-2- 代弁者

「名はアレキッド、姓はラバングース。歳は永遠の十代……と言いたいところだけど、とりあえず何となく二十一。火の地はダルシュアンで生まれ、砂の地の辺境で育ちました」


 何故か、順を追って最初から自己紹介を、と輝く胡桃色の目を以て乞われ、苦笑と共に普段より低く小さな声で紡がれる。


「そっか、生まれだから」


 火の地の出だと信じ接していたらしい彼女は、それを疑わなかった理由に納得していた。


「母親の事は知りません。父親はどうやらあまり素行のよろしい人では無かったようで、見かねたばーちゃ……えー、祖母が、自分の隠居生活の場へ幼い自分を引き取ることにしたそうです」


「……」


 そして早くも、自身とは余りに違う境遇に言葉を失っているようであった。


 まるで、物語を読み上げるように話すそれは、記憶に留まるどころか、すぐに摺り抜けてしまいそうな程に淡々としている。


「それが、三つか四つくらいの時だっけなぁ。それなりに楽しかったよ。ばーちゃん元宮廷魔道士でさ、色々教えてもらってた」


 物語調に飽いたのか、ぽつりと話し出す。視線は先程から下方へと向けられ、自身の指を絡ませ遊んでいる。


「宮廷ですって? 魔道士としか聞いてなかったけど」

「そうだっけ? まあ、何十年も前の事だしなぁ」


「……ダルシュアンのか」


 五大陸に限定するならば、王宮は二つしかない。そして、それが火の地であったなら。ましてや、前衛と成り得る魔道士であったのなら。……見過ごせぬ事件があったはず。


「王妃が嫁いですぐ辞めたけどな。だから多分、ばーちゃんはその時の国の事情を知らない」


 見透かされたのか、質問よりも多く返答されてしまう。余りに呆気無い答えに、知らず強張らせていた肩の力を抜く。


「先代にお仕え出来て光栄だったっつーのが口癖でね。祖母に代わり、お礼申し上げたいところですが」

「良い。王家を失墜しっついさせた私に掛けられる言葉など、悪罵で十分だ」


 首を振って制すと、下方への視線は僅かこちらへと向けられる。不満を表すように睨め付けていた。


「お前さ、そういう自虐はやめろよな。何がどうだったにしろ、根本的に悪いのは王女でも王妃でもねぇだろ」


 気に食わぬ言い分であろう事は理解出来ていたが、取り下げる気にはならなかった。


「そうその通り! でも今のはおにーさまが悪い! はーい脱線終了! 続けて続けて!」


 脇で突如仰々しく手を打ち、声を張るセシリア。それと同時に、向かいベッドのカノンが小さく鳴く。どうやら気が付いたらしい。大きな欠伸と共にのそりと身を起こす。そして、椅子に掛けているセシリアの姿を見付けると、ベッドの端を蹴り、翼を一煽りしてその膝へと飛び乗った。


「おはよう、カノンちゃん。……そういえば、お祖母ばあ様って今はどうされてるの?」


 慣れた流れなのであろうか。白い手が鼻先から翼の間までを一撫でして、膝から落ちぬよう支え抱く。その上で弧を描くように座り込み、彼は気怠そうに鳴いては再び目を閉じていた。


 ……あの状態のまま、突如ヒトの姿に戻らねば良いが。


「ウィムティ=ラバングース、今年で多分八十八。宮廷魔道士の職から退いたのは確か六十の時。ダルシュアンを離れ、故郷砂の地へ移り住んだその後も、他国の知識を活かして翻訳家の仕事を任されたりもしましたが、目の不自由に伴い僅か四年ほどで離職。完全に孤独な生活が始まりましたとさ」


 何故かまた、不慣れであろう口調で話し始める。記憶を辿るように、指折り何かを確認していた。


「しかも、移住先は砂の地最南端。砂と称される中でも緑が連なる恵まれた土地ですが、随一の魔物が徘徊することでも有名でした」


「魔物……」


 先程の醜悪な獣よりも凶悪な何かを思い浮かべつつ、怪訝に眉をひそめる。目の患いと現役を退いた身でありながら、何故そのような場所を選ぶ必要があったのか。


「大昔はそこに住んでたから、やっぱ故郷なワケでさ。あと、魔物なんかに追いやられてたまるかっつー意地だな。そんなトコに住まうもんだから、周りからは変に見られてたよ。……襲われないのも理由にあったけど」


