-4- 雪の旅路

 昨日の段階で、港から五時間程度は歩み進めていたらしい。徒歩を嫌うキッドであったが、セシリアは飛翔の術を扱えず、二人も抱えては長く飛べぬという事であの場での野宿に至ったのだとか。


 出立後すぐに、森は急斜面を展開した。空気は格段に冷え始め、雪という白い粒が辺りを見舞う。


 一時間程進むと森を抜け、一面を白く覆われた山道が広がる。突き立てられた柵を頼りに、更に二時間程歩いてようやっと、変わらず雪道ではあるが斜面なる場を越えた。


 セシリアの空腹により一旦休憩を取る事となったが、森とは比較にならぬ程の寒冷な気候が、容赦無く私達に襲い掛かる。昏睡状態の者を雪の上に置く訳にもゆかず、動いている方が温かいと言う事で早々に切り上げたのだが……。


「お前は……静かに出来ぬのか」


 もはや三度目となろう台詞を繰り返し、私は擦れ下がってきたキッドを抱え直す。


「旅は楽しくするものでしょ? あたし今その努力中」


 懲りずに同等の返答をし、一歩先で深い雪を踏み締めるセシリア。翡翠色のマントを深く羽織るも、痛感する寒さにその身を震わせている。


「それに、こんな寒いトコ……黙ってたら死んじゃう」


 だからこそ集中して目的地への早期到達を望んでいるのだが、確かに寒いという事だけは同感であった。

 凍える足に我慢出来ず、キッドのブーツを勝手に借りている程である。寸歩は合わぬが、足首も満足に保護出来ぬ自身の靴よりは遥かに良い。


 つくづく、私の格好は旅路には適さぬようであった。


「で、この旅の目的って何なの?……言っとくけど、さっきみたいに“ミミナガバナネコ探し”とかやめてね。笑えないから。……あと、それの“親戚”ってのもやめてね。余計寒くなるから」


 自身の体やキッドの背に積もった粉雪を振り払い、彼女は四度目の質問を投げ掛けてきた。

 対し、降り掛かる雪など気にも止めず、私は一歩、また一歩と雪原を進み行く。マントで覆われている箇所ならば全く寒さを感じ得ぬのだが、この男を抱えねばならぬ手前、隙間無く纏う事も儘ならない。……とにかく寒い。


「……仕方無い、二度は言わぬぞ」


 長き沈黙の末、再度キッドを抱え直し、吐き捨てるように言う。……少し深めに、息を吸い込んだ。


「ミミナガバナネコの飼い主の親の従弟の親友の兄の姪の息子の従姉の姪の姉を……探している」


 一息に吐き、ちらと彼女を見る。口をへの字に曲げ浮かべるは、やはり呆れ顔。


「もー! 今度は“飼い主”って言った! どうせミミネコ関係無いんでしょ?……もういいよ、誰かのお姉さんを探してるって事は分かった……」


 けむに巻かれる事を予想していたのか、一言一句聞き逃してはいないようである。それが分かればもう良かろうと、私は僅かに肩を竦めた。


「何でそこまで教えたくないかなぁ。忘れた頃にまた訊くけどさぁ」

「二度は言わぬと念を押したはずだ。……それより、私が眠り付いているというに、何故昨日は大事を取って港に留まらなかった?」


 黙るとまた無駄口を叩きそうなので、今度はこちらから問い掛ける。


「可能な限り歩み進めるのは良いが、足手纏いを抱えていては満足に動けぬであろう。加えて野宿など、寝込みを襲われれば一溜りも無かったやも知れぬのだぞ」


 キッド曰く、宿と決めたあの場所は、寒いこの地の中でも“最良部分”であったらしい。周囲よりも低く平坦。故に水場となる池も出来る。風も通さず、宿では体感出来ぬ広々とした入浴も可能……という事なのだそうだ。


 結局、暖め直された池に浸かる事は無かったが。

 しかし入浴は良いとして、固い土の上では落ち着いて眠る事など不可能だ。城をでてからは安眠した記憶も無いが、それでも野宿となる理由には至らぬはずであった。


「だって、宿屋さん店閉めてたんだもん。営業してると竜に真っ先に襲われちゃうんだって。他人の家に上がり込むのもヤだし、おにーさまが結界張るって言うからあの場所にしたんだよ。……それに、野宿ってのも旅のだいじゃない? ふふっ、実は二つ返事で了承したんだよねー」


 寒さに鼻を赤くしながら、“憧れの旅を満喫する少女”は緩んだ笑みを浮かべる。

 しかし、結界とは……いつぞやの窓枠を踏んだ際に弾けたアレの事か?


「あのような儚き膜、ただ侵入を知らせるだけで何も護れぬぞ。……それ以前に、この男は昨晩“結界を張らなかった”と言うておったが」

「えー、張ってたよー? 広範囲にどどーんと。確かに護りの結界じゃないけどね。その結界だとおにーさまが眠れないし……ていうか、知らせてくれるだけで十分……ふふ」


 と、不意に不気味な笑みを浮かべ、視線を在らぬ方向へと漂わせる。

 ならば、此奴のあの言動は“私に対しての結界を張らなかった”という事か?……いずれにせよ良い気のせぬ話だ。


 しかし、どうやら“結界”というものにも種類があるらしい。ヒトの手から如何にしてあのような力が生み出せるのか……全く、面妖な。


「でも、昨日も言ってたんだけど全然出てこないね、竜」


 妄想は済んだのか、手を擦り合わせながら心底残念そうに漏らす。

 確かに、降り立つのに許可証が必要であったとは思えぬ程に何も居ない。緑の地のような魔物も住まわぬのか、この地では未だ害の無い小動物しか確認していない。


 遭遇したとて、抱えた此奴と極寒の中では、私ですらまともに動けぬであろうが。


「それより、いくら何でも起きなさ過ぎじゃない? ちょっと浮かせただけなのに派手に転げちゃってさ。こんなに大きいのに体鍛えてないのかなぁ? 自信家だから、冗談でも少しは強いと思ってたのに」


