-5- ドルクスの村

「どうする? このまま正面から行けばすぐに取り囲まれるぞ」


 村から少し離れた茂みの中にて。

 かたを呑み、こちらへ問い掛けるキッド。


「その妙な頭巾は何だ」


 しかし、その風体ふうていは……どう見ても盗人。緊張感など全く無い。


「あれ、知らない? 東の大陸の定番。唐草からくさ模様の布でこう、鼻の下で端と端を結んで……」


 武装しているとは言え、やはり常人は常人。ドルクスの説明を如何に恐ろしく語ろうとも、此奴は村人を甘く見ておるのであろう。先程の戦いで、何故こうまで余裕で居られるのかは理解出来た。


 そして同時に、鮮やかなまでの魔道術の数々に魅せられた瞬間であった事も思い出す。


「誰が賊になると言った。脱げ」


 が、このような戯け者に敬意を払う気など起ころうはずも無く、静かに頭を振り、低く吐き捨てた。


「だって、こんな夜中にあんなへんなトコへ立ち寄る理由なんて限られてるだろー。外界から断たれた村なんてやりたい放題! で、どうすんの? 俺の浮遊術で大きな家の屋根まで行っとく?」

「二の次にはそれか。貴様の正体こそ盗人ではないのか?」


 鼻でわらい、意味も無く引き込まれていた茂みから出る。

 浮遊の術など必要無い。目的は姉上の消息……ともすれば、村人全員。


「おいこら、いくら何でも正面は危険だって」

「案内御苦労。暇も潰せたであろう。今すぐ私の前から去れ」


「……あんたこそすぐそれだ。今更もう遅いよ。俺がヒマである限り、何が何でも付いてってやるから」


 そう言い、同じく茂みから出で、正面向かいに回り込むキッド。


「何より、そう簡単に見過ごせないね。今にも住人の頭まで割っちゃいそうな人間をさ」


 我が目を見据え、軽い口調で物騒な事を言い放つ。

 ……抑えようとも滲み出てしまう殺気に感付かれたか。

 見透かすように笑んだその口に対し、小さく肩を竦めてしまう。


「さっきの戦いで分かった。あんたは強い。その身一つでこの村を壊滅へ導く事も可能……かもな」

「邪魔立てするなら、貴様の頭も潰れる事になるが」


 もはや罪悪の念など持ち合わせぬ。男の一人や二人、食料が増えるのみ。

 体面には出さず、マントの下で無の構えを取る。


「俺?……やめとけ。あんたには無理無理」


 掴めぬその態度に大きく息を吐く。そして同時に構えを解き、前触れ無く拳を弾き出した。

 が、その手は何も捉えず、ただ虚空を突く。


 ヤツは跳躍だか飛躍だかで目前から掻き消え、いつの間にやら頭上で腕を組み、余裕の笑みを浮かべていた。


「……魔道に依存した軟弱者に敗北するなど、有り得ぬ事だ」

「失礼な。使いこなしてるって言ってよ」


 どちらにせよ、“発揮”した我が身に敵うはずが無い。

 力で圧そうとも考えたが、此奴との短い同行の中、労せずして退ける術は心得ていた。


「暇潰しにはもう付き合えぬ。聞け、……アレキッドよ。この口は恐らく、ドルクスで要らぬ発言をしてしまうやも知れぬ。それも、他者の耳には入れ難い事実だ」


 態度こそ軽薄だが、この男は妙に潔い引き際がある。ただ邪険にするよりも行けぬむねを伝える方が手っ取り早い。


「何者であろうと決して共有出来るものでは無い。……お前も、その類の秘密位は持ち合わせておろう」


 思惑通り口を閉ざしたそれを通りすがり、緩りとドルクスへ踏み入る。


「……分かったよ。けどファルト、死ぬなよ」


 その身一つで壊滅を導くとうたっておきながら、死ぬなと案ずるか。

 妙な言い草に嘲笑するも、すぐに眉をひそめ、僅か足を止める。


 それとも、終焉を望む思惑を見抜かれたというのか。

 ……全く、最後まで読めぬ男だ。


 再び歩み出し、背を向けたまま軽く手を振る。

 二度目の“アレキッド”との別れ。

 まともに挨拶もしてやれなかった彼奴の分も、知らずこの男へ向けている事に気付き、私は小さく笑みを浮かべていた。






 夜も更けていた為か、即座に取り囲まれるなどという事は無かった。


