-2- 方向音痴

れんのドレスの紅髪あかがみ女ぁ?」

「現在でドレスは有り得ぬだろう。紅髪の娘などそう多くは無いはずだ。加えて、並の男と並ぶ程に背が高い」


 こちらには目もくれずグラスを雑に磨く中年の女に、へいは持っておらぬがと前置きをし、宝石の一つを差し出す。

 女は一瞬動きを止め、横目でそれを一瞥し……またグラスを磨き始めた。


「坊や、知らないネタは売れないよ。それは大事にとっときな」

りちなものだな。情報屋というものは貪欲だと聞きかじったのだが」


 手離さずに済むに越した事は無いと、静かに息をついては母の目色と同じ宝石を仕舞い込む。


「間違っちゃいないけどね。代わりに、ここの女店主は信用出来るって広めてくれた方がいいさ」

「そうか。邪魔をしたな」


 執拗しつように問い質す理由も無いようなので、すぐさま酒場を後にする。


「……ふう」


 港町の出口とされる方角を見遣ると、知らず音混じりの息が漏れていた。

 早々に高い樹木らが迎えてくれそうな森が向こうに見える。その手前には宿らしき看板。しかし、幾ら“王女は食い殺された”という話になっていても何が起こるか分からぬ世だ。この身を休める気など皆無と言えよう。……それに、船内で少し目は閉じた。


 意を決するよううなずき、歩み出しては宿を素通る。そのまま森へ進み入り、もはや雑草に覆われて余り意味の成さぬ街道を辿り始め……間も置かず足が留まった。


「……次の町、は?」


 重大な情報を訊きそびれていた事に、今更気付く。思えば周辺地図すら持ち合わせていない。

 かつて城で学んだ地理を思い返してみるも、地名だけがおお雑把ざっぱに浮かび、道筋など分かるはずも無い。……当然だ。そのような事、頭に入れておく必要も無かったのだから。


「町? このまま行くとドルクスの村だよ」


 途方に暮れたその瞬間、声は背後から返ってきた。

 低く陽気で、どうしようも無いこの状況では頼もしいであろう声。だが、今の私には振り返る事さえはばかれる、無作法で軽薄な、二度と聞きたくない声。


「何故付いて来る」


 昼間、私を賊扱いした人物、アレキッド=ラバングース。そちらには目もくれず、静かに言い放った。


「ヒマだから?」


 しかし、軽く漏れたその一言で瞬時に平常心を欠いてしまい、思わず振り返り、その胸倉を引っ掴む。


「な、何だよ。ヒマじゃダメなのか?」


 浴びせてやりたかった。この身が今、何故この場にあるのかを。

 昨晩の事件全ての元凶であり、それ故に無関係の者達を巻き込み、殺めてしまった事。世に最も不必要な私が、愛する者に生かされている不甲斐ふがい無さを。能天気に過ごしているこの男に、打つけてしまいたかった。


「貴様のっ……暇潰ひまつぶしに付き合う気など無い! 失せろ!」


 弾けそうな思いをどうにか抑え込んで言い捨てると、再度振り返り、草地を踏み出す。

 怒りに身を任せてはいけない。ここで知られてしまっては母上に申し訳が立たない。


「おーい、女の子一人での夜道は危険だって。見たトコ、なんか地形に疎いみたいだし。ほら、失せるよりも俺に道案内させた方がそっちも得だろ?」


 不意に飛び込んできた聞き慣れぬ言葉に、思わず足を留める。


「……貴様、私が男に見えぬのか」


 振り返らぬまま、小さく述べた。

 着飾らぬ上にマントで全てを覆うこの姿。覆面によりくぐもった声と従来の口調の所為か、今まで会った人間は皆この身を女として扱わなかった。

 それを物ともせぬこの男に、先程痛い目にったはずの好奇心をまた、抱いてしまう。


「はぁ? 女の見分けぐらいつくっつーの。立ち振舞いとかぐさとか、こっちの専門分野の“どう”とかで」

「何だ、魔法か」


 溜息と同時に、再度歩み進める。


「おいこら! こっちの話は無視かよ!」

「貴様自身が今現在の危険人物だ。忠告通り、それをこうとしているのだが」


 そう言い、歩む速度を上げる。


「あー……ごもっとも……だけどそうじゃなくて!」


 同じように歩み速めているのか、その声は遠ざからない。

 ならばと、容易く追えぬであろう木々に狙いを定め、わだかまりに対しての台詞でも考える。


「それに、女とあなどられるのは不愉快だ。貴様など足元に及ばぬ程の力量は持ち合わせておる」

「なにおぅ! 魔道士も舐められたモンだな! こっちだって、あんたなんか屁じゃない位にはけてんだよ!」


 とりあえず、くびられた事への文句は返したので、向こうの言葉は聞き流し、歩みを留めぬまま手頃な木を探す。その前に、壁の如き無数のつたに差し掛かり、一旦留まっては軽く掻き分け、大きく一歩を踏み出した。


「だーっ!」


 しかし、何やら妙な叫びと共に思い切り腕を引かれ、危うく均衡を崩し掛ける。


「……暇潰しに付き合う気など無いと言うておろう」


 先へ進む事もままならず、遂にはその目をにらみ付けた。


ほうっ、死ぬ気か! もっと早く気付け! いや、そもそも気付いてないよな! その蔦、ここいらの魔物が張った罠だよ!」


 あ、阿呆だと?

 腑に落ちぬまま目を凝らし、踏み出そうとしていた大地を見る。そこに地面など存在しておらず、在るのはただただ深い闇。


「落とし穴とは……えらく低度だな」

「あんたその“低度な罠”に引っ掛かろうとしてたんだろうが!……もしかして、赤土から出るの初めて?」


 あかつち?

