-8- 空色の髪の少年
何であろうか、この違和感は。
始まりは、術で縄を解く事は出来ぬのかという私の他愛無い質問からである。
後ろ手に縛られていては、手印を結べても発動しないというのがセシリアの答えであった。
それから幾つかの流れで、彼女に借りが残っている事を思い出し、馬鹿正直に伝えた。
“竜の殲滅を以て返す”、それは叶わなかったが故に散々聞かれたあの質問に答えようと自らが口を開いたのだが。
「あ、うん、いいよ。し……大丈夫だから」
明らかに怪しげな素振りで、彼女はそれを断った。
……その真意を、今ここで問い質しても良いものなのか。
「し……」
――“知って”?
まるで、悪寒が走るような感覚の中、不意に喧騒らしき物音を捉え、思考が中断する。
扉向こうから入り混じるように、竜の咆哮も響いていた。
「誰か、迷い込んだのか?」
「えっ? 何?」
私の呟きに、セシリアが過剰な反応を示す。不必要な程の大声が、彼女に民の視線を集中させていた。
喧騒が聞こえたのは、ヒトに非ざるこの耳だけのようである。
「武器を持つ者が恐らく、竜と一戦交えておる」
そう言うと、視線はセシリアからこちらへと逸れ、民の一人が思い出したように声を張り上げた。
「捜索隊だ! 帰って来たんだ!」
「そうか! 竜の侵略と入れ違うように出て行ったから……」
「きっと上で戦ってるんだな!」
歓喜に満ちた声が次々と上がる。その中に、兵士長は見つかったのかという疑問も含まれていた。
捜索隊が出ていたのか。……しかし……。
「剣の類は、竜に効くのか?」
皆とは違い、戸惑いの表情を浮かべている兵に向かって尋ねる。
「鱗の無い腹にしか……効きません」
そこに踏み込むのも容易では無いと、彼は言った。
「多くの
戸惑いは、苦々しい表情へと移りゆく。見れば、他の兵も同じ表情を浮かべ、俯いていた。
期待に瞳を輝かせるのは、戦いを知らぬ民だけ。……その民も、いつしか兵達の雰囲気が自身らと違う事を悟り、同じように静まっていった。
「せめて竜らを傷付けず、全員が無事に此処へ連れて来られれば良いが」
不謹慎とも思える言葉を吐き、私も肩を落とす。
聞けば、これほどの侵略にも拘らず死者は出ていないらしい。
少年と竜はひたすらに“アイツ”を探し、邪魔な人間は次々と此処へ運び込んでいるのだという。
……私とセシリアの善戦は、ともすればヤツらにとってただの茶番であったのではという恐ろしい考えが首をもたげ始めていた。
後の少年の行為がどうであれ、竜は“生け捕る”のが目的であったのではないか。弱者への加減が容易で無かった為に返り討ちに
竜なる生物であるならば炎の一つでも吐けて良さそうなものを、ヤツらはそれをせず……そうだ、こちらの様子を窺っていたではないか。生け捕る好機をずっと……ずっと狙って……。
あの時、闇に光る眼の全てが私達を軽く捻り潰せるものであったと考え至り、この身は静かに
――ドンッ!