 難無く村を突き進み、中心部分に当たるであろう広場へと出る。中央には井戸があり、ようやっと住人なる人間を見つけた。


 向こうも気付いたのか、訝しげな動きと共に睨まれる。そして次の瞬間には、腰に下げていた草刈鎌を構え、歪んだぎょうそうでこちらへと駆け出していた。


 意外にも距離はすぐに縮まり、戦いには向かぬ得物を躊躇いも無く振り上げる。……だが、それは“攻撃”とも言えぬ隙だらけの動き。

 歩数も踏まぬまま回避し、虚空を薙いだその腕を捕らえ、捻り上げてやった。


「声も無く襲い掛かって来るとは。本当に物騒な村なのだな」

「鬼め! 性懲りも無くまた食らいにきたか!」


 呻くように叫び、男は鎌を取り落とす。

 見れば、ダルシュアンにも居そうなごく普通の青年。しかし、今やその顔は憎きかたきを目の前に醜く歪み、どちらが鬼なのかも疑問に思える程であった。


「貴様の返答次第だな。……三年前、この村に紅髪の女性が迷い込まなかったか?」

「離せ! すぐにその体引き裂いて、火炙りにしてやる!」

「……ほう」


 腕の力を更に強め、もがき苦しむその耳元へ自身の唇を寄せる。


「答えろ。貴様の息の根を止めるなど、その鎌で草根を刈り取るよりも容易い」

「神の裁きを受けろ! 人間の皮被りめ! 醜いその中身、引き摺り出してやる!」


 囁きに臆する事も無く、狂ったように吐き散らす青年。


「……旅人を怪物に仕立て上げ、処する貴様らこそヒトの皮を被る鬼ではないか。果たして裁かれるべきは私だけか?」


 話にならぬと悟り、その身捕らえたまま更に村奥へと突き進む。騒ぎに気付いたのか、程無くして数人の男達が様々な農具、戦士用の剣や斧を構え、青年の動き同様こちらへ向かい駆けてきた。


 憎悪と復讐を胸に生きてきたにしては、どの人間も相手になりそうに無い。溜息すら吐き、青年を人質と示すように突き出し、先程の質問を投げ掛けてやる。


「迷い込むだと? 俺たちを殺しにきたんだろ!」

「人間を甘く見るなよ……鬼は皆殺しだ!」


 思うような返答は得られない。増え続ける村人は声を荒げ、各々の得物で掠りもせぬ攻撃を繰り出す。


「この村を襲った吸血鬼は、ダルシュアンの兵が仕留めた。……ヒトというものを甘く見ているのはそちらでは?」


 聞き入れられぬであろう言葉を吐き、青年の呪縛じゅばくを解く。そして民家の屋根へと跳躍し、身を隠すこともせず留まった。


 村人は尚も私に向かい、罵詈ばり雑言ぞうごんを浴びせる。しかし、それらの全ては視野の狭い己に当て嵌まるだけのむなしい戯言。気付かぬ様が滑稽であった。


「話すだけ無駄か」


 呆れと共に再三溜息が漏れる。

 屋根を蹴り、それこそ鬼特有の、ヒトには見えぬであろう動きで再び村人を捕らえた。


 今度は体格も腕力も必然的に男よりおとる、人間の女。


「武具で身を固めていようとも、私は今まで殺めてきた“偽の鬼”とは比べ物にならぬぞ。……何せ、真の吸血族なのだからな」


 こちらの声に反応し、慌てて屋根から地へ視線を返す村人。その様こそ、素人同然であった。


「今の動きを捉えた者は居るか? 肯定出来ぬのなら案内しろ。貴様らのおさの元へ。早うせぬと女の命……いや、今度こそドルクスが滅びる事となるぞ」


 それでも機会を窺い、こちらへとにじり寄る。

 暫らくすると、村人の一人が持っていた松明で導くように村の更に奥を示した。恐らくは先に長が居るのであろう。


「ふん、もう少し物分りも良ければ、おのが過ちにも気付けるであろうに」


 警戒もせず女を引き、かなりの数にまで達した村人共の間に踏み込む。……外界から断たれていた割には皆が皆、やはりダルシュアンの民らと大きな違いがある訳でも無い。


 木材が豊富であるからか、それを主とした民家。五大陸で最も恵まれた土壌が広げる畑。点在しているそれらには作物も実っている。遠く見える小屋からは家畜らしき生物。……旅人を襲う村には到底見えぬ生活が、そこには在った。


