~癒~


「うん、ちょっと…倒れちゃって……」


 みおはホテルのロビーで電話をしている。

 相手は、父親のかなめ


『だ、大丈夫なのかい?』

「さっき、ホテルの人が救急車きゅうきゅうしゃを呼んでくれて、病院に運ばれるかと思ったんだけど…、軽い熱中症ねっちゅうしょうだから、ホテルで休んだ方がいいってなって。今、しゅう、部屋で頭を冷やしてる…」


 時間は午後3時。みおが座るソファの前を、大荷物おおにもつを抱えた宿泊客達が何人も通り過ぎている。ちょうど、チェックインの時間だ。澪が落ち着かず、体を左右にらしたりするものだから、やたらと体がしずかわのソファがギュッギュと音を鳴らしている。


「本当は今日、荷物を置いたら少しでも街を見て回ろうと思ってたんだけど。今日は、無理かな…」

『そうだね。なに、いそぐ旅じゃない。もう一日、連泊を延長えんちょうしてゆっくり動きなさい』

「それだとお金がかかっちゃう…」

『お金は気にするな。ハードスケジュールで動いて、今度はみおが倒れでもしたら、それこそ大事おおごとだよ?』

「うん…、そう…だね。余裕をもって動く。ありがとう。お父さん」

『とにかく少しでも、どちらかの体調たいちょうが悪くなったら、その日は動くのをやめなさい。東京の暑さは田舎いなかのそれとは別物だ。体がれていない秋くんには、特につらいはずだ』


 澪はスマホを耳に当てながら、秋が倒れたホテルの入り口の方に視線をやった。あのガラスの自動ドアの一歩先は、灼熱しゃくねつ地獄じごく。秋を連れて動くなら、早朝がいいかもしれないと、澪は思った。


「あ、そうだ。救急隊きゅうきゅうたいの人がね、『熱中症と、心労しんろうもあるかもしれません』って言ってた。てかほとんど心労だと思う」

『そうか…、秋くんにとっては、電車に乗るだけでも相当な負担だったろうね…。今日はゆっくり休みなさい。あまりホテルから遠くに行くんじゃないよ? いいね?』

「大丈夫。今日は動かない」

『それじゃ、かすみさんの方には澪から連絡してくれるかい?』

「うん。これからする。じゃまたね、お父さん」

『あぁ。気をつけるんだよ』


 澪は、スマホにうつる赤い丸のマークをタップして、かなめとの会話を終えた。そのまま、すぐに電話帳の画面を開くと、立神家の電話番号を探して発信のマークに触れた。かすみさん、電話出るかなぁ…、と思いつつ、澪は呼び出し音に耳をます——。しばらくして、一定のリズムをきざむ音がプツッと止まり、澪は電話の相手よりも先に口を開いた。


「あ、もしもし、柊木ひいらぎです、澪です」

『おー! かなめの小僧のむすめか! なした! しゅう、生きとるか?』


(秋のおじいちゃん!?)


「あ、え、おじいさん、ですか!?」

『なんじゃ、わしが電話にでたらおかしいか?』


(ハムスターがどうやって受話器を持ってるの!?)


『わしにじゃって〝はんずふーりー〟のボタンくらい押せるよ?』

「あ、あぁ、そうですよね、なるほど…」


 銀次ぎんじは小さな体で戸棚とだなの上——固定電話まで登り、受話器を取らずとも通話がつながる〝ハンズフリーボタン〟を押したらしい。


『で、秋、倒れよったな?』


 見透みすかしたように言い出す。


「え、わかるんですか?」

『かすみが、〝火が弱くなった〟とさわいだのでの。かすみは今、火の面倒を見ておる』

「さ、さすが、伝わるんですね…」

『都会の土に足をつけただけで倒れるとはのぉ…、先が思いやられるわい』


 みおは、銀次ぎんじが電話に出るとは思わなかったので、何を話そうとしていたのかわすれてしまった。


(あれ…、なんだっけ…何か伝えなきゃいけないのに…秋が倒れた事じゃなくて——あ、そうだ…)


『おーい、聞いとるか?』

「あ、すいません、かすみさんに伝えて欲しいんですけど…」

『なんじゃ?』

「今日は動き回れないので…、一日予定を延長して余裕よゆうをもって動こうと思うんです…」

『おぉぉおぉ。わかったよ、かすみにゆうておく』

「ありがとうございます。お願いします」


 銀次に自分の姿が見えているわけでもないが、営業のサラリーマンみたく澪はペコペコした。


『して、柊木ひいらぎの娘や』

「は、はい?」

『ちょっと、試してみ?』


「え、何をですか?」

『良いか………』


 銀次は、澪に〝何かの作法さほうらしきもの〟を伝えた。


「……? は、はい。やって…みます」

『そんじゃぁの。モジャモジャ頭のちびを頼んだよ』


 よいしょ…よいしょ…、と銀次が電話の上を移動する声が聞こえた後、ブツっと回線が切れる音がして、通話は終わった。銀次が固定電話のボタンを押したらしい。ずいぶん器用きようなハムスターだ。澪は銀次に言われた〝作法〟を、正直なところ『なんの意味があるのか?』と、疑問に思いながら、忘れないように頭の中で繰り返してイメージした。


