-5- 交わらぬ想い

 冷えゆく頭の中で、重力の変化を感じる。

 その上、突如身が浮いたかと思えば、背面を柔らかく受け止められる感触。ようやっとの解放に、咳込みながらも大きく息を吸い込んだ。


 光の戻り始めた視界に映るは石造りの天井。何事かを思うのと同時に水晶色の髪も映り、腿に重みが掛けられる。


「な、に」


 明滅する脳内。その表情を読み取る前に、再び首元が覆われた。鼻先が触れるのと同じくして、額から頭頂部へ髪を流すように撫でられる。


 次いで頬、首、肩、腕へと順に掌が伝い、最後に両の手が指へと絡まる。柔らかくベッドへと押し付けるそれは、しかし縛められているようでもあった。


「一層の事、継いでしまうのも悪かねぇよな」


 首元では不穏な言葉と吐息が肌を擽っていたが、突如吸い付き、音を立てながら胸元へと滑り込んでくる。


「! そん、な……こと」


 背けるつもりで彼の頭とは逆へ顔を向けると、まるで待ち侘びていたかのように唇は再び首筋へ上がり、熱を帯びた舌がみみたぶの裏を這う。途端、一際大きな声が上がってしまい、羞恥で我に返った。


 押し退けようと手に力込めれば、絡まっていた指が瞬時に離れて手首を掴む。そのまま枕元まで上がって再び、今度は強く押し付けられた。


「痛っ……キッド、駄目だっ……お前まで継げば」

「砂地での俺は、やっぱりアレンなんだよ」


 首を覆われる中、言葉は遮られ、左胸に微かな感触が宿る。


「欲深い上に意固地、いつまで経ってもガキのまま」


 いつの間に縛めは片手で行われていたのか。もはや確認すら躊躇われるそれは、徐ろに衣服を縁から引き下げているようであった。


「は……」


 首でなければ、その口は何処に喰らい付こうと言うのか。


「奥底で渦巻いてるモンが恐ろしいよ。ケトネルムでどう考えてたか、もう思い出せねぇんだわ」


 下着が露となり、刺繍をなぞるように指が添う。先端に近しいその箇所は、薄布を隔てようとも過敏に感触を伝える。


 心臓に寄れば格段に違いが見られるなど、ヒトには知り得ぬ情報のはず。其れと成れるかは別として、色濃く味わえるのは確かであるが……私でもその箇所を躊躇うのは、腕より吸い付き難く、加えて両者諸共確実に酷く汚れてしまうからだ。


 それに、牙が無ければ的確に穿てぬ。刃物も持ち合わせぬ今、渾身の力で肉を破るしか方法が無い。


「お前が行ってしまう事も、端から分かってたはずなのにな。……やっぱり、いざ直面すると駄目だわ」


 怖気立つ心が、彼の言葉を遮断しようとする。

 都合の良い毒牙など、ヒトには無い。恐らく、激しい痛みだけが伴う。


「キ……」

「こっちに傾いてる内なら、いいよな」


 首元で話し続けるそれが、僅か離れる。突然縛めを解いては髪を撫で、頬に触れていた。


 未知の恐怖に苛まれながら恐々そちらを見れば、何とも切ない色を宿した紺碧が間近にあった。

 赤みが増しているように見える。……潤んでいるようにすら。おおよそ喰らい付かれる脅威など、認められぬのではないか。


 解放された手元ですべき事があったはずだが、気付けば水晶色の横髪から後頭部へ、まるで慰めるように指先を伸ばしていた。


「ファルト」


 それごと手が絡まり、彼の口元へと引き寄せられる。甲を陰に、小さく息を漏らしていた。


「好きだ」


 そのまま、目前の顔が更に近付く。


「俺、本当に最低なんだよ。……それでも、お前を愛してしまったんだ」


 唐突過ぎる言葉の意味を反芻させる間も無く、視界の全てがその影で占められる。呆けるように開かれた口に、いつの間にか彼の唇が重ねられていた。


 頭が追いつかぬまま流れる有様に、緊張のようなとろけるような、全てが入り乱れてよく分からない感情が押し寄せる。


「んんっ……」


 触れるに留まらず、食む。少し離れたかと思えば傾きを加えて再び吸い付く。微かな音を立て、ついばむように降り注いでいた。


 この身の起こりを認めれば、顔の熱が際限無く上昇してしまう。まるで夢物語の如き情景にどう対処して良いかも分からず、耐えるように目を閉じる。果てには呼吸の間合いすら忘れ、見計らう事も出来ずに大口を開いてしまった。


 顔も背けられぬまま慌てて息を吸い込めば、その唇ごと彼を迎え入れてしまう。はぷ、と妙な声と共に急ぎ閉じようとした瞬間、散々この身を這ったアレが、今度は口内へと侵入し始めた。


「!」


 途端、何よりも不気味さに囚われる。まるで喰われるように塞がれた口のまま意味不明に声を発するも、聞き入れたくも無い喘ぎとなり、向こうの動きを加速させる。


 舌を引けども執拗に追われ、一度触れれば深く吸い付き、幾度も絡ませてくる。水音と混じり合う吐息が、羞恥を生む程に大きく響いていた。


 息苦しさに加え、昇り続ける熱に頭が締め付けられるような感覚に陥る。強張っていたはずの身は、腑抜けたように脱力する。おおよそ想像だにしていなかった生々しさに、全身が粟立つようであった。


