キリストに膝をつくは雷犬と男巫女

~神~


 翌朝。

 早朝、5時。


 みおは目をこすりながら上半身を起こした。まだぬくぬくと暖かい布団の中にいる下半身が、ここから出たくないよー、と駄々だだをこねている。


(昨日の…、なんだったんだろ…)


 澪が△の翡翠光ひすいこうしゅういやした後——「これから教会、一つでも行こうか?」と、やたら体が軽くなった秋が言った。しかし、澪が「一日、予定を伸ばしたから今日はゆっくりしよ?」と応えて大事だいじをとり、その日の行動はコンビニで好きなものを買って、秋の部屋で二人、肩を並べて夕食を食べるだけにとどめた。


 しゅうは天然水とサラダしか食べなかった。そんな秋とうってかわり、澪は、肉弁当とパスタサラダを頬張ほおばった。草食動物と肉食動物が共存しているような光景だったが、むしゃむしゃとパンダみたいに葉っぱを食べる秋の横で、澪はグリズリーみたいに肉と炭水化物にかぶりつきながら、ひとまず、元気になってよかった…、隣にいる草食系すぎる男子を見て安心をした。お腹も心もいくぶん落ち着いたので、昨晩さくばんはよく眠れた。


「んーっ…!」


 みおはベッドから立ち上がり、部屋に一つしかない窓を開けた。半開はんびらきにしか開いてくれない、いかにもビジネスホテルらしい窓の隙間すきまから、ビルを駆け抜けてきた風が部屋にいきおいよく流れ込んだ。湿気をふくみ、エアコンの室外機しつがいきの排気を拾ってきたせいか、その独特の重さも感じる風。しかし心地よいことには変わりない。どんな風でも、朝の風は一日の始まりを気持ち良く教えてくれる。


「ま、なんでも良いや! 仮に宇宙人でも! 普通に生きてるんだし! 気にしない!」


 正直なところ、△の光で何かをした自分が気味悪きみわるくて仕方なかった。だが深く考えたところで、これからも自分を自分として生きるしかない——そう思って澪は、モヤモヤとした心をふっきった。それよりも今、ある意味で〝課題〟とも言える事が待っていることを、澪はすぐに思い出す。


「やば…、秋起こさないと…」


 今日の行動を始めるためにはまず、睡眠欲すいみんよくだけは並外なみはずれて強いあの男を起こさねばならない。澪は、館内着かんないぎのまま部屋を出て、隣の秋の部屋の前に立った。


「部屋の鍵…、預かっててよかった…」


 昨晩、「何かあったら助けに行けないから、私が鍵、持ってていい?」と言った澪に対し、「この部屋から出るつもりないから、好きにしてくれ。部屋から出たら…、密室殺人事件みっしつさつじんじけんの犯人にされるかもしれないし…」と、謎の発言をしてくれた秋のおかげで、みおしゅうの部屋の鍵を確保することができた。そうでもしないと、早朝に出発することなど、まずできない。秋が自力で起きれるわけが、ないのだから…。


「入りまーす…」


 鍵を開け、そーっと部屋に入る。

 秋は壁の方を向いて横向きで眠っている。


「まずは…」


 カーテンを開ける。

 なるべく勢いよく。


「次は…」


 ポンポン…と布団の上から秋の体を叩く。


「ま、起きないよね、それなら…」


 鏡台きょうだいの椅子をずらしてベッド横に座る。

 秋の耳元に口を近づける。


「ふぅーーー…」


 耳の穴に、空気を流し込んでみた。


「––––ん?」


 一瞬、おきた。


「秋? 起きて。早めに動かないとすぐ暑くなっちゃう」


 澪は秋の肩をすった。


工事現場こうじげんばより…、遊園地ゆうえんちの方が…闘いにくいんだよ…人が多いから……」


 謎の寝言を発する。

 まだ浅い眠り、レム睡眠だろう。


「もう…、おもしろっ…」


 ニヤニヤしながら、澪は再び秋の耳に息を吹き掛けようとした…。しかし、次に秋が発した寝言を聞いてしまった途端、それこそ、寝耳に水を打たれたような感覚を、澪は覚えてしまう。



