東の地に呼ばれる風使いと巫女の純血

~握~

 

 西威せいじんが刀をまじえた、その翌日。

 

しゅうみお新幹線しんかんせんに乗り、東京に向かっていた。白とブラウン系のカジュアルガーリーで可愛かわいらしくおしゃれした澪。茶色のボブの髪は、天使の輪ができるほどつやめき、いつもより大人っぽさを感じさせるあかルージュが目立つメイクも、バッチリ決まっている。


 一方、秋は…


「ねぇ、しゅう。なぜ上が灰色のパーカーで、下も灰色のカーゴパンツなの…。いつも原色系げんしょくけいのカラー着てるのに、なぜあえて地味路線じみろせんで来たの?」


 新幹線の窓際まどぎわに座る澪が、通路側の秋に訊いた。車窓しゃそうの景色はせわしなく通りすぎているが、田んぼの広々とした一面緑の景色がずっと続いている。花町ばなちょうから出発して、まだもない。


派手はで格好かっこうしたら、何が襲ってくるかわからないだろ? なるべく目立たないようにしないと…」


 しゅうは刀を抱っこしながら言った。ぬの二重にじゅうにくるまれた刀は、一見いっけんしただけでは誰も刀だと気付かないだろう。ちなみに、秋の足元には宿泊しゅくはく荷物にもつが詰まったボストンバッグが置いてある。刀はいつも通り背中に背負しょっていないと落ち着かないので、「遠出とおでするならリュックはありえない」と言った秋に、「ワシのをやる」と言った銀次ぎんじが、しっかりとした作りのボストンバッグを持たせてくれた。若干地味なバッグだが、秋にとってはファッションうんぬんよりも、都会でなるべく目立たないことの方が遥かに重要だ。


「そう、そう…だね。見つかったら撃たれるかもしれないしね…、都会のコンクリートジャングルに馴染むカモフラージュをしないとね…」


 ははは…と澪は、苦笑にがわらいをしながら話を合わせた。もっとカッコいい格好で来てほしかった…、と思ったが、秋の彼女でもないしと思いグッと飲み込んだ。


「アイスコーヒー…、チョコレート…お弁当…いかがでしょうか…」


 タイヤからエアが抜けたような音と共に自動ドアが開き、品物しなものが並ぶカートを押しながら、売り子のお姉さんがゆっくりと入ってきた。すぐにサラリーマンらしき男性が手をあげて見せると、その二人は缶コーヒーと小銭こぜにを交換した。


「秋、何か飲む?」澪が訊いた。「いや…〝いろます〟あるからいいや」そう言って、しゅうは足元のボストンバッグから無色透明むしょくとうめいの天然水を取り出した。「うーん、私も駅の売店でいろいろ買ったから、いっか」澪は小さめのショルダーポシェットを、手でポンポン…と叩きながら言った。


「あのさ、俺の財布さいふ、持っててくれない?」

「は、はい?」

「だから、財布」

「え、なぜに?」


 秋は上半身じょうはんしんを折り、かがんでボストンバッグのポケットから財布を取り出した。その横を売り子のカートが通り過ぎる。「これ、頼む」秋は澪に二つ折りの革財布かわざいふを差し出す。「いやいや、ダメでしょ、それは」みおは両手を広げてしゅうに見せた。


「俺、金、使ったことないから…。おつりとか、だまされて余計に支払うかもしれない…。ほら東京だとレジの人、実はみんなヤクザかもしれないだろ…?」


 冗談じょうだんで言いそうなことを秋はマジメに言う。東京をどれだけ無法地帯むほうちたいだと思っているのこの子…!? と澪は思ったが、茶化ちゃかす雰囲気ではない。本人はいたって真剣だ。


「そ、そう…。なら、とりあえず私がいろいろ払うから後でレシート見ながら、半分こしよ? それでいい?」

「いや…全部、俺の財布から払っていいよ。なんか悪魔祓あくまばらいって一応、国家公務員こっかこうむいんみたいなもんらしくて——知らないうちに少しずつお金、入ってたみたい。おととい母さんから聞いた。俺お金とかよく分かんないし、澪、全部使っていいよ」


(な、なんなのこの人…! お金、使えないのに稼いでるの!? しかも全部、使っていいとか、サラッと大企業だいきぎょうの社長みたいに言ってるし…子供なの!? 大人なの!?)


