は無くなったが、言葉や幻で操られていると、鈍い頭がようやっと悟る。あの男へ救いを求めた……それすらも彼女の手の内か。

 そしてそこから逃れるなと、黙しながらも威圧的に語る。


『これだけはもう一度言ってあげる。……貴女はただ、流れていればいい。生も死も望まず、明け渡す為の身を“その時”まで守っていればいい』


 歩みを止め、俯く。

 明るみの中で見る絨毯は闇が降りる時よりも鮮明で……まるで、愛しき赤の海に立っているようであった。


「貴様では無い。渡すのはリリスだ」

『……。ええそうね。私では無いわ。……それと貴女の部屋、二つ程過ぎているわよ』


 僅かな抵抗は、すぐさまあしらわれてしまう。

 暫し立ち尽くした後、素早く踵を返し、私はドアノブに目立たぬよう印を付けたはずの部屋へと向かった。






 会食では女王、セシリア、キッド、時には控える侍女らが言葉を交わし合う。問われぬ限りは口を挟む余地も無いので私は見守るだけなのだが、今朝の会話はどうにも可笑しかった。


 中心が三人である故か、内の一人が話に遅れていれば場の空気も狂うらしい。それどころか料理を突き刺したまま、手元が度々止まっているように見えた。


「おにーさま、聞いてる?」

「ふぇ? 何?」

「んもぅ! だからねっ」


 先程から同じような遣り取りが繰り返されている。目は合わせぬよう視界の端にそれを映し、私は黙々と食事を続けた。


「体調が優れないようであれば、少しお休みになられては? 食事なら後でお運びしますわ」

「ふぇ?」


 女王を前に何たる腑抜け声かと小言の一つでも吐いてやりたかったが、青菜と共にそれを飲み込む。


「もう少し寝てきなよ。見てるこっちが眠くなりそうな瞼だもん」

「ああ、そうかよ。……ん、ちょっと、お言葉に甘えますかね」


 そう言い、年寄り臭く席を立ち、やや重い足取りで部屋を出て行く。

 ……去り際に視線を感じた気がした。


「魔道書を読まれているそうですが、それでお疲れなのでは?」

「ええ。でも、あれだけの使い手が熱心に読む程の内容だったかなぁ」


 女王の言葉に相槌を打ちつつ、セシリアが訝しむ。それに微笑を返し、二藍色の髪揺らすその顔は、次に私を見た。


「貴女の寝不足は解消されたのですか?」


 問われ、小さく短い肯定をし、ナプキンで口元を拭う。


「そうですよ! それで今朝は起床が早すぎて、城内を散歩してたとか!」


 身を案じ、慌しく捜索していた事など微塵も感じさせぬ程、迷惑そうに顔をしかめる。その様子に侍女らがくすりと笑んでいた。


「ふふ、調子が良いのなら後で見せたい物があります。裁縫部屋へいらして下さい」


 恐らくは仕立ての件であろう。元がドレス故に心配ではあるが、無下にする訳にもゆかぬ。布地は確か真紅であったか。……母上が好む色彩だ。胸元も多少開いていたように思えるが、それに関しては肌に付着する方が汚れも落とし易い。


 ……。

 そうか、あの色、好都合やも知れぬ。


「なに笑ってるの、おねーさま」

「いや、……そうだな、あの男の分も加え、如何程お前で補うかを」

「加えなくていいから! むしろ元々寝てるんだし、ちゃんとあっちのも飲んできて!」


 言い終えぬ内に焦りの言葉が被さる。冗談だと付け加え、私は席を立った。


「お先に失礼致します。……誰か案内役を頼めませぬか」


 自国ですら裁縫部屋の場所は記憶しておらぬ故、というのも妙であるが、そう思い巡らせつつ女王へ申し出る。ならばと、彼女は控える侍女の一人に案内を命じ……何故か同時にセシリアも席を立った。


