-6- 少女の作戦

 早朝、受付にて時間を問い合わせると、返ってきた答えは許可証の提示。理解出来ず訝しげにしていると、なら乗船出来ないと断られてしまった。


「どういう事だ」


 間髪入れず問い返す。乗船に特別な許可が必要など、聞いた事が無い。


「数年前から、許可が無いと氷の地へは行けない事になっています。氷の竜はご存知ですか? アレが時折、山から食料を求めて港町に下りてくるそうです。危険なので、緑の地では領主様にお許し頂いた方しか乗船できません」


 竜? ああ、確かニシキコドランとか言いおったか。……このマントの材料。

 食料の買出しに出掛けているキッドのいつかの言葉を思い出し、身に纏う群青の布地を撫で上げる。


「竜など、恐るに足らぬ」

「そう言って何人か討伐に向かいましたが、例に漏れず返り討ちに遭ってます。行きたいのならシェラムを訪ねて下さい。それ以外で出てるのは、同地パオの港への連絡船だけですから」


 受付に溢したつもりは無いが聞こえていたらしく、畳み掛けるように言い放たれた。

 仕方無くその場を後にし、少し進んだ先の通りで足を留め、深く息を吐く。

 またあの領主に会わねばならぬのか。


 道を戻る苦労よりも、疲労滲み出ているギルヴァイス公の顔を目にする事の方が億劫であった。

 こちらとて、昨晩は結局眠れず仕舞いで疲れている。両者苛立って、妙な言い合いにならねば良いが……。


 などとその場で暫らく物思いに沈んでいると、唐突に肩に手を置かれる。

 振り返りそちらを見ると、頬に白い指が刺さった。


「えい、ぷに」

「……」


 向かう先に居たのは、胡桃くるみいろの瞳を閃かせ、不敵な笑みを浮かべる少女。……その背後で、笑いをこらえているキッドが見えた。


「こんにちは。柔らかほっぺさん」


 頬を突いてくるその手を払い、目を細める。

 睨め付けの如きそれに臆する事も無く、少女はすいいろのマントを翻し、笑顔で以て会釈した。


 歳の頃なら十五、六。肩で切り揃えた亜麻色の髪。向日葵色の丈の短いワンピースにロングブーツ姿が、笑顔を更に明るく際立たせる。

 見覚えのある顔であった。


「領主の娘?」

「セシリア=レグド=ギルヴァイス。セシィでいいよ。よろしくね」


 淡々と言い、彼女は右手を差し出す。

 ……何用であろうか。


 屋敷での服装とは掛け離れた姿。シェラムからは飛翔の術を以てしても二時間を要する。従者も付けず、早朝に娘一人。


 不吉にしか思えぬ中、暫らくその手を見つめ、とりあえずはこちらも名乗り、軽く握り返す。


「何故このような所まで?」


 問うと、その笑顔に輪を掛け、引こうとしたこちらの手を力強く握った。


「んふふふふふー、乗れないんでしょー」


 ……関わりたくない。

 不気味な笑みの後ろでパンを頬張るキッドに視線を送る。ヤツは手をひらりとさせて肩を竦めるだけで、介入するつもりは無いらしい。


「聞けば貴方達、こんな時なのにパパに許可証書いてもらわなかったそうじゃない。……ざぁんねーん。今戻っても無駄ー。持病のスリープモード発動で一ヶ月は起きないから。……んふふふ、素敵な頃合いよねぇ。前回のおじさま達の時じゃなくて良かったぁ」


 そう述べては手を離れ、身振り手振りを交えて舞う少女。何とも言えぬ妙な雰囲気に、ただひたすらに眉がひそめられる。こちらが不審に思う様など意に介さぬのか、意味不明な事を吐き続け、飛び跳ねていた。


 暫らくすると満足したらしく、身に付けていた腰袋から一枚の紙を取り出し、目の前で広げて見せる。


「あげる。但し、あたしを連れてって」


 絹を思わせる程白いその上質紙には、氷の地への乗船許可が書き記され、領主ギルヴァイス公の印が捺されている。


 最初に感じた予感はどうやら的中していたようだ。

 この旅には同伴者など不要だというに、何故こうも妙な虫ばかりが寄り付くのか……。


「俺ふぁ、あんふぁがいいっふぇ……言うなら別にいいよっつった」


 虫その一が食べ終わったパンの包み紙を丸め、ようやっと口を開く。


「貴様……私の答えなど予測出来たであろう。何故その饒舌な口振りで断っておかぬ」

「それがさー、御令嬢、領主の業務代行者に手回しして俺達への許可証出せないようにしてるらしいんだ」


 何だと?


「……ならば、領主の目覚めを待つ他無かろう」

「一ヶ月だぞ? 待てんのか? 魔物は多いが稼ぎ難いこの地でそりゃ、半月で旅費が尽きるぞ」


 断るどころか、まるで私を言い包める勢いである。

 それに目を輝かせ、少女……セシリアはぐいぐいと許可証を押し付けてきた。


「当然! この大作戦、どれだけ練りに練ってあるか教えてあげたいくらい! さあ覆面さん、どうする? 氷の地への船は一日に二回。その内の一回が後一時間もしない内に出ちゃうよ。……ちなみに内緒で家出てるけど、バラしてやるとかそんなの脅しになんないから。あたしには年単位で完成させた言い訳があるの。そっちが大損する事間違い無しのね」


