-7- 旅立ち

「おい坊主、乗るのか?」

「……え?」


 突如掛かった声に、どろんでいた意識が引き戻される。

 どうやら、思うよりも長い間眠りについていたらしい。だるさが身体を覆い、瞼に重みを感じさせていた。


「乗るのかってんだ。船が来たぞ」


 未だ呆けている私に、受付の主人が窓の外を指し示す。その先へ目を遣り、ようやっと此処が船着場の待合室だという事を思い出した。

 来航までの間に椅子へ腰掛けたのだが、そこからの記憶が無い。


「ああ、すまぬ」


 席を立ち、にぶい動きで戸口へと向かう。すると、出入り口の小さな扉の、更に小さな張り紙に目が止まった。


 “みどりの地行き昼夜出航。砂の地出航は夕刻のみとなります。ご了承下さい”


 伝える気など無いような小さな字で、紙にはそうあった。


「……主人、どちらの大陸がこの“火の地”から近い?」


 恐らく、今この船に乗ると行き着くのは緑の地。姉上を見つけるまでは全大陸をも覚悟の上だが、なるべく近くから探したい。

 ……長き船旅は、特に。


「何だアンタ、そんな事も知らずに航海する気か?」

「船は一度しか乗った事がないのでな。地形も忘れてしまった」

「おいおい、そんなんで大丈夫かぁ? ダルシュアン図書館で勉強し直した方がいいぞ。……まあいいや、このキャプテン・グバァ様がちびっとだけ教えてやるよ。心配すんな、ちゃんと時間は考慮こうりょする」


 待合室受付のどこがどうキャプテンなのかは理解し難かったが、自信に満ちた主人は大きく咳払せきばらいをする。


「さあさあ、世界広しと言えどコレ無しにゃあ語れねぇ“五大陸”! 名の通り小大陸が五つ囲むように並んでるから“五大陸”だ!」

「……」

「お? 安直だなんて言うなよ? 老若男女、皆が覚えやすくて有難い名前だ! 並び方もバラバラに見えて実はキレイに星型。ほぉれ分かりやすい! 外界に比べちゃそりゃ小せぇが、随一の形だと誇ってもいいんだぞ!」


 ……あの男より多く喋りおる……。

 唐突に始まり、次々と発せられる言葉の数に、無意識に目が細まっていく。


「んじゃま、大陸その一“火の地”な。……出身国だからはぶけ、なんて野暮やぼな事ヌかすんじゃねぇぞ? ゥオッホン! 元々は広大なトトの森だけだったこの地を、初代ダルシュアン国王が木の精霊の力を借りて崩していった! そこで生まれたのがここ、キキルの港よ! 有名なダルシュアン王国は二の次だったのさ。驚きだねぇ。……まあ、五大陸の中でも小さな地だ。港と街道と城、くっついて城下町位しかねぇ。けど、森の木一つ倒すにも精霊の許しが無いと出来んぞ。それを港や町を作るほどの本数! 切り倒された木の数はまさに、国王の惜しみない努力と素晴らしい精神力! 代々陛下は実に偉大なお方だった!…………ああ、だが、エルドラン様は……残念だったな」


 遠くに行きかけていた意識が、突如馴染なじみある名を捉える。

 細められた目、それを今度は大きく見開く事となった。


「やはり王も人間、魔にせられてたって話だ。……坊主、親御さんは討伐に行った側かい? ひでぇ話だよな。国王と王妃の処刑なんぞ、俺ぁ夢にも思わんかったさ。先代の頃ではまず有り得んかっただろうに」


 討伐? 処刑?……国王までもが?

 母上は覚悟していた。逃れられぬは吸血族の運命さだめと、彼女も悟っていた故。

 けれど何故、ヒトである父上が?


