-4- ドルクオーガ

 いわく、先程の一角は最良の場だったと笑い、ようやっと口内のパンをえんする。


「追い立てて、罠まで誘導するのがあいつらのやり方なんだけどさ、最初の一体で大失敗してりゃ世話ねぇよな」


 再び歩み進めて間も無く、息を呑む程に大きな落とし穴なる場を抜け、キッドは一戦に思い馳せるよう話し出していた。


「つってもアレ、あいつらの罠じゃないんだよ。結託する訳でもねーのにズルいよな」


 漏らすそれも、その前の一言も、ともすれば先程からのヤツの話全てに気の無い返事を送り、私は視線だけを這わせる。


 患いを感じるとは言え、やはりまた妙な物音が耳を掠めていた。


「で、ちょっと提案なんだけど」


 何であろうか。

 地鳴り? それにしては揺れは無いようだが……。


「飛行に切り替えてもいい?」

「ああ」

「……やっぱり、あんたさっきから上の空だろ」


 低い呟きに次いで、術を唱え始める。

 我に返り前方で視線を固めれば、突然振り返ってこちらへ詰め寄り、腰に腕を回されていた。


「や! なんっ、きさまぐむっ……!」

「ウインディスタ」


 まるで言葉にならぬ抵抗ごと大きなてのひらに覆われ、風を起こして共に舞い上げる。


 己の意思で地から離れるのとは違う、身の毛立つ感覚に堪え兼ね、指先に触れた何かを思い切り引っ張り上げた。


「むぅ! うぐぅ! むうぅ!」

「あぁもうっ……」


 それが特に抑止力の無いマントの端と解する頃には、木々を抜けかけた身が距離を戻し、太めの枝へと降り立つ。


「叫ぶなよ? いいから、下見ろ」


 やんわりと口元を解放し、今度は幹に腕を回しつつ顎で指す。私への腕は、離せば落下してしまうのでそのまま。腑に落ちぬが、均衡と胸元への隙間を保つ為にこちらからも上腕を掴んでいる。


 近距離を嫌い、その目は合わさず示された方向を見遣れば、木陰から緑の巨体が何かを引き摺りながらかっしていた。


「あの音……」


 低く重く湧き上がるそれは、先程からずっと鬼の耳が捉えていた違和感であった。


「ガーゴイルは、下だろうが上だろうがしつこいから相手した。アレ……ドルクオーガは、森突っ切らなければ遣り過ごせる」

「構わぬ」

「色々耐性あるから出来れば……え?」


 この先密着を強いられるよりは遥かに良い。腰の手を振り解き、早々に枝から飛び降りる。


 降り立つと同時に屈み込み、足への負担が分散された所で、ゆらりと立ち上がった。


「おい嘘だろ……」


 頭上の溜息は聞き流し、木々の隙間から見え隠れするそれを真正面から待ち受ける。地鳴りと思うたそれは、大木を削り出したような得物を引き摺る音であろう。

 筋骨たくましい体躯は上の大男何人分に相当するのか。骨格はヒトのものと酷似しているが、無論そうでない事は額の角と口端の牙、序でに緑の肌が物語っている。


「また角か」


 拳打に支障をきたす故、邪魔以外の何物でも無いのだが。


「グフゥゥゥ」


 互いをさえぎる木々の一切を越える頃、巨体が獣染みた口気を吐いて歩み留まる。


 距離にして数歩。こちらの姿を認めて小首を傾げ、まるで今し方気付いたかのような唸りを上げる。知能の低さが際立つ動作だが、各所巧みに罠を張る思考力が有るのは確かだ。


 羞恥心の類でも有しておるのか、腰には毛皮の衣なんぞを纏っている。首には大型の獣の牙を繋ぎ合わせた装飾品。視線を首元より上へとずらせば、思わず眉をひそめる程に不気味な笑みを捉えた。


 それが、おもむろに得物を振り上げ、けれど特に速度を乗せる事無くそのままこちらへ向かい振り下ろす。


「……れておるのか?」


 一歩横に逸れ、緩りと避ける。すると、即座に上部で声が上がった。


「下がれ! ファルト!」


 僅か身を跳ねつつ反射的に従えば、大きく風を切る音と共に、今し方留まっていた方向へ得物がぐ。

 風圧を受け、マントが大きく揺れた。


「は……、正気かっ……」


 驚き、目を見張れば、既に巨体との距離は縮まり、大木にも劣らぬ太い上腕が視界の多くをめていた。


「ぐっ!」


 退く事儘ならず受け身の体勢を取るも、巨体の突進をもろに受けてしまい、大きく後方へ跳ね飛ぶ。

 視界の先に幹が映り、衝突を予見して思わず背を丸めていた。


「フューウィング!」


 声に次いで、風が纏わり付く。

 我が身を宙に縫い留め、崩れた姿勢のままふわりと地へ降ろす。


 恐々身を起こしそちらへ顔を向ければ、巨体より横手に降り立ったキッドが跪くように身を屈め、大地目掛けて術を放っていた。


「リグルクレイ!」


 次の瞬間、まるで生きているかのように草地が隆起し、巨体へと突き進む。

 躊躇ためらうように緑の足が数歩下がり、けれどすぐさま踏み張って、その身に見合わぬ軽やかさでいびつな大地を越えた。


「キッド!」


 振り上げた得物と共に、標的をあの男に変えて。


「っ……バーンフレア!」


 詰まらせながらも、素早く術を完成させる。

 立ち上がれぬまま放つその様の、なんと余裕無き事か。


 巨体へ、というよりは空中へ撒き散らすように火を放ち、視線は外さず再び術を紡ぐ。けれど、ヤツの放ったそれが己への目眩しと成り果てているように見え、私はようやっと地を踏みしめた足を強く蹴り出す。


