-5- 悲運の果てに

 父上の寝所しんしょ、本棚の奥の隠し部屋。そこから更に地下へ向かう階段を下って通路を抜けた先の、小さく……けれど決してあくとは言い表せぬ造りの扉。


 中に居るであろう人物の許可を得る事も無く、私はその扉を勢い良く開け放った。


「御無事ですか!」

「よっと、退きなさい、ファルトゥナ!」


 常のように椅子に腰掛けている事を予想していたが、声は意外にも背後から返ってきた。

 正確には、扉のすぐ後ろ。

 理由は不可解であったが、どうやら潜んでいたらしい。


「は、母上?」


 何処から持ち込んだのか、大きな斧を振り上げ、しとやかな王妃たる姿とは掛け離れた気合と共に、外側のドアノブを綺麗にぎ落とす。

 そして、華奢きゃしゃなその身体からは想像出来ぬ程の力で、次々と扉前へ家具を積み上げていった。


「ふぅ、これでしばらくは大丈夫かしら」


 後頭部で結い上げられた二藍色ふたあいいろの長い髪を掻き上げ、彼女はこちらへと向き直る。

 人あらざる耳元を伝う鋭い指先が、しょくだいの光を受けてひらめいた。


「先程、使いの者が報告を寄越したわ。ポリアンダ嬢とは相手が悪かったようね。役人が居た所為せいもあって、またたく間に話が広がっていったそうよ。……今、この城には王族討伐とうばつの為に武器を持った町衆が向かっている。もう何処へも逃げられないわ」


 くし立てられるその言葉に、何一つ返す事が出来ない。告げられるしゅうえんが、脳内にしたたか響き渡ってゆく。


「異端である事が一目りょうぜんの牙に爪、何より老いる事の無いこの身体、あの者達に受け入れられるはずが無いわね。彼ら自らを“食事”とする魔物だもの」


 小さくそう述べ、悲しい笑みを浮かべる。

 積み上げず残していた鏡台には、グラスが置かれていた。綺麗に飲み干されたそれであったが、ごく僅かに赤く不透明な液体が付着している。


「申し訳……ありません……」


 その場へくずおれ、顔を覆う。

 生きて欲しい。けれど、どうする事も出来ない。

 私の所為で、全てが終わる。

 油断が大きな後悔を招いてしまった事を、意味を成さぬ謝罪と共になげくしかなかった。


「あの日たれた吸血鬼。それと同じ存在になってしまった時からこの身は排除されるべきだったのよ。悔やまないで、ファルトゥナ。私の決心はとうについているわ」


 その胸に引き寄せ、優しく囁く。

 幼子のように嗚咽を漏らし、私はただ縋り付いた。


「この身体は苦痛だったけれど、愛する者たちに恵まれてとても幸せだったのよ」

「申しわ……っく、本当にっ、ごめんなさい……」

「謝られるのは好きではないわ。代わりに甘えてちょうだいな。母らしい事など何一つ出来なかったこの胸に。……最期くらい、娘の可愛い姿を留めておきたいもの」


 言われ、隠れるように顔をうずめる。少女の姿でありながらも、身に宿す包容力は母親の温もりそのもの。

 否、むしろその姿は、幼少の頃から知るそれと何も変わりは無い。彼女はいつでも、いつまでも……母であった。


母様かあさま……ファルトゥナは悪い子です、ダルシュアン王家の恥であります。それでも、この命尽きるまでおそばに置いては頂けませぬか」

「ありがとう。気に病まないで頂戴。罪深きは皆一緒なのよ。私も……陛下も」


 くすりと笑み、優しく頭を撫でる。

 しかし、唐突にその胸から離し、強く言い放った。


「でもね、とても残念だけど、あなたの申し出は受けられないわ」

「え?」


 耳を疑う私を残し、鏡台の方へと急ぐ。引出しの中から小袋を取り出し、次いで洋服ダンスから群青色ぐんじょういろのマント、覆面としていた同生地の布を取って戻ってくる。


「これ、は……」


 群青色のそれらは、ごくまれに外出する際、彼女自身が着用していたもの。

 それを、何を思うてか我が手ににぎらせる。


「母の最期の我儘わがままよ。……生きて。あなたなら出来る。吸血族にせられた血の呪いになんて呑まれないで」

「は……仰る、意味が……」

「断言するわ。あなたは必ず幸せになれる。こんな所で終わってはいけない。この小袋は宝石よ。惜しまず、生きる為に使いなさい。マントはどこか安住の地に着くまで身を隠すのに使って」


