-7- 囚われの主

『……なことを。まあ、感謝はしなければいけないのかしらね。……けれど諦めなさい、その声は届かない。取り込まれた記憶すら、もうあなただけのモノじゃないの。見せるも閉ざすも私の意のまま』


 ……。


『頭の悪い子は嫌いよ。理解なさい。この身は私の為の物なの。流れる全てが私の物。あなたの及び知るところじゃない、私の与えた血の結晶。それがやっと……、…………』


 知らぬ声が、それ以降聞こえてくる事は無かった。

 まるでこちらの意識に気付き、潜んでしまったかのように。


 ……誰だ。まだ、私の中に何か居るのか。この身は本当に、何人宿しておるのだ。


 ……。

 キッドよ、それでもお前は、私にそれらを掌握出来ると謳うのか?






 まるで、既視きしかんを見たような、妙な感覚に苛まれながら視界が開ける。


「……あ、えと……ぉ、おはよう」


 セシリア?

 目の焦点を合わせつつ声のする方へ顔を向けると、襟首に痛みが走った。

 そうだ、確か不覚にも急所を突かれ、倒れたのであったな。

 その時の屈辱を思い出し、顔には苦い表情が浮かぶ。どうやら身体の自由も奪われているらしい。身を起こせぬまま辺りを見回す。


 浅黒い石畳から成る地や壁、部屋を仕切る鉄格子。更には縄で縛られた城の民や、彼等を守るはずの兵や魔道士が捕われている。此処が牢だと理解するには十分過ぎる程であった。


 傍らに未だ眠るキッドを見付け、溜息と共に再びセシリアのいる方向へと首をもたげる。


 すると、彼女より先に、二藍色の髪を後頭部で結い上げた、一人の女性が視界へ飛び込んできた。


「な! は、はうっ」

「……え?」


 手足が不自由にも拘らず急激に身を起こし、そのまま勢い付いて顔面から地に伏してしまう。


「ふぐっ!」


 まさか……まさかそんなはずは! 母上は確かっ……確かに……こ、殺されたと!……キッドも! やつも申していたではないか! その様子を見ていたと!


「うわぁ……」

「大丈夫、ですか?」


 セシリアに続き発せられた声にたび首を起こし、その顔を見る。


「あ……」


 そして今度は、力無く地に顔を埋め、項垂れた。


 そうだ。何も……何も間違ってはおらぬではないか。母上はもうこの世には居られない。それに、相違は……。


「顔、痛かったよね?……おねーさま?」


 女性は優に三十は越えているであろう。

 確かに似てはいたが、十六でその成長を留めたはずの姿とは掛け離れていた。


 そう……理解は出来たが、ひとたび込み上がってしまった悲しみをどうしても抑える事が出来ず、視界を滲ませ、溢れ出す。


「……何か悪い夢でも見ましたか? カーミラ殿」


 眠る間にセシリアが経緯でも語っていたのか、大人びた母の声そのままに、彼女は馴染みの無い名を呼んだ。


 そうか、ダルシュアンの姓を捨てていたのであったな。

 ファルト……ファルト=ウル=カーミラ。……それが今の名。


 冷静に考えながらも、顔を上げる事は出来ずにいた。

 ……涙が、止め無く流れ続ける。乾いた石畳の上に暗い染みを広げゆく。無色透明であるはずのそれは、まるで元よりその色であったかのように黒く、禍々しいものに見えた。


 そうだ、忘れるな。嘆くな。受け入れろ。

 禍々しき運命であるからこそ、お前は此処に居る。


「夢……ええ、その……ようです。……貴女は?」


 一呼吸の間を置き、緩りと身を起こすと、膝に顔を擦り付けて目元を拭う。それでも、その姿を見る度に声を上げて泣き叫びたい衝動に駆られてしまい、何度も何度も抑え付け、必死に押し込めた。


