-5- 氷の城

 一刻も早くこの寒さから逃れたいという焦りが、私達の思考をどんにしていた。


 大扉を掛け声一つに開け放つセシリア。施錠も無いのかと無用心を嘆き、後に続く私。その様は余りに不作法かつ無防備であった。


「暗っ。誰かいな……いらっしゃいませんかー?」


 昼を思わせぬ程薄暗い城内へ、言葉を改めセシリアが声を響かせる。

 返事は無い。高い位置に配された要所のしょくだいだけが、ただ静かに闇を照らし出すのみ。しかしろうが切れかけているのか、その灯火は全く役に立っていない。


 その淡い灯りの中でも辛うじて、不規則な配置で不必要な程の白い柱が建っているのが見えた。

 大人二人分程の高さはあろう白い柱。……いや、像?


 城を支える配置では無い事は明らかだ。それに、柱の中央から下へ向かう部分はわいきょくしているように見える。

 闇に目が慣れていない為か、燭台の光があまり届かぬ下部の暗がりは、朧げであった。


「……ゥゥゥゥ」


 と、唐突に。

 左右にあった柱が地の底から湧くような低い音を立てる。


「っ、……セシリア!」


 警告の類を、この口は伝えたかったのやも知れぬ。

 しかし、余りの光景に、上擦る声でその名を叫ぶ事しか出来なかった。


「うっわ、外より冷たいモノ……感じちゃった」


 現実からの逃避故か、前方を行く彼女の口からは場にそぐわぬ冗談が飛び出す。

 両者共に目線の先は白い柱。その遥か上部が点々と光っていた。


 それはまるで、闇夜で光を反射する獣の眼。

 通常よりも遥かに大きいそれは、燭台の灯りをも閃光のように映し、私達を“見る”。


「出るぞ!」


 踵を返し、先程まで不平不満を募らせていた雪空を目指す。しかし、すぐさま入り口は阻まれ、暗雲を背負った巨体が揺らめき、激しく咆哮ほうこうした。


「グルガァァオォゥ!」


 瞬く星の如き無数の眼がそれに応えるよう、たけりと共にこちらへ降り注ぐ。


 ……紛れも無く、それは竜の群れ。

 寒さと疲弊故にあんと成り果てていた私は、此処に行き着くまで目にしなかったそれが目的地に集中しているなど、微塵も予測してはいなかった。

 この城が港よりも近く、最短で食料が得られる場所であるにも拘らず。……否、微塵も思わなかったのは、竜如きが城の護りを破る事など敵わぬと確信していたからだ。


「ガウゥゥゥ!」


 ドルクスの怪物とは比べ物に無らぬ程の巨体に、思わずたじろいでしまう。自身のおごりを呪わずにはいられなかった。


「フローズンシャワー!」


 しかし、背後から躍り出たセシリアは怯むどころか、先手必勝とばかりに術を放つ。


「多分効かない! 走って!」


 言われるまでも無く、術と同時に駆け出していた。怯む身であろうと、本能は訪れるやも知れぬ好機を常に探っていたようである。


 術は、阻んだ竜に少なからず隙を作った。そのまま掻い潜れるか否か。

 しかし周りの竜も、一度招き入れた獲物をそう簡単に逃がす気は無いらしく、民家にも匹敵する巨体が更に増えては強固な壁を作った。


 潜るには危険な鋭い爪や太い尾が、突破などさせるものかと私達を待ち構える。それだけでは飽き足らぬのか、大きく翼を広げ、威嚇の咆哮を城内へと響き渡らせた。


 そして、氷の竜と称されるその身に同属性の術を当てるなど、暖炉に薪をべるようなものであるのか。セシリアから放たれた氷のつぶてはヤツらの気を一瞬逸らしただけで、すぐにその巨体で受け止められてしまう。僅かに期待した打撃すらも、硬度の高そうな鱗を前には綿も同然であった。


 その様を予測していたはずだが、後方に続くセシリアの足音が止む。それが戦慄せんりつで無い事を信じ、私は構わず駆けた。


「首を引け! こうべを垂れさせろ!」


 助走を付け、大きく跳ぶ。竜から顔を背けぬまま、その巨体へ浴びせるように叫んだ。

 次の瞬間、竜がその命令を聞き入れたのかと思う程に低く頭を下げる。無論そうでは無い事は、その首に巻きついた鳶色とびいろの鞭が物語っていた。


「恩に着る!」


 彼女の手に鞭が握られる確率は、高いとも低いとも思えなかった。

 半ば投槍に放った望み。それが最高の形で叶い、知らず笑みを浮かべていた。


「誰を探してるのか、後で教えてね!」

「……は! これが借りならば、それ以外の形ですぐにでも返せるわ!」


 巻かれた鞭より半歩ほど離れた箇所を二、三踏み付け、阻む壁の向こう側へと降り立つ。そのまま一目散に外へと駆け出した。


 離れて間も無く、風を切る鋭い音とセシリアの不敵な笑い声が耳に入る。多くを期待してはいなかったが、自身に集中させる術でも唱えたのか、こちらを追う竜は居ないようであった。


 願っても無い事だとすぐに直角へ方向転換し、辺りを見回しつつ足早に城の壁際へと寄る。

 入り口から顔を覗かせ、深く詮索せんさくせぬ限りは此処に目が届く事も無い。抱えていたキッドを下ろし、そっと城壁へもたせ掛けた。


 ……脚力には自信がある。セシリアに助力わずとも、普段の私ならば、あのような高さなど物ともしなかった。

 無論、腕にも自信はある。けれど、片手であの数を制圧するとなれば、少し話が変わる。加えて、意識の無い者の身を庇いながらなど……それほどの自信を持ち合わせてはいなかった。