 受け取った物を見つめる事しか出来ず、愕然がくぜんとなった。

 行けるはずがない。全てをこの地へ捨て置き、私だけが逃げ延びるなど……。


「ファルトゥナ、お願いよ。お願い、生きて。この身体が子をすのにどれだけ決意が必要だったか……あなた、知らないでしょう?」

「でも、私はっ……」

「あなたが幸せになるなら、もう他に何も望まない! この身だって喜んで差し出すわ! さあ、お行きなさい! 幾らここが隠し部屋で扉を壊したからといって、あの者たちには取るに足らない事よ!」


 声を張り上げ、座り込んでいた私を無理矢理立たせる。抵抗するこちらの力など物ともせず、だんまで引っ張った。

 本来なら常人を上回る力を持つ吸血族の私も、である母と、ちぎりを交わした父にだけは敵わない。如何に足掻あがこうとも、掴まれた腕を振り解く事は出来なかった。


「少しすすだらけになるけど、ここは外につながっているの。トトの森最南端に出るわ。木々を死角に利用すれば、必ず抜けられるはず」

「嫌だっ……母様!」

「言うことを聞いて。……そうね、目標を立てましょう。あの子を、ビアンカをさがし出しなさい。海に居なかったのだもの。きっとどこかで上手く生きているはず。帰ってこられぬ事情があるのよ。あなたの手で救い出してあげて」


 言って、強く……これが最後だとでも言うような力で抱き締める。


「どうか元気で、ファルトゥナ。辛い運命ばかり背負わせてごめんなさいね……。それでも、私達の元へ生まれてきてくれてありがとう」


 言葉を返す隙すら与えず、彼女は大きく私を突き飛ばした。

 ころげた先は、薄暗い松明たいまつが配されただけのせまき石造りの通路。そして透かさず、重い音を立てて入り口が閉じられてしまう。


「母様……母様っ!」


 張り上げているはずの声は、まるで無に吸い込まれているかのようにこもる。無機質なその石壁には取手とってが無く、こちらから開く事も出来ない。

 我が力を以て砕ける物でもあるまいと唇を噛んでいると、周辺が徐々に熱を持ち始める。……火が点けられたのであろうか。

 取り落としたマントを拾い上げ、堪らず数歩退しりぞく。


「どうすれば……」


 開かずとなってしまった此処は捨てるしかない。

 通常、城から森へは三十分程。広大に非ずとも最南端となれば数時間は掛かる。それでも此処へ戻って……彼女は扉を開いてくれるだろうか。


 望まれぬそれは恐らく、愚か者のしょぎょう。一刻のゆうも無い今、先に辿り着くのは他者の可能性が高い。


「母様……」


 く末を思い、視界がゆがむ。

 不意に溢れた涙を拭い、壁に背を向ける。


「ごめんなさい」


 引き摺るように、一歩を踏み出す。

 もう一歩。また一歩。


「……くっ!」


 次の一歩は大きく、逃げるように駆け出していた。

 母と共に逝くという望みは、どうやら叶いそうに無い。

 ならば言い残された、最初で最後の我儘。……切なる願い。それを果たす他無い。

 足を留めぬまま、頭を覆うようにマントを羽織り、目元より下を覆面で巻きつける。小袋は腰に下げ、落とさぬよう縛り付けた。


 姉上を捜そう。

 きっとどこかで、どこかで…………本当に、この世で?

 頭を振り、遣り切れぬ思いをつように、走り続ける。

 生まれ育ったダルシュアンから旅立つ道は、もうすぐそこであった。



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