-3- 会食

「殿下! お待ちしておりました!」


 言われ、背後に女王が居るのかと皆で振り返る。

 しかし周囲にその姿は無く、訝しむ視線を前方の兵へと戻した。


「……私に申したのか」

「ケトネルムの御子ですから」


 静かに問うこちらへ満面の笑みすら湛え、明るく言い放つ。


「気が早いなぁ」


 対し、歩く道すがら事情を呑み込んでいたキッドが苦笑する。全てを知り尽くしているかのようなその表情に、釈然とせぬ何かが頭を過ぎった。


 確かに、昨晩と今し方のセシリアの説明で、大体の事は共有出来るものとなったが……まるで、昏睡の事実までもが消え去ってしまったようで腑に落ちぬ。


「陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」


 かつて心を痛めたそれすら馬鹿馬鹿しく思えた頃、前方の兵が緩やかに口元を引き上げ、返事も待たずに歩み始める。仕方無く後に続くも、彼の言葉には違和感があった。


 ケトネルムの者達は皆、王を意味するその敬称を使用してはいないはずなのである。人口の密さ故に馴れ合いでも生んでいるのか、彼女が王位を継ぐ以前のまま……どころか、姫としての扱いが未だ残っている。それを、私がこれから住まうと確信し、ようやっとの区別でも付けるつもりなのか。


 皆で分け与えましょうと仰せられていた女王の言葉が今になり、城全体の意思であった事を悟る。


 ……そうか。ダルシュアンの者達もそうして魔物となってしまった王妃を隠し、守ったのだな。


 とある一室へ私達を通し、再び回廊へと下がる兵を見遣る。閉じられる扉の向こうで、かつての王国を垣間見た気がした。


「おはようございます、マリス様」


 淑やかに響いたセシリアの声により視線を前方へ移すと、食卓に着いていた女王が即座に立ち上がり、こちらへと歩み寄る。


 よく眠れましたかと優しく微笑んでいたが、隣に佇む男を捉えるなり輪を掛けた笑みを溢し、歓迎するように手を広げていた。


「まあ、お目覚めになられたのですね!」

「え? あっ……お初に、なのか? えっと、キ……アレキッド=ラバングース、です」


 歓喜する女王に対し、緊張の面持ちで頭を下げるキッド。いつもの饒舌さも無く、固いその動きはただ妙であった。


「陛下、この者は口の利き方を知りませぬ。数々の御無礼、どうかお許し下さい」

「は? 俺まだ何もしてねぇよ」


 反論するそれの曲がった背筋を正し、女王へと向き直らせる。すると、小枝を折ったような軽い音と共に奇声が上がった。


「ってぇ! おい、今グキって鳴っ……」

「この子を導いて下さった恩人とお聞きしておりますわ。楽になさって。感謝するのはこちらなのですから」


 尚も反論しようとするキッドの言葉を遮るように、女王が歓喜の声を響かせる。

 トトの森から追ってきた事と、吸血の犠牲故の昏睡という説明はしたが、恩人などと称した覚えは無い。どういう判断なのか、そのまま彼の手を取り、言葉通り礼を繰り返していた。


「昨晩はきちんと持て成す事も出来ず、申し訳ありませんでした。……さあ、どうぞこちらへ。朝食を御一緒しましょう」


 私達を招き、自身の席の前へと立つ。

 全員の着席を見計らい、控えていた侍女に合図を送ると、程無くして手際良く順に料理が並べられた。


 白きテーブルが彩られる様にキッドが感嘆の声を上げ、大袈裟なそれをセシリアが窘めている。


「顔を隠す必要はありますか、ファルトゥナ」

「……いいえ」


 全てを終え、人払いを命じた直後に言われ、静かに覆面とマントを取る。


「それに、ドレスを用意させていたはずです」


 預ける者すらも払われた為、仕方無くそれらを膝に置いた。

 今着用しているのは、汚れた衣服の代わりにと渡された白の上下。


 ……。

 “渡された”というより、煌びやかなアレを手に招く侍女を擦り抜け、自ら衣装部屋に赴いて拝借したもの。男物を嘆かれたが、謁見に支障を来さぬ程度ではある。


「必要ありませぬ」

「……どうして?」

「私は一介の旅人。何故それが着用出来ましょう」


 その後に続いた沈黙は、少しだけ長く感じられた。

 銘々の視線だけが静寂に反し、強く飛び交う。


 ケトネルムには留まらない。その答えを、彼女はどう受け取るのであろうか。どちらとも無く口を開き掛けるが、次の瞬間、隣に居たセシリアの腹の虫が大きな悲鳴を上げていた。


「ふわ、ごめっ、申し訳ありません!」


 慌て俯き、腹を押さえるその姿に皆で失笑する。


「ふふふ、そうですね。折角の料理が冷めてしまいますもの。頂きましょうか」


 そう言い、女王は目を閉じ、胸の前で手を重ねる。向かいのキッドも笑いを堪えつつ彼女に続き、食前の祝詞を連ねる。それに倣うよう私も目を閉じ、やや上の空で祈りを捧げた。