「とう…こ…」



 息が詰まった。

 とっさに秋から顔を離した。

 空気が凍る。

 血の気も引いた。

 苛立いらだち。

 焦り。

 悲しみ。

 寂しさ。

 どれも当てはまるような。

 どれも当てはまらないような。

 完成間近のジグソーパズル——

 それを、思い切りこぶしで叩かれたような。

 そんな感覚が澪を襲う。


「今、東子とうこ…、って言ったよね…」


 泣きそうな顔になる。

 心を整理する。

 だんだんと——

 輪郭りんかくが見えてくる。

 自分の感情。

 今、この男に言いたいこと。

 これは…、苛立ち。

 そうだ。

 腹が立っている。

 誰のおかげでここに来れたの?

 一人で来れなかったでしょ?

 私は——

 誰よりも君のことを想ってる。

 私がそばにいて。

 近くにいて。

 好きなのに。

 大好きなのに。

 この男は、

 今、なんて言った?

 でも…。

 そうだ。

 寝ている。

 寝ているんだ。

 寝言だ。

 それなら仕方ない。

 私よりも東子さんだよね。

 一緒に闘ったもん、

 命をかけて…。

 私は何も役に立たない。

 少なくとも東子さんよりは——

 私はおとっている。

 ほら…、解決した。

 飲み込めた。

 いつもこう。

 イライラも。

 もどかしさも。

 大好きって気持ちも。

 こうやって、無くせる。

 自分のせいにしちゃえばいい。

 なんのもない。

 自分のせいに——


 みおは、大きく息をすった。肺とお腹を風船みたいにふくらませ、今にも破裂はれつしそうな声をのどに溜め、喉から飛び出したくて暴れている言葉たちを思いっきり、「どうせ! わたしなんか! ただの! 宇宙人! ですよぉぉぉおおだああっ!」と、耳元で叫んで秋にぶつけた。さすがに秋は飛び起きた。すかさずシングルベッドの上で片膝をつき、忍者みたいに低姿勢ていしせい戦闘体勢せんとうたいせいをとった。キョロキョロと周りを索敵さくてきする——この6畳あるかないかの一室には澪しかいない。


「……おはよう」


 澪は、なぜか機嫌きげんが悪い。


「おい…、でかい声出すなよ、しかも耳元で…ドSなのか?」


 澪はフンっ! とそっぽを向きながら立ち上がり「早く準備してね! 20分後にロビーに集合っ!」怒りながらそう言ってバタン…! とドアを鳴らして部屋から出て行ってしまった。


「なん、なん…だ…」


 秋は、忍者の体勢たいせいのまま硬直している。そのまま自分が置かれた状況を飲み込むのに2分はかかった。18分で支度をしなければならなかったが、服を着替えて顔を洗えば支度したくはすぐに済むので、澪よりも先にロビーに行くことができた。


「秋…、荷物それだけ?」


 ホテルのロビーで合流した二人。ソファに座っている秋が背負しょっている長細い布袋ぬのぶくろを見て澪が言った。秋はそれ以外に荷物を持ってきていない。


「ん?」

「ん? じゃないよ。それ刀でしょ? 刀しか持たなくていいの?」

「あぁ…、他にもちょっと色々…」


 確かに、いつも刀をしまっている布袋ぬのぶくろより少しふっくらとふくらんでいる気がする。「そう…まぁ、秋の財布さいふはわたしが持っているから、いいけど…」澪はそう言って小さめの可愛らしいショルダーポシェットから、秋の革財布かわざいふをとり出した。


「本当に、持たなくていいの?財布」

「うん。必要な時だけ使ってくれ。あ、水だけは欲しいって言うかも…からびて死ぬかもしれないし…」


 澪は財布をしまいながら、砂漠に行くんじゃないんだから…、と思った。しかし、やたらとここに行きたい、あれを見たい、あれを食べたい——と、観光ばかりに気をとられたりしない分、目的も行動もシンプルでハッキリしているから、それはそれで良いのか…、とも思った。


