-6- 港の市場
何事かを言い掛け、突き落とされる感覚と共に瞼が持ち上がる。
そのたった一瞬で心臓だけが動揺し、急激に加速していた。
夢。……そうか、今のは夢か。
鎮めるように深い呼吸を繰り返した後、光漏れるカーテンを視界の端に映す。今し方見たであろうそれは早くも薄れ始めていた。
緩りと辿るように直前の夢へと思い馳せる。
……幸福ではあるが世に在る事を許されぬ我が身。五体満足だが虚無を感じる誰かの心。よくは分からぬが、そう読み取れる夢を見た。
どちらも悲しい。けれど、辿りたくなる愛おしさもあった。
最後に、私は何と言い掛けていたのであろうか。
誰かに、何かを、滲む視界の中で。
「ふ」
霞み掛かった頭で、夢くらい完璧な物を見せてくれても良いではないかと自嘲する。……よもや、見せられた夢ではあるまいな。
苦笑と共に脳を覚醒させていると、下方から物音が湧く。欠伸を噛み殺しつつカーテンを開くと、椅子と物置台にだらし無く身を預けたキッドが、天を仰いで目を閉じていた。
それに、おはようと声掛けて私も降り立つ。
「おー。悪い、起こしたか」
「いや、どちらにせよ起床時間であろう」
「到着は昼過ぎだから、二度寝しても十分間に合うよ」
酔いは抜け、常の語気を取り戻したようだが、どうやら気分は優れぬらしい。額に腕を乗せ、気怠そうに唸っていた。
「やはり、昨晩の無理が
「無理してるように見えた? 許容範囲のはずだったんだけどなー」
「誰がどう見ても飲み過ぎだ。見誤るようなら酒は止めておけ。血が不味くなる」
吐き捨ててやると、乾いた笑みが返ってくる。それを聞き流しつつ視線を残りのベッドへ移すと、閉じられているのは一箇所のみ。萌葱色の衣類が置き去りのまま、もう一方のベッドは空であった。
「カノンはどうした」
「セシィと寝てんじゃね?」
「何だと?」
言われ、怪訝と共に閉じられたそこを勢い良く開く。
クユの実の効果であろうか、若干頬を腫らし、はしたない姿で寝入るセシリア。その枕の隣で、孤を描くように眠る子竜が目に入った。
「子供だからとて……無防備極まりないな」
「俺らもそうだったろ」
苦笑混じりに、そう溢される。
え、と一瞬の間を置き、その意味を解する頃には目が泳ぐ。異様な数の瞬きと共に、暗がりでの光景が思い起こされていた。
けれど次の瞬間、あ、と彼から再び小さく声が漏れる。まるで、しまったとばかりに小さく。
……聞いてはいけない声のような気がした。
「顔でも洗ってくるかな。そいつら起こしてやるなよ。寝る子は育つって言うんだから」
放たれる言葉の全てが、例の朝を遠ざけようとするものに思える。……実際、蒸し返すには余りある内容だ。
しかし、こちらのように羞恥で避けている訳では無い、ように思う。
髪を影に表情を歪める私の横を、足取重くキッドが過ぎる。それに何の言葉も返せぬまま、ただ去るのを見送った。
微睡みに包まれる子らのカーテンを静かに引き、先程まで彼が掛けていた椅子に腰を下ろす。自然と溜息を吐いていた。
「何か……、ん」
心内の声までもが漏れてしまい、慌てて口を噤む。
……何かが違う。恐らくは避けられている。あれを招いたのが自身の失態であったからか。彼にとっては伏せられるべき出来事であったのか。
あれを意識して一挙一動で動揺する私も可笑しい。羞恥を覚え戸惑う反面、まるで再び触れられるのを望んでいるかのようで……ああ、認めてしまうならそうなのであろう。
だが、それを遠ざける先程の挙動はとても……物寂しい。私の存在をも遠ざけ、見限り、果てには去ってしまいそうな。
「馬鹿馬鹿しい」
付かず離れずのまま遣り過す事は出来ぬのか。やはり余りに面倒だ。想いの強さは時として、行き過ぎた妄想をも引き起こす。延々と付いてくると自惚れている訳では無いが…………ああ、本当に私は何を考えておるのだ。深く考えるな。意に介せず普段通り接すれば良い。