 程無くして、村奥の闇より浮かび上がる白髪の老人。既に騒ぎを聞きつけているらしく、戦闘用にか十字を象った仮面を纏っている。……成る程、対吸血鬼用に用意したその代物だけは周到と言えよう。


 小さく呼吸を整え、仮面の奥から覗く眼を細く見据える。


「貴殿がこの者達を率いる長と見受ける。なに、私はただヒトを捜しているだけだ。そう物騒な気を放たないで欲しい」


 人質を引きながら、全く説得力の無い台詞が溢れる。

 物騒な気を放つのは、恐らくこちらとて同じであろう。


「答えて貰おうか。三年前、紅蓮のドレスを着た紅髪の女性が此処へ訪れたか否かを。名は“ビアンカ=シェル=マイア=ダルシュアン”……隣の陸、火の地の王女だ」


 刹那、周囲の村人全員の間に静寂が訪れた。

 心当たりがあるのか、それとも人を出さぬ村故に聞いた事の無い名であったのか。


「知らんのう」


 静寂を突き破り、目の前の老人がしわがれた声を漏らす。腰に携えた細身の剣をすらりと抜き、手慣れた様子で構えていた。


「来ていたとしても、既に斬った後じゃろうな」


 それを合図に、同じく構えていた村人共が一斉に飛び掛ってくる。人質の女など、目に入らぬ様子で。


「……長の石頭故に、このドルクスか」


 仕方無く女と共に跳躍し、人々から距離の開いた地へと降り立つ。同時に、風を切る音が耳元で鳴り響いた。


 猛進にも飽いたのか、代わりに遠距離用の武器に持ち替え、次々とこちらへ撃ってくる。矢、ナイフ、石、その一方で日用品まで飛んでくる始末。だが命中は悪くない。


 私の動きが僅かでも鈍ければ。捕らえたこの女が暴れ馬であったなら。避け切れず、この身には無数の穴が開いていたに相違無い。


「あぐっ!」


 けれど、紙一重で避けていた為か、やはりそこまで気が回っておらず……何という事か、悲鳴と共に女の体が揺れた。

 一息の間を置き、その脇腹が赤く滲む。白い衣服故、恐ろしい程鮮明に映った。


「は……」


 それは、一瞬の気の緩みが招いた些細な切っ掛け。

 留まる事を知らぬ赤は、息を呑む程に溢れ出している。目は釘付けられてしまい、流れるそれから背く事が出来ない。


「ぐっ……!」


 そして遂に、覚えある胸の高鳴りが身を躍らせる。

 伴い、明るい闇と化す景色。

 “それ”を欲するが故、徐々に焼け付く喉。……忌まわしき身体への変貌。


 その合間にも、飛び交う凶器を弾き、高鳴りと共に離してしまった少女を見る。私から離れた事で直撃はまぬがれているようだが、それでも運悪く無数の傷を負っていた。


『……ありがとう』


 すると突然、脳内にて声が響く。かつて畏怖していたその言葉に感じたのは、小鳥のさえずりを思わせる愛くるしさ。


 懐かしいはずのその主を、しかし思い出す事が出来ず、もどかしく切ない想いにさいなまれる。


 そして遂に、この身は一切の動きを止めた。

 途端、村人の矢に切り裂かれる……事は無かった。

 しょうにも似た何かを放つ我が鬼の身に恐れをなしたのか、村人側が留まったのだ。


『目覚めさせてくれたアナタ。苦しまないで。私が愛してあげる』


 その言葉は、目の前で倒れる女に向けられているようであった。

 巡る声に身を委ねるように、緩りと女へ近付きながら、口元を覆う布を襟元まで下ろす。


「赤く濡れた身など、すぐに綺麗にしてやろう」


 唇を濡らし、欲望のまま発せられたその言葉は、この身が完全に鬼と化した事を示していた。


 …………。

 い、や。

 飲みたく、ない。

 もう、失うのは――


「た、す……」


