こうべを垂れる柊木要

~頼~【上】


「お、しゅう、遅かったじゃねぇか、大丈夫か?」

「おっさん、たのむ。みおの家に行ってくれ」


 車に乗るや否や、秋はすぐに言った。


「お? おれぁ、てっきり賢二けんじさんのてらに行くもんだと思ってたんだが…」

「ごめん、状況じょうきょうが変わった。頼める?」

「あぁ、やす御用ごようだ」


 須賀は車を走らせる。ふと、しゅうが予定より一時間もおくれて東子とうこの家から出てきた理由わけを考えてみた。状況じょうきょうが変わったと言うくらいだし、色々な話をしたんだろう…、そう思いながらバックミラーに目をやった。後部座席こうぶざせきに座る秋のオレンジのパーカー、その、左胸ひだりむねのあたりが、明らかにれて、変色へんしょくしている事に気づく。


(あぁ…すぐかんぐっちまう…刑事けいじのわるいくせだな)


 さらに秋は、どこか〝スッキリした顔〟をして車窓しゃそうながめている。ま、まさか、いや、ない。ありえない。秋がそんな、ないに決まってら…、そう思いながら、おもむろに秋に話しかけてみる。


東子とうこさんの家、どうだった?」

「すごく綺麗きれいだったよ」

「そ、そうか」

西威せいが買ったんだって」

「あぁ…そうなんだな」

「ねぇ、白魔化はくまかした人間て、戸籍上こせきじょうはどうなるの?」

「少なくとも、死んだ事にはなってねぇ。だが、生きてる事にもなってねぇ」

「生と死の、あいだ?」

「なんつうか、死んだ事にはなってねぇが、死んだ人のようにあつかえる。死亡保険しぼうほけんとか、そう言うのは、しっかり遺族いぞくが手にすることができる。もちろん、悪魔祓あくまばらいが斬れば、まぎれもなく死亡扱しぼうあつかいになる」

「それは白魔も同じ?」

「同じだ。いや、今は白魔はくまかんしては〝何も決まっていない〟と言うのが正しいか。日本の法律ほうりつがそう、柔軟じゅうなんにコロコロ変わるわけはねぇ。白魔も悪魔と同じように扱いましょう、ってなるのがオチだ。その方が楽だからな」


 須賀すがの話を聞いたしゅうは、自分西威が白魔化すれば死亡保険が家族に行き渡るから、東子とうこは当面の生活に困らない。西威がもし、そこまで考えていたとしたら…、と思った。


「だが、もし西威の存在が世に知れ渡ったら、三代家みしろけ肩身かたみせまくなるだろうな…」

犯罪者はんざいしゃの家族として、扱われる?」

「あぁ。西威がテレビに映るような派手なマネ、しなけりゃいいんだがな」


 しゅうは、それはなさそうだ。まだ、東子への兄としての想いまで、捨ててはないだろ…、そう思った。そうであって欲しいと願った。須賀すがは、会話をしながら秋のパーカーが変色した理由りゆうがなんとなくだが——わかりはじめた。


「なぁ、秋」

「なに?」

「あんな綺麗きれいな家で一人ぼっちってのも、しんどいよな…」

「今度、じいちゃん連れて、母さんの弁当、持って行く約束した。おっさんも来ていいって」

「お、そうか? いいのか? 邪魔じゃまして」

「東子だって、じいちゃんがひっくり返ってる姿すがたを見れば、少しは笑顔になるよ、きっと」


 今の秋のセリフでスッキリした顔の理由がわかった。この純粋すぎるくらい無垢むくな男を前によこしまな発想をした自分の脳をうらみ、誰だって大泣きしたい時くらい、あらぁ。俺ってやつは全く、薄汚うすよごれちまってなさけねぇや…、そう考えて自分をいましめた。


「よし、それなら俺は、かみさんのアップルパイ持参じさんだな」

「あ! あれ、また食べたいな!」

「うめぇよなぁ…! アレだけはうまく作るんだよな…アレだけは…」

「他の料理はダメなの?」

「かみさんのカレーを食った時、俺の長男、なんて言ったと思う?」

「ん?」


『母さん。アップルパイだけ作ってくれれば、あとは俺、ごはん納豆なっとうで生きていける。そっちの方が寿命じゅみょう、伸びると思う』

 

