3.シェラムの町にて
-1- 移動手段
「それ、やっぱ着けんの?」
陽光が
木を背もたれに座り込むキッドが、覆面を巻く私を見るなり問い掛けてきた。
「当然だ。この身は絶えた事になっている」
目を充血させ、大欠伸を溢す様はもう幾度目であろうか。
「でも、お前さんの顔を知るヤツなんてそう居ないよ? 王妃にはよく似てるけど、その王妃の顔を知る人も少ない。他人の空似で片付けられるかも」
「確かにそうだが、晒して良い顔でも無かろう。不便さの方が立つ。……それに、今の名は捻りも何も無いのでな。顔と合わせればすぐにでも公開処刑の始まりだ」
マントを羽織り、準備の整った所で昨夜の恨みとばかりにその顔を見下ろす。
「はははー……アレはほら、雰囲気作りってやつよ。本心じゃない本心じゃない」
向こうは間が悪そうに目を泳がせ、ひらひらと手を振っていた。
「ふぁーあ……さぁて、お次の行き先はー? ちなみに訊かれる前に言うけど、ここはリムドーラ森林。パオの港を出たトコすぐの、お前さんが迷ったあの場所はカサンドラの森。ドルクスが境界線になってんだ、この“緑の地”は」
「リムドーラか。少し覚えがあるな。確か付近に町があったのでは?」
三年前の記憶を辿ってみるが、あるのは地図上の知識のみで何一つ旅の情景が思い浮かばない。幼き日の記憶は残っているというのに、三年前の出来事だけが欠落している。
……鮮明に思い出せるのは、姉上が海に呑まれたあの時のみ。
「シェラムな。あんまり近くじゃねーなぁ。チェオの港の方が早く着くよ」
「どちらでも良い。いずれにせよ両方立ち寄らねばならぬ」
そう言うと、キッドは再度欠伸を噛み殺しつつ、少しばかり涙目で口を開いた。
「お前さんの旅の目的って何?」
姉上捜し。
言葉にしかけ、口を噤んでしまう。
見つけ出して……どうすれば良いのか。
救い出してと母上は仰った。けれどもし、帰って来られぬ理由が幸ある日々を手にしたからという事であれば、私はただそれを脅かすだけの存在ではなかろうか。
そして、優しい姉上の事だ。それでも迎え入れてくれるであろう。例え邪魔者であったとしても、私を。
……。
「人を、捜している。それが、この先の居場所に成り得るかどうか……」
否と言われるのであれば、去るしかあるまい。
「だが、出来れば……余生を共に過ごしたい」
「……へー」
気の抜けた
……駄目だ、これではすぐに目的を見失う。消極的に考えるのは止そう。姉上にお会いしたい、今はそれで十分ではないか。
「さあ、案内を頼む」
「了解。じゃ、飛びますか」
重苦しい掛け声と共に立ち上がり、身体を伸ばした後、両腕の運動を始めるキッド。
……
「いや、徒歩で行く」
「却下、却下! こっちがどれだけ疲れてんのか知らねぇだろ!」
運動を止めぬまま、即座に否定する。私の口からは深い溜息が、やや長めに漏れた。
確かに、先程から欠伸の回数は多い、瞼は充血と共に眠気を帯びている。理解はしていた。
しかし、……しかしだ。これまでの仕様を考えても飛翔の術は完全に一人用。二人でその風を得るならば、術者が片方を引かねばならぬ。
それも、必要かどうかも計れぬ密着度で。
「歩くのが面倒なら道を教えろ。私は飛ばぬぞ」
「阿呆! 余計な時間掛けてどうする! 大体お前さん、方向おんっ、ち……なんだろ……」
途中、こちらの殺気にも似た視線を感じ取ったのか、その声は次第に消えゆく。咳払いで取り直しているようであった。
「それに、誰の所為でこんなにおねむだと思ってんのさ。昨晩、逆にぐっすりしちゃったお姫様をホントに食うか食わないかで悩」
「飛ぶなら教えろ。飛ばぬのなら前に立て」
「……はぁ。御冗談の通じない御方ですこと……」
「質の悪い戯言に応える口など、持ち合わせてはおらぬ」
言うてやると、大袈裟に息を吐いて首を振る。
呆れた様で頬を掻き、暫らく黙り込んだ後、とある方角を指し示した。
「分かったよ。とりあえず北西へ進め。海沿いにある町だから、迷っても辿り着く」
随分漠然とした説明に些か不安を覚えたが、言われた方角へと向き直り、歩み出す。
背後では間も無く術の詠唱が始まっていた。向こうも飛立つ準備をしているのであろう。私も、余計な時間を掛ける気など毛頭無い。ヤツが飛ぶのと同時にその後を追うつもりであった。
辺りは鬱蒼とした樹木。見失う確率は高いが、そうなれば説明された道を駆ける。二人で歩くよりは時間も短縮出来よう。
一人頷いていると、術を発動させる声音が耳を掠める。マントを背に流し、こちらも速度を上げた。
「ファールトちゃーん、ワガママはいけませんよー」
……。
捨て台詞のつもりであろうか。風と共に気味悪くそう吐くと、ヤツは私を通り過ぎ――
「ぅぐっ」
――るか否かという瞬間に背後から抱え込み、森を抜け、高く舞い上がる。
「シェラムまで直行ー!」
「んなぁぁぁぁっ!」
愉快そうな声と嘆きの叫びが、野鳥を驚き飛び立たせる程に大きく
「ほーら、やっぱこっちの方がはやーい」
「戯けっ、この、変態めが!」
胸を圧迫されている所為か、途方も無い怒りに気が動転しているのか……顔がこれ以上無い程に上気していく。
「え? あ、だから柔……いや、ごめんごめん、よっと」
ずるりと腕の位置を変え、それでもこの身が抵抗出来ぬよう抱え直すキッド。人形の扱いに似たそれに顔は更に紅潮し、自身が何とも情け無く思えてしまう。
「魔道さえ扱えれば……」
無意識に言葉まで漏れてしまった。
かつて、教育係であった宮廷魔道士には“覚えられない体質でしょう”と、
確かに、術なる言葉を何度聞いても明確に記憶する事が出来ない。書き記したものを読み上げるだけでも手印が沿わず、結果発動しない。暗記は苦手では無いはずだが、どうにも受け付けぬようであった。
「覚えておれ! 貴様が如何なる無礼を働いたかを!」
けれど、解せぬ理由で何故このような目に遭わねばならぬのかと、その怒りの矛先をこの変態男へと転嫁する。
「ご、ごめんってば。マントだし後ろからだしで分かんなかったんだよ。……ったく、ちょっと当たった位で大罪人だな」
後半、私に聞かれぬよう小声で発したつもりであろう。
しかし、ヒトよりも遥かに発達した聴力の前でのそれは無意味に等しかった。
……胸に触れておいて全く反省の色が無いとはどういう了見だ! 男に触れられる事自体、腹立だしいというに! 此奴、やはり噛み殺しておくべきか……。
未だ熱の引かぬ頬に自身の冷えた手を宛がう。
雲多き空は、まるで我が心境を
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