 混濁こんだくする意識の中、女の胸倉を掴み、そのまま目前へと引き寄せる。傷による流血、それが激しいのはどこかと、舐めるように素肌へ吸い付く。時に舌へ絡む微量の味に快感を覚え、顔には無機質な笑みが張り付いていた。


「バーンフレア!」


 すると突然、辺り一面に弧を描きながら紅蓮の炎がほとばしる。熱風に怯んだ村人共は蜘蛛くもの子を散らすように遠ざかるが、それすら微動だにせず、この身は喉を潤す行為を続けていた。


「あんた……阿呆! 何やってんだよ!」


 降り注ぐ声と共に降り立った人物に腹を抱え込まれ、そのまま上空へと連れ去られてしまう。女の解放を余儀よぎ無くされ、怒りが込み上げた私は、村から離れ始めるその魔道士を暗く睨み付けた。


「悪い、なんかヤバそうだったから介入した。だから言ったろ、ここには頭おかしいのしか居ないって。……ああ、ご心配なく。話とかは聞こえないように離れて見てたから」


「邪魔立てするなら貴様も食らうまで!」

「へ?」


 私の攻撃性が自身へ向けられる事など予想していなかったのか、暴れる身を抱え切れず、上空から取り落としてしまう。


「うわっ! ファルト!」


 慌て、急降下する我が身を追うも、生じる突風の所為で思うように術を制御出来ぬらしい。

 まるで、我に返ったかのようにそれらの興味も失せ、ふと地上を見た。


 以前飛び降りた帆柱よりも遥かに高い。城の頂上程はあるか。足には響くであろうが、受身を取れば着地出来ぬ事も無い。

 そして、やらねばこの身はただでは済まない。打ち所が悪ければ、死さえ有り得る。


「姉上……」


 垣間見えたそれに身を委ねてしまおうかと目を閉じた瞬間、紅のドレスを翻し、微笑む彼女の姿が思い浮かんだ。


 ……消息は分からなかった。だが、村に行き着いたとも思えなかった。ならば他の場所で生きておられるのか否か。けれど、どちらともつかぬ彼女を探し当てるなど、不可能ではないのか。


 本当はもう、見つける事など出来なくて、ただきょを目指しているだけではないのか。……全てを捨ててしまって良い状況に、私は今、あるのでは……。


『ダメよ。忘れちゃったの? マリエさまとの約束。生きるという誓い』


 ……?


『意気地なし。どうしてすぐに諦めようとするの?』


 私は……。


『ビアンカさまは、死んでいないのに』

「こん……の!」


 脳内で響いたその言葉に導かれるように、残りあと十数メートルという時点で空に縫い止められる。


「あっぶねぇ! いきなり暴れんなよ! 死ぬ気か!」


 耳元で、鼓膜を思い遣らぬ大声が張り上げられる。

 体力精神共に消耗が激しかったのか、言葉の合間に荒い息が漏れていた。


「……死ぬ気など無い」


 世に居られると言うのであれば。


「あんたホント、言ってる事とやってる事が無茶苦茶なんだよ!」


 必ずや見つけ出さねばならぬ。


「貴様の命を糧に、全てを終わらせるまではな!」

「!」


 ヤツは今度こそ、私を落とさなかった。……否、落とせなかった。

 首に巻き付くこの腕から、逃げる術も余地も無い。

 ……浅はかな魔道士よ。やはり鬼の身には敵わぬではないか。


『生きて、ルーナさま』


 薄く笑みを浮かべるように、声が響く。


『リリスを呑み込んだように、生にしがみ付くといいわ』


 蔑むように、あざけるように。

 天使であったはずのその声はまるで、暗く皮肉に満ちている。


 目に映る闇はまだ、明るかった。



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