-6- 出会い

 トトの森、中部。全体はほど広くも無く、生息動物もきわめて少ない。


 しかし妙な事に、先程から同じ所を回っているように思える。森に入った時点では夜もけていたが、かげから見え隠れする太陽は少なくとも真上に近しかった。


 街道さえ辿たどれば先の港町まで二時間も掛からぬのだが、それが不可能であり、木々に飛び移りながらという事も相まって、体力は底をきかけていた。


 仕方無く地へ下り立ち、少しだけその場で屈み込む。

 城はとうに過ぎている。ヒトは見たが、追手らしき者は一度たりとて確認してはいない。今尚捜索されているなど皆無に等しい……とは思うのだが。


 小さく息を吐き、膝を支えに重く立ち上がる。

 すると、横手につらなる茂みが微かに揺れた。葉をこするそれを凝視していると、突如大柄な男が飛び出し、こちらへと猛進もうしんしてくる。


 どう考えても道をたずねる旅人には見えない。

 眉をひそめつつ横へ跳び、無駄な動きをするそれを避ける。……が、今度は避けた先の茂みからもう一人、同じような男が飛び出し、こちらの腕を掴み上げた。


「よぉぼう、こんなトコで一人散歩たぁ物騒ぶっそうだな。オレらみたいな素敵なお兄さんに遊んでくださいって言ってるようなモンだぜぇ」


 降り立って早々の災難に、どう対応すべきかを考えあぐねる。男を見上げ、既にかなりのへいを重ねているであろう脳内で懸命に言葉を探す。

 賊と言えど、下手をすれば大事となる。素性が知れてしまう事だけは避けねば。


「ああ、思い出したぞ。その言い回し、昔読んだ三流小説とこくしておる。……何だ、書物の中だけの話と思うていたが、うつつでも同等の台詞を吐くのか」


 腕を掴まれたまま、僅か沈黙が流れる。

 懸命に考え、出した応えが挑発であったという自身のこうに、然程間も置かず悔いていた。


「おう、いい度胸してんじゃねぇか。今日は機嫌がいいから有り金だけで勘弁してやろうと思ってたけどよぉ、お前ぇがそこまで言うなら、お望み通り身ぐるみ全部いでやろうか」


 最初に飛び出してきた男は、卑しく舌舐めずりなんぞを浮かべ、腰にたずえていた大振りのナイフを抜き放つ。挑発せずとも何かと理由を付け、同じく行動に移るのではなかろうか。

 僅か息を吸い込み、掴まれていた男の腕を逆手にひねり上げ、振り解く。


「……ろうっ」


 次いで向かってきた男の突進を避け、前のめりの体勢となったその腹へ強く膝を打ち付ける。

 急所にでも入ったのか、うめく呼吸すらうばわれ、男はあっさりと地へ伏した。


「何だ、そのたいは飾りか?……おい貴様、私はこれ以上疲弊を重ねられぬ身でな、早急に済ませたい。此処で引くなら見逃してやろう」

「ぁんだとコラァ! チビが調子付いてんじゃねぇぞ!」


 情けで放ったこちらの言葉に、残る男は逆上したらしく、ようやっとナイフを抜き、構える。

 おのれと相手との力量の差も見切れぬのか、それとも、伏した男よりも自身は強いと確信しておるのか。……どちらにせよ、愚のこっちょうである。


 得物を閃かせる隙すら与えずふところに入り込み、鳩尾みぞおち目掛けてこぶしを打ち出す。大柄ならばと加減もせずり込ませた拳は、やはり男の呼吸を奪い、意識をも容易く刈り取っていた。