頭を振り、いい加減身仕度を済ませようと自身の荷物袋を探り、覆面を取り出す。桶と水を準備するべく顔を覆い、水場へと急ぐ事にした。
廊下へ出ると、人々が入れ替わるように往来している。
到着は昼過ぎとは言え、やはり再び到来するであろう暑さに少しでも早く対応出来るよう馴らしておきたいものか。
上半身は既に何も着用しておらぬ男や、下着に近い姿で歩き回る女を一瞥し、桶を求めて食堂へと立ち寄る。夜とはまた違った賑わいを見せるそこではあるが、変わらず忙しない。
カウンター内にて隙の無い動きを見せている主人へ声掛ける間合いを見計らっていると、脇に昨日使用したものと似た桶がある事に気付く。中を覗くと水が入っていたが、具合からしてやはり同じ物のようであった。
「おっとお嬢さん、その水、取り置きなんだ。悪いが使いたいんだったら奥から自分で持ってってくれよ」
こっちは忙しいからと、主人から声が掛かる。
マントを羽織らぬ姿だと、さすがに坊主扱いは無いか。苦笑しつつ、その主は水晶色の髪の長い大男かと問い返す。肯定が返って来た所で、ならば連れだと言い残し、未使用の水かを確認してから持ち去った。
水場に行く手間が省けたと、少し軽い足取で部屋へと向かう。マントを羽織らぬまま動き回れるというのも久しく心地良い。擦れ違う者は特に私を気に止めるでも無い。
どちらかと言えば、蛍光色の強い格好であったセシリアの方が目立つ。
つくづく思う。恐らく、基は出来ていると。
後は私が沿うか否か。
「……やはり、いきたい」
償いを忘れた訳では無い。ただ、他に共存の道は無いものか。
厚かましい考えである事は重々承知している。けれど、生きる事に貪欲であるのは……浅はかな事か?
「リリス、応えてくれ」
いつの間にか甲板へ出る階段の前で立ち尽くしたまま、そう漏らしていた。
このような狭き道を迷うまでになってしまったかという思いはとりあえず捨て置き、彼女からの返答を待つ。
「未来ある少年、彼の同行は私に希望を抱かせた」
生きたい。
新たな仲間、旅立ち、セシリアが語った夢にも拍車が掛かる。憂うばかりのこの身を、彼らは止めてくれると言う。もう誰も殺める必要など無いと、手を差し伸べてくれる。
リリス、何か方法があるはずだ。お前も共に生きる道が。
「終わりなど……迎えたくは無い」
頼むから。
その口から紡がれるものが、蔑みでも嘲笑でも構わない。一日程度で考えが変わったのかという非難もあるだろう。
「応えてくれ」
このままでは、お前の望むように流れぬぞ。
抗って抗って、手の内に収まらぬ存在と成って……それでも良いのか? 今の沈黙こそお前の手の内と言うなら、それならそうと早く嗤え。
……お願いだから。
「おーい」
立ち尽くして数分は経っていたであろうか、息を吐くのと同時に背後から声が掛かる。
「水桶持ってどこ行くんだ? 部屋こっちだぞー?」
振り返ると、呆れ混じりの笑みを浮かべたキッドが、手拭いを持った手で私とは逆の方向を示していた。
「……分かっておる」
沈んだ表情のまま、そちらへと向かう。覆面の存在はこういう時にこそ有難かった。
……懇願も挑発も聞き入れられぬというのか。それとも、もはやそれすら必要とせぬのか。私の思う基とは別の物を、既に彼女は用意しているのではなかろうか。
勘ぐる程に未知の恐怖が伴う。けれど、それを踏まえてでも望みたい道が私にも出来てしまった。
考えよう……先を。焦がれるばかりの未来などもう沢山だ。四人で時を経て、思い描く旅路を行く。
共存が可能ならば中の者が何人であろうと構わぬ。リリス、お前もセシリアの空想に付き合うてみぬか。
陽光は誰にでも等しく降り注ぐ。影に居ては温もりを感じられぬと言うのなら、体の共有では……駄目か?
