-3- ガーゴイル
火の地とは種類の違う木々が、辺りを覆う。
時折周囲を見回してはいるようだが、変わらぬ景色の中で何故こうも迷い無く押し進められるのかと静かに感心する。
そのような折に耳を掠めたのは、か細いながらも低く長い腹の音。澄ました
「そう言えば」
人間は食事を摂る頃合いでは無いのか。
そう続けようとした所で口を噤む。その先の返答を予見すれば恐らく、ならばこの身は何なのかという疑問に繋がる。
他者の背に付いて行くだけの数刻に、そろそろ気が緩んでいるなと、浅はかさを密かに
「そうだな。やっぱこんな時間にこんなトコ突っ切ってたら見逃してくんねぇよなー」
しかし、どうも
本当に気が緩んでいたなと呆れるのも束の間、再び例の音が今度は短く響く。聞けば聞く程腹の虫に酷似しているが、頭上から鳴るのは妙であった。
「ま、丁度いいか。お手並み拝見だな、お嬢さん」
「見縊るな、魔道士」
すいと目を細めた瞬間、横手の木が
それが腕を振り被り、撃ち出されるかという所で私達は互いに退く。
ヤツは大きく後方へ。こちらは相手の背後を取るように。
降り立ったそれを近くで見れば、深い
だが――
「遅い」
退いたこちらへ瞬時に振り向けぬようなら相手にならぬと、その背を思い切り……丁度相対する男の方向へ蹴り飛ばしてやる。
「ぅ、……フリーズドール!」
刹那、焦りの表情を
薄く白んだ空気が繭のように青鈍を包み込み、次の瞬間には形そのままに氷像を作り上げた。
それでも勢い消えぬそれを、何とか身を捻らせて避けるキッド。氷像は更に向こうの木へと打つかり、鈍い音を立てて翼や腕が砕けていた。
「今っ……わざとだろ!」
印を形作る手元、添わぬ口から非難の声が上がる。肩を竦めて見せたが、その視線は既に別の何かを捉え、新たな術を
どうやら、二、三体どころでは無い程の青鈍の数が、寝床に
習った知識程度にしか知り得ぬが、恐らくはガーゴイル。
「レイルフレイム!」
頭上のそれらに、キッドの術が襲い掛かる。森の中で火とは何とも危険ではあるが、放たれた炎はまるで蛇の如く、木々の合間をうねり行く。
内の一体が逃げるように少し離れた木の陰へ降り立つのを確認し、私も地を蹴った。
「ふ!」
握りやすそうな片翼を掴み上げ、幹へと押し付ける。晒された後頭部へ向かい渾身の力を込めて拳を撃ち出せば、鈍く骨を砕く感触が伝わった。
呻きすら上げる間も無く
「らっ!? う、なっ」
内容がそのまま驚愕に転じたらしいが、それでも怖じけず唱え続けられる様は、さすが長けていると自称するだけの事はあろう。
転がってきた青鈍と私とを一瞥し、完成した術で自身を舞い上げる。
「ちっくしょ……!」
その際、口惜しげに吐かれた小さな悪態を、我が鬼の耳は聞き逃さなかった。
少しだけ
次いで極めて口早に紡がれる術を聞き流しつつ、私は降り立っていた何体かへ向かい駆け出した。
「バーンフレア!」
「わっ、……あつ!」
再び拳で決めようと腕引くのと同時に、目の前を大きく炎が舐める。熱風に怯み後退れば、どうやらこの身を囲むように放たれたらしく、退路が断たれていた。
燃ゆる周囲からは、小鬼の断末魔の叫びが沸き起こっている。……城で幾度か目にした術だが、早口とは言えここまで完成速度が飛び抜けている物は見た事が無い。
僅かの間その様を認め、ひとたび私は身を屈める。唯一炎の手が無い上空を見据えて大きく跳躍し、ヤツより数本斜めに立つ木へと飛び乗った。
「森が燃えるぞ」
「それを制御出来る腕はあるから、極力邪魔しないで欲しいんだけどなぁ」
引き攣った笑みを浮かべ、再び術の詠唱に入るキッド。
