~独~

 東子とうこの長いかみ

 その毛先がしゅうの左腕に触れる。

 優しく、からみつくように。

 椿ツバキの香り。

 東子の上半身じょうはんしん

 少し痩せている女の体が秋のむねを押す。

 呼吸こきゅうの音が聞こえる。

 左耳。

 くすぐったさは、とっくに超えてる。


「ねぇ…どう思ってる?」


 まただ。

 また、いてきた。

 何を言えばいい。

 突き飛ばして、逃げる?

 部屋から、飛び出す?


(…違う)


 なぜ、ちがう?

 東子とうこを好きじゃないから?

〝こういう状況じょうきょう〟を知らないから?


(前にも、こんなことがあった)


 前?

 いつ?

 あぁ…東子が暴走ぼうそうした時だ。

 確かに、きしめた。

 でもそれは「好き」とは違う。


 なら、今は?


(心臓が、どうかなりそう)


 それは、なぜ?


(この状況が、こわい…から?)


 どうして、こわい?


(どうしたらいいか、わからない…から)


 普通はうれしい。

 こんな美人にせまられたら。

 普通は嬉しいと思うだろう。

 でも、違う。

 本心は?


(逃げたい…)


 なら、好きじゃない?


(少なくとも、恋は…していない)


 それなら、言わないと。


(何を?)


 気持ちを。


(あぁ…そうか)


 言葉を選べ。俺——立神秋——。


「あの…」


 秋のほほに、ヒヤッとしたものが当たった。

 東子のメガネが当たっている。


きらいじゃ、ない」


「好きなの?」


「そうじゃない」


「なら、嫌い?」


「…違う」


「…どっち」


「なんて言えばいい…」


「思ったまま」


「…逃げたい」



 東子とうこは秋の頭から顔をはなした。

 真正面ましょうめん——

 30センチの距離きょりで見つめ合う。


「……ぷっ…はははっ…」


 東子が、うつむいて、笑い出した。


「……なんだよ」

「ははっ…逃げたい、だって…」

「思ったまま言っただけだ…」

「私、これでもモテるんだよ」

「…そうなのか?」


 東子は顔を上げ、そうなのか? と言った秋の顔を一瞥した。

 秋の顔は、あくまで真剣しんけんそのものだ。


「……おっかしい…」

「なにがだよ…」

「あなた」

「普通じゃないことくらい知ってる」

「本当に、悪魔あくまのこと以外は〝ダメ〟なのね」

「悪いかよ…」


 東子とうこは、また、うつむいた。

 何も、言わなくなった。

 しゅう視界しかい、目の前。

 流れるような髪の生え際、

 やたらと綺麗きれい頭頂部とうちょうぶばかりが、見える。

 ふと水滴が布に落ちる音がした。


(ん…何の音だ?)


 東子が泣いている。

 涙が秋のズボンを湿しめらせた。


「おい…」


 東子はこたえない。

 いや、応えられないと言うべきか。

 グス…と鼻を鳴らしながら、泣いている。


「大丈夫か?」

「私もうイヤだ」

「…ん?」

ひとりが、こわい」

「………」

「みんな、いなくなった…お母さんも…お兄ちゃんも…」

「………」

「きっと、あなたも…」

「俺が…、いなくなったって……」


 秋の言葉をさえぎるように、東子は、顔を秋の胸に押し当てた。

 そのまま、秋の背中に両腕りょううでをまわした。


「お願い、ウソでいい。気持ちなんて、無くていい。好きじゃなくて、いい…もう一度、抱きしめて……お願い……」



 秋は、ひとりでいることを、自ら望んだ人間。


 それとは、対照的たいしょうてきに。


 東子は、ひとりでいることを、いられた人間。


 東子の母が亡くなった中学生時代、さらなる不幸ふこうかさなった。ずっと信じていた親友に、絶交ぜっこうを言いわたされた。「優秀ゆうしゅうすぎるアンタは、私とはわない」——その、たった一言と、共に。冷たい性格も、すきのない優等生ゆうとうせいを演じることも、全て、大切な人がいなくなる事に対する防御反応ぼうぎょはんのう深入ふかいりしなければ、傷つかない。好きにならなければ、好かれなければ、大切な人なんて作らなければ。傷つくことは、無い。