 須賀すが赤信号あかしんごうで車を止めた。〝ひょっとこ〟みたいに口をすぼめて、中学生っぽい声色こわいろでモノマネをした。「まじかよ」「あぁ、まじだよ」二人は軽く笑った。青信号あおしんごうになり、須賀すがの車は走り出した。東子とうこの家に向かっている時とはってわって、幾分いくぶん、軽くなった車内の空気を感じながら須賀はふと、漠然ばくぜんと思った。


 (しゅうに関わった人間は、やさしい春のそよ風に吹かれたみたいに、心があたたかくなって、笑顔になっていく。そうさせる力が、秋の中にあるんじゃねぇか…? よくが満たされたから嬉しいとか、そんなもんより、ずっと大事で捨てちゃいけねぇ感覚かんかく——。秋が通った道で、秋にかかわった人間たちには、笑顔が自然と咲く。本人は全く気づいてねぇだろうが…)


 須賀は微笑ほほんだ。

 これからの秋の旅路たびじが楽しみで仕方がない。

 秋の親友しんゆうのような。

 父親ちちおやのような。

 暖かい気持ちに満たされながら、ハンドルをにぎった。


    *


 数分後。

 車はみおの家についた。

 駄菓子屋だがしやの入り口を開ける、男二人おとこふたり


「いらっしゃー、秋!?」みお頬杖ほおづえをぶっ飛ばすいきおいで背筋せすじを伸ばした。「あ、澪、かなめさん、いる?」秋がかたなひもを肩からろしながら言った。「お父さん、さっきまで刀、ってたから、今シャワー浴びてるよ?」澪が応えると、しゅうの後ろから須賀すがが顔を出して頭を下げた。


「急にしかけて、申し訳ない」

「い、いえ、そんな…あ、よかったら上がってください。今、お茶を出しますから」


 秋は須賀の顔を見て、少し気まずそうな顔をした。


「おっさん…ごめん。できればかなめさんと、二人で話したい」

「お、わかった。それなら、澪さん」

「は、はい」


 まん丸な須賀すがを見る。


「秋だけ、中で要さんを待たせてやってもらえないか?」


 まん丸なは秋を見た。


「あ、え、はい、どうぞ」


 澪が秋を居間いまに連れて行くあいだ須賀すがは代わりに駄菓子屋だがしやの店番をすることになった。居間のちゃぶ台にお茶を置きながら、澪は、座布団ざぶとんに座る秋に言った。


「どうしたの急に。何かあったの?」

「うん、まぁ、色々と…」


 この時、澪はなぜか、

 秋に抱きつきたくなった。

 理由りゆうは、わからない。

 誰かに秋をとられる。

 そんな気がした。

 すごく、した。

 お茶を運んだおおぼん

 それを胸にギュッと押し付ける。

 口はへの字に。

 目が熱くなる。

 少し涙ぐんだ目。

 その目は秋を見る。


「ん?どした?」


 秋は自分の顔に何かついてるのかと思った。


「な、なんでもない…」

「あ、お茶、ありがと」


 秋はそう言って、やたら綺麗きれいな笑顔をした。


(なに!? 今の笑顔!? こんな顔、見たことない! 私の知らないところで何かあった、そう、絶対そう!)


 澪の女のかんぎたての刀みたいにえ渡った。ふと秋の服、パーカーの左胸の〝変色〟にも気付く。


「服、どうしたの?」

「え?」

「え? じゃないよ。服なんで汚れてるの?」

「あ、あぁ…。えと、道で転んだ」


(わかりやすっ! なんだこの男! 隠すの下手すぎる! 道で転んだら土とかつくでしょ! 土! でも何があったのかすごく知りたくない…! 知ったら私、多分どうかなるかもしれない…)


「そ、そーなんだーへー、それは大変だったねー」


 澪はそう言いながらさっさと居間から出て行った。一度、居間は静まり返る。秋は、お茶をすする。するとどこからか洗濯物せんたくものをカゴに入れる音がしたと思ったら、つづいて洗濯機せんたくきが起動する音が聞こえた。秋は要が居間いまに来るのをさとり、んんっ…! とのどととのえ、姿勢を正して座り直した。


「おや、秋くん! どうしたんだ?」頭をバスタオルできながら、かなめが居間に来た。白いタンクトップ。色黒いろぐろ火傷やけどだらけの腕が目を引く。「あ、すいません、突然」秋が正座せいざで頭を下げる。