「え、目も見え辛いんだよね? 誰か一緒に居た? なんか無茶苦茶じゃない?」


「うーん、ウチは端っから無茶苦茶だからなぁ。爺さんは性格が合わないとかで早くに別れてたし、頑張って育てたっつーか適当に育った息子は、いつの間にかろくでもねぇ人間になるし。誰かと言われれば、精霊を案内役に使ってたくらいか。魔力の食わせ方は上手かったからな」


 ……。

 碌でも無い家族とは、一体どういったものであろうか。夕食の席での酔っ払い、私がダルシュアンで虐げてきた者達。それらを父親とすればそうなるか。


「魔物はさ、あれくらいなら結界なり何なりで幾らでも対処できんだよ。村の奴らはそれを理解しない。……ドルクスとまではいかないにしろ、ちょっと小さな村になれば魔道に閉鎖的だ」


 キッドに父親への執着は無いように思える。それでも、我が牙の餌食としておらぬ事を祈るばかりであった。


「しかし、よくぞそのような辺境に幼子を連れ込んだものだな」


「超が付くほどの自信家だったからな。それと、さっきも言ったけど父親のダメっぷりに見兼ねたんだって。……あとはまあ、七十過ぎてやっぱ寂しかったんじゃね? 本人否定してたけど、わざわざ息子の前に顔出したくらいだし」


 そこで、ふと笑み溢す。色々と思い出しながら話しているのか、少し楽し気に見えた。


「息子に会いに行ったら、存在も知らなかった孫が居たんだよ。見えねークセに“父親に似てきた”っつーのが口癖だったから、自分が母親してた頃と重ねたのかもな」


「ピギャ」


 と、膝の上で丸くなっていたカノンが突然首を上げ、一鳴きする。セシリアが問うも暫しの間を置き、何事も無かったかのようにまた丸くなっていた。


「お前、そろそろ戻れよな。それが強い男を目指す者のする事かよ」

「ギャワゥ」


 呆れて息をつくキッドの言葉にも、身を起こそうとせぬまま鳴き返す。再度目を閉じ、そのまま寝入ってしまいそうであった。


「いいじゃない、今だけだよ。それに、ちょっとひんやりしてて気持ちいい。……えっと、じゃあお祖母様は今もそこの土地に?」


「いや、もう居ねぇよ。一年くらい前に消えたからな」


 齢八十八ともなれば仕方無き事であろう。そうで無ければ、この男が旅をしているのも非情と取れるものだ。


 ……。

 今、消えたと言いおったか。


「んと、亡くなったとかじゃなくて?」


 同じように疑問を抱いた彼女も、怪訝な顔で聞き返す。


「そうは思いたかねぇけど、こう見つからなけりゃそう考えるのが普通だよなぁ」


 先程の楽し気な様子と然程変わらぬ口振りである。

 笑みは浮かんだままだが、突如としてそれは空虚なものに映ってしまう。合わせられぬ視線が、更なる不審を煽っていた。


「件の魔物とやらに襲われたとは考えぬのか」


「居るなら考えたけどよ。ばーちゃんが消える結構前に、そいつも消えたんだよな」


「何それ。お得意の捜索術は?」


「それだよそれ。波動に頼り切ってると、いざこういう時に、どこをどう探していいのか分かんねぇんだわ」


 少しだけ、苛立ちを含んだような物言いに思える。こちらが提案するまでも無く、散々行ってきた事なのであろう。

 以降、返答を考えあぐねていると、同じように困惑しているセシリアと目が合う。膝元のカノンも再び首を上げ、キッドの方を見ていた。


「楽だけど、あれにも幾つか欠点があってさ」


 そう言い、手を印結びの形に変化させる。何の術が出るのかと身構えたが、次いで適当に叩き合わせるのを見ると、どうやらただの手遊びのようであった。


「当然だけど、範囲外は捉えられない、死んでも捉えられない。後は心境だか環境の変化で少しずつ変わるんだ。……そうだな、ファルト、お前のも最初に会った頃と比べて随分流れが違う。以前のを頼りに探すヤツが居るとすれば、多少は難儀するだろうな」