「……。お恥ずかしながら、ここのあるじです」


 こちらの質問に悲しげな笑みを浮かべ、皆と同じように縄で捕われたままの彼女は答える。


 すると、その背後に居たセシリアが同じく縛られた足を器用に使い、異様な速さでこちらへと向かってきた。


「おおおねーさま、何で知らないの!? この方、マリス様! ケトネルムの女王様!」


 小声ながらも叱咤しったするように言われたその言葉に、大いに驚愕し、息を呑む。


「……マリ、ス……ああ」


 そうか、マリス=アイ=ケトネルム。


 自身との関係を思えば、この女性が誰かなどこの上無い愚問。私は自らの口で述べていたではないか。“従姉の姪の姉を探している”と。


 “従姉”……私の伯母だ。記憶が正しければ彼女は……彼女は、母の双子の、姉……。


「ご、御無礼を……陛下……」


 非礼を詫びるつもりが、震える唇により全く気持ちが入らぬものとなってしまう。……否、我が心は既にそこに無かった。


 ……ケトネルム、ケトネルム。何故忘れていたのか。それは、ダルシュアンへ嫁ぐ以前の母上の姓ではないか。


 この地へ降り立った際、キッドに詰め寄られた理由がようやっと理解出来た。

 そうだ、寒冷なこの地ではあるが、それを寒いと漏らす事はこの女王の存在により皆無であるはずなのだ。


 精霊に通じるという事で、彼女はその寒さをある程度抑える事が出来る。全てを覚えていた私ならば、山岳を見上げたあの時に漏らす言葉は恐らく、女王の身を案ずるものであったはず。


 そしてもっと早く、城の異変に気付く事も出来ていたに相違無かった。


「……それでね……」


 三年前の船旅も、お互いの境遇が相まって幼少の頃には会う事も許されなかった伯母の元へ、姪二人で伺うのが目的ではなかったのか。……私は、此処を訪れた事すらも忘れてしまったのか。姉上の失踪は、親族すらも忘れさせてしまえる程の衝撃であったのか……。

 それとも、その顔を思い出せば悲しみに暮れると、頭は少しの間でも忘却を望んだのか。


 今となっては、キッドから無理にでも女王の事を聞き出せば良かったのか、口を噤んだその厚意に謝意を表すれば良いのかを見出す事は出来なかった。


「……ま、……おねーさま!」

「え?」


 セシリアの呼び声により、意識が引き戻される。

 見れば女王を含め、周囲で身を寄せ合うようにしていた城の者達も皆、こちらを見ていた。


「大丈夫? 話、聞いてた?」


 広間の薄暗さに比べると此処は明るいものであったが、彼等の表情はそれに比例してはいない。その絶望に混ざらぬよう、深呼吸で以て心を落ち着ける。


「いや、すまぬ。……何だ」

「城を占拠してる竜、誰かを探してるらしいって」

「信じ難い事ですが、竜を率いているのはまだ年若き少年です」


 女王が引き継ぐように、口を開く。


 ……彼女は、私の事を覚えているのであろうか。この名など、ファルトゥナを知る者にとっては安直極まりない。

 無論、ダルシュアンの現状を知らぬはずも無い。


 しかし、既に王族全員がこの世に存在し得ぬと信じ込んでいるのか、姪を前にしている様子には見えない。竜が城へ侵入してくる事など無かったのにと、苦々しく付け加えていた。


「その少年、恐らくは広間にて視認致しました。一方的に罵声を浴びせ、こちらの話など聞く耳持たぬ様子で……」

「見たの!?」


 話す途中で、セシリアが割り込む。些か腹の立ちそうな間合いではあったが、今、彼女を見る目に怒りが宿る事は無かった。


「めちゃくちゃ速過ぎて見えなかったけど、竜には余裕だったよね。そのおねーさまですら敵わないだなんて……」

「お前が持ち堪えておれば状況は変わったやも知れぬがな。……彼奴め、外に置いていたキッドまでも引き摺ってきおった。倒れた人間を二人同時に守れる程、この身は長けておらぬぞ」