こちらも、未だ高みの見物を決め込む小鬼らに向かい木々を飛び移る。かなりの数が燃えたと思うていたが、それでも残り十体は固い。
迫る我が身に対し、翼を
途端、耳に刺さる悲鳴と共に、凶悪な腕が
そのまま動かなくなったのを見届けると、再度上空を見据えて跳躍した。
すると、入れ替わるように、先程とは少し形の変わった氷像が鈍い音を立てて草地へと伏す。拍子に、翼や首の根元が折れていた。
それらは横目に、手の届く範囲の一体を掴んで再び地へと落とす。
火はまだ残っている。
前の一体と全く同じ要領で焼いてから頭を砕き、今度は小鬼では無く、
「恐っ。力技が過ぎんだろ……
視線も合わされず呟く様は、どうやら独り言のようであった。
炎を操るべく腕が舞う。小鬼らの背を追わせ、幾匹かの翼を
上がる手間が省けたと、のたうつそれの頭を思い切り踏み付けてやれば、慣れた感触が足裏で響いた。
「頭割りにも容赦ないときた……」
再び耳を掠める独り言。
……そこばかり狙うのは、確実に一撃で仕留められると思うての事なのだが。
多くの生物にも心臓はある。潰す事も可能だ。だが、種族により構造も違える。複数所有するモノもあれば、皮膚の硬さや肉厚で届かぬ場合もある。……それに、酷く手が汚れる。
思い、ふと自身の拳を見れば、奴らの肉を破いていたのか細かな黒が付着していた。
下げる事叶わぬ覆面越しで
「おおっと」
と、不意に飛び込んで来た声に視線を戻すと、炎を嫌った三体程の小鬼が囲むようにヤツへと猛進していた。
焦りは見られぬが術が間に合わぬように見え、近くに落ちていた氷像の欠片を拾い、二体へ向けて投げ付ける。
「バ……ん?」
一つは横顔に命中、もう一つは前方を掠めるに留まるが、速度を削ぐ。三体目は、同時に跳躍していた自らが飛び掛かり、勢いのまま幹へと打ち付け、ずるずると滑り落ちていった。
「……フレア!」
頭上で放たれた術に次いで、複数の悲鳴が上がる。
地へ降り立つと、掴むそれのまま背後へ向き直り、新たに生み出された
「早いな……」
思わず、そう溢してしまう。恐らく欠片を投げる頃には完成していた。
術というものは、全くの暗号のような単語を繋ぎ合わせて紡いでいるが故に、理解しやすい区切りや息継ぎが生まれる。しかし、先程耳を掠めていたそれは一切の隙間も無く一息に、舌を噛みそうな速さで紡がれていた。
加えて手印も添わせねばならない。魔道士であれば求められる姿とは言え、多くを
「ありがとな」
と、風と共に隣へ降り立つ褐色の影。
炎から目を離さぬまま、私は肩を竦める。
「我が手無くとも対処は出来たようだが」
「ンなこたないよ。
言いながら自身の身形を確認し、汚れでも付着していたのか裾を軽く払う。
「ま、こんだけやっとけば、罠にも掛からないし手に余る相手だしで警戒してくれるだろ」
目視で確認もしておらぬが、身を
あれだけ喉を使ってもなお、男の口数は減らない。腰の小さな荷物袋に手を遣り、水筒を取り出しては軽く口に含む。
……私も少し、喉が渇いたな。
思い、何とは無しに隣を見上げてしまう。
すると何処からか、例の腹の虫に酷似した鳴き声が今までに無い程の大きさで響き、思わず身構えた。
「……。運動したら、腹減ったな」
水筒を片手に、少しばかり羞恥に晒されたような
本物はこれ程までの音を奏でるのかという妙な感心と、小音を捉えるのは良いが判別付かぬのは困るという患いに、何の気配も無い辺りを見回しては小さく息を吐いていた。
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