頼む。今一度ファルトとして、この意思にも生きる機会を与えてくれ。
私は、……私たちという存在は、幸福をも分かち合える身だと信じたい。
一緒に行こう。幸せになってみせるから。
「皆で一緒に、必ず」
「……ん? 何か言った?」
扉を開け放ち、キッドが振り向く。
「いや、腹が減ったなと」
留まるそれを摺り抜け、光漏れる部屋へと踏み入る。沈んでいたはずの表情はいつしか晴れ、穏やかな笑みが浮かぶ程であった。
昨日とは打って変わり、船首側で“何もなーい"らしい水平線を皆で見遣る。
生温い風ではあるが成る程、確かに日陰で伸びているよりは心地良い。束ねているとは言え、強風に髪が翻弄されるのはかなり鬱陶しいが。
セシリアも今回はマントを羽織り、日差しへの対策は万全とフードも形成し、誰よりも船体から身を乗り出している。もはや水平線ばかりでは無い。前方には
「わー、見て見てカノンちゃん! 全然緑がなーい! あはははは!」
何か在ろうが無かろうが、やはり興奮の度合いは変わらぬようである。
「セシィ、雪もない。黄色い」
「暑い所に雪は降らないよ。砂の地は雨も降らないんじゃないかな」
「降るぞ。一部の地域だけ。そこまで回れば緑だってある。さすがに雪は降らないけどな」
再び“袖の無い服装にマント"と妙な装いで、手摺りに背を預けるキッド。後はただ到着を待つばかりで、部屋もすぐに発てる状態となっている。……とすれば、このままの格好で砂の地へ降り立つ気なのであろうか。
旅人と言うよりは村人の如き質素な姿である。
「しかしカノン、お前は暑さに対して虚弱ではないのか?」
汗の量は私達とそう違わぬ。けれど、服装による暑苦しさは群を抜いている。陽に肌を晒す事を嫌っているのであろうか。まるで、真性の吸血鬼のようだ。
「暑いけど大丈夫」
「ま、人間の姿は保ってるようだし、そういう事なんだろ」
とりあえずは要らぬ心配らしい。再び目前の地を見遣り、思い巡らせる。
先の岩の地を皆無とすれば、残るはこの地。砂と熱気ばかりでとても住み易い環境とも思えぬが、本当に探し出せるのであろうか。
捜索の目をも欺く辺境というならば、確かに相応しい。地図上での村数は少なかったが、それに記されぬ程の集落等が点在するやも知れぬ。
「さあ来い、砂の地!」
一人頷いていた所で、セシリアが迫る港に向かい指を差す。
心に秘めたる決意が勢い余って口をついたのであろうか。違わぬ間合いで私の意気込みをも代弁されたように見え、思わず噴き出してしまう。幸い、風の音に掻き消され、誰にも気付かれる事は無かった。
「大陸が来るかよ。荷物取りに行こーぜー」
「もう! せっかく気分乗ってきたのに、水差さないでよねっ」
「降りないのか?」
「降りますっ。行くよ、カノンちゃんっ」
頬を膨らませ、いつの間にか同じように港を指差していた彼の肩を叩き、船内へと向かう。失笑を気取られていればこちらにも非難が飛んだやも知れぬなと、再び覆面の裏で口端を吊り上げ、私も後を追った。
暑さは昨日よりも増しているが、上陸間近ともなると船上も船内も人の波で賑わうらしい。
火の地から緑の地、緑の地から氷の地と同じように乗船はしてきたが、此度の航海が一番人の笑顔を多く目にする。自身の好奇にも拍車が掛かる気がした。
「降りたらとりあえず市場直行な。水はまあ程々に、シジュの実大量に買い込んどけ」
「水代わりの実だね」
「そう。後は、干し肉と木の実さえ有ればどうとでもなる」
「何とも乾いた食事になりそうだな」
「血だけで過ごそうと思うなよ」
「……飲む量は増えるやも知れぬぞ」
「もー、ダメよ。だからこそのシジュの実なんだから」
「キッド、草は?」
