孤独は温もりを求める

~椿~

 日曜の午前。

 

 しゅう刀闘記とうとうきを読んだ日から、一週間が過ぎた。「ひとまずよう休んで、身体をいたわるんじゃよ」と言った銀次ぎんじの言葉通り、秋はこれまでけずっていた睡眠時間すいみんじかんを取り戻すように毎日20時間はた。布団ふとんで死んだように熟睡じゅくすいし、そのうちにかすみに起こされて一日一食いちにちいっしょくを食べ、シャワーをびるためだけに起き、それらを済ましたらまた寝る。幾分いくぶんげっそりとせたほほも、目のクマも、血色けっしょくを取り戻してきた。

 

 須賀すがは、しゅうの自宅をたずねた。漢らしさに溢れたベテラン刑事のセダン——そのフロントガラスは新しくなっている。


「あ、須賀さん、秋がいつも、お世話になってます」


 茶色の作務衣さむえに身を包んだかすみが、頭を深々ふかぶかと下げながら出迎でむかえた。


「あぁ、いえ、とんでもない、世話になってるのはこちらの方です…」


 須賀はペコペコし、右手で頭をいた。服装ふくそうはストライプが入った水色の半袖はんそでワイシャツ。足元は黒色のジーンズに、ちょっとお洒落しゃれな茶色の革靴。ラフな格好かっこうからさっするに今日は非番ひばんのようだ。


「秋は…?」

「よく寝ているの。起きるかしら…」

「あ、いえ、無理に起こさなくても、また出直でなおします」

「そんな、せめて、上がっていってください。お茶を飲んでいる間に、起きると思いますから…、いや


 かすみはそう言ってニッコリと微笑ほほえむ。須賀すがはその満面まんめんみから〝なぞ殺気さっき〟を感じた。かすみの言葉通り、お茶をいただくことにした。


「あ、え、あ、はい…お、お邪魔じゃまします」


 須賀はくつそろえて居間に向かった。ふかふかの座布団ざぶとんに正座をすると、目の前に羊羹ようかん緑茶りょくちゃが並べられた。


「ちょっと待っててくださいね、今、しゅうを見てきますから」


 そう言ってかすみは再び微笑む。須賀がチラッと見たかすみの目は、無理矢理むりやりにでも起こしてきますから…、そう言っているような気がしてならない。


「あ、は、はい、お、お手柔てやわらかに…」


 ふふっ…と、軽く会釈えしゃくをしてから、かすみは秋の部屋に向かった。ふすまを開け、部屋に入る。約8じょうほどの部屋の真ん中に、布団にくるまった秋がいる。布団のすぐそばにかたなが寝ている。その他には、勉強用の机と本棚ほんだながあるだけでテレビなどの娯楽ごらく一切無いっさいない。〝和風の拘置所こうちしょ〟と言われても違和感いわかんが無いくらいに閑散かんさんとした一室いっしつ。秋が、あまりに無欲であることが手に取るようにわかる。


「須賀さんが来たわよ、秋」


 しゅうの頭の横に正座をし、声をかける。


「秋、ずっと寝るのもいいけど、それはそれで毒よ。少しは体を動かさないと」


 秋は、ピクリとも動かない。かすみは、秋の耳元に顔を近づけた。そして〝羽音はおと〟を真似まねた声を、のどで鳴らした。耳障みみざわりな音に、秋は、自分のほほ無意識むいしきに叩く。ペチ…、と軽い打音が鳴った。


「……はっ…」

「おはよう、秋」

「母さん…?」

「須賀さんが、おえよ」

「え……?」

「ほら、起きて、ご挨拶あいさつしなさい」

「……わかっ…た…」


 そう言って、ふたたび秋は寝た。かすみは一度、部屋から出た。どこからか銀次ぎんじつかまえて戻ってきた。「おぉ、なんじゃ、かすみ、わ、わしを捕獲ほかくするでない!」かすみは、横向きで寝る秋の頬に銀次を置いた。ふところからひまわりのたねを取り出し、銀次にあたえた。「おぉぉ! 種じゃ! 種!」——悲しいかな、ハムスターと言う生き物は好物こうぶつがあると〝そこがどこであろうと〟その場でそれをむさぼることがある。秋の頬の上で銀次はひまわりの種をひたすらに、かじった––––。秋の頬にチクチクと、銀次の爪や種のから地味じみに刺さる…。


「……っ! 虫!!」


 秋は、布団をひるがえして飛び起きた。


「なんじゃぁ!」


 ちゅう銀次ぎんじ

 同じく宙を舞うけ布団。

 全てがスローモーションで動いた。

 かすみは両手ですくうように銀次をキャッチする——

 銀次はひっくり返ったままてのひら着地ちゃくち

 忍者のように姿勢を低く、

 戦闘体勢せんとうたいせいをとる秋。

 その頭に掛け布団がかぶさる。

 