「……んまっ! むう、まはか、……城で持て成されるなんて思いもしなかったなぁ」

「もう! 口に含んだまま喋らないの! 大人なんだから礼儀作法くらい身に付けておいてよね」

「庶民にゃあまずこんな席は無いっての。付けたって無駄。それに俺、心はまだ十代」


 そう宣い、十代ではたしなむ事を禁じられている葡萄酒をあおり、切り分けぬままの肉を頬張るキッド。その様子にセシリアは更に小言を並べ、汚れた自身の口周りに気付く事も無くスープを啜る。


「……お気に召しませんか?」


 その中で全く手を動かさぬ私に、女王が尋ねてきた。


「以前ここへ訪れた際にも、私は何も食さなかったかと」


 覚えは無いが、そう返す。吸血で生きる身だと知ったその頃から“普通の食事”を止めた。故に、三年前にそれを破ったとも思えない。


「ほういやぁ、……モノ食うトコ見た事無かったな。何、食えないの? 支障無けりゃ胃に入れておいた方が飲む量も少なくて済むかもよ」

「……」


 久々に行ったあの日の食事こそが全ての引き金やも知れぬ中、例え一切れでも口にする事は躊躇われる。その旨を軽く説明してやると、二人は素っ頓狂な声を上げ、身を乗り出した。