 背後へと回り込み、恐らくはキッドの頬を軽く叩きながらそう溢す。標的の意識がどうであったかなど、月明かり下では把握する事も出来なかったのであろうか。


「大きな結界はすごいと思ったけど、魔道だけの軟弱男はヤだよねー。……ていうか普通、そこまでの魔道士ならもっと応戦しない? 氷塊には火炎の術で返すとか、雷の術を放つ瞬間に打ち消すとか……カッコイイ展開期待したんだけどなぁ」


 陥没した地面には血の気が引いたものだが、確かに火炎の術とやらは得意としていた。魔物以外を燃やさぬよう制御する様に自惚れておったな。


 ならばやはり、あの術はこの男に相応であったのだろう。……しかしこの娘、止めなければ“雷の術”を放ったのか?


 寒さ故の身震いが、未然の恐怖を無駄に煽っていた。


「そういえば、マント投げたりしたのはどうして? それはもう……凄いトコロまで晒しちゃってさ」

「……」


 唐突に核心を突くその言動に、またも背筋が凍り付く。

 思わず目を見開くが、背後でキッドをつつく彼女に動揺を気取られる事は無かった。


「……地に打ち付けられた時点で……此奴の意識は失われた。例え許されぬ行為を働けど、それ以上の報復は過剰と判断したまでだ」


 言葉を選びつつそう返すと、彼女は背後から飛び出し、勢い付いたままこちらの顔を覗き込んできた。


「過剰っ!? そーかなぁ! だって一生モノの傷になるんだよ? あたしだったら二度と悪さ出来ないように切り落としてやるわ」


 怒りの形相で、令嬢とは思えぬ言葉を吐く。それに返す言葉を見つけられず、顔を押し退け、無言で雪原を突き進む。


「……あれ、それとも何? 実は邪魔しないで欲しかったとか?」

「戯けが。黙って歩け。言葉が過ぎるようであれば、この先の旅はお前一人となるぞ」


 同等の意味合いで、遂に私は四度目の台詞を言い放った。

 するとセシリアは、ふーんだの、へーだの、妙に弾んだ声色で思わせ振りな相槌を打つ。……四度目の返答は、実に気分の悪いものであった。


「んふふっ、もしかして、赤くなってたりするぅ?」

「……貴様」

「ぅぁはい、嘘ですごめんなさい。旅はしたいけど一人はイヤです」


 わざわざ足を留めて向き直るこちらの本気を感じ取ったのか、即座に非を認める。


「おっかしいなぁ……一般の十六って言ったら、もっと恋の話題とか楽しむお年頃なんじゃないの……?」


 しかし、歩き始めればまた、ぶつぶつと小言を述べていた。

 ……。


 ――「エルーダ家の御子息がお声を掛けて下さったのよ!」

「素敵よね、流れるような金髪に、あの笑顔」

「わ、私は、御付のレダ様も素敵だと……」


 かつて、近い歳であった侍女等が世話の傍らそう話していたのを思い出す。確かに、その話題については尽きる事が無かった。


 ――「姫様はどのような殿方とのがたをお好みに御座いますか?」

「クリエット家のマイルズ様等……とてもしんな御方で在らせられますよ」

「興味無い。無駄口なんぞ叩かず早うせぬか」


 しかし、それは彼女達だけの話で、客人へ姿現さぬ私が参加するはずも無かったが。

 例え語れる口があったとて、そう易々と想いを紡ぐ事など出来ぬ身分である。


 そうか、ならばその身分から解放された今こそが、他聞を憚らずに想いうたえる時ではないのか。


「……」


 けれど、万一にでもセシリアの耳に入る事を嫌い、胸の内だけでそっとその名を呟く。

 ……背中越しでキッドが呻いたような気がした。


「あ、お城見えてきたよ!」


 目覚めたのかと振り返る私の背を、セシリアが急かすように強く押し出す。その勢いで一瞬均衡を崩し掛け、振り向けた首を再び前方へと戻した。


 見遣れば、いつからそこにあったのかと思う程近い距離に、薄らとそれが聳え立っている。雪とやらが先程よりも激しく吹き荒れていた為に、視界が悪くなっていたのか。


「もっと吹雪くかもしれないし、早く入れてもらおう!」

「同感だな」


 まだ早い内に城へ辿り着けたのは、もしかすれば幸運なのやも知れぬ。これ以上酷くなってしまえば歩く事も儘ならぬのではないか。

 歩みを速め、鈍色にびいろの空に覆われる城へと急ぐ。背を押されていた事もあって、城門へはすぐに辿り着いた。


「衛兵は居らぬのか? 門も開け放たれているようだが」


 竜が徘徊すると言われている時に、最低限護られるべき城門にそれは無く、更には招くかのように大きく開かれている。


「……ょおうさ……ぜでも引い……な?」


 こちらの疑問に答えているのか、セシリアが首を傾げつつ呟く。が、鳴り響く風の音に掻き消され、断片的にしか聞き取れない。


「とりあえず入ろ。きっとこの寒さだから、みんな中の守りを固めてるんだよ」


 最初の呟きは聞かせる為のものでは無かったのか、次いで明瞭な声でそう言い放つ。無人の門など訝しき事ではあったが、ダルシュアンとは策が違うのやも知れぬ。

 寒さに耐え切れず駆け出す彼女の後を、私も早足で追った。



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