 ……とすれば、波動とやらは心内を感じ取っているという事であろうか。セシリアが嫌悪するのも頷ける程に、面妖な術である事は理解出来た。


「あと、その変化を間近で見たことねぇから知識だけで言うけど、記憶を無くした人間ってのは劇的に流れが変わるらしく、全くと言って良いほど捉えられないとか」


 そこで、お互い目が合うたのか、カノンが完全に身を起こす。


「お前の母親もそうだったって聞いたよ。それはつまり、死と区別が付かねぇって事になるから」


「ギャウオゥ」


 遮るように膝元から飛び降り、掛けてある自身のマントへと歩いていく。ヒトの姿に戻るつもりなのであろう。それに服を投げ、彼は更にぽつりと溢していた。


「でもやっぱ、数百メートルで突然流れが変わるとか……記憶がどうなったにしろ突然消えたワケだし、無理な話だよなぁ。溺れたんならイレストに催促されるだろうし……あー、どうだろ。してこねぇかなぁ」


「そういえば、案内させてたなら判断して動いてくれるはずだよね? 何も聞いてないの?」


 カノンの方からは目を背け、二人してキッドを見つめる。


「揃いも揃って教えてくんねぇんだよ。どうでもいい事はペラペラ話すクセに、肝心な事は受け入れろとばかりに見過ごしやがるし、話さねぇ」


「そんな……」


「お前が思ってるより薄情だぞ、あいつら。聞けば闇精ってのは更に非情なヤツだとか。光を司る精ですら変な性格してるらしいしな。俺はもう、精霊に関しては諦めたよ。結局、根本的なトコで人間とは相容れない」


 と、息をついた所でカノンがこちらへと呼び掛けてくる。視界の端で服の色がある事を確認してから目を遣ると、人差し指を口元へ当て、静止していた。


 何の気配も感じられぬが、静寂を促される程の刺客でも現れたのであろうか。皆で疑問を抱きつつも、とりあえずは従う。


「これ、何?」


 と、何故か自らが沈黙を破り、再び同じ動きを取る。


「え? “静かにしなさい”ってことじゃないの? いきなりどうしたの?」


「見たら何度もしてくる。……カノンずっと静かにしてた。何で?」


 と、明らかに私達とは違う方向へ問い掛けている。


「寝ぼけてんのか?」


「要は口を閉じていろという事だ。“秘密にしろ”という意味合いもある」


 私がそう返したところで、ああ、と声が漏れた。


「そうか。“何も言うな”ってことか。ならそう言え。カノン、読めるから」


 意味不明な様で一人頷き、キッド側のベッドへと腰掛ける。そのまま何を語るでも無く、足を投げ出していた。

 皆でそれを見つめ、暫し間を置く。


 次の瞬間にはせきを切ったように各々口を開き、動揺露わに詰め寄っていた。


「えーっと、いや待て、ちょっと待てよ」

「その動作は何時が初見なのだ? 今か? 今なのか? おい、もう少し分かるように話せ」

「誰? 誰に言われたの? ねえ何言ってんの? 誰か居るの?」

「言わない」


 もう手遅れだと、私とセシリアとで口々に責め立てる。その中で一人、キッドだけが青い顔をして何やら呟いていた。


「そういや前にもこいつ……変な事を……」


 独り言であろうそれは、大いに共感出来るものであった。

 信じ難き理屈ではあるが、あの行動をそのまま鵜呑みにするならば、その青碧の目はびとの幻影を見ているに他ならぬ。


 ならば今、“誰”が彼に合図を送り、黙させたのであろうか。


「どっち……いやいい、分かった。もう、だとしたらあれだ」


 薄気味悪さすら感じる中でそれは呟き続け、遂には合点しているようであった。


「カノン、そこに誰か居るとして、俺のマントと同じ色のケープを羽織ってるな?」


 何処を指す訳でも無く、人差し指が泳ぐ。


「言わない」


 が、彼は即座に首を振り、掛け違えていたらしい服のボタンを整え始めた。


「ふざけんな! 何でそっちの肩持つんだよ!……おい糞婆、どうせてめぇなんだろ! 散々心配させといて何が秘密だ! 結局野垂れ死んだってのか!? いい加減にしねぇと、べっちゃべちゃの海藻ぶん投げんぞ!」


