-7- 漆黒の獣

 大陸の数少なき王族、それが失踪ともなれば大々的な捜索が行われる。主立つ方法は、先程悪態に近い物言いでセシリアに吐かれた例の術。個人差はあれど、それの捉えられる範囲は数百メートル程度だと言われている。


 店主はかつての兵達の事を覚えていた。

 しかし、存在を捉える事に頼り、張り紙はされなかったという。生存不明の者がそれで見つかった例は無きに等しい。此処で人を捜す行為がどれほど絶望的か。最後に店主はそう言葉を濁していた。


「じゃあもう、願掛けみたいなものかな、これ」


 羊皮紙が存在せぬ旨を伝えると、彼女は溜息すら吐き、それを捲る手を止めた。


「この有様では望み薄と感じたのであろう。仕方あるまい。……それと、店主が知り得る限り紅髪の娘はこの町に十人余り。だがいずれも名が違う」


 人の往来こそ激しく見えたが、町人全体の数はそう多くは無いらしい。……十人余り。その少なさに安堵のような落胆のような、何とも言えぬ息が漏れた。


 名は偽っている可能性もある。だが、砂の地の中でも立ち寄り易いこの町で、捜索の目を逃れたとも考え難い。商人として此処の港へ通っている者も居るそうだが、彼女が商いをしている様子など想像に乏しい。目視での確認を怠るつもりは無いが、余り期待はしていなかった。


「役場で居場所確認する?……って、そういえば、王女様を捜してるだなんて、周りに怪しまれなかった? どうやって聞いたの?」

「姓は出さぬまま尋ねた」

「でも貼り紙の事聞いたんなら、名前同じなんだし勘付かれそうじゃない?」

「その名前繋がりを利用した」


 言うてやると、何が不満なのか尚も怪訝な顔で見つめられてしまう。


「おねーさまって、そんな言葉巧みな人だっけ?」

「……さあな。口達者と行動していれば、そのような芸当も身に付くのであろう」


 不満は解消されぬのか、遂には大丈夫かなと声を漏らす。


「とりあえず行こっか。ていうか、おにーさま遅くない?」

「匂いは近い」


 始終辺りを見回していたカノンだが、突然天窓に顔を向けては獣のように鼻孔を膨らませる。次いで煙草の臭気が突いたのであろう。眉をひそめ、徐ろに首を振っていた。


「匂いねぇ……。そういえば、カノンちゃんも何となく人探せるよね。あたしが城のどこに居ても見つけてくれてたし。剣技を重点的に置いたけど、竜としての能力も磨けばもっと面白そうなこと出来そうじゃない?」


 面白そうな事?

