~香~


「…なにやってんだろ……私…」


 壁を背に、並んで座る二人。

 たがいの体は、拳二こぶしふたつ分ほどはなれている。

 東子とうこは、泣くだけ泣いた。

 しゅうの胸を、大いにりて——。


 オレンジ色のパーカーは、胸のあたりが東子の涙や鼻水で変色へんしょくし、背中の方はシワだらけ。思わず、東子が服を心配した。


「ごめん、服。弁償べんしょうする」

「え? そこまで汚れてない」

「…あなた、いつもそうゆうの、着てるの?」

「そうゆうの?」

無地むじのパーカー」

「あぁ…」

「ねぇ、誕生日たんじょうび、いつ?」

「知って…、どうする」

「〝友達ともだち〟の誕生日くらい、知りたいでしょ、普通」


(友達…)


 しゅうは、友達と呼べる人が今まで居たのかと、考えた。少なくとも、同年代どうねんだい男友達おとこともだちは、居ない。家族以外で付き合いがあると言えば、みおかなめ、おっさんのみ。


(澪……)


「ねぇ、聞いてるの?」


 うつろな秋に、東子が横から話しかける。


「あ、あぁ、ごめん」

「ちょっとくらい、私を視界しかいに入れなさいよ」

「…ごめん」

「ふふっ…、あなた相当そうとう罪深つみぶかいわよ」

つみ?」

女心おんなごころを無意識にり回すって言う、大罪たいざい

「なんだそれ…」

「その気にさせる魅力みりょくがあるのに、全く自覚無じかくなし」

「よくわからん…」

「その無自覚むじかくさ故か、ありえないくらい〝鈍感どんかん〟」

「それ、おっさんからも言われた……」

「苦労するわね、あのもこの先…」


 東子とうこはため息まじりに言うと、つんいでテーブルのそばに行った。秋の目の前に、東子のふともものうら——透き通った肌がせまったが、秋は、ボーッと何か別のことを考えている。東子は自分のスマホを手にとり、再び秋のとなりへ。壁にあずけて座った。


「今、お父さんに電話、するから」

「え…」


 秋の返事を聞くもなしに、東子はスマホを耳に当てた。


「あ、もしもし、お父さん」


 秋の横で話し始めた東子。

 電話の向こうの声は、秋には聞こえない。



「今、いそがしい? うん、あ、あのね。立神たちがみの。そう、息子。会いたいって。え? うん。ちょ、ちょっと待って、もう一回。うん、わかった。ありがと。ごめん、忙しいのに。あ、あとこの間、火が不安定になってごめんなさい…、うん…それじゃ…」


 しばらく会話して、東子はすぐに電話を切った。少し、困った顔をしている。「ダメ…なのか?」と、しゅうは横に座る東子とうこの目をしっかりと見ながらいた。


結論けつろんから言うと、会わない…って」

「…そう…か」

「でも会いたくないって感じじゃ、ない」

「ん?」

「今は会う必要がない、そんなニュアンスだった」

「今は…?」

「それで、わりにこう言ってた」


 東子は、秋の顔を見た。

 真剣しんけんな顔で、はっきりと、

 間違えないように、言った。


霊剥れいはぎを追うなら、柊木要ひいらぎかなめに、E•A•E•Cと言え』


 空気が止まった。

 お互いに、その言葉の意味がわからない。


「イーエーイーシー…? 英会話教室えいかいわきょうしつ?」


 秋は難しい顔をした。


「E…イースト。A…アメリカ?」


 東子はまえ頭脳ずのうをフル回転させている。こうゆう謎解なぞときは得意だ。「ちょっと、調べてみる」と言いながら、東子はスマホでE•A•E•Cを検索した。「ダメか、出てこない」それならと、まずE•Aを検索。「アメリカの、ゲーム会社? 絶対違う」続いて、E•Cを検索。「通販つうはんビジネスと…IT…これも違うわね…」スマホを操作する指が止まった。もっと、別の角度から検索をする必要がありそうだ。


「お前でも、わからない…?」

「多分、組織そしきの名前だとは、思う」

「組織?」

「組織なら、イーストアメリカ、もしくは、イーストアジアから始まるのが妥当だとう…」


 東子は「ちょっと待ってて、時間、あるわよね?」と言ってから、勉強机べんきょうづくえに足早で向かい、水色のノートパソコンを開き、ガチ検索を始めた。やたらと姿勢良しせいよく椅子に座る後ろ姿すがたを、秋は、呆然ぼうぜんながめるしかない。ふと、壁の時計に目をやると、東子の家に入ってから、1時間半がっていた。


(やべ…おっさん、大丈夫かな…)


 須賀すがの心配をする秋を尻目しりめに、東子はカタカタとハッカーみたく指をせわしなくキーボードに叩きつけ、ネットの世界にダイヴしたかのように画面に食らいついている。メガネに四角い光が反射している。「あ、これかも。情報としては、ちょっと古いけど——」東子とうこは画面を見ながら、後ろにいるしゅう手招てまねきをして見せる。秋は、腰を持ち上げ、東子のそばまで歩き、パソコンの画面をのぞいた。