 豹変とも言えるべき突然の物言いに、私とセシリアの目が丸くなる。カノンも驚いたのであろう。明らかに私達の居場所とは違う……入口とベッドの間の空間を見つめ、不安そうな顔をしていた。


「今ここに居るなら、後の事も見てたんじゃねぇのか!? 俺らがどんな目に遭ったか……知らんとは言わせねぇからな!」


 青かった顔はいつしか紅潮し、突如立ち上がってカノンの見ている方向へと声を張り上げる。勢いの余り何やら曰く有り気な事を言い放っているようであった。


「……キッド、ついてくるやつは何もできない。見てるだけ。話しても声が出ない」

「んなこた分かり切ってんだよ阿呆!」


 見慣れぬ剣幕で虚空を薙ぎ、次いで枕を投げ付ける。それは何者かに当たる事無く、入り口付近へと転がった。


「お、おにーさま……落ち着いて」


「……ごめん。カノン、秘密守れない」


 宥めるセシリアに次いで、確実にそこに居るであろう者に向かい、彼は悲しそうに謝罪する。その後ろで荒い息を吐いていたキッドは一度大きく深呼吸をし、再びベッドへと腰を下ろした。


「キッドの言う通り、同じ色着てる。髪は白いけど、目もキッドと同じ色だ。……ずっと笑ってる」

「何だよそれ、気色悪ぃ。つーか色が分かるってどういうことだ。埃が嫌だとかでいつも閉じてたんだぞ。開いてんのか」


 誰とも視線が合わせられぬのか、下方へと向けられた顔が不満を撒き散らすように責め立てる。対し、カノンは空間とキッドとを交互に見遣り、責められる言葉と同じ勢いで返答していた。


「開いてる。ちゃんとキッド見てる。話してたら出てきた。砂の地入ってから出たり消えたりしてたけど、カノンも今誰か分かった」

「……そうかよ」


 遂には勢いも失せ、大きな背を丸めながら拗ねた幼子のように俯く。

 一瞬の沈黙の間に私とセシリアの目が合うも、この状況に何と発言して良いのかも見出せず、多少混乱が解けぬまま見守る事しか出来なかった。


「今更だけど、お前は死んだ人が……その、何だっけ? ついてくるやつ? として見えるってことでいいのか?」

「うん」


「なら、やっぱ死んじまったんだな、ばーちゃん」


 長きに渡り疑問としていた事実を、理解し得ぬ術を通して受け入れているようである。もはや疑う余地など無いと確信しているのであろうか。それとも、どのような形であれ、後援を欲したのか。