 本当に練りに練ってあるのだろう。その表情は自信に満ち溢れ、更には何にも屈せぬという意思の強さすら感じられる。


「こりゃあ領主が起きた瞬間にでも対処されるだろうな。……どうする?」


 どうするも何も、同行を承諾して“安全に”旅をさせる自信がこちらには無い。

 私は俯き、小さく息を吐いた。


「……お願い。旅がしたいの。この先ずっと屋敷に閉じこもってるのなんて、干からびて死んじゃいそう」

「戯言を。遊びでは無いのだぞ」

「分かってる。危険が付き物って事も勿論。だからちゃんと自分の身を守れるくらいの力は付けてるつもり。どうしても危ない時は逃げるよ。……でもね、旅先での不幸なら後悔はしない。そう決めたの」


 弱気なこちらとは裏腹に、彼女は強く言い放つ。……その旅先で最も危険なのは、制御出来ぬ私自身なのだがな。

 しかし、ただの箱入り娘かと侮っていたが、最悪の事態をも覚悟の上で旅がしたいと言う。その信念故の怪しい雰囲気であったのかと思えば、負の印象が少しだけ和らいだ。


 ……などと考えていると突然、彼女は許可証を仕舞い込み、こちらの手を自身の両の手でやんわりと包み込む。何やら上目遣いで、熱のある胡桃色の瞳を向けていた。


「それに、男の二人旅なんて華が無いじゃない?」

「………………」


 身の時が奪われるような感覚。

 一陣の風すら、妙な空気と共に吹き去った気がした。


 この覆面姿、確かに遊び女の真似事でもせぬ限りは女に見えぬと自覚はしていた。

 けれど、今この場でそれを言われようとは全く予期しておらず……口を開く気力すら失い、先程よりも深い息が漏れてしまう。


「……ぶっ!」


 すると、事の成り行きを見守っていたキッドが突然、派手に噴き出す。

 やや覚束おぼつかぬ足取りで近くの木製の郵便受けにもたれ、幾度か強めに叩き、必死で笑いを堪えている。そして私を指差し、余り言葉になってはいない声で女である事を伝えた。


 言われ、彼女はとんきょうな声を上げると、握る手を離し、マントの上から強く――


「!」


 ……私の、胸を……。


「ああ! 柔らかほっぺに続く柔らかおっぱい!」

「無礼者め!」


 叫びと同時に渾身の力を込め、それを突き飛ばす。自身も勢い余って、その場へ跪くように倒れ込んでしまった。


 余りの出来事故に受身すら取れず、そのまま放心していると、見るに見兼ねたのか遂に聞いた事も無い大声を上げ、キッドが笑い出した。


「ご、ごめんね。つい触っちゃった……大丈夫?」


 我が満身の力を受けるも後ろに居たそれに受け止められ、大事には至らなかったセシリア。慌てこちらへ申し訳無さそうに手を差し伸べるも、私はそれを強く払い除け、自力で立ち上がっては鋭く睨み付けた。


「屋敷へ帰れ! 貴様のような変態、同行させてやる義理は無い!」

「うわぁ……そうだよね、怒るよね…………あっ!」


 隙を突き、腰袋から許可証を奪い取ってやる。


「これは代償とする! 諦めて次の旅人に付いておれ!」

「はっはっはっは、ファルトそれ泥棒」

「黙れ! 貴様も同罪だ!」

「何でそうなるんだはっはっはっはっは」


 尚も笑い続けるキッドと困惑するセシリアを後にし、船着場へと向かう。掴まれた胸の感触が気持ち悪い。体力を消耗する程に、全身の毛が弥立っていた。


 要らぬ手間を掛けさせおって……話など聞かず最初からこうしておれば良かったわ。

 苛立ち、うわ言のように愚痴を並べる背後で、喚く声が響く。


「あーもーごめんなさいってば! 女の子同士なんだからそこまで怒んなくたっていーじゃない、もー!………………バインドスティル!」

「!」


 勢いそのままに放たれた言葉に、思わず振り向き驚愕する。本能的に駆け出すも全く間に合わず、またあの光の環に捕らわれてしまっていた。


「おのれっ……貴様も魔道士か!」

「って言うほど術使えないけどねー。ほら、時間無くなっちゃうよ。連れてって……は止めにして、あたしが引っ張ってく事にするわ。よろしくね、“おねーさま”」


 我が身をがっしりと抱え込み、引き摺るようにして進むセシリア。

 逃れようと身を捩らせども、環は全く動じない。


「くっ……キッド! この術、解けるのであろう!」

「おー、珍しいな、やっと俺に助けを求めたか。でもなぁ、ギルヴァイス家を敵に回したくは無いしなぁ」


 馬鹿笑いは収まったのか、長い水晶色の髪を結わえ直し、ヤツは悠々と付いて来る。その様子から察するに、断る気など初めから全く無かったのではなかろうか。

 まだ早朝にも拘らず、私は本日何度目かの溜息を吐き、項垂れた。


 ――ボオオォォォォ。


 出航の刻限を迫る合図が、港に響き渡る。解けぬ術に抵抗するのも疲れ、半ば諦めてセシリアに身を委ねていた。

 鼻歌なんぞを歌いながら、華奢なはずのその腕は、まるで羽を抱くかのように軽々とこの身を引く。足の引き摺りもいつの間にか無くなっていた。


 抱え込まれた私の顔は丁度彼女の肩の位置にあり、仄かに髪の匂いが香り続ける。深く優しい女性特有の香りに、知らずこの身が安堵するのを感じてしまった。


「……私もまだ、甘いな」


 いつかの母上の温もりを思い出し、小さく呟く。

 あらゆる事に対しての怒りなど忘れさせてしまう程、彼女の匂いは柔和であった。


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