7.旅と、終わりと

-1- もういない

 これだけ時間を費やせば、あのおぞましい光も見なくて済むはず。

 フードの代わりに手拭いを被り、髪に多く残る水分を拭き取りながら一息つく。


 あの後、セシリアが運ばれるのは見届けぬまま、水浴びをすると言い残して、宿隣にあるらしい入浴場へと一人赴いた。


 丁度混み合う時間なのか、気が滅入る程の人数ではあったが、誰にも気取られぬ長所もある。褐色肌が無数の町故に火の地育ちの肌を懸念したが、旅人も多いらしく私以外にも白さが目立っていた。


 頭部も手拭いで隠れるよう工夫はした。そもそも、余り世に知られている顔でも無い。要らぬ心配だとは思うのだが……。


 部屋の前に立ち、施錠されていない事を確認してから扉を叩く。別の部屋の可能性も考えたが、二階の手前という分かり易い場所など、無意識でもない限り違えるはずも無い。


 ……いや、そうであったからこそ、過った思惑なのだが。


 中からの返事が知った声である事を認めると、密かに安堵しつつ部屋へと踏み入った。


「おかえりー。あたしも今行こうと思ってたとこ」

「大事無いのか」


 思えば、怪我の程度が如何程であったのかは把握していない。特に脇腹辺りを痛がっているように見えたが、そこまで酷いものであったのか。


「大したこと無かったと思うんだけどねー。きっと痛みに慣れてないんだよねー」


 確かに、摂取の際に耐える表情は、同対象のキッドと比べても明らかに辛そうではある。

 しかし、何故あのような光が治癒に繋がるのか。……十字を象るというのも腑に落ちぬ。


 残火のようなものが彼女の周囲をくすぶっている風に思え、僅かに距離を取っていた。


「忌まわしき光め」

「ええっ? いきなり何……あ、そっか、だめなんだっけ。だから先に行っちゃったのね」


 下着や寝間着を出す彼女を横目に、ベッドへと腰掛ける。手拭いを肩に掛けて濡れ髪を掬い、強く押さえた。


「何だっけなぁ、人の形を模してるとかそんなんだった気がする。あの術の印は、大体がそれになぞらえた形ばっか使われてたはず。……あとは力の出所じゃない? 光の精霊がこんな紋章付けてたと思う。実物は見たことないけど」


 光の象徴。闇に生きる我ら一族が苦手とするのも至極当然と言うべきか。


「覚えなきゃいけないとは思ってるんだけどさー、嫌な感じで長いから面倒なんだよねー。今のとこ、簡易版の傷消しで事足りるしさー」


 昼間と同じくして、扱えぬ術の事となると途端に面白く無さそうに話す。


「治してもらっておいてなんだけど、ああいうの好き好んで覚える人って、司祭とかその辺の役職持ちだけだと思ってたわ」


 暗にキッドの事を示唆する所まで、流れが同じであった。


「単に、術を扱う様を気に入っているのだと思うがな」

「あ、分かる。攻撃術の唱え方とか完全に自己とうすい型だよね。……でも、そういう人こそ取り乱した時の姿が格別だったりするのよ。ふふふ」

「……」


 髪は十分に拭き取ったと見做し、手拭いを椅子へと引っ掛ける。後は団子状にでも束ねておくかと鏡を見ていると、背後でくしと髪留めを握ったセシリアが満面の笑みで立っていた。


「それにしても残念、一緒に行きたかったのに」


 手の平で髪油を伸ばし、軽く擦り込む。

 多少引っ掛けながらも手際良く梳かし、大きく巻き上げる。


「広さは十分だが、落ち着けぬ程に混み合っているぞ」


 何度か巻き上げた後に髪留めで纏め、出来上がりと肩を叩かれた。


「それがいいんじゃない。普段そんなの入りたくても許されないよ。……ましてや、本来なら晒すのも恐れ多いモノが目の前に」

「戯け。そこまで言うのならお前も揉まれてこい」


 言うてやると、一際大きな声で聞き返してくる。


「あっ、ひ、……人込みの事だよね?」


 …………。


「別の意味でもそうされれば、お前との出会い頭の不快も共有出来ような」

「ごめんなさい。行って来ます」


 そう言い、一纏めにしていた荷物を手に出て行く。さすがに不要であったのか、お得意の得物は残されていた。


 ……彼女も、一応は目を光らせるであろうか。二、三人は赤髪も見えた気がする。しかし、あの状況で他者を見続けるには、どうしても羞恥が勝る。


 深く息を吐き、暫しベッドへと身を沈める。睡眠は十分摂ったはずだが、妙に疲れた。皆で昨晩のように楽しみたいとも思うたが、どうもそれどころでは無いようだ。


 そろそろ、あの男に訊かねばなるまい。船内であれだけ薄着であったというのに、ここへ来てあのマント姿も妙だ。明らかに人目に付く事を怖れている。……その割には、誰よりも目立つ現れ方をしておったが。


