-2- 不穏

貴方あなた様を愛しております!』

『しかし、僕には婚約者が……』


 ――パタン。


「あれ? 姫様、どうされました?」

「返して来い」


 陽も沈みかけた頃、ようやっとリリスがじゅうしゃと共に帰った。そして、いい加減アレンがうるさいので渋々しぶしぶ花図鑑以外の書物を開いたのだが……。


「でも、まだ五頁だってお読みになられていないのでは?」

「三行も読んでおらん」

「ああぁ、だまされたと思って全ての書物を十頁はお読み下さいと申し上げたじゃないですか!」


たわけ、冒頭から見るにえぬわ。アレン、お前は本当に私がこのような俗本ぞくほんを好んで読むと思うたのか?」

「それ“純・りゃくだつ愛~アテレスカの丘で”ですよね? 確かに題名と冒頭は少しアレですけど、中盤からの盛り上がりは本当におすすめなんですよ!」


 そうは言うが、このまま読み進められる自信も無い。大体、何故なにゆえこのよう代物しろものが城にあるのか。……もしや、私物? 全く、何が“純”だ。略奪にけがれ無き事などあるものか。


「そろそろ夕食の時間であろう。もう良い。下がれ」


 頁を開いて何やら説明していたアレンだが、突然表情をこわらせてこちらを見つめる。何か言いたげに口が動いていた。


「昨晩からあきらめが悪いようだが、食わぬぞ」


 一瞥いちべつし、溜息すら混じらせ低く言い放ってやる。たん、眉を跳ね上げ、迫るように言葉を浴びせてきた。


「しかし! ……不可能では無いのでしょう? 僕はてっきり、お身体からだが受け付けないものだと……。召し上がりましょうよ。数年も食さないなんて、普通じゃ考えられないです」

「この身に今更いまさら“普通”を求めるのか、愚か者が」

「御自身をそんなに卑下ひげなさらないで下さい。貴女あなたの悪い癖ですよ」


 こちらの一言から一体何を読み取ったのか、せぬ返答と共に重ねられた書物を拾い上げるアレン。それらを脇に抱え、身体をほぐすように腰に手を当てていた。


「実はもう、料理長と話は付いておりまして。ふふ、父王ちちおう様もきっとお喜びになられますよ!」

「何? おいアレン! 勝手な真似まねを……」

「失礼致します!」


 こちらの抗議を完全に聞き流し、ヤツは逃げるように駆け足で城の裏口へと向かう。

 “普通”にあらぬ身が追いつけぬ事は無い。だが、決心したあの男を止めようなど、如何いかなるおどしを以てしても無駄である。ましてや他人の為にと思うての行動。

 アレンは動じない。それは重々承知の上であった。


「くっ……お前の悪い癖だ!」


 言い捨てると、振り向きざまに栗色の目が細められ、かちに笑む。


「そうやって悪態あくたいかれても、父王様ときちんと着席なされてるだろう姫様はとーっても愛おしいですよー!」

「!」


 嫌味とも取れる言葉を残し、走り去るアレン。私はその姿を見送ると、また幹枝の上へ飛び乗り、腰を下ろしてしばしの時を過ごした。


 今城内を歩けば、目ざといじょらが火照ほてる頬に気を回すであろう。冷え始めた空気にさらすように、高揚こうようする感情を静めるように、緩りと目を伏せる。


 ……物心付く前から長き年月を共にしている。それこそ、親族よりも近しく。

 おぼろげながらも幼少から知り得る眼差しは、今尚一線を越える事無く優しい。軽々しく放たれたそれも、深い意味など無いのであろう。

 ……。

 アレン……。






「おお、ファルトゥナが食事をしておる……」


 久しく肉や野菜を口に運ぶ我が姿に、父上は目を潤ませていた。

 自身の手を動かす事すら忘れているその様子に、私は小さく笑み返し、どう果汁が注がれたグラスに手をる。


「陛下には申し訳ありませんが、姫様の好物ばかり並べさせて頂きましたよ」

いかですか? お口に合いますか?」

 