「氷の地から持って来たやつで暫くは足りるだろ。無くなったら……うーん、お前、草だけでしか生きらんねぇの?」
「ね、多肉植物ってその辺に生えてなかったっけ。食べられそうじゃない?」
「草なら食べる」
「いや、草っつーか……。まあ、食ってみればいいんじゃね?」
「もっと大きくなったら木の皮も食べる」
「おー。食えそうな歳になったら言ってくれ」
流れるように船内を移動する内に、踏み締める地が板張りの船から砂
けれど、呆気に取られる間も無く、セシリアに腕を引かれる。どこをどう進めば市場に辿り付けるのか検討も付かぬが、先頭に立つキッドに迷いは無いようであった。
「ね、旅慣れてるよね。……いいなー。あたしもいつか先導できる人になりたいなー」
本人には聞こえぬよう、胡桃色の瞳から羨望の眼差しが注がれる。書物は飽く程読んだが、旅に必要な情報量はまだまだ彼には及ばないと、勝手に闘争心を燃やしていた。
「火の地の出だっけ? ずっと五大陸旅してたのかなぁ。どのくらい回れば、勘が研ぎ澄まされるかなぁ」
「……彼奴、火の地の者なのか?」
「あれ、違うの?」
呆けた顔を二人見合わせ、同時にキッドへと視線を移す。草があると叫び出したカノンに薬草だと窘めつつ、彼は人の波を突き進んでいた。
「何でだろ。ずっとそうだと思ってたよ」
「私も聞いた事が無いな」
「おねーさま、あんまり他人の事に興味ないもんね」
そのようなつもりは無いがと反論しかけ、言われてみればそうかと納得も出来た。
話題に乗れば勝手に口をつくであろう。だが、知り得た所で何がどうなる訳でも無い。他愛無い情報が増えるのみ。
確かにそのように捨て置けば、彼はずっと謎の魔道士のままだ。
「何となく火の地っぽい印象なんだけどなー。それ前提で大陸の事聞いたりしてたけど、普通に答えてたし」
「あれを赤土と呼称する親しみがあるには相違無いが、そこからの旅立ちで無い事は確かだ。本人に聞くのが早かろう」
「え、そうじゃないならもう、ここしかなくない? 故郷の地通ったらさすがに言うでしょ」
船旅にて幾度か何やら話しかけておったが、もしやその事と関係しておるのか。次の大陸、と話し出したアレに故郷の話が繋がらぬ事も無い。しかし、言い難い何かがあるのもまた事実。
さてどうであろうなと返し、前方の果実屋付近で立ち止まる二人の後ろに付く。売買について、カノンに説明しているようであった。それに使われる貨幣が有限である事も。
丁寧とは言えぬ様だが、堅苦しく説明するどこぞの教育者よりは分かり易い。セシリアとはまた違う、此奴も親代わりのようなものなのであろう。
「よし、じゃあ行って来い。セシィ、付いててやれ。とりあえず五十な」
「ええっ、そんなに? 水代わりにしすぎじゃない?」
「腹持ちも良いから。……あんまり言いたかないが、水だけならイレストに頼める。最終手段だけどな。そんでファルト、二件隣で干し肉五百よろしく。俺向こうでパン買ってくる」
「ごひゃっ……!?」
それは果たして、何日分に相当するのであろうか。まるで行く先に一切の店が無いようである。
言い残すと、彼は足早に人の波へと消え行く。驚き戻らぬ表情のまま私も向き直り、示された店へと立ち寄る。大袋を持った旅人風の客と入れ替わる形となった。
大きさが如何程なのかは計り知れぬが、あの者も何百枚という単位で購入したのか。砂の地、軽んじていたつもりは無いが、その旅路をまだ甘く見過ぎているのであろうか。
「いらっしゃい。幾つにする?」
肉という肉に囲まれ、フードを被った女が小麦色に焼けた笑顔を浮かべる。この場に居るだけで血生臭くなりそうな外観だが、乾いた肉故かそれほど異臭を放ってはいなかった。
この細長い肉を一として、五百枚。
