-2- 癒しの光

 一刻も経たぬ内に、石畳や鮮やかな草花ばかり目立つ広い町が、木々の途切れた草原に現れた。


 閑静かんせいな町。遠目からでもそれが伺える程の建物の少なさ。しかし建物の一つ一つは大きく、いずれも庭園が目立つ。恐らくは民家であろう。


 緑の地で海岸沿いと言えば、他の大陸をしのぐ快適な気候と、栄養を多大に含む草原部。その為、裕福な民が土地を買い付けてまで移り住んでくるという最良の地である。……中部に妙な集団こそ在れども。


「相変わらずお上品な町だよなー。見ろよ、日傘の御婦人ばっか。上から見ると白だの黒だの、遊技用の駒かっつーの」


 速度を落としつつ苦笑するキッド。それに応える言葉は何も無かった。

 先程から渦巻くはいきどおり。いい加減、地が恋しい。


「あとここ、宿屋無いから。早めに切り上げるか野宿するか、御婦人宅に転がり込むかのどれかな」


 確かに、見た所その数は多い。屋根の色も柔らかく淡い女性好みの色で占められている。

 しかし、それは女が多いと言うよりむしろ、男の気の小ささを窺い知る事が出来る……そのような雰囲気に思えた。


 不意に、気の強い女に叩き出されるキッドの姿を思い浮かべ、小さく鼻で嗤う。


「食えるトコくらいはあるけど、良い材料使ってるから高いし……そもそも入り辛ぇし」


 こちらの考えなどつゆ知らず、愚痴ぐちを溢しながら緩やかに降下していく。


 数メートルはあろう高い塀。入り口の造りは豪華ではあるが、人を招き入れる為のものでは無い雰囲気が滲み出ている。……自己中心的な町。そう思えた。


 我が赤靴の先が地に着く。次いでキッドが音を立てず、しかし年寄り染みた掛け声と共に降り立った。


「ふわぁぁ、疲れぅぶぅぅっ!」


 そして大きく伸びた格好のまま、妙な回転を付けて跳ね飛ぶ。

 渾身の力を込めて放った我が拳が、素晴らしくその顔に減り込んだが故であった。


「そこへ直れ、アレキッド=ラバングース! 全く、非常識も甚だしい!」


 倒れ、動かなくなった身を真っ向から指差し、声を張り上げる。驚いた幾人かの日傘女が振り向いていたが、人の目など気にならぬ程、我慢の限度はとうに超えていた。


「最も性質たちの悪いのが貴様のようなぶつだ! 謝罪の言葉にすら誠意の欠片も感じられぬ!」


 荒々しく歩み寄り、襟首を掴んで強引に立たせる。意識はあるようだが思考が追いつかぬのか、間抜け面で放心していた。


 容赦などせず、その頬に幾度か平手を打つ。そうする度、怒りは収まるどころか更に湧き上がるようであった。


「……」


 けれど、殴り付ける手首が突如、無言のまま強く戒められる。口内でも切ったのか、僅か顔を背け、品の無い音と共に血混じりの唾液を吐き出していた。


「貴様の場合、平伏してこそ謝罪の意味を成すのではないか?」


 それすらも怒りの対象となり、まるで反抗的に据わった紺碧の双眸を睨め付ける。


「痛い。やり過ぎ」


 常の饒舌振りからは考えられぬ程に短く、怒気の込められた声。

 対し、こちらも目を細め、掴まれた腕に力を込める。


 ヒトの力量なんぞくっするに値せぬ。我が鬼に敵う力など、己の中に無いと知れ!


「悪かったよ。……悪かったけど」


 しかし、どう力込めても、その手はじんも動かない。


「やっぱ、やり過ぎ」

「な、ん……」


 動かない。動かせない。

 細めた目は瞬時に見開き、その手へと釘付けられる。怒りなど瞬く間に吹き飛び、驚愕が支配する。


 我が心内で目前にたたずむ人物が、何か得体の知れぬものへとその存在を変えていった。


「魔具見当たらなかったし、その馬鹿力、種族由来の自前だよな。……ドルクオーガと張り合う力だぞ? 軽く死ねるからな? ったく、久々にくっそ痛ぇ。…………クロスヒーリィ」


 詰めるように言い立て、突然溜息を吐くかのように術と思わしき言葉が零れ落ちる。次の瞬間、伝うように我が手に熱が宿った。


「いっ……!」


 眩いばかりの白光。一目で理解出来る、癒やしの術。

 気のせいか凹凸おうとつに見えていたキッドの顔も、光を吸うようにして癒えていく。


「ぐ! うぅぅ!」


 しかし、まるで炎をいとう獣のように、身が怖気付く。

 必死にもがけど、退ける事すら叶わない。


 ――嫌だ、この光は嫌! 手が焼ける!

 熱い、熱い、あつ――


『だめよ』


 湧き上がった何かがいよいよ弾けてしまうかと感じた頃、突如響いた声と共に、ふつりと視界が途切れる。


「はー、すっきり爽快ー」

「……え?」


 次の瞬間、何事も無かったかのように光が戻っていた。

 目の前には、艶が戻りて晴れやかなるキッドの顔。


 ……何だ、今のは。

 瞬きの間、しかし確かに深淵しんえんなる闇を垣間見た。


「阿呆、自分の手まで痛めつけてどうする。両手真っ赤だぞ」


 苦痛は然程表に出ていなかったのか、何にも気付かぬ様のキッドは、未だ掴んでいる私の掌をこちらへと見せ付けてきた。


 ……両手? まさか。

 渾身の一発は拳で放った。後の平手は大して力も入れておらぬ上に、右手しか使わなかったはず。


「痛むなら治そうか? 今の術、もっとちゃんと唱えれば何にでも効くよ? それとも、俺みたいに簡易にしとく?」


 再び、掌を自身の方へ向け、何食わぬ顔で術を唱え始める。

 ……癒す気だ。先程の光で。

 今度こそ、私を。


「やめろ!」

「ふぶっ……」


 向けていた手でそのまま、詠唱し始めた口を制する。自身でも驚く程、その声は恐怖に色付いていた。


「見縊るなっ……、痛みなど、微塵も感じぬ!」


 町の方へ振り返り、足早にその場から離れる。

 両の手は素早く擦り合わせ、事を忘れるかの如くマントの中へと仕舞い込んだ。


「……でも、ものすごく熱いぞ、その手……」


 口に当てられた際に異常さでも感じ取ったのか、戸惑いを滲ませる。


「必要無い!」


 虚言などでは無い。痛みは皆無であった。

 しかし、微かではあるが珍しく肩に無駄な力が入っている事に気付く。これしきの事でとうわ言のように呟き、早々にシェラムの門をくぐった。


 一応の番兵ばんぺいは置いているようだが、特に脅威に晒される事は無いらしい。呑気に歓迎の言葉なんぞを吐き、やる気の無い敬礼が送られる。


 草地から整った石畳へと成り代わる町へ踏み入り、此処からでも見える奥の小高い屋敷を目指す事にした。



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