「ふ、むぅ……ま……ひッド、待ひぇ、はっ、お願――」


 情け無い様を晒しつつ、無我夢中でその頭を押し退ける。離れども両者の息の荒さが際立ち、沈黙すらも許されない。

 手は早々に払い除けられ、最後に大きく溜息をついてこちらを見つめる紺碧があった。


「……あ、ぅ」


 制しはしたものの、言い立てる言葉も見出せずに目が泳ぐ。

 ……違う、いよいよ視線が定まらない。これはやはり、完全に回っている。


「返事はいい」


 掛けられる声に、身が跳ねる。幾度目であろうか、再び大きな手が髪や頬に触れていた。

 いい加減慣れるでも無く、これまでで一番過敏に反応してしまう。


「覚えておいて欲しいとも思わねぇよ」


 降り注ぐ低音が、感覚を助長する。……未だ顔は近い。

 羞恥と緊張で心臓が張り裂けそうなのに、急速な眠気を帯びたかのように瞼は重い。


「ただ、後少しだけ、傍に居てくれれば……」


 消え入る言葉が耳につくのと同じくして、胸元の素肌が撫でられる。どちらとも無く汗ばんでいるのか、湿った感触が這うようであった。


 そのまま、まるで髪でも搔き上げるような軽い動作で下着がおろされる。


「は……」


 咄嗟に腕で覆……えていたであろうか。まるで他人事のような感覚が、徐々に身を支配していく。頭が追いつかぬままに、今度は裾へ手が入り込んでいた。


 どういう動きをしているのか、いつの間にか帯が緩められ、下方に手が掛かっている。抗う間も無く膝下まで肌が晒されてしまった。

 伸し掛かられていたはずの腿は解放されていたが、鈍重と成り果てた頭は何の命も下さない。


「やっ、う」


 制止の言葉すら吐けず、ただ乱れた息だけが漏れる。


「なんか、さっきからお前……もしかして、血で? そんなに残るモンなのか? 夜通しは言い過ぎだけど、さすがに今朝は呑んでねぇぞ」


 露となった腿に、やはり汗ばんだ掌が這う。裾を彩る薄紅の衣服の下にまで指が届き、堪らず最後の力を振り絞るかのように脚を閉じた。


「まあ、鈍くなってるくらいで……丁度良いかもな」


 腿の手は早々に離れ、次いで腕へと添えられる。退かせるでも無く押し入るようにその下へ潜り込んで、遂には素肌に触れる。もはやこちらの抵抗など何の形も成してはいないようであった。


「ふ……あ」


 不規則な吐息が、その激しさを増す。自身の腕の下で一際大きな掌が緩く蠢いている。かつての朝にもそこを包まれた事はあったが、それよりも鈍く這うような感覚を伝える。余り認めたくは無いその様と、重くなる瞼に耐えられず、目を閉じてしまった。


 我が腕を退けて柔らかく形を変えられるそこは、程無くして周囲に髪と吐息の擽りを置き、更なる熱を以て先端へと集中する。鈍れども、不意に思い出したかのように身が跳ねた。


 昂りを宿しつつ、意識だけが徐々に遠ざかる。ひとたび閉じてしまった瞼は頑なで、どれほど熱を与えられようと開く気配が無い。


「キ、……ド」


 乞うように放ったそれに、声は乗せられていたであろうか。

 翻弄される身体を置き去りにして、けれど心地良さに委ねるように、落ちてはならぬ闇へと引き摺り込まれる――






 遠い。

 しかしまるで、警鐘の如き痛みが脳内を駆け巡る。


「        」


 遠く。声がする。

 呻き声のような、はたまた嗚咽にも似た何かの。


「ファルト」


 遠くへ……全てを押し遣る中、その声だけは目前で放たれた。

 それと同時に、少しだけ意識が引き戻される。


「キッ……」


 振り絞るように吐くも、声ならぬ音により阻まれる。


「        」


 再び漏れ聞こえたそれは、自らが発しているに他ならない。次いで湧き上がるは鈍く疼く熱。……律動を伴う違和感。眩暈を覚えるようなそれに、またふわりと意識が遠ざかる。


「ずっと、訊きたかった事がある」


 定まらぬまま捉えるその声の、なんと切なく小さき事か。


「おまえの中に、……俺を」


 ひやりとした吐息が首元を擽る。僅か詰まらせ、次第に早くなっていく。それを冷えと感じられる程、この身は汗ばんでいるようであった。


「知ってるやつが居る、よな」


 恐らくは伏せられている顔。くぐもる声。

 背を丸め、肩を小刻みに震わせ、必死に耐える様。


「応えてくれ」


 ああ、また、


「シェーラ」


 泣いているのか。


「俺は、どうしたら……」


「……ふ……くぁ」


 石のように重い腕に、力を込める。

 感触だけで探り当て、乱れ解けるその頭を撫でた。


「い……しょに、いこ……キ、ド」


 呂律の回らない声音は、まるで酷く使い潰したかのように掠れていた。


「お前、気が付いて……」


「わ、たしも……愛して、る」


「…………は、なんで、だよ」


 力の許す限り後頭部を伝い、背へと手を滑らせる。我が身と同じくして冷えているその体温は、とても心地良く感じられた。


「ふざけんなっ、……だって、お前は……お前には」


 身を起こされた拍子に、するりと手が落ちる。

 僅か切なさを感じたのも束の間、瞬時に沸き立つ熱が送り込まれ、口からはまた声ならぬ音が漏れ出た。


「く……だから、素面でないと……信用できねぇって……」


 忘れるように、塗り替えるように、また私の手を取っては唇を寄せる。優しいはずのそれは、けれども意識を削ぐ助長と成り得て……。


 浮き上がる熱と共にふ、と灯火が消えるかの如く、頭はにわかに白んでいった。


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