 布団は〝妖怪ようかいゆきんこの藁帽子わらぼうし〟のように秋の全身を屋根の型で包んだ。かすみ以外が各々に〝変な状況じょうきょう〟を演出えんしゅつする最中さなか、一人だけ別の空間にいるかのように落ち着いて鎮座ちんざするかすみは、ゆっくり、優しく、口を開く——。


「おはようございます」


 銀次はひっくり返ったまま。

 秋は〝雪んこ〟の姿すがたのまま。

 呆気あっけにとられながら応える——。


「お、おはようご…ざいます」


    *


 むらさきのタンクトップに黒い短パンの寝巻ねまき姿のまま——ボサボサの頭をきながら、しゅう須賀すがのいる居間に来た。悪魔と闘っている時とは、まるで別人のような秋を見た須賀は思わず笑ってしまう。


「お、おい秋、いつからアフロになったんだよ」

「え…?」

「よく休めたか?」

「あう?」

「まだ、寝起ねおきで頭が回らないか…?」

「え…?」


 須賀は、起きたのは身体からだだけだなこりゃ…、と思って、秋の頭が起きるまで話すのを少し待つことにした。しかし秋は須賀のななめ横にすわるなり、すぐに「東子とうこに電話して、おっさん」と言った。須賀は一瞬いっしゅん考え——すぐに秋が伝えたい本題を理解した。


「行くのか?」

「うん」

「行くとしたら、いつがいい?」

「向こうが大丈夫なら、今日」

「今日…か」

「おっさん、いそがしい?」

「いや、今日は非番ひばんだ。少し、待ってろ」


 そう言って須賀は立ち上がり、台所だいどころにいるかすみの方に歩いた。「すいません、少し、電話をさせてもらいます」と言ってから、秋がいる居間に戻ってきた。すぐに須賀は東子の自宅にスマホで電話をかける。何回かのコールの後、電話がつながった。


『もしもし…』


 電話に出たのは、東子だ。


「あ、急にすいません。刑事けいじの須賀ですが、三代みしろさんのおたくで、間違いなかったでしょうか」

『あぁ、このあいだはどうも』

「とんでもない。こちらこそ世話になりました。その——お身体は変わりないですか?」

『えぇ。問題もんだいありません。あの日、一番に負傷ふしょうしたのは、むしろあなたですけど。大丈夫なんですか?』

「あぁ、病院に行ってちゃんと治療ちりょうを…」

『それなら、よかったです』

「それで、本題なんですが……」

『今日、空いてますよ。彼、来る気あるんですか?』


 全てをさっしたように東子は話を進める。

 須賀すがは、しゅう目線めせんをやった。

 秋は真剣な顔で、行くよ…、と言いたげにうなずいた。


「では、午後の1時に、秋をれて行こうと思うんですが、よろしいですか?」

『はい、お待ちしてます…』

「では、そのように…」

『はい。よろしくお願いします』


 ブツッ、プー…プー…と通話が一方的に終了した事を知らせる無感情な音が須賀の耳の中を抜けた。須賀は、耳からスマホを離し、通話終了と無機質むきしつに表示される画面を唖然あぜんながめ、ボソリと「切れた…」とこぼす。秋は何も言わず、とてもいやそうな顔で天井てんじょうを見ている。