「思いっきり偏食なのに、そんなに成長出来るのっ!?」

「阿呆! それだけ期間あけてりゃ体が驚いて当然だ!」


 両者の声が被さる。妙に勢い付いたその態度に思わず身が強張った。


「何が“七つの頃から”だ! 自分から人間やめてどうする! 面倒がってないで、液状のモンからゆっくり食え!」

「せっかく出されたものを食べないなんて失礼だし、味覚音痴にもなっちゃうよ!」


 教育係よりも強く荒いその語気にたじろぎ、反射的に唇を引き結ぶ。唯一物言わぬ女王へ救いを求めるような視線まで送ってしまった。


 彼女も苦い笑みを浮かべ、お食べなさいと溢す。仕方無くスプーンを手に取り、小さく息を吐いた。


「……責任は、どちらが取る?」


 緩慢にスープを掬い、暫し留まっては二人を見据える。首を傾げる両者に構わず、続けた。


「本来、この身が糧とするのはヒトの血に他ならぬ。二の舞にならぬよう、対策は取りたいのだが」


 言うてやると彼等は無言で視線を交わし、突然、血肉となる料理ばかりを口にし始める。


「ああ、二人同時の方が命の危険が薄れるのであったな。……ならば、どちらも蓄えておけ」


 雪辱とばかりに薄笑いを浮かべ、私もスープを一口。その鈍い動きを、女王が弱々しい笑みを浮かべながら見守っていた。

 すると、幻影のように思い起こされる、あの日の晩餐。

 女王の笑みがかつて感嘆の声を漏らしていた父上と重なる。……袖を濡らすダルシュアンの者達が、見える。

 別れを告げる事も許されなかった、彼等の幻影が……。


 小さく頭を振り、水の入ったグラスに手を遣る。湧き上がる感情を抑え込むよう、無味無臭のそれを一気に飲み干した。






 薄く紅の引かれた形良いその口が、静かに語り紡いでゆく。

 かつての、妹の事を。


「病気だなどと唯一の肉親である私にまで嘘を吐いて……。出来る事なら、代わってあげたかった」


 同じ顔だったのにと、悲しく笑う。


「用意していたドレスはね、あの子のお気に入りだったの。思い出にと取っておいた昔のままよ。ふふ、貴女にも一度袖を通して欲しかったわ」

「……申し訳ありません」


 王女の象徴であるかのようなあの服装だけは避けたかった。姉上のような器用さも無く、鬼と化し、我が手で血を貪っていた。そのような愚身には最も不似合いな格好。


 あれを着用せぬようになったのもまた、食事を止めた時期と同じであった。


「留まる事は出来ないのですか? ビアンカの捜索なら、こちらへ任せて頂いても構いませんのよ?」


 先程からずっと秘めていたであろう想いを、彼女は口にする。


「……ダルシュアンのようにも、させないつもりです」


 躊躇いながらも放たれたその言葉に、けれど、私は静かに首を振った。


「そう、ですか。無理にとは言いません。貴女の道ですもの……彼等と過ごす時間も尊いのでしょう」


 言われ、食卓に伏す二人を見ては自嘲する。


「可笑しな者達です。このような目に遭うと理解しながらも、魔に手を差し伸べる」


 女王の前で行う事は躊躇われたが、制御も出来ぬ鬼や、それを抑える為に操るなどと抜かすリリスが行うよりは遥かに良い。昏睡の時間を見極めるにも丁度良かった。


 腕からの摂取により毒の回りが遅かったのか、それとも抗体でも出来たのであろうか、今回はキッド本人に留められた故、摂取量は控えられたはず。

 だが、セシリアに関しては味わいが違うた為、少し飲み過ぎたのやも知れぬ。


 ……。

 しかしこの男、こちらにまで回る事の無い微量さであったが、酒が入ると折角の味が落ちてしまうではないか。


「旅の途中でも終わりでも構いません。いつでも戻っていらして下さいね」


 不意に向けられた笑みで我に返り、こちらも僅か笑み返す。そして見計らい、腰に下げていた小袋を取り出しては食卓へと広げた。


「お願いがあります、……伯母様」


 散らばる宝石の数々に、彼女は目を細める。

 そう、それはかつて母を彩っていた装飾品。生きる為に惜しみ無く使えと持たされた旅費であった。


 それを、無理も承知で換金して欲しいと頼み込む。


「もう他へ渡らせたくは無いのです。どうか聞き入れては頂けませぬか」

「それを貴女に持たせたまま、こちらが資金を出すと言っても納得はしないのでしょうね。……分かりました。その代わり、あのドレスを着て下さいね」

「そ、それは……」

「旅の服として仕立て直します。丈夫な素材よ。活発なあの子に合わせて作られたものですからね」


 そう言い、二、三、大きく手を打つ。廊下で控えていた侍女達が扉を開き、応じた。

 女王はドレスの件と眠ったままの二人を運ぶようにと、手早く伝える。


「貴女方に二週間余の滞在を命じます。精霊との盟約の再開により、山は少なからず雪解けに見舞われるでしょう。安定するまでは城から出る事を禁じます」


 侍女に続くよう立ち上がった私に、女王が凛とした声音を響かせる。


「……ゆっくり、していって下さいね」


 尽きぬ感謝と共に深く頭を垂れ、部屋を後にした。

 が、廊下へ出た途端、侍女が小さく悲鳴を上げる。


 何事かとその視線の先を追うと、空色の鱗を煌かせた仔竜が、項垂れるセシリアの顔を覗き込んでいた。


「ああ、坊やね。ごめんなさい、この方はすぐにお連れしなければならないの。また後でね」


 急ぎ言い渡され、それは翼を扇いで一飛び、壁際へと寄り、二人を運ぶ侍女や兵を見送る。


「ピギャ?」


 同じく見送り、その場に留まる私を訝しく思うたのか、巨竜とは比較にならぬ程に可愛らしい声を上げてこちらを見る。


「ヒトへの憎悪は一晩で消え失せたのか、竜の子よ」

「……クルゥゥ」


 返答しているのか、首を捻りつつ輪郭の細いその口を開く。


「“人間め”と、この身もお前と同じように仕掛けられたのなら、どういう運命を辿った事か……」


 けれど、その怒りを剥き出しにしつつも彼はヒトを殺めずにいた。やはり、合いの子が故の弱さがあったのか。


「ギュアオゥ」

「独り言だ。忘れてくれ。それと、お前の仲間を傷付けた事に謝罪はせぬぞ。城の者へ働いた行為の代償と思え」

「ギャウアゥ」

「……陛下を、頼んだぞ」


 静かに溢し、私も部屋へと身を翻す。


「おまえ、カノンの言葉、分からないのか」


 が、歩み出した背後で突然、少年の声が響く。

 見れば、いつの間にかヒトの姿――


「!……ふ、服を着ろ!」

「置いてきた」


 余りの動揺故に思わず、持っていた自身のマントを後ろ手に差し出していた。


「……いらない。竜の匂いがする」


 その言葉で我に返り、謝罪はせぬと言うたはずの口が、すまないと一言漏らす。


「父さんと母さんを殺した人間は憎い。でも、母さんとマリスも人間だ。憎くない。……カノンだって、半分人間だ」

「……そうか」


 好き嫌いが明確な子供の返答。未だ己を憎む事すら知らない。……内心そう皮肉るが、それは自身にも当て嵌まる事であった。


 城の者達をで、対立する者を忌み嫌う。彼程の素直さは無いにしろ、私も同等の子供ではないか。


「父さんは、もう終わったから忘れろって言った。母さんも、そう言ってるって」

「……両親の幻影でも見えるのか」


 戯言を、と歩み出した背に、変わらぬ調子で声が掛かる。


「母さんはもう消えた。父さんも、カノンが幸せになるからって消えた」

「…………そうか」


 相変わらず意味不明なその言動に返す言葉も無く、気の無い相槌を打つ。けれど、歩みを留めぬままの私に、おまえのは消えてないぞと、彼は更に妙な事を口走った。


「それより、竜となるか衣服を纏うか……何とかしろ」


 冗談を言える口では無かろうが、もはや相槌すら打てぬ会話は聞き流し、私は足早にその場を去っていった。


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