-1- かぞえうた

 鏡はきらい。うつくしい姿を見せてくれないから。

 陽の光もきらい。白い肌を焼いてしまうから。

 さいたるは十字。神を模すまわしきやいばよ。


 男は触れないで。指一本でも。

 女は近寄らないで。壁一枚へだててでも。

 子供は去って。視界から外れるまで。

 大人は失せて。身が全て灰になるまで。


 人としての命でありたい?

 ならば守って。決して破らないで。

 永遠なんていらない?

 ならばちかって。決して裏切らないで。


 それでも破って、裏切るその時。

 あなたの未来、私が食べてあげる。





「つまらぬ」


 ページを閉じ、低く言い捨てては適当にそれを投げ落とす。


「わっ! いけません! 大切な書物しょもつをそのように扱われては!」


 樹木の下、唐突とうとつながらも見事に受け止め、栗色くりいろまなこがこちらを見上げて不満気にまたたいた。


「その手の内容ならもう良い。お前にしてはえらく無神経ではないか。一体どういう感想を聞き出すつもりだったのだ?」


 嘲笑ちょうしょうと共に、長くくせの入った自身の紫紺色の髪をき上げる。そのまま幹枝の上で昼寝の体勢を取っていると、下方からは溜息交じりに唸る声が聞こえていた。


「適当に二、三冊とおっしゃられたので、本当に適当に取ったら……こうなりました」

「それで、同じ怪物がらみの本を幼児向けから順に持ってくるやつがあるか」

「怪物だなんて! 確かに僕もこれはどうかと思いましたけど、楽しく終わる物ばかりだからそのままお持ちしたんですよ!」


 今日一番の大声にちらと見遣みやれば、書物を重ね抱え、彼は城内へときびすを返していた。


「申し訳御座ございませんでした! 次は本気で厳選いたします故、そのままお待ち下さい!」


 謝罪の言葉とは思えぬほどの荒い語気に、肩をすくめる。

 そして、栗色の髪なびく後姿が遠ざかり始めると、私は即刻昼寝体勢をくずし、身体を伸ばした。やはり読書などしょうに合わぬようだと欠伸を噛み殺し、腰を浮かせる。


「逃げないで下さいよ!」

「……」


 地へ下りようという瞬間に声が掛かり、思わず眉根を寄せてとどまった。

 こちらの動きも見ずに言ったか。興味引く内容ははかれぬというに、下らぬ勘ばかり働かせおって。

 小さく舌を打ち、仕方無く幹枝に座り直せば、青年が向き直って説教用の顔を作り出していた。


姫様ひめさま、お返事は?」

「分かったからはよう行け!」


 決まって小言を述べるだけの表情にいささか腹が立ち、手近の細枝を折ってはその背に投げ付けてやる。ひぃと情けない声を上げつつも枝をけ、彼はまた城内へとけていった。


 まったく、久々に何か読んでみたいと軽く漏らしたらこれだ。引き際覚えぬあの世話焼きはどうにかならぬものか。よわい十九が聞いてあきれる。


「ルーナさまー!」


 いい加減、痛み始めた腰を押さえていると、青年と入れ替わるようにして甲高かんだかい声がひびき渡る。ともない、慌ただしく草地を踏みしめる小さな足音が、多々ある樹木の中を迷いも無く近付いてきた。


 根元へ到着すると、こちらを見上げてにゅうに顔をほころばせる。肩で切りそろえ、優に巻かれた柔らかい金色こんじきの髪を揺らし、小さな少女が息をはずませていた。


「えへへへー、ごきげんうるわしゅー、ファルトゥナ=ウル=カーミラ=ダルシュアンさま」


 ゆるやかに我が名を発音し、若草色わかくさいろのサテンドレスの端をひらりとさせ、丁寧ていねいにお辞儀じぎをする。

 幹枝を蹴って地へ下り立つと、私はひざを付き、いとしきおさなの頭をふわりとでた。


「こんにちは、リリス。突然あらたまってどうした? その名は発音しづらいであろうに」


 齢六つ。加えていました足らずの彼女は、“ファルトゥナ”という我が名すら円滑えんかつに発音する事かたい。故に幼少期の愛称で呼ばせているのだが。


 かみめとしている赤いリボンの緩みを正してやり、向かい合わせるようにしばじゅうたんへと腰を下ろす。丸みのある可愛らしいほほが、得意げな表情と共にしゅに染まっていた。


