4.五大・三の陸 【氷の地】
-1- 忘却を願う
氷の地、リーズ港に降り立ったのは私達と数名の商人達のみ。その者達すら乗船の待合室で受付に、ただいまと親しげな挨拶を交わしていた。
「あたし達だけだって。本当に物騒になってるんだねー」
港町特有の賑わいが全く感じられない。それどころか緊迫すら思わせる景色にも、セシリアは興味深そうに声を漏らす。
「ちょっと寒いけど、冒険の匂いがプンプンするー……んふふふふ」
「そうだなぁ。ちょっと寒いなぁ」
徐々に怪しく回り出す彼女の後ろで、手の甲を揉みながらキッドも相槌を打っている。
「この寒さ故に“氷の地”と呼ぶのではないか」
更にその後ろで、私も遥か遠くに
平地であった火の地や緑の地とは異なり、標高が極端に高く風の通りも激しい。加えて地中に含まれる鉱石の類が一層この地を寒中に晒しているのであろう。
眺める景色に自身の白む息が映った所で、突然こちらへと振り向き、キッドが顔をしかめる。
「……何だ」
口を開くものの何も言わず、更に表情を険しくする。その様子に業を煮やし、こちらも目を細めた。
「いつもは……寒くないんだけど」
口を尖らせ、それだけをぽつりと溢す。勢いの割に取るに足らぬ一言に、そうなのかとだけ返す。しかめ面の意図は全く不明であった。
「港出て、森抜けて……ちょっと登ってったら城がある」
話は変わったのか、言葉を選ぶように何かの説明が始まる。
「……それがどうした」
こちらの様子を窺うように言葉を切ったので、今度は鬱陶しさすら感じ、先を促す。
「“ケトネルム城”、だぞ?」
「……聞いた名だな」
そう溢した途端、キッドはぐっとこちらへと顔を近づけ、小声で……しかし強く、おいと言い放った。余りの剣幕に一瞬たじろぐが、すぐさま何事かと反論する。
「こーらー! 何してんのー? 早く行こーよー」
しかし、唐突にセシリアに腕を引かれ、以降の遣り取りは中断してしまった。
「竜いないかなー? 腕が鳴るわぁ。シェラムの怪物は叩き甲斐が無くってねぇ……んふふふふふふ」
口元を歪ませ、私の腕を引き、人気の無い通りを突き切る。
……この娘、ドルクオーガやガーゴイルどもを相手に出来るのか……?
本当にただの箱入り娘では無いなと苦笑していると、彼女もまたキッドと同じように顔を寄せて来た。
「ねえ、あなたたちどういう関係?」
好奇に満ちた目。風に揺れる亜麻色の髪が
「部屋で旅の話を聞こうにも、おにーさまってばすぐに寝ちゃって……ていうか起こす時におねーさま、追い掛け回されてるとか言ってなかった?」
「……」
「恋仲でも無さそうだし、長旅を共にしている仲間って感じでも無さそうだし」
「……」
「まさかあの人、変質者じゃ……」
こちらの答えなど待たず、その甲高い声で次々と言葉を並べ立てる。付いて行けぬ勢いに顔が引き攣るのを感じた。
そして、どうやら無計画に突き進んでいるらしい歩みを留めるように、その場で踏み張ってやる。
「どういう関係も無い。お前のように突然湧いて、付いて来ただけだ」
手を振り解いて放った自身の声は、とても疲弊していた。やはり今後の為にも、彼女とは明確な距離を置く方が良さそうである。
「セシリア、私は干渉される事を好まぬ。出来れば……ぐ」
忠告するこちらの頭を、突然何かが強く押さえ付ける。見れば、隣の彼女も同じ目に遭っていた。
「ぜーんぶきーこーえーてーるー」
どうやら背後に立ったキッドが、その大きな手で私達の頭を
「いったたたた、ごめんなさいごめんなさい」
「ったく、誰が変質者だ。こいつとはちょっと前に赤土で出会ったんだよ」
乗せている手で、そのまま軽く撫でられる。
……こいつだと?