かたわらの侍女や料理人も感涙にそでを濡らしている。その数は異様に多い。部屋の外にも、入りきらぬであろう召使達がひしめいていた。


「止めぬか鬱陶うっとうしい……見世みせものではないぞ。下がれ」


 人口密度が高い為か、あまの視線故か、顔が徐々に熱を帯びる。


「皆は嬉しいのだよ、ファルトゥナ。私以外の者がこの場でテーブルに着くのは本当に久方振りだ。好きにさせてやりなさい」

「……気が散って味が分かりませぬ」


 そう言い、肉の一切れを口に含む。父上は暫し笑んだのち、寂しそうに息を吐いた。


「ここにマリエも……いや、マリエとビアンカも揃う事が出来れば、尚良かったのだがな」


 その言葉に、場に居る全ての者が重い影を落とす。

 王族が晩餐ばんさんに揃った事は、一度たりとて……無い。


「母上の御体は私などとは比べ物にならぬ程に繊細。食事は毒にすら成り得ます。……姉上、は……。父上、どうかこの場はわたくしでご辛抱しんぼう頂けませぬか」

「そうだな。お前がこうして居るだけでも喜ばねばならんものを……。らぬ発言をした、すまない」


 静かにナイフとフォークを置き、ナプキンで口周りをぬぐい、私は僅か首を振る。


「いえ、私も皆で食事がしたかったです」


 ……我が母にして王国ダルシュアンのきさき、マリエ。

 その身分でありながら、昼夜を陽の当たらぬ地下で過ごしている。

 陽光に彼女の肌を晒すは、決して許される事では無い。


「もうよろしいのですか、姫様」

「ああ、美味であった。久々の食事も良いものだな。父上、私はこれにて失礼致します」

「明日もおいで。ひとりというものは中々に寂しいものだ」

「十年あまり、席を空けていた無礼者で良ければいつでもお相手致しましょう」

「そうか、なら相手ついでに今一度ドレス姿を」

「御容赦ようしゃ願います」


 抜け目無く言い放たれたそれを、一礼と共にね付ける。振り返り退室する背後で、苦笑する侍女達の声が耳に入った。


 ……。

 姉上。もはやこの地には居らぬであろう第一王女、ビアンカ。

 数年前、彼女は私の目前でわれてしまった。……嵐という名の、何者にもおかされぬ強者に。


 兵達の必死の捜索やきゅうてい魔道士達の力を以てしても、その姿をとらえる事は叶わなかった。

 もう誰一人として、王女が帰ってくる事など信じてはおらぬであろう。


「ああ、姫様が今時分に城内に御座おわすなど、何年振りでしょう!」


 と、ずっと後ろに控えていたアレンが唐突に叫ぶ。


「いつもなら屋外でかくれんぼとか木登りとか沐浴もくよくとか! 全く、大陸の数少なき姫君のさる事ではありませんよ!」


 先程の話題で私が落胆らくたんしたとでも思うたのか、わざと大袈裟に声を張り上げている。れた内容だが、少々気落ちしたのは事実。

 そのたくらみ、乗ってやろうではないか。


「かくれんぼだと? 戯けが。城に居るとお前が煩い。故に森で気を休めているのではないか。木登りも、不必要な小言から逃れる為。沐浴は……最近、侍女達の目が鬱陶しくてな。成長しただのもう少し丁寧に流すだの、浴する時間が長引く。それに、自然に囲まれながらというのも中々に……」

「皆、姫様のお美しい四肢ししを大切にみがき上げたいのですよー」


 部屋へ向かう足を留め、ヤツへと向き直る。頬はこうちょうしており、何を思うてか目を薄めては虚空を見ている。

 私は、頭一つ分程高いその目をめ付け、複雑な思いを胸につぶやいた。


「沐浴の事は侍女にしか言うておらぬはずだが。口止めもした。漏らしたとて、男などにそのような話はせぬだろう。……アレン、何故貴様がその事を?」


 問うてやると、暫しの間を置いて青ざめゆく。たずさえていた私のおりの存在も忘れ、素早く地に両の手を着いていた。


「申し訳御座いません!」


 見る間に頭を床へ擦り付け、城内に響き渡るであろう悲鳴に近い叫びが上がる。


「丁度がっ、外出なされた時に限って見つけてしまいっ……えっと、追ってみたらあんなコトやそんなコトに!」


 にわかには理解しがたい言葉であった。……否、脳はかたくなにそれを否定していた。

 まさか、この私が追われていた事に気付かなかったというのか? そして、此奴に沐浴の場を……見ら、れ――


 それ以上の考えをこばむように、身に付けていた首の装飾品を引き千切ちぎっては渾身こんしんの力を込めて投げ付ける。物言う事も叶わぬまま踵を返し、逃げるように駆け出した。


 怒りと羞恥で呼吸が乱れる。悲観すらにじみ、目が情けない程に潤みを帯びる。……消えてしまいたい気分であった。


 しかし突如として、景色をゆがませる程に気味の悪い感覚が身を襲う。次いで身体の内をじわりと渇望かつぼう感が支配し始め、堪らず膝を折った。


「あああ……もう、なん、実は昨日も見っ……あ、いえ今のは! ひいぃ申し訳御座いません! どうか首だけは……れ? 姫様?」


 反応遅く、腑抜ふぬけがようやっと異変を捉える。


「何でも、な……ぐっ……」


 不味まずい、食事を取った事があだとなったか。

 やはり久々の事に身体が対応仕切しきれなかったのか、吐き気すら覚え、口を覆う。すぐさまアレンが駆け寄り、私の背をさすった。


「姫様! お気を確かに! 医師……いや、とりあえずお部屋へ!」


 羽織物を掛け、そのまま肩を支えて立ち上がらせる。けれど、喉が焼け付くように急激に渇き出し、再度膝が折れてしまった。


「が、ぅ……アレン……」

「僕はここに! 如何なさいましたか!」

「熱、い……た、すけて」


 口が、意図せぬ言葉をつむぐ。まるで無意識に腕も伸び、彼を求めていた。

 その指先の、なんと長く鋭い事か。

 向こうもその変化に気付いたのであろう。我が目を見るなり、息をんでいた。


「金色……ひ、姫様、おが……」


 すでに普段のぐれ色では無くなっていたのか、驚愕の眼差しが私を捉える。


「くっ、戯けが! 離れぬか!」


 湧き上がる衝動を何とかおさえ、驚き固まっているそれを突き飛ばす。


 ――血が半分のあなた達は、常に理性と欲望が背中合わせなの。油断と我慢は禁物きんもつ。……大切な人を失いたくは無いでしょう? だから封印なさい。“もう一人の人格”を


 昔聞いた母上の忠告が頭に響いたのは、初めて“大切な人”の前で変貌したからなのか。

 尻餅をついてほうけるアレンにすぐ戻ると言い残すと、私は手近な窓枠を蹴り、城外へと飛び出していった。



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