掲示板けいじばんの情報だから、公式ではないし、さだかではないけど、現時点ではこれが一番有力かも」


 秋が覗いた画面には、こう書かれている。



  @raiken.kaminari-love


  東京に来てよかった。地方の悪魔祓あくまばらいはダセェ。

  悪魔祓いって言葉が、そもそも、ダセェ。

  東京の悪魔ほど、甲斐がいのある悪魔はいねぇ。

  雷切らいきりを振る価値がある。

  俺は今日から、違う俺になる。

  E•A•E•Cで、エクソシスト教会で。

  あんな田舎とはおさらばだ。

  じゃぁな、クソ田舎いなかの悪魔祓いさん達。



「なんだこいつ…なんか腹立つな…」


 秋は画面に向かって、いつもの怪訝けげんな顔をした。


「田舎から、東京に行って、なにかしらの悪魔祓いの組織に入った。で、それが〝エクソシスト教会〟と呼ばれている…」

「エクソシスト…?」

「悪魔祓いを、そのまま英語で読んだものよ」

「それはわかる…、でもそんな言い方するか?」

「教会って言うくらいだから、きっとキリストの流れをんでいるんでしょうね」

「あぁ…」

「E•CがExorcist Church…。これは、ほぼ決定ね」

「E•Aは?」

「東京だから、東アメリカは、おかしい…だからしっくりくるのは」


東亜ひがしアジアエクソシスト教会…』


 秋と東子の声がそろった。


「あ…」秋は顔をらす。

「んんっ…」のどを鳴らす東子。


 思わずシンクロしてしまった事に二人はずかしさを覚えた。


「…わかった。これから、おっさんとみおの家に行く」


 しゅうは、部屋の窓から外の道路を見た。

 須賀すがの車が路肩ろかたに止まっている。


(やっぱ来てるよなぁ…っ! おっさんごめん…!)


「もう、帰るの…?」


 東子がパソコンの画面を見たまま言った。


「あぁ。色々、ありがとな」秋はテーブルの麦茶を飲み干した。「ごちそうさま」


 東子は椅子を回して振り向いた。メガネが太陽光たいようこう反射はんしゃしていて表情の全ては読めないが、口元だけでもさみしそうな顔だとわかる。


「また、来て……」

「あぁ。今は、討魔分隊とうまぶんたいが町にいるから大丈夫だけど。また、一緒に闘おう」

「ほんと…悪魔のことしか、考えてないのね」


 東子は、口角こうかくを少し持ち上げて、秋を見た。秋は、刀を背負しょった。「また来る、じいちゃん連れて。母さんの弁当持ってくる。今度はおっさんも家、入っていいか? にぎやかで、少しは楽しいと思う…」秋が言うと、東子の目頭めがしらが熱くなった。嬉しいような、でも、恋がみのることは無いとたった今、知ってしまったような。複雑ふくざつな感情が込み上げる。


「うん、待ってる」

「お前、ちゃんと食ってるのか?」

「料理も人並ひとなみ以上よ」

「そっか。安心した」


 秋が笑った。

 すごく良い笑顔。

 こんな顔するんだ。

 東子はそう思った。


「玄関まで送る」

「…ありがと」


 階段を降りて、玄関に来た二人。

 秋がくついている。

 その背中に、東子が話しかけた。


「あ、ねぇ…誕生日」

「え?」

「教えて、いつ?」

「…4月3日」

「そっか、シミの日って覚えとく」

「やっぱそうなるよな…。お前は?」

「え? 私?」

「誕生日、いつなんだ?」

「8月19日…」

「なんだ、ついこの間だったのか…」

「今年は誰も祝ってくれなかったけどね」


 秋が靴を履き終えた。つま先でタイルの床をトントンとってから、東子に振り向いた。


「プレゼント、何か持ってくるよ」

「いらないわよ…」

「いいから。多分、東京、行く気がするし、何か買ってくる」

「そう、まかせる。ありがと」

「センス、無いかもだけど」

「ふふっ…、そうかもね」


 秋は少し微笑んでから、ドアに手をかけた。

 開いた玄関のドアから、もわっ…とした熱風ねっぷうが吹き込んだ。


「あつ——こんなに暑かったのか、外」

「気をつけてね」

「あぁ、またな」

「うん…」


 秋は、じゃあな、と言いたげに右手を上げて玄関から消えた。

 ドアが閉まる。

 静まりかえった、家の中。

 東子はかすかにただよう、秋ののこを感じた。


「プレゼント…か」


 玄関のかぎを閉める。

 そのドアに背中をあずけた。

 体重を預けて、もたれかかる。

 おもむろに天井を見上げた。

 大きく息を吸う。


「プレゼントなら、さっき、もらった。沢山、暖かいものくれた…。それで、十分よ」


 やっぱり彼のかおりは——

 さわやかな森林しんりんのそよ風みたいな、

 優しい香りだった。




 刀闘記


 ~香~

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