「いや、いやいや、だめよそれは…、ちゃんと折半せっぱんしましょ? ね?」


 秋は右手でわしゃわしゃと髪の毛をかきながら、左手で澪のひざの上に財布をなかばば無理やり置いた。澪は少しイラッとした。お金をそんな風にあつったらダメでしょ…!? と怒りたくなったが、秋の顔色かおいろを見た途端とたん、澪は冷静でいることをいられた。


「わるい…、ダメなんだ…金……さわるだけで気分悪くなる」

「ん、え、どして?」

「これが原因で悪魔になった奴が何人もいた。そいつらを、何人も斬ってきた…。だから、嫌いなんだ。その…お金そのものが…」


 みおは、しゅうの財布を丁寧ていねいに持ちあげた。


「…そっ…か。わかった、私が持ってる。でも折半せっぱんだからね? そこはゆずらないよ」


 秋は刀をギュッとにぎってから少しうつむき、目を閉じて「うん。ありがとう」と返した。秋の横顔よこがおに少しドキッとしてしまった澪は、同時に、この男には私がそばにいてあげないと経済的けいざいてきなことは何もできないのではないか…、と思った。しっかりした嫁という存在が少なからず必要であることは間違いない。それが未来の自分であることを願いながら、澪は新幹線しんかんせん車窓しゃそうから外の景色をながめて、一息ついた。


 出発してからしばらく——それしかないのか、と言いたくなるほどに田んぼの景色ばかりだったが、段々だんだんとビルや大型ショッピングモールもあらわれ始めた。あと一時間半もすれば東京に着く。私がしっかりしなくては…、となりでスヤスヤと寝息を立てる秋を横目に、澪は軽く鼻息はないきを鳴らして、気合を入れた。


「終点…、東京…東京…お降りのさいは、お忘れ物のないようご注意ください」


 鼻声みたいな車内アナウンスが鳴った。

 時間は、お昼過ぎの12時50分。


「降りるよ? 秋、大丈夫?」


 澪のとなりに座る秋は、ガタガタとふるえている。南極なんきょくの氷山の上にでもいるのかと思うほどの、震え。


「しゅ、秋、大丈夫だから。いくら人が多くても、みんな秋のこと見るわけじゃないから…ね?」


 そう言って澪は立ち上がり、頭の上の荷物棚にもつだなから自分のリュックを引っ張り出す。秋もふるえながらボストンバッグのひもを肩にかけた。両手でギュッと刀を握りしめ、なんとか平常心へいじょうしんたもとうと努力している。


「秋、降りないと」


 澪がかす。周りの乗客は我先われさきにと雪崩なだれれるように、せかせかと降りてゆく。


「秋?」

「…」

「ねぇ、早くしないと、清掃の人が来ちゃう」


 すでに、ほとんどの乗客が降りている。


「ごめん、今、行く…立つ」


 少しよろめきながら立ち上がり、通路に身をさらす。澪は、この先大丈夫かな、すごく心配になってきた…、と思ってしまう。秋はボストンバッグを座席にぶつけながら、車内のせまい通路を歩いた。澪はその後ろをピタリとくっつく。秋のぎこちない歩き姿のせいで、〝少年と保護者〟と見られても仕方ない。


「っ——!」


 出口までたどり着いた秋の足は、電車を降りる一歩手前いっぽてまえで止まってしまう。今まで二人がいた車両は自由席じゆうせき。車内の清掃が終わるのを今か今かと待ち、清掃が終わるやいなや、すぐさま乗り込んで席を確保しようと目くじらを立てる群衆ぐんしゅうの列を前に、秋はひるんでしまった。