「それが分かっただけでもいいや。どっかで転がってるなら、埋葬くらいする」

「首振ってる。……もうないよって言ってる」


「ない……無いのか。一年も経ってりゃ魚の餌にでもなってるかな。……ん? 一年前で合ってんの?」


 落ち着きを取り戻したのか、先程の手遊びを緩やかに再開する。それはやはり印のようであり、祈りのようにも見えた。


「うん」

「じゃあ八十七のままか。あー、惜しかったなぁ。あの調子じゃ絶対、百近く生きると思ってたのに」


 視線は相変わらず自身の手から外そうともせず、渇いた笑みを浮かべる。


「まあ、半信半疑ではあるけど、考えたらすげぇ事だよな。……死んだ本人から話が聞けるとか」


 手はいつしか遊ぶ事を止め、固く……震える程に強く握られている。前髪で隠れてしまう程深く俯いている為、表情は読めない。


「でもなんか、言葉がねぇや」


 ……。

 手元に留まらず肩をも震わせるそれは、やはり泣いているのであろう。心境を思えばこちらも胸が締め付けられるようであった。


 亡き人との再会というものは、切望の中でも随一だ。けれど、喜びを前に思う事が多過ぎる。これは恐らく、叶わぬが正しい願いなのだ。


「キッドの前に居る。座って、手握ってる」


 ならば私の目前、セシリアからすればもはや膝が重なっているという事になるが、やはり何も感じ取れない。多少引き攣った面持で、彼女は背筋を伸ばして唇を結んでいた。


「は、そんなの、ガキの頃だってしなかったクセに、何なんだよっ……気色悪いっつーの……」


 拳の力を一旦緩め、また握り返す。分かるわけないだろと小さく溢し、無造作に目元を拭っていた。

 そして、徐ろに顔を上げ、赤味引かぬ眼で目前に居るであろう家族を見る。


「ばーちゃん、誰にやられたんだ?……連中は……あ、……あいつがやったんだろうって」


 少し息が上がっているのであろうか。深呼吸を交え、詰まらせながら言葉を吐く。目前とは言え存在見る事叶わぬその目は、否が応でも私を捉える。故にすぐさま逸らされ、泳いでいるようであった。


「首、振ってる。ちょっと……笑ってる」

「違うよな!? ほらやっぱり!……やっぱり」


 身を乗り出したそれと、再び視線が合う。


「……笑ってるって、何だよ……」


 同じようにまた、今度は地へと向けられてしまう。消沈するキッドとその状況に、まるで痺れを切らしたかのようにカノンが言い放った。


「喋れ。聞こえないけど、カノン分かる。ゆっくり話せばもっと分かる。多分おまえ、もうすぐ消える。そうやって笑ってるやつは消えた後、絶対出てこない」


 次いで間を置き、声に出さぬまま口を動かす。恐らくは唇の動きを読み、反芻させているのであろう。すると、見る間に表情が不満の色に塗り替わっていた。


「良くない。キッドはずっと悲しいままだ。今ならカノンが代わりに話せる。悲しくしたまま消えるな」


 そう言い、再び間を置いて口が動く。今度は少しだけ声が出ていた。


「あたしはおだやかさ? だけど、一つだけ言うって」

「……一つだけかよ」


「かい、おう、……して? やり、……だ? そうし、な、ら、……ここから、でていく、……で? あれ?」


 微かに呟かれたものだが、今度は試行錯誤な様を交えた言葉を捉える。口の動きだけでここまで聞き取れるものなのか。次いで皆に言い渡したそれは先程のたどたどしさを省き、恐ろしくも完全なものとなっていた。


「解放してやりな。そうしたら、ここから出ていくんだね。アレン」

「!」


 再び。

 その名を聞いて、一人静かに息を呑む。

 先程も思うた事だが、恐らくキッドを見知った者はこちらを呼称するのだろう。けれど、まるで核心を突くかのようなその言葉に、訳も分からず胸が騒めいた。


「……何だか、どっかで聞いたような気がするな」


「セシィとルーナに頭下げてる」


 思いがけず名が挙がり、慌ててセシリアは頭を垂れ、私も軽く会釈する。次いで彼は、不思議そうな顔で手を振っていた。


「これ、何? カノンにだけしてる」

「礼を兼ねた別れの意であろう」


 説明してやると、そうか、と静かに頷く。


「キッド、頭撫でられてる」

「えー、最後まで気味悪ぃなぁ……」


 悪態を吐きながらも、自身の手を緩りと頭頂へ乗せる。もう一方の手で目元を覆うように擦り、再び滲む涙を拭っているようであった。


「穏やかなら、こっちもちょっとは救われるわ。じゃあな、ばーちゃん。変な形だけど、別れが言えて良かった。……あと、ごめん。見てたなら、ごめん」


「……逆切れして良いことなんて、何もなかったんだろ? 阿呆」


 まるでキッドのような口調で、カノンが“彼女の言葉”を伝える。彼は尚も謝罪し続け、頭頂の手をずるりと膝へ落とす。


 消えたと言われるまで、小さく何度も何度も、嗚咽のようにそれは繰り返されていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る