「そのまま立つな! 首が飛ぶぞ!」


 背の高さは、それだけで間合いを詰めるであろう。

 炎による怯みなど一切無く、得物を振り下ろすその緑の側面へ、今度はこちらから体当たりを食らわせてやる。


「ウイン……」


 跳ね飛ばすには至らなかったが、散りゆく炎の中より均衡を崩しながら現れ、横手へと逸れる。

 何やら唱えかけたキッドは、手印を結んだまま戸惑っているようであった。


「完全に舐めておったわ」


 苦笑を漏らし、大きく構えを取って巨体へと向き直る。


「手間を掛けさせた。……が、上空へ戻れ、魔道士。分が悪いのであろう」

「……ディ……くそっ。ああそうだよ、ホントは降りたくなかったよ。吹っ飛ばされたあんたは違うってのか?」


 完成間近の術を悪態で以て中断し、ようやっと立ち上がる。そのまま距離を置くように下がっていた。


「油断はしたが、あれならば私の方が速い」

「ああそうですかい。……あのさ、複数使ってんだろうけど、例え一つだろうが負荷半端無いからやめた方がいいよ」

「……何?」


 問い掛けようとした所で、薄気味悪い巨体の笑みが視界に映る。

 赤く光る目線の先はどうやら私。背後で術が唱えられるのと同時に、こちらも駆け出していた。


 今度は緩やかな動きなどでは無い。風切り音と共に突きを繰り出してくる。横に避ければまた薙ぐかと警戒し、大きく後方へと退いた。


「煩わしい戦法をしおって」


 油断させるという其れならば、確かに成功を収めている。……が、どうにも不愉快極まりない。


 体当たりで受けた幾分かの痛みが身をうずかせる。次いで同じように突き出される得物を再び後退で避け――


「それ以上、下がるな!」

「……」


 無性に苛立ち始めたこの口から、大きめに舌打ちが漏れた。

怒りの矛先が見当違いなのは理解しているが、どうにも……命令が気に食わぬ。


「下がれやら下がるなやら……」


 たび、繰り出された突きは跳躍で以て避け、下方に捉えた得物を大きく踏み付け、そのまま巨体へと向かう。


「鬱陶しい!」


 叫びと共に、けん目掛けて拳を撃ち出す。得物に予期せぬ重みを掛けられ対処の遅れたそれは、拳食らいて低い悲鳴を上げた。


 やはり、一撃で頭は潰せぬか。

 思いのほか硬い手応えに、軽く手を振る。それでも多少は効き目があるらしく、得物の握りが甘くなっているように見えた。


 項垂れの如く先端が地へ着いている。

 すぐさま草地を踏み締め軽く跳び、持ち手に近い箇所を大きく踏み付けてやると、重い音を立てて取り落としていた。


 あしにすれば爪先が痛むやも知れぬと、手間を惜しみながら得物を持ち上げ、下がるなと言われた後方へと思い切り投げてやる。


 激しく音立てると思われたそれは、しかし不可解な草の音を響かせ、ただ沈み消えていった。


「は?」

「グフゥゥゥ」


 面食らうも、凝視すら叶わぬ内に唸りが耳に入る。

 て遣ったのはこちらのはずだが、消えた得物の行方を思えば疑念が募った。


 先程降り注いだ声が再び脳内にて響き渡る。彼奴は真っ先に勘付いたが故に我が身に下したのであろう。

 やはり気に食わぬなと息を吐き、大手を広げる巨体へと向かう。


 摑み掛かるように振り下ろされる手の隙間を縫い、懐へと入り込む。ひとたび屈み込んで強く地を蹴り、その顔目掛けて頭突きを食らわせれば、鼻を覆って僅か後退していた。


「ぃ、つ……」


 しかし、これは少々もろつるぎだなと顔をしかめ、再び屈んで草地に手を着く。触れたそれを手に、獣の如き四肢で巨体の背後へ回り込むと、再び地を蹴り首元へと飛び付いた。


 絞首こうしゅが有効なのかははなはだ疑問だが、脚を使いつつ腕を回し、握り締めていた小枝で、思い切り片目を突いてやる。

 何とも言い表せぬ耳をつんざく悲鳴が、巨体の口から漏れ出でた。


 小枝を引き抜き、もう片方の目も……と、行動するには余りの暴れ様に、堪らず巨体から離れる。均衡を崩し気味に地へ降り立てば、突如目の前で褐色のマントが翻った。


「リグルクレイ!」


 今一度、大地へ向けて術を放ち、キッドが草地を隆起させる。赤黒く流血する目を押さえ、巨体の足が土に飲み込まれた。

 次いで尻餅をつかせ、そのまま引き摺るように後退させると、地滑りのようなそれは収まり、倒れ込んだ巨体が半身を埋めたまま残されていた。


「くそっ、届かねぇ。ファルト、あれ少しだけ押せるか?」

「……あい分かった」


 理由は訊かず、土に混ぜられた草地を跳び、緩くうごめく巨体へと近付く。見ればそれの片腕と足が、僅か草の隙間から覗く闇へと投げ出されていた。


「彼奴の方が一枚うわであったな。緑の」


 起き上がろうとして、左手が地では無く虚空を薙いでいる。それを認め、無防備となっている右半身を力込めて押し遣ると、程無くして巨体が、深く暗い大穴へと落ちていった。



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