-2- 一緒に行こう
身支度を済ませて部屋を出ると、セシリアと鉢合わせた。
向こうはにっこりと微笑み、こちらは欠伸を噛み殺し、互いに挨拶を交わす。
「あれ、眠れなかったの?……あっ!」
と、突然私の背後へ視線を移しては、胡桃色の目を見開く。
「おー、おはよう。……あれ、セシィ、もしかして背ぇ伸びた?」
ひらりと手を振り、冗談を交えつつキッドがこちらへと向かっていた。
セシリアは一瞬、言葉を詰まらせ、私の目を見る。
次いで再びキッドを一瞥し、もう一度私に視線を寄越し、最後に顔を俯ける。
そうした果てに思い切ったのか、顔を上げ、遂には彼へ向かい突き進んでいった。
「こんっの、変態!」
……程無くして響いた小気味良い音は、彼女の掌とキッドの頬からか。
唐突の出来事に、思わず目を丸くしてしまう。
「何が“オハヨー”よ! ずっと眠ってれば良かったんだわ!」
「……え、と?」
打たれ、顔を斜めに垂れたまま放心するキッド。
「それでも、ここまで背負って来てくれたおねーさまに感謝するのね!」
「セシリア」
鞭にまで手を伸ばす勢いであった為、その背に呼び掛ける。
本当に怒りに任せた行動ならば、静かに放ったこちらの呼び声など、彼女の性質からして聞こえる事は無かったであろう。ともすれば、また氷の術が飛び出していたに相違無い。
「ほら、おねーさまも何か言ってやりなよ!」
しかし、明らかに身を強張らせ、声を張り上げる。
「もう良い。お前は知っておろう」
「……ん」
そして、灯火が消えたかのように、怒らせていた肩を落ち着け、緩慢にこちらへと向き直る。何度も我が身を映したはずの胡桃色の目は、間が悪そうに地へ向けられていた。
「牢へ放り込まれた際、陛下は開口一番、我が母の名を口にされたそうではないか。その時、お前は既に覚醒しておったと聞く。過去に関りがあったギルヴァイス家だ。私が母……マリエでは無いと陛下に告げながらも、その紹介の裏ですぐにこの身とダルシュアンが繋がったであろう」
延いては誰を探しているのかという、
牢で妙な返答をしたその不審は、女王の説明により取り除かれた。
王女の身分であった事や王族が滅んだ真相……。それを、キッドに続きセシリアにまで知られる事となり、思わず私はあの場で苦笑していた。
彼が長きに渡り目覚めなかった理由も、先程の不自然な間を思うに察しているのやも知れぬ。
「……貴女は今、誰?」
目を伏せたままの彼女は突然、らしからぬ弱々しさを見せる。その背後で静かに事の成り行きを見守るキッドを一瞥し、私は肩を竦めた。
「ファルトだ。……昨晩からラバングースを名乗る事にもなったらしいが」
言うてやると、ようやっと顔を上げ、笑みを湛える。
「だったら、今までもこれからも貴女は“おねーさま”。非礼の数々は詫びないよ。……それに、姓を借りるって事は旅もまだ終わらないんだよね!」
非礼の数々? そのような事を気にしておったのか。やはり貴人の娘。……そこは無作法なキッドとは違う。
その背に詰め寄り、不気味な笑みを浮かべる彼を傍観しては、小さく息を吐く。
「ま、そーゆーこったな」
「ん? うあいたたたた!」
「ったく、揃って人の顔をべちべちべちべち! 女からの平手打ちは結構傷付くんだぞ!……拳は物理的にすっげぇ傷付くけどな!」
そこで、勢いよくこちらへと顔を向けるキッド。
さあ何の事かと、大袈裟に首を傾げてやった。
「んんごめんごめん、ごめんなさいっ! 打ち消せる魔法とかにすれば良かったって、後で思ったたたた……」
久々の掛け合いに妙な和みすら覚え、口元が緩む。だが、それに浸る事無くわざと水を差すように、私は静かに言い放った。
「覚悟は出来ておるのか、セシリア」
場にそぐわぬ言葉に、二人の動きがぴたりと止まる。頭を挟まれた体勢のまま、彼女は視線だけを寄越した。
「無知を貫く上での其奴への仕打ち……今この身が感謝しようとも、ヒトを食らう鬼の意思が汲み取る事は無い」
標的は何もキッドだけに非ず。今度は昏睡以上の事も有り得ると、恐らく彼女を何度も苛んだであろう恐怖を煽った。
「今なら理解出来よう。私が頑なに同伴を断っていた理由を」
「平気だよ」
強い眼差しが、間も置かず我が目を見据える。
何度も苛まれていたのであれば、とうにその答えを見出していても不思議では無い、か。
予想に反せぬ前向きなその姿勢に、私は笑みすら浮かべていた。
「一人で背負うより、かえって安全だと思うもん。見縊らないでよね。自分で望んだの。旅での出来事ならどんなものだって受け入れる。最初からその覚悟なんだから」
キッドから離れ、語気を強めつつ亜麻色の髪を揺らしてこちらへと歩み寄る。吸血鬼に関する文献も会得済みだと、よく分からない理屈を並べてはいつかのように右手を差し出してきた。
「それにおねーさま、優しい人だもん。大丈夫、怖いだなんて思わないよ。……だから、一緒に行こ?」
一緒に……。
昨晩と全く同じ台詞を言い渡され、またもや目を丸くする。
「うへぇ」
彼女の背後で控えるキッドも、それは同じであった。
寧ろ、言うた側の恥でも有るのか、在らぬ方向へ視線を漂わせては頬を掻く。
「……ふ」
私は僅かに口角を上げ、差し出されたその腕を掴み、強く引き寄せた。
「若い女の方が甘美な味わいがある。願っても無い事だ」
背から腰へと手を這わせ、含み笑いを漏らす。
頬に掛かる髪を指先で掬い上げ、言葉通り、その耳元を食むかの如く。
「ひいぃぃぃ!」
「こらこらこら!」
彼等の反応を楽しむと、すぐにその身を解放し、踵を返した。
「冗談だ。拒絶してもお前は……お前たちは、付いて来るのであろう?」
小さく言い放ち、歩み始める。すると、背後では何やら押し殺したような声が重ねられ、間を置かず軽やかな足音が追い駆けてきた。
「なぁんだ、嬉しいのに誤魔化したんでしょ! やだなー、笑えない冗談やめてよー、もー!」
笑えない冗談……。
「あと、そっち行ったら昨日のバルコニーだぞ。どう考えても行き止まりだろ」
……。
「ていうか“昨日”とか“昨晩”とか“姓を借りる”とか! いつの間にそんな仲になったのよ!」
「はははー、もうちょっと大人になってから教えてやるよー」
「あたしとおねーさま、一つしか違わないんだけど!」
やはり溜息を吐き、再び踵を返し、下らぬ言い合いを始めた二人を通り過ぎる。だが不思議と……嫌な気分では無かった。
城を出でてからまだ日も浅いというのに、早くもそれに慣れてしまったのか。
『暇潰しに付き合わされるのも、悪くない?』
少女が、嗤う。
「……そうだな。瞬きの間とて、過去の悲観もそうして薄れゆくものだ」
嘲笑には乗らず、静かに答えて目を伏せる。
『忘れられるといいね。……ふふ』
相変わらず謎を含むその声は、眉をひそめるこちらなど気にも留めず、何が可笑しいのか独りで笑い続けていた。
そのまま、
リリス。……本当にそう、なのか?
知らぬ女の声ばかりが現れる中でそれはもう、声を真似るだけの別人としか思えなくなっていた。
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