Catastrophe《カタストロフィ》

薄荷羽亭

1.序章

プロローグ

 一瞬でも気を抜けば、即座にまぶたが閉じられ、倒れてしまいそうになる。

 まるで、急激に喉が渇くような錯覚すら引き起こし始めた頃、ようやっと灰色から成る石造りの塀が見えた。


 “おかえりなさい! 船旅のお供にはキキル酒をどうぞ!”


 その開口上部にて、明るく彩られた看板。無駄に大きく掲げられている割には、限定的な文句で以て出迎えていた。


「おかえりなさい……?」


 余り意識が定まらぬ中、不意にそうこぼしてしまう。

 そこは新たなる歓迎のたぐいではないのかと、どうでも良い疑問と同時に、この港町を出て先の町へ向かおうとも、用事が済めば再び此処ここへ舞い戻るしかないのだと思いいたった。


 記憶が正しければ、初めて訪れたであろうその門をくぐり、ふと看板の裏を見る。かすれていたんだ木板にて、別の文字が記されていた。


 “道中お気を付けて! いつくしの国、ダルシュアンへ!”


「……」

「ねえ、やっぱり行くのやめない? あの国、今大変なんでしょう?」


 こちらとは逆に、門を抜ける手前の案内板の前にて。旅人らしき男女二人が立ち止まり、行き交う人の波をながめている。


 港町といえば活気にあふれ、市場が盛んであると学んだものだが、今現在人々に浮かぶのは楽観では無く、その多くが不安としょうそう。先程すれちごうた荷馬車上で肩を寄せ合う者らも、おんな噂話を口にしているだけであった。


「でも、せっかくここまで来たんだ。キキルだけじゃ“”到達とは言わないよ。……あ、すみません、そこの人!」


 ……。


「あれ? おーい、そこの青いマントの人!」


 その言葉にて、周囲の幾人かがこちらへと視線を寄越よこす。マントまでは何処どこにでもある姿だが、フードを目深に被り、覆面で鼻頭までおおっていては、やはり少しばかり怪しさが増すか。


 これ以上、ヒトとは関わりたくも無いが、無視を決め込んで妙に目立つのも勘弁かんべん願いたい。何とはかず、こんの前髪を陰にそちらを振り返った。


「旅の人ですよね? ダルシュアン、どうなってました?」


 軽い口調で尋ねるそれに、わずか眉がねる。

 昨晩の出来事がまるで濁流のように思い起こされ、早々に地へと目をらした。


「さあ……。街道途中で引き返したゆえ、私は何も……」


 くぐもる声で返すと、即座に女が不満気にうなっていた。


「ほらぁ、やっぱり行くのやめようよ」

「えー、でも…………あ、行っちゃった」


 歩み出すこちらを引き止めるでもなく、二人はまた押し問答を再開する。私で無くとも、話を聞ける旅人など他にも居よう。

 確かに、港を出て行く人ばかりが目立ち、船着場へ向かう者を見つけるのは多少困難やも知れぬ。


 しかし、恐らくは一時的なものだ。混乱が収束し、再び王が治められれば……。此処だけで無く、ダルシュアンも元の落ち着きを取り戻すはず。

 例の事件を最後に、抜けた先からは森しか見ておらぬ故、城下町がどのような状況におちいっているのかは本当に把握していない。

 それでも、父上さえ生きてられれば。


「どうか、支えになってくれ……アレン」


 立ち止まりそうになっていた足を今一度ひとたび奮い立たせ、優しい笑みを想う。けれど、その表情は徐々に驚愕し、果てには悲痛へと塗り変わってしまった。

 そうさせたのは他でも無い、私なのだが……。


 覆面の下、深く息をつき、釣られて漏れ出てしまった欠伸あくびを噛み殺す。遠くに見えた船着場の待合室の看板を頼りに、一歩、また一歩と、まるでかせを引きるかのように重く、歩み進めていった――





 Catastrophe




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