 最後に、その戦いとも呼べぬ場を深呼吸で締める。新前の兵にすら匹敵せぬなと、余りの呆気無さに思わず鼻でわらい飛ばした。


「ふ、貴様らがヒトである限り、この身は下せぬ」


 既に意識の無い男共に一瞥を与え、群青色のマントをひるがす。先を急ぐ為のそれであったが、二、三歩進んだ先ですぐに足を留めた。

 ……賊。世に害なすしゃ

 私が去った後も、此奴らは何事も無かったかのように次なる獲物へと襲い掛かるのであろう。ならば、回避として今“どうにか”するのが得策ではなかろうか。


 男たちへと向き直り、その首根を見つめる。

 此奴らとて、外れてしまった人生へのやり直しが利く。……またヒトに生まれる事が出来ればの話だが。

 一抹いちまつの思いを胸に秘め、男の片割かたわれへと向かい身を屈める。


「暫らくは飲めそうに無いのでな。己の不運を悔いて眠るが良い」


 襟を下げ、あらわとなったその箇所をぎんしながら、おもてを覆う布地に手を掛ける。先程目にした舌舐めずりを、今度は自身の口元で浮かべていた。


「ちょっと待ったぁ!」

「!」


 しかし、突如響き渡った声により、驚き立ち上がってしまう。

 僅か後退り、せわしなく動く目で辺りを見回すも、何も捉えられない。

 鼓動と呼吸が酷く乱れる。気配も悟れぬ程油断していた身を、心底呪った。


「頼む! そいつら、こっちにゆずって欲しい!」


 今一度ひとたび、声が響く。上空から目前にかけて。

 声の主と思われるそれは、突然降ってきたかと思うと、両の手を顔の前で合わせて懇願こんがんの体勢を取る。

 密かに呼吸を鎮める傍ら、目が瞬いた。


「…………は?」


 腑抜ふぬけ声ですら、妙に遅れて漏れでる。

 頭を垂れ、手で隠れているので顔は見えない。しかし、束ねる程に長い水晶色すいしょういろの髪でありながらも遥かに大柄な体格、私とは種類の違う低めの声、大地を模した色彩の軽装からして、魔道士の男と見てそう無い。


 その人間が同じ“男”を譲れとのたまう。それも、二人共に。怪しい事この上無い。呆気に取られぬ方が可笑おかしかろう。


「手配者数、今回で激減しただろ? 前の獲物も取られたし……もうそいつらが最後なの、知ってるよな?」

「手配者……」


 そう言えば、酒場にそのような張り紙がされていたようにも思える。

 何時いつだったか“食料”をあさりに行った際、標的に選んだ男の背後の壁にあったよう皮紙ひしの面影。それと此奴らの顔が何となく重なった。


勿論もちろん、タダでなんて虫がいいコトも言わない! 運搬と役場の手続きうけうし、こっちの取り分は三割でいい! いや、それで結構です! 懸賞額を思えば十分お釣りが来るはず!」


 こちらの顔色をうかがっているのか、男は慌てて言葉を選ぶ。外の魔道士とは宮廷と違い、こうも口が回るものなのかと、意識が遠くへおもむいた。


「んぁ? おーい、どこ行くんだよ」


 この妙な長髪男と会話する間さえ惜しみ、踵を返す。

 これでは世話係の小言を聞くより疲れる。……ついでに、取り直した言葉遣いすら早々に崩れている。


「その者共、欲しければくれてやる」

「へ? ホントに?」


 余り相手にするべきでは無い。先程からどうも嫌な予感がしてならぬ。


「でも、それじゃやっぱ悪いって! 一割……いや、二割は返すよ」

「金銭に不自由はしておらぬ。絡まれただけで、賞金首と思うてやつらの相手をした訳では無い」

「いやいや、金は幾らあっても困らないだろ。いいから受け取っとけって!」


 歩むこちらの背に、大地に響くような大声が打つけられる。盗賊より性質たちの悪い輩に掛かったようであった。


「……ならば代わりに、こちらの質問にでも答えて貰おうか」


 このままね付けても押し問答は止まぬと踏み、男へと向き直る。


「どうぞどうぞ、何なりと!」


 見た所幾分か歳は上のようだ。……アレンよりも身長が高く、濃い色合いのマントが更に威圧感を増している。

 加えてその軽薄けいはくな顔付きが気にさわる。陽に透け、つやを帯びている水晶色の髪は背に届く程。短髪ばかりを目にする中で、女かと見まがう長さである。

 ……やつらが三流小説の賊ならば、此奴は味方にふんする悪役といった所か。


「此処は何処だ」


 まるではらせのように悪言あくげんばかりを並べつつ、何食わぬ様で口を開く。が、向こうは暫らく妙な笑顔を貼り付けたまま、固まっているようであった。


「え」


 それほど可笑しな事を問うたのであろうか、何故か男は次いで顔を引きらせる。

 それでも数秒の時を要し、気を取り直すように頬を掻いた。


「えっと、あんた旅人?」

「いや、ダルシュアンの者だが」

「この裏じゃねぇかよっ!」

「……」


 突然の剣幕に、思わずたじろぐ。不覚にも身がこわってしまった。


「しかも何か? 大陸たいりくの中でいっちばん分かり易いこの地で迷ってるとでも?」

「……やはり返してらおうか、その賞金首共」

「あ、いや悪いっ、失言しつげん失言……」


 機嫌をそこねたと思うてか、即座に態度を変える男。それに背を向け、辺りを見回し、私はもう一度問い掛けた。


「此処がトトの森中部だという事は分かっておる。知りたいのは詳細だ」


 認めたくはないが、男の言う通り、どうやら迷っているらしい。一晩掛けて尚、森を抜けられぬのは流石に妙だ。


「んー、詳細かぁ。説明し辛いなぁ」

「では質問を変えよう。キキルの港は何処にある?」

「ああもう! 目的がそこなら何で街道使わないかなあーっと、すまん失言失言! えっと、キキルなら……おれも行くし、案内しようか? こいつらダルシュアンで金にえてからだけど」