聞き慣れぬ呼び方に不快感を覚え、手を払い除けてその
余計に腹立たしいだけであった。
「あかつち?」
「そう。あの日ちょーっと金欠だったんで、トトの森で手配犯探してたら、近くで気になる波動捉えてさー。行ってみたら丁度、小柄な覆面がその男共を絞めてるトコだったんだよな」
セシリアの漏らした疑問の意味は理解していなかったらしく、キッドはそのまま話を続ける。
途中、森の名を聞いて、彼女はそこが火の地だと気付いたようだが。
「色々先越されたと思ったけど、道教える代わりにそいつら引き渡してくれるってんで、俺ぁ喜んで応じたのさー」
「……初め、口にしていたのは懇願の言葉ではなかったか?」
その時の出来事を思い浮かべ、今度は私が首を傾げる。
簡潔に話すのは良い。しかし、何故か腑に落ちぬ説明であった。
「んで、道案内も滑らかに行われ、取引は無事に成立。いやぁこれで路頭に迷わずに済んだと、お
こちらの疑問までもを聞き流し、腕を組み一人幾度も頷く。
何が滑らかなものか。幼子のように口を尖らせ、意地悪く捲くし立てておったものを……。
周囲の外気にも劣らぬ冷ややかな視線を送り付けてやるが、ヤツはそれすらも意に介さず、更に続けていた。
「……あー、でもその後がさー、凄かったんだって。俺が邪魔をしたとかナントカでいきなり……」
と、何故かそこで凍り付くように動きを留める。
視線が刺さったかと思うたがそうでも無いらしく、ああそうかと、暗く微かな声を漏らしていた。
「運動後の……“お食事”の邪魔をしたらしくて、ものすごく怒られた。あまりにも理不尽な怒り様に、こっちも腹立って後で追っかけてやった。これが俺たちの素敵な出会い。今では仲良し。こんな感じ」
取り
「えー、最後が投げやり過ぎて全然分かんなーい。……しかも、そんなに仲良さそうに見えないし」
“食事”か。
出会ったあの瞬間この身が何をしようとしていたか、気付いたのであろうな。
覆面の裏で静かに苦笑し、港の出口へと身を翻す。
「要は、暇を持て余しているそうだ」
そして、吐き捨てるように言い、緩やかに進み出す。
……私も思い出していた。
追われる身でありながら更にヒトを殺め、この身を追い込もうとしていたあの瞬間を。その行為すら正当化し、欲を満たそうとしていた醜き魔物を。
あの時、血無き骸を森に残せばどうなっていた事か……。
昨晩の後悔が再度心を苛み、私は小さく頭を振った。
「おいこら、……いや、間違ってないけど、何かもっと他に言い方をだな」
「なーんだ。暇潰しに女の子を付け回してるなんて、やっぱり変質者じゃない」
中々に
大男が少女に
「しかし、色々と救われた事もあるのでな。邪険にはしておらぬ。今思えば……良き出会いなのやも知れぬ」
「……え」
この口から感謝とも取れる言葉を聞くのは意外であったのか、何やら間の抜けた声を漏らす。……頬に冷たい風を感じ、覆面を少しだけ引き上げた。
「良かったね。ちょっと仲良しみたいだよ、おにーさま」
「お、おう。俺、救った……って、こっちもよく分かんねー仲良し度合いが、何で新参者に分かるんだよ!」
ヤツがそう叫ぶと、はぐらかすように近くの小動物へと駆け寄るセシリア。甲高い歓喜の声に、その白い生物は長い耳を立てて驚き、素早い動きで向こうへと跳ね出した。
「騒がしい娘だ」
他人の事が言える程、私も王女としては淑やかな方では無かったが。
冒険と称して回ったいつかの船旅を、しかし彼女と同じように感嘆する事は出来なかった。……その旅の行く末が分かっていれば、もっと楽しむ努力をしたであろうに。
悪戯に追うそれが遠ざかったのを見計らい、歩みを留める。
「それで、先程の続きは何だ」
キッドへと向き直り、咳払いを一つ。詰め寄られた際の真剣な様が、ずっと気掛かりでいた。向こうも同じく歩み留まり、表情宿さぬ目でこちらを見つめる。
その深い紺碧の瞳の奥で何を考え、何を想うのか。相変わらず謎を纏うこの男からは、それらを読み取る事が出来ない。
「無理もないよな。今は多分、忘れてる方がいいんだろ」
暫らくすると溜息を吐き、小さく肩を竦めていた。
「?」
理解出来ず、目を細める。
「……と、確か貴様、この衣服を盗品と思い、私を追ってきたのではなかったのか?」
待てども望む答えは返らぬようなので、ふと思い出した疑問を投げ掛ける。それに一瞬目を泳がせ、ヤツは苦く笑み溢した。
「それはー……後々船で観察して思っただけ。もう勘弁してくれよ。形見だったんだよな、ごめん」
