-4- 焦がれる

 城の塀を飛び越え、草木茂る庭へと下り立つ。

 ずっとそうしていたのか、裏口に座り込んでいたアレンがかさず駆け寄ってきた。


「姫様! お身体はっ……」

あんずるな。それより、お前は」


 状況を説明すべく口を開くものの、すぐに留めてしまう。

 ……余計な事を吹き込むべきでは無いのやも知れぬ。この男に罪無き事など、役人もすぐに察するであろう。


「どうかなさいましたか?」

「何でも無い。あ、と、アレン、これから私と母上は遠くへ行く。後の父上の事を……」


 そこでまた、口をつぐんでしまう。

 何を……言うておるのだ? この頭も、何を考えているのか。

 私は母上と何処どこかで身を潜める気でいるのか? 陽の光も覗かぬ暗闇で?……“食料”は?


 確かに、彼女を救わねばという一心で此処へ戻ってきた。しかしそれは、もはや叶わぬ事ではないのか。


「外で何か、ありました?」


 私達の、存在は……。


「血を欲していたのでしょう? 貴女は王妃様や姉姫あねひめ様と違い、僕に持たせるのをきょくたんに嫌がっておられましたから、いつも御自身で調達なされてましたよね。……今日はどうして、そんなに慌てておいでなのですか」


 うつむき悩む私に、アレンは静かに問い掛ける。

 ……此奴は、細心の注意を払って人間を狩りに行く時も見守っておったのか。本当に何故、気付けなかったのだ。愚かな怪物よ。


 言葉も無く顔を上げ、ひたすらに優しいその目を見つめる。

 込み上げてくる想い。……罪悪感。

 やはり、言わねばならない。もう、この城にあの少女は訪れられぬという事を。


「姫様?」

「わ……アレン、実は、私っ……」


 真実を語るべく言葉を紡ごうとするが、忌むべき想いが邪魔をする。

 畏怖、されるであろうか。あの男と同じように、人殺しと、さげすまれるであろうか。話してしまったら、私は、アレンに……。


 思いはじわりじわりと目頭を熱くさせ、遂には頬に涙を伝わせる。以降、真っ直ぐなその目を見続ける事など、出来るはずも無かった。


「……ファルトゥナ様」


 すると突然、思い詰めたような呼び声と共に、身が強く包まれる。彼の胸元が頬に触れ、ほのかな匂いに息を呑んだ。


「ぁ……アレン?」

「あっ、いや、僭越せんえつなのは重々承知の上で……こうすると気がしずまるかなと……思いまして」


 口もりながら、背を緩やかに撫で下ろされる。

 暫し沈黙した後、乾いた笑いが耳を掠めた。


「あはは、えっと、僕がこうしたかっただけで……。申し訳御座いません。でも、ちょっと止まらなくて、あの、もう少しだけ……」


 鼓動が、高鳴る。耳元で聞こえる律動が自身のものと重ならぬ事を思うならば、向こうの心音も加速しているのであろう。

 もはや祈る気持ちで目を閉じ、その背に恐る恐る腕を回す。


「突き飛ばされるか、御しかりは覚悟の上でしたが……」


 何も返さぬまま、手にそっと力を込める。


「……宜しいのですか? 姫様がお相手であろうと、そのようにされれば愚か者は調子に乗りますよ?」


 静かな声音と共に緩やかに身を離し、私の髪を優しくく。その眼差しはまるで見透みすかすかのように我が心を捉え、これ以上無い程の罪悪感をいだかせた。


 頬に触れ、顔を覗き込み、あごに指が添えられる。

 距離を詰める程に、栗色に宿る光が眩く映る。影を落とす前髪が我が紫紺と混ざり合う頃…………私は遂に、その視線を逸らしてしまった。


「リ、リスをあや、……殺めてしまった。……それを、見られっ……」


 先程よりも深く俯き、悲劇の真相と嗚咽おえつが漏れる。


「は? リリス?……何ですって?」


 小さいながらも、目前からは驚愕の声が上がっていた。


「あ……やっ、やだなぁ姫様ってば、口付けてしまおうかって間合いでそんな、こと……」


 冗談めいた言葉を吐きつつも、その手はかすかに震え、落ちゆく。

 ……軽蔑けいべつ、されたであろうな。

 涙をぬぐい、顔を上げ、呼吸を整える。


 行かなければ。

 この男をり抜け、先のとびらへ。


「すまない。お前が……穢れた身に触れる前に話すべきであった」


 僅か後退り、一気に駆け出す。

 行くなら今しかない。これが最後でも良い。

 此奴には、幸せに……。


「違うっ! そんなつもりじゃなくて!」


 けれど想いむなしく、強く腕をつかまれ留められてしまう。


「あ……失礼、致しました。……お辛かったでしょう。彼女は、貴女が心を開いておられた数少ない城下の民。自らが望んでの事では無かったでしょうに……」

れいごとを! こころではずっとあのむすめを狙っておったわ! 何度いても湧き上がる観悦かんえつの気持ちが忌々いまいましい! やはり私は、生まれつきの鬼なのだ! 人の心など、餌に近付く為の仮面に過ぎぬ!」


 拭い去ったはずの涙が、また溢れ出す。醜く吐き散らす様に怒りを覚えたのか、アレンの眉は跳ね上がり、大きく手を振り上げる。とっに殴られると判断し、強く目を閉じた。


 ……が、予期していた痛みは無く、代わりに先程の温かな腕が、再び私を包み込む。


「だからどうしてっ……そんなに御自身を卑下なさるんですか! いつものようにぐらいの高い貴女であって下さいよ! 吸血鬼である事を落ち度みたいに仰って……。僕は、貴女の全てを愛しているのに!」

「!」


 目を見開き、その胸を強く押し遣る。

 私はもう、受け入れなかった。

 今、互いの気持ちをかよわせるべきでは無かった。

 否、永久に知るべきでは無かったのだ。


「姫、様……」


 尻餅をつくアレンを置いて、今度こそ裏口まで駆ける。ヒトであるその身に、この腕を掴む事はもはや叶わない。


「お別れだ、アレキッドよ」


 一瞥すら与えず、言い放つ。

 扉を閉め、容易く追えぬよう鍵を掛ける。すぐさまそこは激しく叩かれ、彼の叫びが響いていた。


「お前は……幸せに」


 恐らく、向こうには届かぬであろう小さな言葉を残し、その場から立ち去る。後に、どれほど悲痛な叫びを捉えようとも、決してそちらへ振り返る事は無かった。



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