 そう問いながら扉を抜け、雑踏する市場を眺めるように酒場の壁際へと寄る。先程の肉屋や果物屋が見えぬ事も無い。あの大男ならば、少し見渡せばこちらに気付くであろう。


「口から氷の息吐いたりさ、格好良くない? 不意打ちにはいいと思うんだよね」

「氷の息……」


 セシリアの言葉を本気にしたのか、隣のカノンが呟き、大きく息を吸い込む。戯れと思うていたが、勢い良く吐き出されたそれは、妙に涼しく感じられた。


「セシィ、出ない」

「え、……いやあの、今の冷たさ、改良の余地、あるよね?」

「父さんはもっと出た」

「あ、やっぱりそういう事してたんだ」


 呆気に取られていると、突如目の前に褐色の影が降り立つ。何やってんだよと、呆れ顔のキッドが居た。


 出会った当初のような現れ方に、妙な笑みが浮かぶ。


「お前こそ何をしていた。パン屋以外に寄る所でもあったか」

「パン?……あー、うん。いや、俺の求めてるパンは無かった」


 何とも不可解な返答に、間の抜けた声が漏れる。だが、それを遮るように、脇から緑黄色の実が伸びてきた。


「おまけ? してもらった。キッドの分」

「おー。おまけな。良かったな」


 登場と同時に、空かさず荷物袋を漁っていたカノン。差し出された実を礼と共に受け取りながら、キッドは空色の頭を軽く撫でる。大きな手の下で、得意気な笑みが溢れていた。


 皆が揃った所で、これからの行動を確認する。到着が昼過ぎ故仕方の無い事だが、既に夕刻を回る頃であった。


「出来れば今日中に多くは回りたいよね。夜の方が皆家に居るかな? 役場行って、あと宿も確保したいし……二手に別れる?」


 荷物袋から町の地図を取り出し、思案するセシリア。

 成る程。これは頼もしい限りだ。


「……そういや人捜してたんだっけな。当てがあったのか?」


 受け取ったばかりの実を頬張り、それを覗き込むキッド。カノンも真似るように地図を見ていた。


「期待はしておらぬがな」

「ふーん。じゃあ俺、宿屋担当な。部屋割りどうする? 節約優先? 面倒だから分けたいっつーのもあるんだけど」


 と、かつては別室である事に不満を漏らしていた口がそう言い放つ。どういう心境の変化であろうか。それとも、人数が増えれば面倒が立つのか。


「セシリアの寝言が改善されたのなら、相部屋で構わぬ」

「自信は無いけど、節約優先でお願い」


 地図から目を離さぬまま、彼女は応えていた。


「……船みたく仕切られてねーぞ。覚悟しとけよ」


「皆と一緒に寝るの、楽しい」


「お前はちゃんと人の姿を保ったまま眠る癖を付けろ。ほら行くぞカノン。次は宿の取り方だ」


「うん。おまけ、あるかな」


 歩き始めるキッドの横に付き、顔を綻ばせる。子供はいいよなと、褐色の背中越しに溜息が聞こえた気がした。


「あたし達は役場ね。離れないでよ? おねーさま、すぐボーっとしちゃうんだから」

「取り決めぬようだが、宿屋での合流で良いのか」


 苦笑交じりの小言は聞き流し、こちらも人の波へと沿い始める。

 いいんじゃない? と適当な返答をしつつ、彼女は地図と町並みとを照らし合わせていた。






 市場から少し外れると、人の数も疎らになる。姿からして皆、町人であろう。

 目的の家へ向かう道すがら、そういった人物にことごとく声掛けるセシリア。特徴や失踪の状況等で私も口を挟んではいたが、それすらも覚えると、彼女は一人で話し終えるまでになっていた。


 簡潔で効率も良い。しかし、どこか手持ち無沙汰だ。

 空は黄昏に塗られ、点在する松明に火が灯され始めている。いよいよ目視での確認も難しくなってきた。訪ねた軒数も目標を超えている。そろそろ戻る頃合いか。


「紅髪という条件は抜いたとて、ここ三、四年の間に加わった住民は余り居らぬようだな」


「ご近所情報で追加された紅髪さんも、子供ばっかだしね。明日は店先の人を確認しよっか」


 元は石畳であろう、砂の厚み感じる道を二人で並び、言葉を交わす。地道ではあるが、此度の地でようやっと捜索らしい捜索が行われていると実感できた。


「セシリア」

「なに?」

「ありがとう」

「……突然どうしたの?」


 歩みは留めぬまま、脇の松明に照らされた顔がにやりと笑む。

 ……彼女は知らない。放たれた礼は、つい最近まで口にするのが困難であったものだという事を。


「出会いこそ褒められたものではないが、お前の存在無くしてこの旅は続けられなかった。感謝の言葉が尽きぬ」


 立ち止まり、頭を垂れる。すぐさまやめてよと苦笑されてしまった。


「ほとんど脅しだったんだけどさ。同行させてくれたこっちの方こそ感謝だよ。……あと、ごめんね。こーんな素敵な女の子を男性と間違えちゃうなんて、そこだけは節穴だったわ」


 振り返り、再び歩み出す。少しだけ冷えた風が、砂と翡翠色のマントを緩やかに煽る。


「倒れたり、怒られても文句言えない事で迷惑掛けたりしたけどさ、色々お相子って事でいいかな?……ふふっ、あたし達の出会いって運命だったのかもね」


 背を向けたまま冗談交じりに笑う。砂を蹴り遊ぶその姿は、今にも踊り出しそうなほど楽し気に見えた。


「ねえ、夢見るほど現実って面白くなり難そうじゃない? でも、この旅はやっぱりあたしが望んだ通りの楽しさだよ。日は浅いかも知れないけど、みんな大好き」


 ひとしきり砂を蹴ると、こちらへと向き直って首を傾げる。

 その表情に、今までの楽観は浮かんでいない。


「……で、どうして今言うの?」


 疑いの眼差し。

 それは、以前船上にて私があの男に向けたものと大差無いであろう視線。

 ともすれば悲観すら滲ませる程、徐々に表情が歪められていく。


「やはり、お前もそう思うか」

「終わりなんて無いよね?」


 小さく溢れたこちらの言葉は、思い詰めた声により掻き消される。


「案ずるな。ただ、思い立った時に言うのが得策なのだそうだ」

「……む。おにーさまの請け売り? 知らないトコでどんどん進展してくれちゃって、セシィちゃん妬けるなぁ」


 払拭ふっしょくしきれてはいない。けれど追及も無駄と思うたのか、目を閉じてやんわりと口角を上げる。冗談でも吐いておかねば張り裂けそうだと、歪んだままの眉根だけが物語っていた。