「貴様、今の話に嘘いつわりは無いであろうな!」


 次の大陸の説明に入ろうとしている主人の胸倉むなぐらを、知らず、渾身の力で掴んでいた。


「ああっ? いてぇな、何すんだ坊主っ」

「ちっ……王が処刑などとっ、寝言はとこについてから言うものだぞ!」

「なんだ坊主、知らねぇのか?……昨晩の事件を」


 僅か唇を噛み締めつつ胸倉を解放し、飛び乗っていた受付台から降りる。

 主人は乱れた服を正そうともせず視線を落とし、静かに語り始めた。


「王女が公爵の娘を殺したって話から始まってよ、町人が前々から不審に思っていた王妃を問いただしに行ったのさ。そしたら何と、城門に当の本人が居て、しかも自分の娘を食い殺したって話じゃないか。……だがよう、信じられるか? 王妃……マリエ様は、数十年前ダルシュアンへ嫁いだ時の姿そのままの……歳を取らない化けモンだったのさ」


 ああ、どうして。そんな。


「異端の者は受け入れられねぇのが人間だ。町人が王妃に火を向けた。で、それをかばおうと王が町人を短剣で刺しちまった。……そっからはもう、あれよあれよという間の出来事さ。兵も宮廷魔道士も王を守る側に居たらしいが、まるで役に立たんかったそうだ。民衆の中に飛び抜けて凄腕すごうでの精霊術士がいたらしくてな。……はぁ。この話はもう止めだ、止め! 俺ぁ昔から王族をたたえるのが仕事だったんだ! 畜生っ…………さあさ、気を取り直して次は緑の地! 名の通り豊かな森や草原が大陸を覆ってらぁ! ちなみによぉ“五大陸”と呼ばれる範囲内の陸は、どうも変な鉱石とかが埋まってるようで、地の変動が激しいらしい。その鉱石の違いによって大陸の気候も違うみてぇだ。緑の地の先の大陸なんて真っ白だしな」


 もう、主人の話など聞く気にはなれなかった。

 父上には、家族を失い孤独を味わう事になろうとも生きて欲しいと願った。そう、願っていたのに。……父様、どうして……。


「で、最後はいわの地って言うんだけどよー。こりゃ大陸というか、もう大半崩れてしまってほとんどがけ状態なんだが……」


 吸血族……。呪われた血を宿す者の運命なのか。

 周囲をおとしめてまで怪物を死へ追い込む、世のことわりだとでも言うのか。


 ……。

 良いだろう。私が生きる上で罰が与えられるのならば、喜んで受けてやる。亡くした者達には、それ以上の苦しみをいてしまったのだから。


「……姉上」


 探し出そう。必ず。

 もはやそれが、唯一の……。


「おい、さっきから俺様のすんばらしい話を全く聞いてねぇようだが仕方ねぇ、時間だ。……ゥオッホン! 旅人に赤き風の加護があらんことを。……おら、行けっ。俺様の話に耳傾けなかった事を悔やみながらなっ」

「あ? ああ、世話になった」


 我に返って曖昧あいまいに返事をすると、私は扉へ向かい……また例の張り紙を見た。

 ……しまった。


「主人……」


 ――ボオオォォォォ。


 振り返った矢先、容赦無き時のせまりが告げられる。


「なにボサッとしてんだ。船は待ってくんねぇぞ」


 仕方無くその場を後にし、足早に船着場へと向かう。程無くして、木製の女神の造形がほどこされた大型船へと乗り込んだ。


 乗客は少ない。待合室ですら一人であった。

 船から降りてきた客の多くは、すぐに城下へと向かったらしい。余りにも違い過ぎる客足は、昨晩の出来事にも関係しているのであろうか。


 ――ボオオォォ。


 もう一度……今度は短く、この地から離れる合図が頭上で鳴り響く。徐々に遠退とおのく陸地を見遣りながら、主人の言葉を思い返していた。


「母上……」


 私を食い殺したなどと、有り得ぬ嘘にも程があります……。

 闇にしいたげられていたにも拘らず明るく振舞い、人を想い、とても寛大で、愉快な母であった。

 そう顔を綻ばせ……けれどもすぐに唇を結び、甲板へと向かう。地へ落ちる視界は、それを待たずして緩やかに滲んでいった。


 目元のみが晒されている覆面とは言え、前髪が掛かっている。誰が気付くものか。この私が、泣いているなどと……。



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