「断る。一刻の時も要すのでな。道順だけ教えてもらおう」


 そうでなくともこのような怪しい男、早く遠ざけたい。しかき事なのだが、王族に対する配慮はいりょの無い者の相手は、慣れぬ故にとても疲れる。


「ふーん。なあ、あんた名前は?」

戯言ざれごとは良い。道筋だけ述べろ」


 嫌悪にも似た表情を浮かべ、低く言い放つ。


「名前くらい良いんじゃね?」

「……。不審者に名乗る気など無い」


 やや考えあぐね、再び小さく溢す。すると、突然男が回り込み、眉を跳ね上げてこちらの目前へと立った。

 大きく見上げる有様となる目線に僅か後退しそうになり、慌てて睨め付けへと転化する。


「この道進んで突き当たりの大岩を右! 更に進んで大樹の道を右! そしたら川があるから渡って左! で、壊れた小屋が見えたら右! 後はひたすら太陽左側に置いて直進してりゃ建物が見えてくらぁこんちくしょう!」


 名を断っただけで憤慨ふんがいしたというのか、かなりの早口で一息にそう吐き出す。


「……御苦労、流石は魔道士。そのじょうぜつ振り、良い気はせぬが尊敬にあたいする」


 少々面食らってしまったが、私とて暗記は苦手では無い。この森にもそのような特徴があったとは。


「えー、何で覚えられんだよ。大体、素直にアリガトウも言えねぇの?」


 ……。

 不意に発せられたその言葉に、背筋が凍り付く。身の強張り様は、先程の怒鳴り声に対するものとは全く比較にならない。

 ぎる記憶に覆われぬよう、かろうじて震える唇を開いた。


「感謝する」

「……あんた、ひねくれてんだな」

 

 その理由を知らず、覆面でこちらの口元も見えぬ男は、小さく悪態あくたいを吐く。

 特に気に留めず、私は言われた道を沿い始めた。


「おいっ……チッ……じゃあこっちも名乗るから、そっちも名乗れよ!」


 先程否定の意を表したにもかかわらず、男は再び言い放つ。……全ての恩を忘れたかのような命令の調ちょうで。

 此奴め、知る必要の無い名など交してどうするつもりだ。今この身に名乗る名など無い。……母上の御こうを無駄にしろと?


 歩みは止めぬまま、笑みとも泣き顔とも言えぬ表情が浮かぶ。ちょうと呼ぶにはどちらも相応ふさわしく無い、妙な引き攣りであった。


「俺、キッド。アレキッド=ラバングース」

「…………何だと?」


 突如起こった奇妙な偶然が、この身を男へと振り向かせる。

 アレキッド……アレンと同じ名だと?

 ……ふと最後の、あの切ない言葉が脳裏を駆けめぐる。

 愛していると言った、彼の声。その気持ちに……本当は応えたかった。


「はっ、爽快だな!」


 けれど、視線の先の人物とそれが全く重ならず、吹っ切るように声を張り上げた。


「呼び名がちごうただけでも救いに思う! 私の名だと? 貴様のような愚民には勿体もったい無いわ!」

「ぐみ……?」

「だが邪魔をされた代わりに、その名は我が心の浅い箇所にでも留めて置いてやろう! 光栄に思え! その軽薄な面構つらがまえ、食事のたびに嫌悪感と共に思い起こされるのだからな!」


 言葉とは裏腹に、言い表せぬ想いが胸に流れよどむ。

 向こうは呆気に取られていたが、間も置かぬ内に怒りを露わにしていた。


「名乗っただけで何でンな言い方されなきゃなんねぇんだよ! この非常識者! 礼儀知らず! 鬼! もういい、さっさと行っちまえ!」


 こちらにおとらぬ大声を張り上げ、幼子のように文句を連ねる。だが、適当に吐いたであろう最後の悪口あっこうに相違が無く、思わず口の端が吊り上がった。


 そして、赤い顔でふんする男……キッドを尻目に再び踵を返す。少々の間を置いて静かに振り返り、盗賊共を拾い上げる様子を暫し見つめた。


 いつまでそうしていたか、不意に我に返ると、その背に小さくしゃくし、ようやっとその場を後にする。


 一つ、食事をしそびれたが故にヒトを殺めず済んだ事。

 一つ、城に残してきた彼奴を思い出せた事。


 城を出てから約半日、少なからずいきり立っていた我が心。それに少しでも余裕を持たせてくれたこの妙な魔道士へ、くだんの言葉は掛けられずとも、私は率直に感謝していた。



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