「知らぬ間に得体の知れぬ半妖を手懐けられるよりは良い。さあ、急がねば夕食に間に合わぬぞ」


 町の端に当たる此処は、宿どころか市場へも少々距離がある。可能であるなら建物伝いに飛んで行きたいものだが……。


「あたし、浮遊しか使えないもん。無理だよ」

「私が抱えて走るという手もあるが」


 そう言いながら、ふとした気配に町の外を見遣る。

 遠くのじんに紛れ、何やら聞こえた気がした。


「面白そうだけど、もし誰かに見られて怪しまれるのも嫌だし、遠慮しておくわ」


 気の所為かと思うも、降り始めた闇よりも濃く浮かぶ影を捉える。明確では無いが、あれは…………とりあえずヒトでは無いな。


「どうしたの? 何か見えた?」


 周囲に町人の姿は無い。そう言えば、最後に見たのは松明に火を灯して周る役人の姿だけだ。


ひとず殺気は感じられぬが、どうする?」

「えっ、何なのいきなり。本当に何か来るの?」


 薄ら笑みを浮かべつつ問うと、彼女は焦りながらもすぐさま腰の得物に手を掛ける。同時に、砂塵から抜けたのか先程よりも影が明確となっていた。


 確かにこちらへ向かい来るそれは、町の最も外れにある松明の周囲で、警戒するように彷徨うろついている。……もはや影などでは無い。灯りにて完全に浮かび上がるは、黒く醜悪な獣。


「うわぁ、サンドジャッカルっぽいね。殺気が無いだなんて嘘じゃない? お肉大好きで有名な獣だよ」


「……このマントがアレで出来ていると言われた事があるな」


 三体程の群れが顔らしきものをこちらへと向け、高い唸りを上げている。幾度かそうする内に唸りは低く変わり、やはり明らかな殺気が漂い始めた。


「染色材料は違うけど、あたしも今お世話になってたはず」


「仲間と思うて嗅ぎ付けてきたか」

「で、そうじゃないと分かって怒ってると」


 外れの松明は、牽制の意味も兼ねて置かれている物であろう。だが、あの様子では私達への敵意が打ち勝つ。


 退くつもりなど毛頭無いが、放っておけば町への侵入を許してしまう。外へ出向けば更なる仲間を呼び寄せるやも知れぬ。

 様々な不安が過ったが、何よりも先にセシリアが駆け出していた。


「出来れば遠くへやって! 炎使いたいけど、近いと余計な物まで燃やしちゃうから!」


 一瞥もくれずにそう言い放ち、鞭を振り上げる。決断力の早さは彼女の方が上手であった。


 そして遂に、群れの内の一体が松明の境を越えてセシリアへと向かう。それらの撃ち合いは待たずに私も構え、地を蹴り出す。俊足を見せたつもりだが、一面の砂により思う速度が出ない。

 それでも一息の間に彼女を追い越し、先頭の獣に続いて駆け出していた別の獣へと狙いを定めた。


「ふっ!」


 砂埃を舞い上げながらそれの目前で留まり、腰を落として肘を打ち出す。

 近付けば確認出来る、大男を多少上回るその体長。


 体当たりとも言えるこちらの攻撃が漆黒の鼻先に直撃し、獰猛な牙を覗かせたその口からは、情け無い悲鳴が漏れる。後退るそれの横手に回り込み、今度は腹を大きく蹴り上げた。


「ギャゥン!」


 再び声を上げ、三メートル程先へと転がる獣。遠くへ飛ばすつもりであったが、思う程浮き上がらない。砂の上では踏み張りも利かぬか。


 一呼吸置き、前二体と同じように駆け出していた三体目を迎え撃つ。こちらへ突進していたらしいが、直前で身を捻って摺り抜ける。そのまま踊るように向き直り、駆け抜けざまの背の皮を思い切り鷲掴みにした。


「せいっ……や!」


 渾身の力を込め、先程蹴り飛ばした獣の方角へと投げ付ける。荒い息を吐いたままそれは、身を起こしかけていた獣に命中し、互いに跳ね飛んだ。


「さすがに重いな」


 苦笑しつつ後方のセシリアへ顔を向ける。すると、突如横手で黒き塊が風を切り、回転しながら高速で飛んでいく。


 驚き、目で追うと、先程飛ばした二体の方へ一直線に向かっていた。


「バーンフレア!」


 黒き塊が一体目の獣だと確認出来る頃、背後から更に術が放たれる。

 念の為後方へと退けば、先の獣ら含む広範囲を炎が舐め、轟音と共に燃え上がる。悲鳴すらも掻き消され、三体は火の海に沈んでいた。


 まるで呆気無い収束に、暫しそれらが炭と化すのを眺めてしまう。


「また来られても厄介だから離れなきゃね。……仕方ないなぁ。おねーさま、匂いが届かなさそうなトコまで連れてってくれる?」


 いつの間に並んでいたのか、隣でそう言い渡される。

 見れば、早々に得物を仕舞い、セシリアがこちらへ右手を差し出していた。


「相分かった」


 手を取り屈み込み、腿に腕を回して担ぎ上げる。


「重くない?」

「あの大男を抱えても尚跳躍する身だぞ」


 砂の感覚を視野に入れて駆けねばならぬが、町に入ってしまえば問題無い。そうだよねと苦笑する声を聞くのと同時に、大きく飛び出す。小さく漏れた悲鳴はすぐさま風に掻き消され、私達は宵闇へと紛れていった。