 敗北の悔しさをそのまま言葉の数で言い表す私に、彼女は素直に謝罪する。


「本当に危ない時は逃げるって自分で言ったのにね。早速破っちゃった」


 けれど、生きてその声を聞けた事に、今更ながら安堵していた。あれは殺されても可笑しく無い状況であったというのに、少年は何故振り上げた剣を下ろし、生かす事を選んだのか。


「陛下、少年が探し求む何者かとは、現在もこの城に?」

「いいえ、何者かを彼の口から聞く事は出来ませんでした。恐らくは彼自身もその名を知らぬのでしょう。……しかし、数日前から行方の分からぬ者がおります」


 その人物こそが、少年の言う悪人なのであろうか。ならばその者を差し出せば、ヤツらは城を出て行く?


 そうとも思えぬな。……思えぬが、それを切っ掛けに少年を宥める事が出来れば、恐らく……。


 しかし、行方が分からぬとは。侵略を察知して逃げたのであろうか。


「兵士の長を務めていた彼が不在であった……というのは言い訳に過ぎませんが、私では力及ばず、不覚にも彼等の侵入を許してしまいました。貴女方をも巻き込んでしまい、本当に……何とお詫びすれば良いものか……」


 兵士の長だと? 使命ある者が恐れをなして逃げるなど、ダルシュアンでは考え難い事だが……。それを実行に移すような輩であるからこそ、あの少年に追われる所以も存在し得るのか。


「お気になさらないで下さい、マリス様。これでもあたし達、結構善戦したんですよ。もしかしたら次は勝てるかも……ね、おねーさま?」

「私単独で望めば、それも可能やも知れぬな」


 適当にそう返し、また思索にふける。セシリアは不服そうに頬を膨らませていたが、その冗談を真に受けているようであった。


 確かに、倒せば済むように思える。けれどそれでは……あどけなさ残すあの顔に、永遠の怒りを灯してしまう事になる。


 少年さえ止められれば城は解放されるやも知れぬというこの状況で、戦いの繰り返しは無謀だ。しかし、あの突飛とっぴな思考ではこちらが何を言おうとも“悪人の戯言”とされるだけではないのか。


「…………ふぅ」


 そこまで考え、深い息を吐く。目覚めてから思案と予測ばかりで、少し疲弊しているようであった。


 ふと顔を上げ、周りを見渡す。セシリアが宮廷魔道士らしき者達と、縛られた体勢のまま作戦会議なんぞを練っていた。


 ……あの縄、術で何とかならぬのか? 唱える口は言わずもがな、手印を結ぶ隙間位は確保出来そうなものを。……自身の牙で解く事も可能だが、この場でだけは変貌も覆面を取る事も避けたい。


 魔道士達の作戦会議は、饒舌に動くその口のように円滑に進んでいる……という訳でも無かった。


 それもそうだ。城の精鋭部隊でも敵わなかった相手に、小娘が一人増えたとて、太刀たち打ち出来るとはお互い思うておらぬであろう。


 彼女の術は確かに効果あったが、短時間の間にほとんどが回復していた。他にどのような術があるのかは知り得ぬところだが、あの巨体相手にそう多くは望めまい。


 氷の竜ならば苦手と思われる火炎の術も、まさか城内で放つ事など出来ぬであろう。


 ……。

 予測するのが億劫だと辺りを見回せば、今度は否定ばかり。

 顔を俯け、口からは更に深い息が漏れる。視界の端に、今尚眠るキッドが映った。


 既にその身が昏睡に陥ってから、かなりの時間が経過している。


「お前なら、この状況をどのようにして切り抜ける?……我が力を凌ぐ魔道士よ」


 挑発染みた言葉を吐き、私は自嘲気味に笑む。

 此奴ならば容易く火を操りそうだなと、かつての得意げな表情を思い浮かべていた。


 だが、口にしたそれは挑発でも、ましてや助言を乞うた訳でも無い。ただ目覚めを願うだけの、細やかな嘆きであった。



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