-9- 対話

 女王と、少年の対話が行われた。

 場所は謁見の間などでは無い。最初に踏み込んだ、あの大広間である。


 女王は私達を含む民を背に。少年は外で控える竜を背に。牢から解放された数時間後の現在でも、まるで冷戦のようにそれは行われた。


「幸せ……だったのですね。本当に、申し訳ない事を……」


 全てを話し終えた少年の悲しげな表情に、女王はきつく唇を噛み締めていた。

 見た目こそ威圧的だが、対話の内容は全く異なるものである。キッドが目覚めた時にでも話してやろうと、今までの流れを整理するよう思案していた。


 ――事の起こりは六年前。城の薬師であった女官、ローファが山で失踪した事により始まった。


 少年がヒト……いや、竜づてに聞いた話では、彼女はその時、致命傷に等しい傷を負い、虫の息であった所を奇しくも竜に救われたと言うのだ。それがこの少年の父親である、ケ……ナントカなる竜の長。


 長は自身のすみにてローファを癒し続けた。誰もが彼女の死を疑わなくなる数ヶ月を掛けて。……その間に彼女は目覚めなかったのか、何故城へ運ばなかったと幾つか野次が飛んでいたが、少年曰く、目覚めた彼女には一切の記憶が無かった。

 そして、自身の姿を見ても全く恐れぬ上、笑顔すら浮かべる彼女に、長は少なからず好意を抱き、手元に置きたがったのだという。


 その内に彼女も、長き時を費やして自身を癒してくれた長に…………少々、根拠無き想像が入ってしまったな。この先を話すのは無粋か。

 竜がヒトと関係を築くなど考えられぬ話だが、長には奇異なる能力があった。

 それは、姿を変えられるという事。延いてはヒトにも成れたという事である。……人間を見初める風変わり者には相違無いのだが。


 一方、城ではローファの死を信じぬ若者が一人居ったそうな。その者こそ、彼女の婚約者を自称していたらしい城の兵士長。彼は休暇等を利用し、打ち切られた彼女の捜索を一人で行っていた。


 棲家は他者に見つからぬよう長の技で隠されていたが、二年前、ローファと幼い少年を置いて出払っている間に運悪く見つかってしまった。


 その説明に差し掛かるのと同時に少年が取り乱しながら話した為、言葉の半分が意味不明であったが、恐らく竜との子供と称される少年と、自身を思い出さぬ彼女に憤慨した自称婚約者は、果敢に母を護ろうとする幼子の目の前で、彼女を殺めてしまったのではなかろうか――


 …………。

 そこまで思い巡らせ、この話の口外を思い留まる事にした。


 億劫になったという事もある。しかし、余りに悲しい。そしてその悲しみが、自身の辿ってきたものと少なからず似ているように思えたのだ。


「カノンには……忘れろって言ったのに」


 少年は度々、その単語を口にしていた。用いる所を考えれば、それは自身の名であると理解出来る。

 一人称も学ばぬ程に、両親と共に過ごせた時間は短いものであったのか。


「竜が山を下りてくるって噂も、二年前くらいだっけ……」


 隣に居たセシリアが、苦々しく呟く。

 話の最中、港を襲うのは止めて欲しいと嘆願していた女王。しかし、竜は山を下りてなどいないと、少年はそれを否定した。


 そもそも、人里に降りなければならぬ程、竜の食糧は枯渇してはいないらしい。


「一人で、探してたのかな」


 それはもう、誰にも分からぬ事。当事者だけが知る、悲運の最期。少年が此処に居るのも元を辿れば、父親が帰らぬので探しに来たと、実に子供らしい理由であった。


 話そのままに少年の歳を換算すると、彼は六つであったリリスの歳にすら満たないのだ。姿こそ十代半ばであるが、流れる竜の血がヒトとしての外見を成さぬのか。


 そして、その幼き心故に、またあの男が来たのかも知れないという小さな疑惑すら徐々に肥大し、城の侵入へと至ったのであろう。


 結果としてそれは、ただの胸騒ぎとして終える事は無かったのだが。


「カノン、協定を……いえ、約束を交わしましょう」


 右手を差し出し、女王は優しい笑顔を浮かべる。


「氷の民はもう誰も、あなたの家族や仲間との幸せを脅かす事はありません。ケトネルム女王の名の下に、これを約束しましょう」


 彼女の言葉に周囲の者達も頷き、緩やかな表情を見せた。


「あなた方は古来より、この城への干渉を皆無としていましたね。……人は罪深い。それはきっと正しい事です」


 そこで一旦、彼女はこちらへと視線を寄越した。

 ……? ああ、そうか。このマント、確かに罪深い。キッドが材料には竜も含まれていると…………え?


「けれどもし、クェイグァが我等との間に繋がりを持ち、信頼の関係にあったのなら……ローファの事を話し、返してくれていたのかも知れません」


 材料の事など話した覚えは無いが……いや、それとも彼女にも目利きがあるのか?