 人の波が戻り始めた所で、影となる場に留まる。

 市場手前のようであるが、指示された方角だ。相違は無いはず。


「お、思ったより速度あっ、あるのね。……そそそうだよね、ケトネルムの時に見えなくなってた位だもんね。速いよね。で、でも自分で制御するよりは良い、かな……あははは」


 乾いた笑いと共に、礼を述べながら降り立つセシリア。声の上擦りが酷いが、もしや怯えているのであろうか。


「あたしが飛翔の術使えない理由がこれだよ。速過ぎるとぞわぞわしてダメなんだよねー。……でも今ホントに、自分で飛ぶよりはマシだったから、速度に慣れればひょっとして……」


 と、異様な程自身の両手を揉み合わせながら、光漏れる道へと進み出す。お転婆にも畏怖する対象があるのかと失笑しつつ、私も後に続いた。


 けれど、その対象すら克服しようと挑む様はやはり彼女らしい。そうして常日頃から積極性を持ち合わせていれば、この身もいつかは術を扱えるであろうか。


「決定打を考えていたが、やはり火は便利なものだな」


 先程の戦いに思い馳せ、ふと息を吐く。

 頭を砕こうにも、あの輪郭と毛並みでは拳が滑る。真上から撃てば安定はしそうだが、砂地に足を取られる事を思えば、おいそれと繰り出せるものでも無い。


「ん? ああ、さっきの? あれは集まって倒れてたからすぐに燃やせたんだよ。動いてたら多分、当たってくれなかった」


 と、私が二体を相手にしていた裏で多少の苦戦があった事を溢す。


「連携としては最高の形じゃない? 傷の一つや二つは覚悟してたのに。あんなに早く終わると思ってなかったから、びっくりしちゃった」

「同感だ。……しかし、お前の鞭さばきは一体どうなっている? あの大きさではそう遠くへ飛ばせぬものを、回転まで加えて迅速に投げ付けるなど、腕力の域を超えておる」


 市場通りへ出た所で、隣へと並び尋ねる。

 要所の松明に加え、各々の店先にも灯りが配されており、昼間の賑わいにも劣らぬ。ふと周りを見渡せば、魔道の品を扱う店であろうか、赤い液体が詰められた大きな瓶が視界に飛び込んできた。


 思わず歩みを留め、見入ってしまう。

 望む中身で無い事は明らかだが、不意に足が赴く。

 喉が鳴る。止める意思すら無い。……どうしよう、と情けない躊躇いが過ぎった所で、突如身体へ何かが巻き付いた。


 束縛の術のようなそれは、しかし物理的な鳶色。その先を追うと、胡桃色の目が閃き、何やら術を唱えながら不敵な笑みを浮かべていた。


「フューウィング」


 術が放たれると、僅か足が地を離れる。彼女はそのまま私ごと鞭を引き寄せた後、軽く押し出した。


 景色が強制的に流れる。二周程回転すると、不意に地に足が着き、思わずよろめいてしまう。


「本番では、これを全力でやるの」


 響いた声に視線を移せば、少し距離が開いてセシリアが手を振っていた。


「……相手を浮遊させるのか」

「色々応用しないと勝てないからね。本来よりは持続出来ないけど、瞬間的に使えばこの通り」


 但し、浮かせられる重さにも限度があると言う。竜は不可能だったと肩を竦め、鞭を収めて再び歩み出す。


「あとね、間違ってもああいう物に手を出しちゃダメ。変な生き物の液体……ていうか、もう丸ごとすり潰された身とか薬草とか、怪しいまじないが込められてるからね。何が起こるか分かったものじゃないわ」


 赤に惹かれる様は見られていたらしい。気の無い相槌を打ち、私も後に続く。


「もうすぐだから我慢してね。二人とも待っててくれてるかなぁ。……お腹空いたけど、先に水浴びもしたいなー」


 前方へ視線を向けると、日中立ち寄った酒場が見えた。

 やはり盛んとなるのは夜らしく、離れていても賑わいが感じられる。今も中から幾人かがよろめきながら上機嫌で通りへと出ていた。


 擦れ違い様に声掛けられたかと思えば、意味も無く笑いながら去っていく。酒の味を分かち合う事は出来ぬが、後で皆と繰り出してみるのも悪くはないかと、知らず口元が緩まっていた。


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