「じゃぁ、いこ? まずは…」澪はスマホの地図アプリを開く。「ここから歩いて15分のところに、一軒、教会ある。行ってみよ?」


 秋がソファから立ち上がり、澪のとなりに並んだ。今日は手つなぐ必要ないか…、と澪は思った。「よしっ!」と両手を握り、気合を入れてから、澪はホテルの出入口に向かって勇しく歩き出した。秋が倒れこんだ床を踏みつけながら、今日はそんなこと起きませんように…、と願った。


 ガラスの自動ドアが開くと朝6時のすずしい風が二人をあおった。その風は、澪にとっては『いってらっしゃい』と言われたように感じられた。秋にとっては——『大都会と言う魔界へようこそ…』そう言われているように、感じられてならなかった。


    *


 同時刻。とある教会。


 横に長いベンチ状の椅子が、左右に規則正しく並ぶキリストの礼拝堂れいはいどうの室内。イエスをかたどった十字架じゅうじかの石像を前にひざまづき、両手を組んで、祈りをささげる、一人の男。ドクロがプリントされた黒いタンクトップに、赤黒のチェックがらが入った、サルエルパンツ。頭には雷のギザギザとした黄金色おうごんいろのマークが小さく刺繍ししゅうされた黒いバンダナを巻き、そこからオレンジ色に近い色の長髪が流れている。彼は静かに声を発した。朝陽がステンドグラスを通り抜け、その右半身を色彩豊かに照らしている。


「神の御心みこころのままに…」


 男は背中に——刀が一本鞘いっぽんさやごと入りそうな、筒状の、漆黒で光沢のある革製の長袋ながぶくろ背負しょっている。その黒革くろかわ長袋ながぶくろの下から上までを一直線に銀色のファスナーが走っており、さらには袋の上部には長さ20センチ程の黒革のベルトが何本か——脱力した手の指みたいにブラブラと垂れ下がっている。そのベルトたちは、おそらく飾りでしかない。


 男のイカツイ容姿を一言であらわすなら、パンクロックっぽい、と言えば適切かもしれない。


「リク、今日は風がやけにさわやかだ。ちょっと寒いくらいだよ。浮楽岩刀ふらくがんとうの使い手でも来たのかな?」


 十字架にひざまづくパンクロッカーっぽい男の後ろからもう一人。女の子と言ってもいいくらい色白いろじろで、背の低めな男子が話しかけた。金髪に近いブロンドヘアは、ところどころを無造作にハネさせたメンズらしいミディアムパーマ。肩峰けんぽうだけが大きく露出したイエローの肩出しトップスに、真っ白で裾回すそまわりの穴に頭一あたまひとつくらいスッポリ入りそうな幅広のガウチョパンツを履く。その容姿ようしは一見、女に見えなくもない。


 手には身の丈ほどの長い錫杖しゃくじょうを持っている。その先端、輪状わじょうの金属には鈴が四つ。金色の輪の中に仲良く並んでぶら下がっている。


「なんだそれ? 不埒ふらち乱闘らんとう?」


 リクと呼ばれた男が十字架に手を合わせながら後ろの男子に言った。


「〝フラクガントウ〟——風の使い手だよ。東京では見かけないね。東北とか、甲信越地方こうしんえつちほうにいるって話を聞いたことあるよ」


 リクは手をほどき、十字架にしばり付けられたイエス——その頭部に視線を注ぎながら「はっダセェ。今時、風の能力じゃ悪魔デビルなんて狩れねぇよ」と応えた。後ろの男子はニッコリと笑った。化粧をすれば美少女に化けそうだ。