 しゅうは、東子とうこの心のとびらを開けて、その中に飛び込んでしまった。本人にそんなつもりがない事は、言うまでも無い。しかし、秋に抱きしめられた時、東子のこころこおりは、少なからずけた。一度、溶け始めた心の氷を、東子は、再び凍らせることをできずにいた。


「お願い……」


 秋のパーカーがなみだで濡れ、

 そのねつが肌にまで伝わってきた。

 今、秋の両手はカーペットをさわっている。

 あの時は迷わずにできた事。

 今は体が石化せきかしたみたいに動かない。



 なぜ、動かない?


緊張きんちょう…しているから)


 どうして?


(こんな経験、無い…)


 一度、抱きしめただろ。


(それは…闘いのため)


 じゃあ、今、目の前で泣いてる東子なんて、どうでもいい?


(そんなこと! ない…)


 それは、どうして?


(大切な仲間…だから)


 今、くるしんでいるのは東子。

 ここで突き放すほど、お前は薄情はくじょうなのか?


(違う!)


 自分の気持ちなんて、今は関係ない。そうだろ。


(………)


 ほら、手を持ち上げろ。


 東子のために。


「––––っ!」



 秋は、東子の背中に両腕りょううでをまわした。

 そのまま、力を込めた。

 不器用ぶきようだった。

 手が震えていた。

 でもそんなこと、

 わからなくなるくらい。

 東子は大声で泣いた。

 赤子あかごみたいに。

 コーラのかんを、

 何度も何度も、

 強く振ってから開けたみたいに。

 とめどなく流れる涙と、

 とめどなくあふれる声が、

 秋のうでふるえを止めた。

 秋の泳ぐ目をぐに固定した。



「泣いても良いと…思う。お前だって、そうゆう泣きたい時くらい、あっただろ…」


「ばか…鈍感どんかんの…くせ…に…そんなセリフ…言わないでっ…」



 東子は、両手で秋の服を強く握った。

 嗚咽おえつは少しづつおさまってきた。

 涙はまだ、流れる。


(こんなに…何年分の涙だろう)


 少し、客観的きゃっかんてきに自分を見れた。

 でも、まだ涙が止まる気配はない。


(いいっか…今は…考えなくて、いいや…)


 東子は力を抜いた。

 秋の体に身をあずけた。

 秋の両手も力加減ちからかげんがわかってきた。

 優しく。

 暖めるように。

 東子の心の氷を溶かすように。

 氷漬こおりづけにされた心が、

 再び温度を取り戻すようにと。

 今この瞬間ときだけでも。

 痛みを。

 さみしさを。

 忘れられるようにと。

 自分の気持ちなど。

 本心ほんしんなど。

 全部無視して。

 自分の持てる優しさを全て。

 秋はおのが両手にささげた。



 ——その頃。自宅の駄菓子屋だがしや店番みせばんをしていたみおは、落ち着かなかった。「あー…、また胸騒むなさわぎ…。変なの…」独り言をこぼし、おもむろにポケットからのスマホを取り出すと、なんとなくネットニュースを観た。


《人気ユアチューバー、ココにゃす、悪魔化して死亡か。花町ばなちょうで、悪魔の目撃例もくげきれい増加中ぞうかちゅう


「え…これ、闘ったの、たぶん秋だよね…」


 澪は、おそおそる、ニュースのコメントらんを見た。


《やっぱ、かれると思ったよ》

《実際、再生数稼さいせいすうかせぎに取り憑かれてた件》

《ゲーム実況じっきょう、配信してるだけでもよかったのにな》

《親がすでにある意味、悪魔だった説》

《悪魔化ココにゃすの戦闘シーン、はよ》


 などと、野次馬的やじうまてきなコメントが並んだ。「他人事ひとごとか…」澪はため息をついてブラウザを閉じた。一度、スマホを机に置いた。しかし、すぐさまスマホを持ち上げ、秋の自宅に電話をかける——3回のコールでつながった。


