-5- 悲運の果てに
父上の
中に居るであろう人物の許可を得る事も無く、私はその扉を勢い良く開け放った。
「御無事ですか!」
「よっと、
常のように椅子に腰掛けている事を予想していたが、声は意外にも背後から返ってきた。
正確には、扉のすぐ後ろ。
理由は不可解であったが、どうやら潜んでいたらしい。
「は、母上?」
何処から持ち込んだのか、大きな斧を振り上げ、
そして、
「ふぅ、これで
後頭部で結い上げられた
人
「先程、使いの者が報告を寄越したわ。ポリアンダ嬢とは相手が悪かったようね。役人が居た
「異端である事が一目
小さくそう述べ、悲しい笑みを浮かべる。
積み上げず残していた鏡台には、グラスが置かれていた。綺麗に飲み干されたそれであったが、ごく僅かに赤く不透明な液体が付着している。
「申し訳……ありません……」
その場へくずおれ、顔を覆う。
生きて欲しい。けれど、どうする事も出来ない。
私の所為で、全てが終わる。
油断が大きな後悔を招いてしまった事を、意味を成さぬ謝罪と共に
「あの日
その胸に引き寄せ、優しく囁く。
幼子のように嗚咽を漏らし、私はただ縋り付いた。
「この身体は苦痛だったけれど、愛する者たちに恵まれてとても幸せだったのよ」
「申しわ……っく、本当にっ、ごめんなさい……」
「謝られるのは好きではないわ。代わりに甘えて
言われ、隠れるように顔を
否、むしろその姿は、幼少の頃から知るそれと何も変わりは無い。彼女はいつでも、いつまでも……母であった。
「
「ありがとう。気に病まないで頂戴。罪深きは皆一緒なのよ。私も……陛下も」
くすりと笑み、優しく頭を撫でる。
しかし、唐突にその胸から離し、強く言い放った。
「でもね、とても残念だけど、あなたの申し出は受けられないわ」
「え?」
耳を疑う私を残し、鏡台の方へと急ぐ。引出しの中から小袋を取り出し、次いで洋服ダンスから
「これ、は……」
群青色のそれらは、ごく
それを、何を思うてか我が手に
「母の最期の
「は……仰る、意味が……」
「断言するわ。あなたは必ず幸せになれる。こんな所で終わってはいけない。この小袋は宝石よ。惜しまず、生きる為に使いなさい。マントはどこか安住の地に着くまで身を隠すのに使って」
受け取った物を見つめる事しか出来ず、
行けるはずがない。全てをこの地へ捨て置き、私だけが逃げ延びるなど……。
「ファルトゥナ、お願いよ。お願い、生きて。この身体が子を
「でも、私はっ……」
「あなたが幸せになるなら、もう他に何も望まない! この身だって喜んで差し出すわ! さあ、お行きなさい! 幾らここが隠し部屋で扉を壊したからといって、あの者たちには取るに足らない事よ!」
声を張り上げ、座り込んでいた私を無理矢理立たせる。抵抗するこちらの力など物ともせず、
本来なら常人を上回る力を持つ吸血族の私も、
「少し
「嫌だっ……母様!」
「言うことを聞いて。……そうね、目標を立てましょう。あの子を、ビアンカを
言って、強く……これが最後だとでも言うような力で抱き締める。
「どうか元気で、ファルトゥナ。辛い運命ばかり背負わせてごめんなさいね……。それでも、私達の元へ生まれてきてくれてありがとう」
言葉を返す隙すら与えず、彼女は大きく私を突き飛ばした。
「母様……母様っ!」
張り上げているはずの声は、まるで無に吸い込まれているかのように
我が力を以て砕ける物でもあるまいと唇を噛んでいると、周辺が徐々に熱を持ち始める。……火が点けられたのであろうか。
取り落としたマントを拾い上げ、堪らず数歩
「どうすれば……」
開かずとなってしまった此処は捨てるしかない。
通常、城から森へは三十分程。広大に非ずとも最南端となれば数時間は掛かる。それでも此処へ戻って……彼女は扉を開いてくれるだろうか。
望まれぬそれは恐らく、愚か者の
「母様……」
不意に溢れた涙を拭い、壁に背を向ける。
「ごめんなさい」
引き摺るように、一歩を踏み出す。
もう一歩。また一歩。
「……くっ!」
次の一歩は大きく、逃げるように駆け出していた。
母と共に逝くという望みは、どうやら叶いそうに無い。
ならば言い残された、最初で最後の我儘。……切なる願い。それを果たす他無い。
足を留めぬまま、頭を覆うようにマントを羽織り、目元より下を覆面で巻きつける。小袋は腰に下げ、落とさぬよう縛り付けた。
姉上を捜そう。
きっとどこかで、どこかで…………本当に、この世で?
頭を振り、遣り切れぬ思いを
生まれ育ったダルシュアンから旅立つ道は、もうすぐそこであった。
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