「リリス、ルーナさまの本当のお名前、ママに聞いたの! さあ、今日こそちゃんとしたかぞうたで遊びましょ! ルーナさまで終わらない数え歌、ね!」


 数え歌。よくは知らぬが、自身の名に歌を乗せて遊ぶ、最近の子供等の流行はやりなのだそうだ。彼女に合わせ、その歌の時でも私は愛称のまま続けていた。

 一度、実名で歌おうとしたら名前が違う、と怒られたからなのだが。


「しかしリリス、今度は名は長すぎて先に歌が終わってしまうぞ」


 そう言えば、それで歌い切った時の事を今まで考えてはこなかった。

 一周目はまだ愛称でも歌えた。二週目が上手く乗らずに終わってしまうのである。けれど、“ファルトゥナ”では一周目すら歌えない。


 ……。

 無論、十六の身で数え歌など、本来ならば無縁の話であるのだが。


「えー、そうなの? うーん」


 首をかしげながら、その硝子玉ガラスだまのような青いひとみくもらせる。


「あ、いいこと考えた!」


 けれど、何か名案でもあったらしく、すぐに太陽のような明るい表情を取り戻していた。

 純真無垢むくで、天使がヒトの姿を借りたのかと錯覚させるほど愛らしいその姿に、知らず顔が綻ぶ。そして無意識の内に、その白く細い首を見つめた。


 緩んでいた口元が徐々に緊張を帯びる。心のむしが小さく……本当に小さく、しかしとても陰気にささやき出す。聞かぬ振りをしつつもごくりと音を立て、生唾なまつばが喉を通っていた。


「ファルト=ウル=カーミラ!」


 突然の叫びで、我に返る。いつの間にか食い入るように首筋を見ていたらしい。リリスとの距離は、先程よりも明らかにちぢまっていた。


「途中で切れないし、ちゃんと歌えるよ! これでリリスとゴカクのショーブ!」


 ……。


「ルーナさま? お名前短くしちゃだめ?」


 蟲をめっするかのごとく、自身の胸元を強く掻く。そのまま彼女の頬へと転じ、滑らかに撫でた。


「充分だ。リリスはおこうさんだな」

「よかったぁ。じゃあ歌うよー! さんっはいっ」

「姫様ー!」

「あれれっ……」


 まるで見計らったかのような乱入にひょう抜けするリリス。手拍子を打とうとしていた私も、同じく調子を狂わせてしまった。


「おやリリス、こんにちは。また数え歌かな?」


 そして、城の召使いけん王女世話役の分際ぶんざいでこちらに大声を浴びせたそのおろか者は、先程の青年ことアレキッド。


「でも残念。今日の姫様はとっても御本を読まれたい気分なのだそうだよ。……そう、とってもね! 長らくお勉強の物しかお読みになられていなければ、新たなお話に触れてみたくもなるだろうさ! というわけで、邪魔をしちゃいけないよ。数え歌はまた今度」