それから数刻も経たぬ内に、牢の奥の扉が乱暴に開け放たれる。
誰も、それを助けだとは思わなかったであろう。
「グルゥゥゥゥ」
予想を裏切らず、既に縄で縛り上げられた意識の無い兵士が、唸る竜に
その巨体故に部屋へ入れぬのか、竜はとりあえず牢の前へ次々と兵を放り込んでいく。それが、十数回程度繰り返された時、誰かが全員いる旨を呟いて、落胆とも安堵とも言えぬ溜息を吐いた。
「しかし、兵士長は?」
兵の一人がそう漏らすが、捕らわれた兵が放り込まれる様子は以降見られない。
暫しの間を置いて、あの少年が姿を見せた。険しい表情を浮かべ、無言で牢の鍵を回し、鉄格子の扉を開け放つ。
「お、おい、後一人……居なかったか?」
その姿へ向かい、私の後方に居た男が尋ねる。少年は男では無く私を睨みつけ、低い声で唸った。
「居たら、それがアイツか」
それだけを言うと口を閉ざし、壁際へと控える。同時に奥の入り口から竜の首がぬうっと出で、鉄格子向こうに転がされている兵達をこちら側へと放り込み始めた。
幾人かが彼らの名と思わしき言葉を投げ掛ける。……途中、その中の一人が放り込まれた衝撃により目覚めていた。
「私です! 聞こえますか?」
空かさず、女王が声を掛ける。
「ぅ……殿下……申し訳……ぅ」
兵は苦しげに身を起こし、それでも頭を垂れる。女王はその謝罪に対し、何と言葉を掛ければ良いかを悩んでいたが、何を以てしてもその場の救いになり得ぬと悟ったらしく、ただ顔を上げさせた。
兵は三度深呼吸を繰り返し、応じる。外傷は然程見当たらない。恐らくは私と同じ、急所付きによる気絶だったのであろう。
「彼は、兵士長は見つかったのですか」
「は、はい……、発見は出来たのですが、その、谷底で……クェイグァと見られる竜と共に絶命」
――ガシャン!
突然の金属音により、場に居る全ての者が凍り付く。……兵を放り込む、竜でさえ。
「もう一度、言え」
控えていたはずの少年が鉄格子を叩くように掴み、兵を睨み付けていた。
言われた兵は、自身の口から出た“竜”という言葉に反応しているのだと思い、今一度それを繰り返す。
「ドローム山脈途中の谷底で、竜の長らしき巨体とウチの隊長が並んで事切れていた。……何か、知っているのか?」
今度は兵が質問を返したが、少年は答えず、鉄格子に頭を擦り付け、低く唸る。
…………誰も、何も反応を示さぬという事は、それは本当に小さく呟かれたものなのか。恐らくこの耳にだけ、それを聞き取る事が出来た。
「グルゥゥ」
と、兵を全員収容し終えた竜が少年へ向かい、一鳴きする。
「頼む……」
その唸りの意味を理解出来るのか、彼は返答するようにそう漏らした。
竜はすぐに首を引っ込め、少年は懐から再び牢の鍵を取り出す。
「終わったのではないのか」
施錠を嫌った私は、鍵を差し込まれる直前に言い放つ。無言のまま、その手は止められていた。
「父親が、お前の探す“アイツ”と刺し違えたのではないのか」
「……父親?」
私の言動に、周囲から訝しむ声が上がる。けれど、少年は確かに“父さん”と呟いていた。
自身ですらも一瞬耳を疑った。それを指すものは兵士長か、そうでなければ竜でしか無いのだから。
しかしどちらかと言えば、少年のその空色がかった髪色は、竜の鱗と酷似しているように思えた。
「……確かめに、いってる」
ここから出すのはその後だと、長き沈黙の末に少年は溢した。そしてそのまま、鍵を掛けずに項垂れる。
力無いその様子とは対照的に、人々の表情には光が宿っていた。
……宿っただけで、兵士長の死と引き換えに得られたであろうそれに、誰一人として声を上げ喜ぶ者は居なかった。
「あ……殿下、もう一つご報告が」
と、突然思い出したように、悲報とも朗報とも取れぬ報せをもたらした兵は、再び女王へ向かい頭を垂れる。
「その、谷付近にて洞穴を発見致しまして……そ、そこの箱の中に、数年前に行方を絶った女官の……遺体が……」
「何ですって! ローファが!?」
縛られているにも拘らず、驚く余り膝で立ち……女王はそのまま均衡を崩して前のめりに倒れる。
顔から地に伏すその様は、数刻前の私とよく似ていた。
――ガシャ。
再び、鉄格子が叩かれる。しかし、先程とは比較にならぬ程に勢いの無いそれは、女王を気遣う
「母さん……」
そして、同じように発せられた悲しいその言葉を、私の耳だけが捉えていた。
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