「秋? 入るよー?」


 部屋自体はそれぞれに二部屋ふたへやとっていたが、事情が事情なので、みおしゅうの部屋の鍵を持ち出していた。ノックをしても返事がないので、ドアノブに鍵をみ、秋の部屋のドアを開けた。


「秋? 大丈夫?」


 冷房が効いた薄暗うすぐらい部屋のベッドで、秋は氷枕こおりまくらに頭を冷やされながら、スヤスヤと寝ている。


爆睡戦隊ばくすいせんたい、ネムルンジャー…」


 どうせ秋が聞いていないからと、わけのわからない事を言った自分の口がとても恥ずかしくなった。澪は、ん…、と喉を整えながら鏡台きょうだいの前の椅子いすを動かしてベッドの横につけてから、それに座った。秋は仰向けでよく寝ている。


(今だったらチューでき……)


「ばかばかばか…何、考えてるの…」


 ボソボソとひとり言を言いながら首をブンブンと横に振る。布団ふとんに潜って…秋とい寝——なんてことも考えたが、それが許される関係ではないことを自分が一番よく知っている。


「えと…、なんだっけ。おじいちゃんが言ってたやつ……」


 みおは、銀次ぎんじの言った〝作法〟を頭の中で再生した。


「まず、空中に△を描く…」


 指でちゅうをなぞる。


「次に両手を合掌がっしょう…」


 澪は手を合わせた。


「唱える…」


『ヒノネ・キミョウ』


 先ほど澪が宙に描いた△。

 それが綺麗きれい翡翠色ヒスイいろひかって浮き出てきた。

 さながら、ライブなどで使うペンライト——

 それを三つ合わせて、△にしたかのよう。


「な、なにゃに、こっく、これ!」


 驚き、言葉がみだれる。

 目の前に浮き出た△の翡翠色の光。

 それを、指で触れてみる。


「わ…触れない…、ひかってるだけだ…」


 澪の指は△の光を通り抜けただけ。

 しかし、光に指が触れた瞬間。

 心なしか指がいやされた…、

 そんな感覚を澪は覚えた。


「え、えと、そうだ、次」


 澪は銀次の言った作法の続きを思い出し、それを実践じっせんした。


「描いた△の中心を、下から、指で、縦にまっすぐ、斬る」


 澪は△の光を、真下の中心から。

 まっすぐ上方向に。

 右手の人差し指で斬った。


「わ!」


 リン——

 鈴の音のような音が聞こえた。

 それは明らかに△の光が発した音。

 澪に指で斬られた△はそのまま、

 吸い込まれるように秋の胸に飛んだ。

 秋の体の上にやんわりと乗った△の光。

 それは、より一層いっそうの輝きを放った。

 そして、秋の胸の中へと消えてゆく。

 澪は人差し指を持ち上げたまま硬直こうちょくした。 

 自分が何かをした——

 それ以外のことは何もわからない。


「う––––」


 秋が声を発した。


「秋? 起きた!? 大丈夫!? わたし、なんかしちゃった! ごめん!」


 秋は、むくっと上体を起こした。ボサボサの頭と眠そうな半目。けた顔が横を向く。心配そうに顔を近づける澪が視界にうつる。「澪…? あれ? ここ、どこ?」寝起きの声。しかし、体がすごく軽くなった感覚を秋は感じている。「ホテルだよ?覚えていない?」澪が言うと、秋は顔を正面に戻し、覚えている限りの記憶きおく辿たどってみた。


新幹線しんかんせんを降りてからの記憶が——無い」

「そうなの?」

「うん…」

「あれから電車を乗り換えて、新宿駅に降りてから少し迷ったけど…、なんとかホテルに来たんだよ?」

「そう…なのか?」

「本当に、覚えてないの?」

「うん…、新幹線から…さっぱり……あ…」


 秋は何かを思い出した。


「澪、新幹線しんかんせんで俺の手、握ったよな?」

「うん、握った」

「あの時さ、一瞬いっしゅんだけ見えた」

「ん? なにが?」

「澪の左手…、緑色に光った…気がする」

「え……」


 澪は自分の左手を開いて、気持ち悪そうにながめる。


「その後さ、記憶、ないんだけど…」

「う、うん…」


 よくよく、数時間前すうじかんまえの状況を思い出す。みおは、左手を自分のひざに戻した。しゅうは、澪の方にふりむいて「ずっと、体がいやされているような感覚があった…それだけは覚えてる」と、確かめるように言った。実のところ——二人が新幹線を降りた時、秋はすでに失神する一歩手前いっぽてまえだった。普通だったらその時点で倒れていてもなんら不思議ではない。しかし、澪が秋の手を握っていたので、澪のもつ〝癒しの力〟が手から伝わり、くずれそうな秋の体をずっとギリギリで支えていた。そのため秋は、なんとか倒れることなくホテルまでたどり着くことができた。


 そしてホテルに着いたころ。澪がホッ…と安心をした、その瞬間。澪の癒しの力は、ピタリとんだ。それと同時に〝癒しの力の支え〟を失った秋の体はそのまま、ホテルの床に倒れることになった。澪は、どこを見るでもなく何かを考えながら、視線を秋の顔から離して宙に置いた。右手みぎての人差し指で右頬みぎほほをポリポリとく。


「わたし…って…宇宙人?」


 無気力な棒読みで言った澪に対して、秋は「地球人だろ…?」と、真面目に応えた。



 刀闘記


 ~癒~

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