 先程の酔っ払いから察するに、この地に縁ある者と見て相違無い。だが、避けたい何かがあるのもまた事実。

 故郷でそうせざるを得ぬ過去か。余り想像したくは無いな。


 こちらから部屋へ赴くべきであろうが……セシリアが戻ってきてからにしよう。そうで無ければ、彼女も納得せぬはず。


「……」


 何か、聞こえる。ああ、一階の客達か。

 先程の騒ぎは不運であったな。二人に不快な想いをさせ、私一人が密かに楽しんでいたと言えば、非難されるであろうか。


 何かあれば参戦するつもりではいたが、彼奴のように上手く収める事は不可能であったやも知れぬ。

 力尽くが念頭にあっては、それも当然だが。


「ルーナさま」


 ああ、お前。……そうか。やはり居たのだな。


「いっちゃだめだよ」


 今更どうという事は無い。悪いが屈せぬと誓ったばかりでな。どうにかして話し合えぬかと模索していた所だ。船内ではえらく無口だったではないか。


「いったらきっと、戻ってこられない」


 ……聞いておるのか?


「リリス、もうすぐしたらいくよ。でも、ルーナさまは心配。あの人、絶対待ってる」


 おい、誰の事を言うておるのだ。


「ね、遠くへいきましょ。お友達、たくさんできたもの」


 だから、何の、


「ビアンカさま、もうずっと、いないんだよ」


 ……え?


「ちょっとだけなら、リリスもルーナさまと……みんなといけるかな」


 今、何と。


「どういうこっ……」


 聞き返すのと同時に、息が詰まる。苦しさに耐え兼ね身を起こすと、異様な程に鼓動が高鳴っていた。


「は、……夢?」


 確かに、一瞬眠りには落ちていたであろう。思案する内に夢に変わる事など、珍しくも無い。

 しかし、それにしては余りにも……。


「お前、居るなら返事をしろ!」


 思わず声を荒げてしまうも、捉えるのはやはり望まぬ喧噪ばかり。

 否、もはや飽いた。何かの暗示と取るべきだ。そう言えば、騒動の所為で大事な事を忘れている。


 セシリアは……後にするか。

 一人呟き、覆面だけを手に廊下へと出る。開かなければあちらへ赴くと予見し、乱暴に施錠しては奥の部屋へと急いだ。


「……」


 何かの間違いで無ければ。

 一番、聞きたく無かった言葉を、聞いた、気が……。


「ルーナだ。……キッド、ルーナ来た」


 今までも根拠があった訳では無い。今のも、ただの戯言とも取れる。


「おー、行くかどうか迷ってたのに」

「セシィは?」

「いやぁ、まだだろ。女の湯浴ゆあみは予想以上に長いぞ」


 胸が、騒めく。

 体が、何らかの意識を手放そうとしている。

 駄目だ、落ち着け。そう、血が足りていない。

 あの緑のソテー、やはり不味かった。


「首がいい」

「は?」


 もはや必要であったのかどうかも分からぬ覆面を取り去り、椅子に掛けているそれに詰め寄る。


「おおっと、なんか変色してってるぞ……」

「首がいい」


 立ち上がろうとするその肩を強く掴み、留まらせる。


「怖い怖い! 久々にすげぇ怖い! 嫌だ、頼むから今は腕にしてくれ!」


 抵抗するその様が更に胸を騒めかせる。加速する鼓動に次いで、呼吸も荒くなっていた。


「違う、私は正常だ! ただ、今はっ……」

「嘘つけ! 俺ぁ金の目だけは信用しねぇって決めたんだ! 一旦腕から飲めば治まるんだから、首ならそれからでもいいだろ!」


「……ぇさまが……!」


 思わず漏らしてしまったその言葉と共に、唇が震える。

 顔が、くしゃりと歪んでしまう。


「え……?」


 掴んでいた肩を離し、顔を覆う。堪らず後退ると、背後で静かに佇む青年と打つかった。


「ルーナ、飲め。カノンがやる」


 その表情を見る事も無く、振り向き様に首へと巻き付く。一旦首元へ目を伏せ、深く息を吸い込んだ。慣れぬ匂いを覚え止めるように、強く抱き竦める。嗚咽すら漏らしてしまいそうになり、歯を食い縛って耐える。喉が、急激に締め付けられているようであった。