 確かに“火の地”と呼ばれる所以ゆえんは、ダルシュアンの土が炎のように赤い故。けれど、まさか三十路も超えぬであろう若者がその呼び名を口にするとは思わず、私は眉をひそめた。


「いや、少し物忘れが酷いだけだ」


 掴まれた腕を払い、元来た道を辿る。

 ……三年前に、一度だけ五大陸航海の旅に出た事があった。少数の従者……そして姉上と共に。その時は船で各地を巡り、確かに五大陸を見た。しかし、その後の姉上失踪により、私は旅での出来事を数える程しか覚えていない。


「ドルクオーガの初歩的な罠も忘れるくらい?……はぁ。ファルト、断言するよ。あんた絶対、この森を抜ける事は出来ない」

「……言うではないか」

「技量とか魔道とか、ここはそんなモノだけでどうこう出来る土地じゃないんだよ。地形の把握は勿論、研ぎ澄まされた直感。これが無いなら、昼間往来する護衛付き商人の馬車にでも付いていけ。そうでなきゃ、ガーゴイルと遭遇そうぐうした時点でサヨナラだ。魔物と言えど地の利には長けてるからな」


 一気に捲くし立てられ、言葉を失う。……地形の把握。私が、最も苦手とする能力。


 確かに、トトの森も満足に抜け出せなかった。名も知らぬこの森も、最初の一歩で既に道をあやまっていた。実はパオの酒場を探し当てるまで、港町を三周も回った。……生まれ育った城内でさえ何度教わっても、未だ宝物庫と武器庫と裁縫部屋の場所を把握していない。


 こうなればもう、自身が方向に関して鈍いやも知れぬと認めざるを得なくなってしまうのだが……。


「ほーら、だんだん俺が必要になってきたー」

「ならぬ! 戯けが! 認めぬぞ! 皆で私を小馬鹿にしおって! 森なんぞ八時間で抜けてやるわ!」

「……うん。一応見積もったんだろうけど、どれだけ時間掛かっても五時間で出れるよ、この森。つーか“皆”って。あんた筋金入り」


 後ろで何やらほざいたキッドを睨み付け、私は再び芝地を踏み締める。もはや街道筋は失せてしまっていた。

 周囲は高い樹木と鬱蒼うっそうとした草木。一瞬、どの方角から来たのか分からなくなるも、特に気に留めず右方へと足を進める。


「ん? 町戻んのか?」


 ……仕方無く、左へと方向転換する。程無くして大木へと突き当たり、右へと進み始めた。


「こらこら、大穴に行くのだけは勘弁してくれ」


 ……。

 今度は左右斜めへと押し進む。


「ファルトー。そっちは川だって。渡れないぞー」


 ………………。


「あのさぁ、せめて来た方角くらいは覚えとけよ。そんなんじゃ当分ドルクスになんて着かねぇわ。……トトの森からおかしいとは思ってたけど、あんたやっぱ方向音痴?」


 溜息と共にそう漏らすヤツを、先程よりもきつく睨め付ける。返答もせずこのような行動を取っていては、もはや図星と見られてしまう他無いのだが。

 そう理解はしつつも、やはり“この事”に関して、私は深い劣等感を抱いているようであった。


「ま、何でもいいけどよ。……あんたの旅の目的が観光とか人探しの類なら、あの村には行かない方がいい」


 少し声を潜め、キッドは真逆の方向へと一人歩き始める。


「……何故だ?」


 恐らく、それが正しい道なのであろう。諦め、仕方無く後へ続く事にする。


「数十年前の吸血鬼事件。聞いた事ない? 他国から進入してきて、ここ五大陸の人間を食い漁った怪物。……あそこはそれの第一被害村にして、いっちばん実害こうむった村」


 ……知らぬはずが無い。その吸血鬼は果てにダルシュアンへと渡り、母を殺さず同胞とし、奪い去られるかというその瞬間、ようやっと仕留められた忌まわしき魔物。


「元々閉鎖的だったのが、その事があって以来、完全に余所よそものを信じなくなったとか。村から消えた吸血鬼は他の地へ渡り、人々を仲間にしただろうと思い込んでる。村人の頭には吸血鬼への復讐と殲滅せんめつ、もう本当に憎悪しかない。近付く人間には武器を持ち出して身ぐるみ剥ぐ勢い。殺される者だっている。……旅人さんはみーんな避けて通るよ」


 ……。

 それに当てめるように、城へ攻め込む町の者たちを連想する。

 考えたくは無い事だが……そうだ、可能性として姉上はその村に立ち寄ってしまったという事も有り得る。そしてひんであったのなら。如何に常人を超える力を有するとて、数で物言う人間になど敵うはずが無い。

 生々しい程苦いその想像に、知らず、唇を噛み締めていた。


「キッドよ、もう止めはせぬ。私をその村へ案内しろ」

「……俺の話、ちゃんと聞いてた?」

「よく理解した。どうやらそこへ行かねばならぬようだ。……さあ」

「“さあ”って、あそこホントに頭おかしいのしか居ないけど、何する気だよ」


 げんな顔でそう応えると、こちらに合わせるように歩む速度を落とす。

 吸血鬼に憎悪を抱く村か。万が一にでも彼らが姉上のかたきと成り得るのであれば……そうだな、憎悪の対象らしく振る舞い、村人らを血濡ちぬれにしてしまおうか。


 怪物の再来、呪われた村の最期……悪くは無い。旅なんぞ、そこで終わりを迎えても構わぬ。


 意を決し、広きその背を頼りに、私は闇の広がる樹海を重く踏み締める。

 ……母上、やはり生きる事を目標には出来ませぬ。姉上が居られぬ世であるならば、鬼と化すファルトゥナをどうかお許し下さい。



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