「僕は興味あるなー。身を軽くしたり重くしたりできる能力。でも、本人の体重も、その周辺の重力も変わっていないはずなのに、よく重量じゅうりょうをコントロールできるよね…。空気にも重さがあって、質量の重たい空気、軽い空気を使い分けて体にまとわせる。でも、それだけだと軽い空気を身にまとった時には本人の体重の方が勝ってしまうはずなんだ。風そのものが意志を持って能力者のうりょくしゃの体を支えようとしているのであれば、話は別だけど。まさか浮力ふりょくそのものを自由に捻出ねんしゅつできるのか? 真空状態しんくうじょうたいを作れたり、それどころか宇宙空間みたく空気そのものを無くすことができるなら…! いや、それだと風の能力とは程遠い…か……」


「だぁあ! もうちょっとこう短く、まとまんねぇのかよ!」


 リクが立ち上がり、振り向きざまに後ろの男子を軽く怒鳴どなった。礼拝堂の中に「だぁあ!」が4回くらいこだまして響いた。この礼拝堂でゴスペルの合唱を聴けば、さぞ心が洗われるだろう。


「あ、ごめん、ごめん、つい…」


 男子は、困り顔と笑顔を足して2で割ったような顔をリクに向けた。リクは、背中の革袋かわぶくろを触り、その位置を直しながら「今朝は何匹だ、ルイ」と話題を変える。ルイは薄い水色の瞳を、リクの濃いブラウンの瞳に向けた。どうやらルイは北欧系ほくおうけいの人間で、リクは日本人であるとこがうかがえる。「ここから7分程度、歩いたところの廃ビルにデビルが5匹集まってる。1匹は変異型。あとは通常型。闇金のリーダーと、その子分ってところかな」リクは、もう一度、十字架に振り向いた。


 右手を、額、胸、左肩、右肩の順でそれぞれ触れてから、両手を胸の前に置き、軽く合掌をした。祈りを終えると、ルイの方を振り向き、礼拝堂の出口に向かって歩き出した。自分を横切ったリクののこを感じながら、ルイも同じく〝アーメン〟の仕草を素早く行い、リクの後に続いて歩き出す。


「なんか、雨が降りそうだよ。リク、傘いらないかな?」


 リクは、重たい木製の両開りょうびらとびらに手をえてから「最悪、お前の結界術けっかいじゅつで、傘、作れんだろ?さっさと狩って帰るぞ…」と応える。


「もう、僕の能力ちからを日用品みたいに扱わないでよ。せっかく優香さんが、男でも使える黄泉守護術よもつしゅごじゅつを教えてくれたのに。結界で〝あいあい傘〟なんてしたら、なんて言われるか…」


 そう言ってルイが口をとがらせてる。リクは、ふっ…と軽く笑って両開きの大扉の片方を両手で押して開いた。涼しげな朝の風が二人の全身を包み込むようにあおぐ。ルイは、軽く体を震わせた。「うぅっ! さむっ! 東京って急に朝が寒くなるよね。まぁ…〝あきが来る〟って感じがしていいんだけど…」リクは、扉が風にあおられて閉じないように手で支え、ルイが外に出てくるのを紳士しんしらしく待った。


「お、やさしい」


 ルイはにこやかに言いながら外に出る。


「お前、一回、ガチで女装じょそうしてみろよ——かなりいい線、行くんじゃね?」


 リクが扉から手を離して言った。重たい木製もくせいの扉が閉まった音が礼拝堂の中に反響し、その響きが外まで伝わってきた。「これでもドイツでは普通の顔なんだけどなぁ」そう言ったルイの横顔は、スッピンだと美少年、化粧をすれば——やはり美少女になりかねない。


 リクは空を見上げた。空には分厚い灰色の雨雲がかかっている。マジで降りそうだな…ま、いっか…、そう思いながら横に立つルイに「行けるか?」と、確かめるように口を開く。ルイは錫杖しゃくじょうの鈴を、指で軽くはじく——リン…と鳴った鈴音に耳を澄ませてから、目を開けた。キリッとした眼光がんこうは、仕事モードに切り替わったことを確かに伝えてくる。


「うん。けがれた魂を。神の御許みもとへ返しに行こう」


 ルイは一度、大きく深呼吸をしてからリクに言った。




 刀闘記


 ~神~

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