 優しい笑みを浮かべながら、けれど無理矢理リリスを立たせ、ドレスに付着した葉を払う。


「新たどころか、あの書物らは古くから城にあったと見受けるが」

「お読みにならなければ新しいままです」


 アレン。……姓は与えられぬままのアレキッド。

 十九らしからぬ心境ばかり目立つこの明るい青年にも、城門前に捨て置かれていたというなげかわしい過去がある。


 しかしそれは、目を輝かせて最愛とも呼ぶべき書物を抱える現在の姿を認める限り、悪くは無い人生への幕開けだったのではと思うばかりであった。


「いやー! 先に居たのリリスだもん! ルーナさまとお祝いの数え歌するの! 今日はアレン一人でお花さんとお話してて!」


 手を払い除け、リリスはもう、と頬をふくらませる。


「何だアレン、普段からそのような事をしておるのか? 随分と洒落しゃれいているようだが」

「あ、馬鹿にしてますね。しゃべりかけると成長が早まるんですよ。……はい、その事を詳細に記した書物もお持ちしましたから」


 そう言い、表紙に花の絵が描き込まれたあつい一冊を見せ付ける。美しき色合いが目を楽しませてくれそうではあるが、物語をしょもうしたはずの身が感嘆かんたん出来るとは到底とうてい思えない。


 本好きとは言え、かたよった趣味ばかり目立つやつに選ばせるべきでは無かったのであろうか。けれど、書庫への行き方をたずねるなど以ての外……などと悩むこちらの様子など知るよしも無く、アレンはリリスと同等の目の高さにまでかがみ込み、両肩に手をえていた。


「リリス、本当に先に居たのはぼくだよ。だから先に約束を果たすのも僕。ほらほら、数え歌ならこっちで相手をしてあげるから」

「いーやー! アレンじゃ歌えないもん! ルーナさまがいいのー!」


 確かに、先に居たのはこの男。だが、同じ城でつねとも言える時を共にしていては当然である。

 大人おとない言い訳をするそれに呆れ、私は小さく息をいた。


「良いではないか。書物など、リリスが帰った後にでも存分に読める。それに、植物にうとい私が花の成長について興味を持つとでも?」

「いいえ。しかし、これをのがすともう御手おてにすら取られませんよね? 始めに土を選び、成長した姿を想像しながら植える作業の面白さと言ったらもうたまりませんから! さあ、さあ!」


 言いながらそっと、けれどもあつ的に分厚なそれを押し付けてくる。軽く漏れた説明にも一切の魅力が感じられない。

 ……土? もはや色彩しきさいを楽しむ事からも離れているではないか。


 ふと、リリスに視線を移してみると、唇を小さくむすび、青い瞳をうるませていた。今にもはじけそうなその感情を必死に我慢しているように見え、どうにも居た堪れなくなる。


「そこへ直れ、アレキッド」

「はい?」

さまは、遥々はるばる御足労頂いた客人の御こう無下むげにすると申すか!」


 腰を上げて栗色の目を見据みすえ、私はおお袈裟げさに声を張り上げた。アレンは条件反射の如く身を跳ね、即座にひざまずく。


「えええ姫様ずるい……あ、いえ滅相めっそうも御座いません!」


 大切だとしょうしていた書物までもを放り出して。


「アレンのおろかものー」


 その隣で、リリスが笑顔を取り戻していた。


「姫様の真似しないっ」

「ほう、自身の行為をいてしたのではないのか? それでもなお、我が客人に無礼を働くと?」

「ひぃぃ違いますってば! ああもう、……ファルトゥナ様の御客人への非礼をおび致しますっ。いてはどのようなばつもお受けします故、ポリアンダ嬢よ、どうかこのアレキッドめを御ちょうきょ下さいますよう……」


 仕方無いとばかりにこうじょうを並べ、リリスへ向かい、私へ向かってこうべを垂れるアレン。その様子に二人で顔を見合わせ、笑い合う。


「じゃあルーナさまとの数え歌、一緒に見てて!」

「ポリアンダ嬢からの罰だ。心して受けよ」

「……はい」


 溜息を吐き、そのまま力無く座り込む。リリスは満面の笑みを浮かべ、改めて掛け声一つと大きな声で歌い始めた。

 私も合わせて手拍子を打ち、アレンも弱々しくそれに続き、与えられた名をふしに乗せ、うたい出す。



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