「すぐに戻る。少し寒いが、お前はこの程度で参る人間では無いと……信じておるぞ」


 水晶色の髪が、数歩離れた吹雪の風を僅かに受け、その青白い頬を撫でている。

 一刻の猶予すら無い様に思えた。


「キッド、……ぁ、り……」


 すると、何故か唐突に、言えずにいた言葉を振り絞ろうとしてしまう。


「……ふ」


 けれど、渇きをも引き起こしかねぬ記憶が脳裏を掠める前に、止めておいた。


「意識がある時に聞かせてやる。別の言い回しを選ぶ事も出来るというに、私をここまで意固地にさせたのだ。目覚めぬは罪と知れ」


 死ぬ事は許さない。……言い様は違えど、そう語っていた。

 今この場で、死という言葉を口にしたくはなかった。


「それと、靴は返しておく」


 言いながら、荷物袋に入れていた自身の靴に履き替え、ブーツを返却する。……思えば、走り辛い身であるにも拘らず、最低限の脚力を活かせたのは本当に幸いであった。


 代わりに巻いていたヤツの衣類を剥ぎ、ブーツを履かせ終わると、踵を返してすぐさま城内へと向かう。

 あの巨竜共を前にしても笑みを浮かべたセシリア。それは勝機への確信か、ぼうの成せるわざか。技は磨かれているようであるが、前者とは考え難い。


 開け放たれたままの入り口へと駆け込み、蠢く巨竜共の背に一喝いっかつした。


「爬虫類相手にこの私が逃げると思うたか! 愚物め!」


 百の眼が、一斉にこちらへと向き直る。それには目もくれず、口上を並べたままセシリアの姿を求めた。


 蛍光色の強いその影は、薄闇であろうとすぐさま視界に入る。地に伏してこそいなかったが、肩で荒い息をし、その身に見合わぬ程の竜共と対峙していた。


「おかえり。ちょっと……ん、かなりくじけそうだった」


 私の一喝によりヤツらの気が逸れ、彼女に深く呼吸する間を与えたようだ。それが自身への活となったのか、今ひとたび腰を落とし、顎を引いて鞭を構える。


「数分でも持ち堪えるとは思わなかったぞ。シェラムの女は印象に違わずおてんだな」


 傍らには倒したと見られる何頭かが時折り発光しながら呻いている。恐らく、雷の術とやらによるものであろう。それが彼女にとって、竜共を打ち負かせられる唯一の方法であると予測出来た。


 しかし、術による疲弊が激しいのか、既に目の据わり方が尋常ではない。彼女自身は鞭に自信があったと思われるが、あの巨体と硬い鱗の前では効率良く通用するはずも無い。援護程度の足止めが限界であろう。


「ふ、借りは此奴らの殲滅を以て返す」


 肩に掛かるマントを背中へと流し、指を鳴らす。


「さあ、氷の竜よ、来るが良い! 私が相手だ!」

「あ、ずるい! 美味しいトコ全部持ってく台詞じゃないっ。……あたしもまだまだやるんだからね!」


 落ちそうな瞼は睨め付けへと変わり、セシリアも負けじと鞭をしならせ、術の詠唱に入る。それを確認した後、私は前方を阻む竜に意識を集中させた。


「グゥルゥゥ……」


 自身よりも遥かに小さい相手でも、無駄に飛び掛かろうとはしない。勢いだけで動くような卑しい賊よりも遥かに賢明であった。


「ならば、こちらから」


 静かに言い放ち、低く構える。

 私……否、ヤツには時間が無いのだ。呑気に対峙する事など許されぬ。


 瞬きの後、小さく息を吸い、一気に地を蹴り出した。

 自らが生み出す風の音が、耳元で小さく鳴り響く。その音を聞いたのもまた束の間、竜の腹中でひとたび動きを留めると、強く拳を繰り出した。


 途端、竜が苦しげに呻く。腹の面積に対して余りに矮小な手ではあるが、鬼の力はその巨体の呼吸を奪う程には圧迫出来たらしい。


 だが、それらに関心がある訳では無い。これはただの確認。そして文字通り好感触なそれに、僅か口角が上がっていた。


 伝い来る質感は、甲殻にも勝る硬さ……などでは無く、柔らかな肉の皮。

 拳を引き、素早く覆面を下げると、その肉厚な腹に思い切り歯を立てた。


「! グルァォォ!」


 周囲で唸るヤツらの声よりも一際大きく、その竜はえる。私は、噛み千切った肉片を下品な音と共に吐き捨て、しゅに染まるその箇所を見た。


「良い色だな。種は違えど、その身に宿すものは同じか」


 そして、まるでグラスから口内へ移すかのように竜の腹を吸い上げる。面白い程の勢いで、液体が喉を通った。


 懐に長く居過ぎると反撃を食らうやも知れぬと、一度その場を離れる。腹に開いた穴は拳にも満たぬ程度。全く致命傷にはならぬが、圧が掛かり、どろりと愛おしい赤が湧き出ていた。


「中々、酒煙草に汚れた人間のモノよりは美味だぞ」


 加えてその巨体にも即刻毒が回るのか、竜は二、三歩よろめくと、轟音と共に前方へと倒れ込んだ。その様に、予想よりも早く戦いが終わる事を確信し、先程よりも強く口元を引き上げる。


 そのまま再び踏み張り、地を強く蹴りて次の竜へ向かい、捉えられぬ俊足を見せた。


 我が姿を視認出来る人物が居たのならば、この顔は歪な笑みを浮かべ、狂気染みているように見えたやも知れぬ。……何とも愉快な勘違いか。それは、早急にヤツの元へと戻る手立てを得られたが故の破顔であったというのに。


 二体目の腹を食い破ると、やつはすぐに捨て置き、踊り狂う鬼と化した私は次なる獲物へと突き進んでいった。


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