間が悪そうに話すその様に怒りも特に肥大せず、小さく息を吐くに留まる。
「それより、さっきセシィに話しながら思い出したんだけどさ、よく考えたらあの時、俺の名前聞いて怒鳴り出したんだよな」
唐突に出た話題にて、緩んでいた身が不自然に強張る。
「あれって何? 同じ名が知り合いに居たりすんの?」
息を呑むこちらに構わず、それは続けられる。思わず見開いてしまった目も、段々とその視界を暗くしていった。
……この男の名。そう、同じ……同じだ。呼び名が違えた為か、暫し忘れていた。
けれど、今は……思い出したく……。
「そういや、確か船でアレンって」
「やめろ!」
願いとは裏腹に
……思い出せば切ない。城を出で、すぐに
『……アレン』
しかしその名は、か細い声となり、再び脳内へ響き渡った。
根付いていた想いが心深くから溢れ、悲しみが身を覆う。……会えぬ者を、私はこんなにも欲している。
「やめろっ!」
先程よりも強く言い放ち、耳を塞いで俯く。愛しき名から逃げるはずのその行為は音を遮るどころか、自身の手の脈動と激しく乱れた呼吸を轟音のように響かせ、胸の痛みを広げるばかりであった。
「え? いや……うん、分かった、分かったから」
くぐもり聞こえてきた声で我に返り、顔を上げる。
怪訝な顔でこちらを見つめているキッドと、絡むように視線が合った。
「えっと……」
「んんんー? 変質者さんに何かされたー?」
しかし、ひょいとこちらの顔を覗き込んできたセシリアにより、それはすぐに途絶える。
「人聞きの悪い事言うなよ。……でもどうやら、触れちゃいけないコトに触れたようで」
「何ですって変態! どこ触ったのよ!……よしよし大丈夫よおねーさま、もう怖くないからねー」
その細い腕で包み込むように私の背を抱き、更には優しい手付きで後頭部を撫でてくる。肩越しにキッドの呆れた顔が見えた。
「さっき触れちゃいけないトコ揉んで、すっげぇ怒られてたのはどこの誰だよ」
「ぎゅっとしてあげると安心するのっ。言葉よりも抱き締めてあげる事が大切ってママも……あ、ほら、息ついてる。んもぅ、こんなクズ男は後でちゃーんと“ないない”しといてあげるからねー」
「……ないない?」
出会ってまだ日も浅いこの二人。馴れ馴れしくべたべたべたべたと触れおって……。この娘に関しては、侍女ですら洗い流す程度にしか触れなかった胸を強く掴みおった! 何が心地良いものか、妙な気疲れが溜まるばかりだ!
「……」
沸々と思うも、どういう訳か感じてしまう安堵に抗えないでいた。
触れ合いを願うた相手とは、長い年月を重ねてもただの一度しか叶わなかった。……その抱擁すら、忘れねばならぬというのに。
あの温もりも、アレンも、忘れなければ……。
そこまで考え、頭を振るようにセシリアの肩へと顔を伏せてしまう。
出来るものなら、全てを忘れてしまいたい。呪われた我が身や、愛しき者を手に掛けた事。幸せに過ごしていた日々すらも。
「ん? 重いよ? 安心しすぎて力抜けちゃった?」
目を閉じそのまま、身を任せる。冗談めかすように笑われてしまうが、その通りであった。
「お前は……良き香りがする」
聞こえているやも分からぬ微かな声で、そう呟く。
瞬きの間でも彼女の香りは、全てを包み込んで緩やかに昇華してくれるように思えた。
……しかし、いつまでもこうしている訳にもいかず、そろそろ発たねばと目を開く。
瞼は鉛のように重く、余り大きくは開かない。それでも無理に開いていると目が異常に乾き痛み、また閉じる。
二、三度繰り返すが、やはり一向に重くなるばかりで思うようにならず、早々に諦めた。
他に方法があるやも知れぬが、どうにも思考が鈍い。
「寝……じゃねーの? お嬢さんはぎゅっに弱……たいだし」
寝ている、だと?……そうか、私は眠いのか。
妙に遠くで聞こえた声により、先程から感じていたであろう眠気が一層強くなる。
「え、うそ、……んなに疲れ……の? ねえ、おねーさまー? 寝るなら宿に……」
「でも、今ここ…………ないか?」
会話は次第に途切れゆく。言葉を聞き取る集中力も、意識を保とうとする理性も残ってはいないようだ。
遠くで優しい声が響いている。……温かく、私を包む。
そのまま、闇とも光とも区別付かぬ空間へ吸い込まれるように、意識は深い眠りへと落ちていった。
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