 俯けた顔をもう一度女王へ向けるも、やはり少年を見たまま揺るいではいなかった。

 気の所為……であろうか。


「だから、あなた方は私達と交流を持って下さい。あなたは竜の長を継ぐ者でしょうけれど、まだほんの小さな子供。……どうぞ気兼ね無く、いつでもケトネルムを頼って下さい」


 握らせる為のものであったはずの右手を、女王はそのまま彼の背に伸ばし、自身の胸へと引き寄せる。


 少年……カノンは初め戸惑いながらも、いつか見せたように眉を八の字に曲げ、そっと彼女の服の裾を握っていた。


「ローファの話を、聞かせて下さいね。ここに居た時は体調管理に口煩くて……本当に、娘のような子だったのよ」


 空色の髪を撫でて囁くその姿は、あの日の母とよく似ていた。

 ……けれど、少年は何処ぞの王女とは違う。

 顔を隠す事も、名を偽る事も必要無い。悲運に見合うだけの幸せを約束されていた。


「……おまえ、アテレスカのうた、歌えるか」


 長く続いた抱擁の末、カノンは俯きながら女王にそう尋ねる。


「アテレスカ……は、彼女の故郷ですね。口ずさむのを何度か聴きましたが……あの歌はそこの生まれの者にしか歌えぬ言葉のはず。ごめんなさいね」


 歌えればもっと親密になれていたのに。……思う女王の無念がそのまま表情に出ていた。

 それを特に非だとは思うておらぬらしく、カノンは無言のまま遠くを眺めている。その目はとても、虚ろに見えた。


「……え、と、あたし、歌えます。その歌……」


 誰もがこの対話の終わりを予見し始めた頃、恐る恐るセシリアの手が上がる。皆の視線が一斉に彼女へと集中した。


 それに面食らい、わざわざ挙手したにも拘らず、当の本人はもごもごと口籠もり、顔を赤くして俯いてしまった。


 誰も今すぐ歌えなどと急かしてはいない。けれど、母親がアテレスカの出身だから、あたしの歌は下手だから、などと彼女は次々と弁解を述べ、勝手に小さくなっていく。


「……そうか、歌えるのか」


 しかし、安堵に満ちたその言葉と、後に響いた物音により、セシリアに向けられていた視線はすぐに前方へと戻された。


「カノン!」


 伏した彼を慌てて抱き起こし、女王はその名を呼ぶ。すると、たちまちその姿は縮みゆき、衣服だけを残して……何と、小さき竜へと変化してしまった。


 ヒトの子のそれと何ら変わり無い。仔竜としての彼は、やはり歳相応の大きさに思えた。

 外で控える竜も気付き、城内へと首を伸ばす。


「奥で休ませても良いですか? 大丈夫、心配は要りません。……ローファを信じたあなた方なら、ケトネルムを信じられるはず」


 焦り気味に放たれるその言葉に、兵士長もその“ケトネルム”に含まれるではないかと、頭が場違いな疑問を抱く。

 竜とて、今や人間への不信感が勝っているのではなかろうか。

 それを思うてか否か、彼らも首を傾げ、女王とカノンを見比べる。


「もしもの事があれば、私を食い殺して下さい!」


 だが、続いた強き意思が信ずるに値したのか、再びその長く白い首を城外へと引っ込めていた。

 それを合図に、幾人もの女官が少年の衣服とその身を城内奥へと運び去る。


「ギルヴァイスの娘よ、貴女も付き添ってあげて下さい。……少人数であれば、歌い辛い事も無いでしょう?」


 予期せぬ言葉に驚くセシリアであったが、仔竜に化けたカノンを見るなり“可愛い”と漏らした彼女がそれを断ろうはずも無かった。


 そうして城内は、留まっていた時が流れ始めたかの如く慌しくなり、皆が思い出したように持ち場へと戻って行く。残る私は、別室で眠るキッドの様子でも見に行こうと踵を返した。


 ……ヤツの昏睡は、牙の毒よりも血を抜き過ぎた事と連日の疲れによるものであろう。私に同行してからは、環境の変化と同時に無理を強いてばかりであった。


 余り比較にはならぬが、同じように倒れたはずの竜は既に目覚めており、腹の傷も城の魔道士に癒されていた。

 癒しの術……恐らくヤツにも施されたのであろうが、あの光の恐ろしさ故に思わず部屋を飛び出してしまった。

 此処に姿を現さぬという事は、やはりまだ動ける状態には無いのであろう。


「待って」


 左右、どちらへ赴くか悩んでいると、唐突に落ち着きのある静かな声が掛かった。……振り向かずとも分かる、女王の声。私はそれに応じ、続く言葉を待った。


「貴女にお話があります。私の部屋へおいでなさい」


 ……。

 言われ、暫し緩やかな時が流れる。

 何も返せずにいる私の喉を、つつと固唾が通った。


 どう考えても、運悪く今回の事に巻き込まれた者へ対する言葉では無い。ましてや一介の旅人を部屋へ招き入れるなど、本来ならば有り得ぬ事である。


「……ご、御冗談を」


 ようやっと言葉に出来たそれは、けれど何も言わぬ方がまだ良かったと思う程に、上擦っていた。


「そのマントと同じものが私の部屋にあります。……おいでなさい」


 もう一度、女王は言い放った。

 それは、かつてこの布地で判断されたように、賊に対する言い回しであったのやも知れぬ。

 しかし、全てを悟っているかのようなその柔和な表情からは、生き別れた姪に対する優しさも、見て取れたような気がした……。


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