 そのまま女王へ挨拶を述べ、扉前に佇む私の背後に付く。


「お前が来る必要は無いと思うが」

「見たいもん。飲むのはその後にしてね」


 断る理由も特に見当たらぬ故、そのまま侍女に続き廊下へと出る。黙って付いてくるはずも無く、付添いのお転婆は早々に口を開いた。


「昨日、本当にちゃんと眠れたの?」

「くどい、その質問は出会い頭にも聞いたぞ」

「そうだっけ?」


 はぐらかしては私の隣へ並び、顔を覗き込む。小花のように揺れる亜麻色の髪が、柔和な香りを弾き出していた。


「確かに顔色は良いみたいだけど、あれから安眠出来たとも思えないんだよねー」


 勘繰るべき事柄でも無かろうが、彼女は前方を見つめ直し、首の後ろで手を組む。対し、まるで臆するように私の視線は壁際へと逸れた。


「あんまり酷いものだから添い寝くらいしたかったんだけどね、寝言が怖いから止めちゃった」

「……ふ、部屋を凍らせるというあれか」


 思わず笑み溢してしまう。すると、彼女は再びこちらの顔を覗き込み、焦りの表情を浮かべた。


「い、言ってたっけ? それとも、やっちゃった?……あれ、いつ?」

「ああ、キ」


 ッドから聞いた。


 ……言い掛け、内心慌て言葉を呑み込む。昨晩を除けば、あの男と会話出来た時間など無いに等しい。会食の席ですら遅刻していた。


 好奇心旺盛な此奴の事だ、必ず掘り下げる。朝からあの男と言葉交わさぬ事に感付いておるのかは知り得ぬが、昨晩に会うたという説明だけは避けたい。雑談で終わらせたと言い逃れる自信も無い。最近の顔の筋肉は嫌悪する程に正直だ。考え過ぎやも知れぬが、やはり万が一を思うてしまう。


「き、聞いたのだ、呪文を。ぇ、と、野宿の日に。気付かなかったか? 一部の木が凍っておったぞ」


 昨晩の様へ思い馳せぬよう、急ぎ言い放つ。無論出任せであった。寝言は確かに聞いたが、危害を加えられるようなものでは無い。


「あ、あー、あの時ね! そっかそっか、初野宿で油断してたわ! ていうか、言い忘れててごめんねっ! 次一緒に寝る時は気を付けるから……」


 私が寝床から退いた後、本当に凍らせてしまっていたのであろうか、疑う事すらせず彼女は言葉を濁していく。


「……」

「……」


 嘘を吐いたというこちらの後ろめたさと、彼女側の知られてはいまいとしていた悪癖の発覚。それ故か、互いに気まずい雰囲気を漂わせながら暫し黙々と歩き続けた。


「あ、ねえ、ここ最近読書しかしてないから、今日は体動かそうと思うんだけど、おねーさまもどう?」


 やはり沈黙が性に合わぬのか、先程の流れを断つように話し出す。


「ほう、訓練兵に交じる気か」


 昨晩の事を訊かれるよりはと、私もその話題に乗る。内容も少々、興味惹かれるものであった。


「んーん、中庭借りるの。訓練の邪魔は出来ないよ」

「……ならば、私を相手にすると?」


 思わず、小娘に務まるものかと嘲笑が漏れる。彼女も理解はしているらしく、次いで乾いた笑いが隣で響いた。


「おねーさまも結構な好戦者だよねー。それに普通、王族なら剣技とかじゃないの? 体術一貫って……何か色んな意味で熱いなぁ」


「扱えぬ事は無いが、煩わしい上に邪魔だ。……鞭使いというのも珍妙だと思うがな」

「あっはは、邪魔ってのは同感。それに比べると軽いから好きなの。……あとこれ、何か自信付くんだよね。しなる音が堪らないというか、燃えるっていうか……んふふふふ」


 先程とは種類の違う笑みが、耳を掠める。好戦的という意味合いでは、確実に彼女の方が上に思えた。


「殺傷力は無いに等しいけど、地味に痛いんだよねぇ」


 艶かしさすら感じさせる声を漏らし、城内では不必要なはずの得物を緩慢に撫で上げる。


 このような不審の者に“普通”を例えられとうない。

 不気味なそれは聞こえぬ振りで遣り過ごそうと、私は前方を行く侍女に他愛無い質問を投げ掛けた。



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