 顔を上げれば全てが押し寄せるだろう。自身への取り込みが先か、これが治まるのを待つかと更に腕へ力込めると、こちらも同じように身が包まれた。


「どうした。飲め。カノンは怖くない」


 無垢な声音が淡々と響く。まるで無意識であるかのようなその行動は、我が身の強張りを緩やかに解いていくようであった。


「…………ありがとう」


 再び深く、今度は呼吸を整えて首元へと唇を寄せる。

 彼はまだ毒には慣れていない。飲める量も恐らく、無いに等しい。

 苦笑を浮かべ、少しだけ吸い上げる。間を置き、収縮により硬くなり始めたそこへ、最後に蓋をするようにそっと口付けた。


「えー……っと」


 縮みゆく背を抱いたまま、顔を伏せる。先程まで回されていた腕は、今や僅か程の大きさしかない。

 もう一度礼を述べ、服を拾い上げてベッドへと乗せる。自身は向かいのベッドに腰掛け、三度深呼吸で気を静めた。


 今はそうだ、混乱してはならない。身体だけを先走らせてはこのような事態を招いてしまう。


「……何なんだろ、これ」

「すまない。醜態を晒したな」

「えっ! いや、大丈夫っ」


 忙しない返事をするキッドを見ると、手が印結びの形で硬直していた。

 疎くても分かる。恐らくは例の術であろう。


「不発に終わったのか」

「あ? と! これはその、つまりっ……うん」


 弾かれたように手を揉み合わせ、開いたり閉じたりと謎の動きを見せる。


「持ってかれたな……」

「何がだ」

「いや別に! あ、戻ったならどこから飲もうが構わないけど!」

「遠慮しておく」

「えええ? なん、……何で?」


 よくは分からぬが、今なら“自己陶酔型の取り乱した姿”が見られるのではと、セシリアのほくそ笑む姿が思い浮かんだ。


「先程は気付かなかったが、お前、酒を飲んでいるな」

「う……ちょっとだけ」

「微量でも味は落ちる。それに、余り多く摂取されると我が身にも酔いが回るという事を覚えておいて欲しいのだが」

「……はい」


 何故か妙に消沈した様子で、かしこまった返事をする。肩を落とし、ちらりとカノンに視線を送り、思い出したように術を唱え始めた。

 少々の間を置いて小さな首元へ放たれたそれは、どうやら私が穿った痕を消す為のものであったようだ。


「もうさ、飲んでないとダメなんだよ」

「? 依存症では無いと見受けるが」


 首を傾げると、乾いた笑いで返される。カノンが横たわるベッドへと腰掛け、被せてある服の上から彼を撫でていた。


「俺、この地が怖い」


 手は早々に留まり、自身の膝へと戻っていく。


「やはり……故郷なのか」

「大まかに言えばそうだな。でも」

「待て」


 話し続けるそれを、セシリアにも聞かせたいと制す。そう言うと、今度は苦笑と共に俯き、目を逸らしていた。


「お転婆には聞かせたくねぇなぁ。自信家おにーさまなキッドくんが……崩れちゃう」


「……彼奴も、そこまで完璧に見ておらぬと思うが」

「ははは。何だかんだであいつとの関係が一番気に入っててさー。……話すと幻滅だけじゃ済まされない自信はあるんだよ」


 船で幾度と無く口をついていたのも恐らくはこれであろう。誤魔化しては来たが、ここへ来て避けられぬと踏んだか。


「底抜けに明るい奴は、やっぱ苦手だわ」


 ……。

 一言呟く度に、その自信が剥がれていくような錯覚に陥る。否、もはや彼自身、そうなのであろう。


「何を話そうとしておるのかは知らぬが、打ち明ける事によって今までの己が保てぬ等と抜かすならば、これ以上聞きとうないわ」


 両の手を後ろへと付き、溜息交じりに足を組む。こうなってはまたセシリアに非難されそうではあるが、どうも踏み入ってはならぬ領域に思えた。


「お前のそういうトコ、ホント楽でいいよ。……んで、そうやって干渉してこない様に、俺はずっと甘えてきたんだろうな」


 顔を上げ、同じように両の手を投げ出し、妙に晴れた笑みを浮かべる。何かが吹っ切れたと言わんばかりの表情であった。


さらけ出したくは無い様だけど、お前となら共有出来そうかなとは思う。ま、知らなくてもいい事ってあるけどさ、放っておいても多分これから先、嫌でも耳に入るんだよ。……そうなってしまうなら、自分の口から話しておきたい」


「……複雑だな」


「そう複雑。でも悲しいかな、もうすぐセシィが戻ってくる。俺、今すげぇ決断を迫られてる」


 そう皮肉ってはいるが、答えは既に出ているように見えた。


「仲間って大変だなぁ」


 紺碧の双眸を伏せ、笑み溢しながら溜息を一つ。

 それと同時に、遠くで施錠を訝しむ少女の声を、鬼の耳が捉えていた。


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