顔が引き攣る。
「ご、……そうだ、訊きたい事がある」
受け入れられぬ枚数を口にする事が出来ず、姉上の情報収集へと転換してしまう。紅蓮のドレスの紅髪の女。久々の質問に少しばかり気が引き締まる。すると、女は被っていたフードを徐ろに脱ぎ、私じゃあないよねと苦笑した。
短く切られた、燃えるような赤が目に飛び込む。
「あ、いや……」
「赤いドレスなんて着たことないけどねぇ。ま、二十代でもないんだけどさ。あ、ウチの娘も紅髪なんだけど……ふふ、まだ八つだよ」
緑の地では皆無とされた紅髪が砂の地には在る。そして、大陸の者の
成る程、捜索の遣り甲斐がありそうだ。
「他はどうだろうねぇ。お向かいの夫婦もそうだったかなぁ。馴染みだけども、ドレス着るような人ではないねぇ。それ以前に、名前が違うか」
「ミーナさーん、五百ちょーだい」
唐突に脇で掛かった声に、勢い良く顔を振り向けてしまう。女よりも肌を焼いた黒髪の少年が、皮袋を手に銀貨二枚を差し出していた。
五百。今五百と言ったか。……否、それより銀貨二枚程度なのか。
「はいよ、いらっしゃい。今日は少ないんだねぇ」
「!」
今度は女へと、忙しなく首が動く。
「父さん出稼ぎに行っちゃったんだー。氷の地が使えるようになったって言ってたー」
適度に相槌を打ちつつ女は干し肉を計り、簡易に巻いて少年の袋へと詰める。その様に我に返り、何故か慌て、私も五百と叫んでしまった。
「なんだ、やっぱり客だったの? んじゃ銀貨二枚ね」
同じく肉を計り、少年とは違う少しばかり厚みのある紙袋に包まれる。
彼奴め、重さならそうと言わぬか。紛らわしい。
懐から銀貨を探して手元で待ち受けていると、こちらを見ている少年と目が合った。
「ねーちゃん、旅人? 良い匂いするなぁ」
「ね……?」
マントを羽織った装いだが、真紅の裾を晒していてはもはや男には見えぬのであろうか。
些細な事ではあるが、何もかもが緑の地とは違い、思いがけず顔が綻ぶ。
「氷の地原産の香水だ。いつか父親に土産を頼むと良い」
「へー。でも、オレ香水なんて付けないし」
「母親に纏ってもらえ。そこから香ればお前も嬉しかろう」
「わー、いいなそれ。母さんも喜びそう」
満足気に礼と挨拶を述べ、少年は手を振りつつ去っていく。それを見送った後、私も肉屋と軽く言葉を交わし、セシリア達の元へと向かった。
買物は無事に終えたのか、道端にて四分割された紙袋を各々荷物袋へと詰めている。両者共に、既に実を一つ頬張っていた。
「おかえりー。こっちがおねーさまの分ね。あとこれ、おまけしてもらっちゃった」
「キッドとルーナの分もある」
意気揚々としたカノンから、拳程の緑黄色の実を手渡される。売買が上手くいったのであろうか。自信を付けたらしく、残りの実も自分の手から渡すとばかりに大事そうに持っていた。
「草以外食さぬのではなかったか?」
「実も食べれた。おいしい」
「昨日、果汁飲んでたし大丈夫でしょ。それに、歯があるんだもん。木の皮とまではいかなくても、きっと何でも食べられるよ」
セシリアから紙袋を受け取り、貰った果実と共に荷物袋へと仕舞い込む。衣服ばかりであったそれは急に重さを増し、邪魔にならぬかと危惧する程であった。
しかし、大男を抱えるよりは断然動き易い。……そのような事もあったなと周囲を見回し、何気無く当人の姿を捜し求める。少し離れた所に酒場の看板が見えた。
ただ待つのも退屈故、それを指差しては情報を集めたいと二人に告げる。擦れ違いがあっては面倒だと待機を言い渡したが、すぐさま不満の声が上がった。
「あたしも行きたいに決まってるじゃない。平気平気、どこに居たって見つけてくれる人だし。カノンちゃん、シジュの実は後で渡せばいいから、仕舞っておいてね」