『はい、立神たちがみです』

「あ、柊木ひいらぎです」

『あら! 澪ちゃん、どうしたの?』

「あ、えと、突然すいません。秋、いますか?」

『それがね、今、須賀すがさんと出てるのよ』

「え…、悪魔あくまたたかいに? 昼間から?」

『ううん、違うの。えっ…と…』


 かすみは、急に口籠くちごもった。何か、言いにくいことがありそうな空気が、電話越でんわごしに伝わる。『あ、ほら、この間の闘いで服がボロボロになったでしょ? だから、買い出しに行ってて…』と、少しあせりながら話す。違和感いわかんを覚えたが澪は、かすみに合わせた。


「あ、あぁ、そうなんですね、それなら、よかったです」

『もし、急用きゅうようなら須賀すがさんに電話するけど…』

「あ、いえ! ただ秋が元気かどうか、気になっただけで…」

『そう? 体調は良いみたいよ? ずっと寝てたから。寝てばっかだったから』

「そう…なんですね。それなら良かったです、じゃ、じゃあ、これで…」

『あら、本当に良いの? 何かあれば伝えるけど…』

「だ、だにゃ、大丈夫です! お時間を取らせてしまって、すいませんでした…」


 澪は、誰が見ているわけでもないが、ペコペコと頭を振りながら電話を切った。スマホを置き、店の入り口をながめる。


「……本当に伝えたいことって、なかなか、伝わらないんだ…」


 みおの目が、うっすらと赤くなった。


「こんちわあぁ!」


 突然、近所きんじょの子供が、駄菓子だがしを買いにきた。丸坊主まるぼうずの、青い頭をしている小学生。見た目も雰囲気ふんいきも〝クソガキ〟と言う言葉がぴったり当てはまる。


「あ、いらっしゃい」

「うめぇ棒、買いにきた!」

「どうぞぉー」

「あ、澪ねえちゃん、泣いてんの!」

「なっ…! 泣いてないっ!」

「フラれたんだ! クラスの女子がフラれたのと、同じ泣きかた!」

「うう、うるさい!」

「そんで、こーゆー時〝ずぼし〟って言うんだって!」

「こいつ…、今日はうめぇ棒一本100円!」

「えぇ! なんんでえぇ!!」



 ——秋を好きになるんじゃなかった。


 鈍感どんかんな秋。

 何もさっしない秋。

 何度も、秋のことなんて…、そう思おうとした。

 しかしみおは、自分の心にうそをつきたくなかった。

 例え〝何があっても〟秋への気持ちは変わらない。

 この時、澪は少なからず、そう思っていた。


(まさか東子とうこさんの家に……? 違うよね。きっと、違う…はず)


 再び、大きなため息を澪はついた。すると、嬉しそうな顔でクソガキがレジに駆け寄ってきたと思ったら、澪の目の前に10本のうめぇ棒が雑に置かれた。クソガキがにっこり笑って、カエルの形をした財布から100円を取り出し、レジのキャッシュトレイに置いた。


「10円、足りないよ」

「なんで! それじゃ一個いっこ11円じゃん!」

「しょーひぜい」

「あ…」


 クソガキは財布の中をのぞき込むと、顔がくもった。

 100円玉しか持ってきていないらしい。


「いっこ、戻してくる…」


 悲しそうに言って、うめぇ棒を一本、手にとったクソガキ。

 それを元の場所に戻そうと歩き出す。


「いいよ」


 澪が、クソガキを呼び止めた。


「え?」

「10円、おまけ」

「ホントに! やったー!」


 喜ぶクソガキ。レジ袋に商品を詰める澪に、嬉しそうな顔で「おれ、結婚するならみおねえがいい! デカくなったら結婚して!」と騒ぐ。軽く跳ねながら言ったクソガキの青い頭の上に、うめぇ棒が詰まった袋を乗せて澪が半目で「ばーか。先約せんやくがあるんだよーだ」と言った。


「えー! 誰ぇー! 誰ぇー!」

「いいの! だれでも! 早く帰ってボケモンでもやりなー」

「ちぇーっ! じゃあねー澪姉みおねえ!」

「気をつけてねー」

「うん!」


 クソガキは、子供用のマウンテンバイクに乗って帰った。

 再び、しずまりかえった店内。

 澪は、頬杖ほおづえをついて、ぼそっとひとり言をこぼした。


「先約、いたりしないよね……秋…」




 刀闘記


 ~独~

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