「秋、早く…! 降りて…っ!」


 後ろから澪がかす。秋はバンジージャンプにいどむ直前みたいに、足がこおり付いて動かない。


「……秋! 行くよ!」


 みおしゅうの右手をこじ開けるようにして握った。そのまま、手をつないだまま秋を車内からひっぱり出す。


「えっと…、中央…青梅行おうめいき…」


 少しでも深呼吸しんこきゅうをすれば、途端とたんに息が詰まって死ぬんじゃないかと思えるほどの人混ひとごみの中。澪は右手に持ったスマホとにらめっこを繰り返した。左手は、秋の右手をしっかり握っている。


「出口が…、こうで…今ここだから…まずは向こうに行けばいい…のね。よし、行くよ、秋」


 澪は頭上の案内板あんないばんをキョロキョロと見回しながら、秋の手をって歩き出しす。秋はなすがまま、澪にしたがってついてゆくしかない。秋のボストンバッグが誰かの体にあたり、舌打したうちが聞こえた。


「オレンジ…、オレンジ…あった! こっち!」


 中央線を示すオレンジ色の印を案内板から見つけ出し、それを辿たどる。


「あ、あれ!快速、青梅行おうめいき! あれに乗…れないね、一本待とっか」


 すし詰めの満員電車に秋を乗せるのはまずい…、と思った澪は、あせらず、一本後の電車に乗ることにした。ひとまず呼吸をととのえる。駅ホームの、ジメジメとした低温ていおんサウナみたいな空気がしつこく肺にたまる。汗がとめどなく吹き出し、お洒落なんてしなきゃよかったと思う自分もいた。それでも、どんなに暑苦あつくるしくても、秋の手は、握ったまま。


「あ…ごめん、もう、いいよね」


 澪は手を離そうとした。しかし、秋の手はカチッと固ってしまい、離れてくれない。「秋——?」澪は顔を覗き込んだ。秋は失神しっしんしながら立っているような真っ青な顔をしている。背筋せすじが凍りっぱなしのこの男は、灼熱しゃくねつ外気温がいきおんなど感じていないかもしれない。


「電車に乗れば、新宿はすぐだから。そしたら、まずホテルで荷物を預けて、一休みしよ?」


 地図が映るスマホの画面を凝視ぎょうしし、入念に道筋みちすじを確認しながら澪が言う。秋はコクっ…と、人形みたいに首を動かした。澪の左手はその後——電車に乗った後も、新宿のビジネスホテルにたどり着くまでの間のゴチャゴチャと入り組んだ迷路めいろのような駅構内えきこうないと、その周辺のみち彷徨さまよい歩くあいだもずっと。群衆ぐんしゅう荒波あらなみまれて、秋がおぼれてしまわないようにギュッと強く、一秒たりともはなさぬよう、しっかり。秋の右手を、握ったままだった。


「ここだ、ホテル…ついたぁ」


 ホテルの自動ガラスドアが開いた。冷房の効いた室内から流れ出てくる、まるで天国の扉を開いたような冷たい風が、二人を出迎でむかえる。「秋、ホテル、ついたよ…よかった」廃人はいじんみたいになった秋の手を握ったまま、ホテルに入る二人。


「——うわっ!」


 突然、みおの手がしゅうに引っ張られた。しかし、おかしなことに澪の体は〝床に向かって〟引っ張られてしまう。背の小さな子供に後ろから手を引かれたようにバランスをくずしてしまう。


「お客様! 大丈夫ですか!?」


 フロントの接客係せっきゃくがかりの女性が声を上げた。しかし、その「大丈夫ですか!?」は、明らかにみおではなく、その後ろにいるしゅうに向けられた言葉だった。


「し、しゃし、秋! ちょっと! 大丈夫!? ねぇ!?」


 澪が後ろを振り返ると、そこには気を失い、ホテルの床に前のめりに倒れ込む秋がいた。この瞬間、東京に来てから初めて、澪と秋の手は離れてしまった。




 刀闘記


 ~握~

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