「そんな、かしこまらないでよ。足、くずしていいから」要は、ちゃぶ台をはさんで秋の前に座った。「は、はい…、すいません」秋は足を崩して、あぐらをかいた。


「どうしたんだい? 何か刀のこと?」

「あ、いや、その…」

「ん? なんでも言ってごらん?」


「えと…い、いいですか?」

「うん、構わないよ?」


 秋は要の顔を、おそおそのぞき込む。


「E•A•E•C…、知ってますか?」


 要の頭を拭く手がピタリと止まった。そのまま数秒すうびょう沈黙ちんもく。やばいこといたんじゃないか…? と、秋が心配をする。要は、タオルを足元に置いてから「つまり、こうゆうことでいいのかな? 三代賢二みしろけんじさんから、僕にそう言えと言われた。秋くんは今、霊剥れいはぎのために、動こうとしている。間違い、ないかい?」と言った。お見通みとおしだった。


「はい、そう…です」

「うん。わかった。いよいよ…って、感じだね」


 要は、不安そうだが、嬉しそうな、複雑ふくざつな顔。


「実は、僕の、別れた妻が黄泉巫女よもつみこなんだ」

「……(何となく、そんな気がしてた)」

「だから、澪は、まぎれもなく、黄泉巫女よもつみこの血を引いている」

「は、はい……」

「それで、僕の元妻もとづま——〝優香ゆうか〟は東京とうきょう新宿しんじゅく——そのどこかの教会きょうかいにいるかもしれない、と言うことまでしか僕は知らないんだ。すまない」

「新宿の、教会…」


 自分の東京行きが具体化ぐたいかしてきて、秋は得体えたいのしれない緊張感きんちょうかんおそわれた。


「澪が2歳の時だった。〝黄泉巫女よもつみこ名乗なのる一人の女性〟がこの家に来た。その女性は『一週間この町にいる。そのかん教会きょうかいに来るかいなか、決めろ』と、僕の妻に言ったらしい。そう、僕の父…、みおのおじいちゃんから聞いた。当時、僕は鍛冶かじれ、家庭をかえりみなかった。そんな女性が来た事も、妻が家を出て行こうとしていた事にも気づかず、ひたすらはがねほのおに向かっていた…」


 要は物悲ものがなしそうに話す。

 ちゃぶ台に火傷だらけの手をえた。


「ある日の夜、このちゃぶ台に置き手紙が置いてあった。あっさりしたものだった。かたちだけの夫婦ふうふだったからね。ちいさな澪を育てるためだけの関係だった。もう、離婚はずっと前に成立していたから…」

「手紙には…なんて?」


 要はしばらく黙った。その脳裏のうりには、「かーさんのおてがみ! みおもかく! てがみ! かく! おとーさんも、おへんじかいて!」と、何もわからずに、はしゃいでいた二歳の澪の顔が浮かんだ。要は一度、居間いまから出て、どこからか手紙らしきものを持ってきて、秋にわたした。「これ…が、その?」要が静かにうなずく。秋は暗黙あんもくで察し、手紙を開いた。



  教会に入ります。

  E•A•E•C…東亜とうあエクソシスト教会に、

  私の居場所いばしょがあると確信しました。

  もし、そのときがきたら。

  澪が巫女みこの力に目覚めたら。

  彼女に伝えてください。

  はがねと炎よりも大切なものが、あると。

  あなたの力を使役しえきする場所は、ここではないと。

  今まで、お世話になりました。


        練沐馬みそぎば 優香ゆうか



 言いたいことは一度読めばわかる。

 しかし秋はこの短い文章を——

 何度も何度も、読み返した。


「この鍛冶屋かじやにも、地方ちほうから足を運んでくれる人達がいた。いろんな話を、悪魔祓あくまばらいのみんなから聞けた。その話の中には、『東京の新宿にキリストの流れをむ、悪魔祓いの集団がいるらしい』って、うわさもあった。もしかしたら、妻と何か関係があるんじゃないか、直感でそう思った。でも僕は彼女に会えない。会えるのは、澪だけだ…」


 秋はいまだに手紙から目が離せない。女性らしい文字はどこか、みおがよく書く〝丸文字まるもじ〟に似ている気がする。


「秋くん。お願いします」急にかしこまる、要。秋は手紙から顔を離す。「は、はい…?」一歩後いっぽうしろろに下がり、要は突然、土下座どげざをした。「な! ちょ! や、やめてください、どうしたんですか!?」しゅうあわててちゃぶ台に身を乗り出した。かなめは、畳に頭をこすりながら、「みおを、東京に連れて行ってやって下さい。澪の母を、探してやってほしい。君になら安心して澪をまかせられる。頼まれてくれないか——」そう、秋に頼んだ。




 刀闘記


 ~頼~【上】

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