「分かった」
中々薄情ではあるが、お転婆に待機と言うのも確かに酷かと、そのまま皆で移動し始める。合間にも幾人かの紅髪が映った。
顔は似ても似つかぬが、仮に居たとてこの人波では気付けぬのではないか。そして、色白であった彼女が熱帯の民と同じく肌を焼いていたのなら……もはや認識出来る自信が無い。
「常々気掛かりであったのだが……お前はあの術を会得出来ぬのか」
そう言えばと切り出したそれは、露骨に嫌な顔で返された。
「だって、術っぽい術じゃないんだもん。あんな一瞬の集中、鍛錬に鍛錬を重ねなきゃ無理っていうか、精神的なものっていうか……ほぼ毎日の勢いで変な瞑想しなきゃいけないし、数ヶ月やそこらじゃ身に付かないのよね。しかも、捉える波動っていうのも一定しない……いまいちよく分かんないモノだし」
呪文を覚えて魔力を捻り出すのとは訳が違うと、性分に合わぬ様を告げられる。
だとすればあの男、日々瞑想などというものに
「物心付く前からやってる誰かさんはもう反則。生活の一部に組み込まれてたらそんなの苦じゃないだろうし、捜索速度だって速いはずだよ。あーもーいーなー。あたしも親族に面白い魔導士居ればなー」
「……彼奴、親族にも魔導士が居るのか」
「……うん、おねーさま、もうちょっと興味持ってあげよっか。あの人も、訊かれないと答えない性格だと思うの」
先程と同じような遣り取りを交わし、着いた酒場へと踏み入る。市場の人波に対してそう多くは無い客入りだが、既に独特の臭気が充満している。海が極端に近い故に湿気が強い。今まで通ってきた港町の酒場と条件は同じはずだが、やはり熱気の差か。
「セシィ、獣の匂いがする」
「え? あ、貼り紙……多っ」
カノンの言葉に振り返れば、入り口を隔てた両脇の壁に、尋ね人を記す羊皮紙が貼り出されているのが見えた。
右側はそれと無く整理されているが、左側は幾重にも貼り付けられており、かなり見辛い。よくよく目を通せば右は賞金首、左は行方不明者と確認出来る。
しかし、これまで一纏めにされている酒場が大半であった故、この光景は妙に思えた。
「こんなの、後ろのほうは誰も見る気起こらないじゃない。ほとんど文字しか無いし。捜す気ある、のか、な」
思い至ったらしいセシリアに、険しい表情が浮かぶ。
先を広大な砂漠とするこの地だ、行方不明者の数もそれに見合うものなのであろう。恐らくは貼り方の前後など無関係に、頷ける結果は得られぬはず。
当人しか知り得ぬ人物画を絵に起こす事も容易くは無い。目撃情報のある賞金首側に絵姿が多いというのも酷であった。
そして、それらを求め、目を通す人の数も。
「あの方なら、似顔絵で貼り出されたかな……」
ぽつりと呟き、徐ろにそれらを捲り始めるセシリア。
「こんな状態じゃ、何が起こってもわざわざそれだけ剥がしたりしないよね」
祈るような目で、一枚ずつ確認していく。
「おねーさま、先にお店の人に訊いてきて。あとこれ、年単位で定期的に剥がしてないかどうかも」
「在れば持ち出す気か」
「どっちの元にあれば役に立つかなんて、分かり切った事よ。……カノンちゃん、おねーさまに付いてって」
「分かった」
視線すら寄越さず、有無を言わせぬ雰囲気で捲し立てる。似顔絵の物だけを見ていく彼女を置いてカウンターへ向かえば、客の笑い声に混じり、少し離れて呟きが聞こえてきた。
「悲しいなぁ……」
声の主は明白だが、振り返りはしなかった。
夢ばかりの旅では無い。長く焦がれ、知識を詰め込んだであろう彼女が、よく理解しているはずの事であった。
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