「まぁ、少し話すだけだろ?」

「行く意味、あるのかな…」

直之なおゆきさんのこと、くんだろ?」

「それが、父さんの遺書いしょを読んだ」

「そうなの…か?」

「うん。でも、だからこそ、まずは東子に会わないといけない」

「どうしてだ?」

「『悪魔あくまを人に戻したいなら、まず、三代賢二みしろけんじに会え』——そう、書いてあった」


 須賀は、直之が霊剥れいはぎに執着しゅうちゃくしていた時のことを思い出す——。当時、須賀はやっと刑事課けいじかに入れた頃で、刑事の中ではしただった。


「ねぇ、おっさん。昔、廃人はいじんになった人が何人も病院に運ばれたって…」

「あったな。お前が生まれる、1年前だったか」

「その人達、どうなったの?」

「何人かは、半年もたずに亡くなっちまった」

「そう…」

「だが、少しだけなら会話ができるような状態じょうたい患者かんじゃもいた」

「そうなの!? その人達は?」

「ある日をさかいに、全員、どこかに行った」

回復かいふく…したの?」

「それは無い。自分で歩いてどっかに行ったわけじゃ…ねぇ」


 須賀は、むずかしい顔をした。

 言いにくそうに、話を続ける。


「俺も、署内しょないうわさでしか聞いたことがないんだが、その患者達は研究けんきゅうのために運ばれたとか、言われてる」

「なに、それ…」

討魔分隊とうまぶんたいが運んだとか、全く別の組織そしき横流よこながしされたとか、いろいろ言われちゃいるが誰も真相しんそうは知らねぇ」

「でも、患者かんじゃの家族がいるでしょ?そんな拉致らちまがいの事して、家族がだまってるの?」

「黙ってる…。誰も、何も、言わねぇ」

「なんで…」

「その家族達かぞくたち、今どうしてると思う?」

相当そうとう、落ち込んでる…?」

「いや、全くだ。突然、いえを立て直したり、スポーツカーを乗り回したり。まるで〝宝くじでも当った〟みたいに優雅ゆうがに暮らしてらぁ……」


 つまり、その患者かんじゃえに、患者の家族は多額たがく報酬ほうしゅうを得たと容易ようい推測すいそくできる。しかし、しゅうはどうしても違和感いわかんぬぐえない。


「家族がどんな状態じょうたいになったって、金より大事に決まってる…」

「俺も当時そう思った。失踪しっそうした患者の家族の家を、何軒なんけんか訪ねたんだ」

「何かけた?」

「それがな…」


 須賀は、軽く歯を食いしばった。


「まるで最初ハナっから〝その家族がいなかった〟みたいに、『誰ですか?それ』って。どの家族も、そんな感じだったよ」


 秋の表情が固まった。

 須賀が話を続ける。


「直感で思うさ。誰だって、思うだろう。『洗脳せんのうでもされたんじゃねぇか』って」

「まじかよ…」

「正直に言えば、俺は、恐くなった。これ以上、首を突っ込んだら自分の人生が根こそぎうばわれるような、それくらいにデカイちからが、働いている気がした…」


 秋はまゆをしかめて考え込む。直之の所業しょぎょうが、そこまでの波紋はもんを生んでいるなど思いもしなかった。直之が霊剥れいはぎをふうじた理由の一つに、その〝研究の件〟も関係している気がした。


「俺も今のよめさんと、これからって時だった。自分の人生を犠牲ぎせいにしてまで、ふかやみに首、突っ込む気にはなれなかった。俺が直接ちょくせつその組織そしきに何かされたわけでも、ねぇからな…」


 須賀の顔色は、あんな気味きみのわりぃ状況じょうきょう、二度とかかわりたくねぇ…、と無言ながらに語った。しばらく沈黙ちんもくが流れ、須賀は重くなりかけた空気をこばむように話題を変える。


「なぁ、秋、東子さんとの話が終わって、こっちに戻る時に、ラーメンでも食いに行こう」


 秋は、突然のさそいに驚き、何度かまぶたを瞬きさせた。


「なんで、ラーメン?」

「たまにはガツンとしたもん、食ったほうがいいぞ?」

「いいよ、うちで食べるから」

「いいから、いっぺん、行ってみようや。美味うまいとこ、知ってるんだよ」


 秋はラーメンを食べたいとは思わなかったが、誰かと外食に行くという楽しみを少しだけ味わってもいいのかも…、と思った。相手が須賀だから安心できると言う理由も大いにある。


あぶらっこいのは、嫌だよ」

「お前が塩ラーメンしか食べないことくらい知ってるさ」

「母さんに、ばんご飯いらないって言わないと」

「それは、俺から話しておく。お前は…、まずその〝アフロ〟をなんとかしないと、出かけらんねぇぞ?」


 秋は、頭をワサワサとさわった。

 いつもより毛量もうりょうが多い気がする。


「シャワー…、入ってくる」


    *


 午後、1時。須賀すがの車は、しゅうを乗せて、東子とうこの家に着き「…ここ…か?」と玄関の表札に目を凝らした。住宅街じゅうたくがいのモデルハウスのような、いたって普通の一軒家いっけんやのそばに車は止まった。


「普通の、家だね」

「ここで間違いないな」

「はぁ……、おっさん、ついて来れないの?」

「ダメだろ。『あなたがいるなら話しません』とか、冷たーく言われそうだ」

「…行ってくる」

「1時間くらいしたら、戻ればいいか?」

「1時間!? 30分でいい。30分でカタをつける…」

「おい、悪魔あくまと闘うってんじゃないんだから、そう、かまえるなよ…」

「俺にとってはある意味、悪魔だよ…」


 そう言って秋は車からり、須賀は秋に手を振ってから車を走らせた。オレンジ色の半袖はんそでパーカーと、黒のカーゴパンツに、白を基調きちょうにしたハイカットスニーカーをき、刀が入った長細ながぼそ布袋ぬのぶくろ背負しょった一人の男子高生は自他共に認める優等生の女子高生——その自宅の前に、ポツンと置き去りにされた。


「………よし…」


 360度、どこから見ても緊張きんちょうしていると分かるほどガチガチな面持おももちで、秋は東子の自宅のチャイムを鳴らす。チャイムが鳴った途端とたん、今すぐ逃げ出したいと思うほど、血がサーッ…と引く感覚を秋はおぼえた。


 ドアが、開いた。


「どうぞ」


 東子とうこがドアから半身はんみを出してむかえた。首元くびもとひろめで、肩も見えそうな白いTシャツに、太ももがほとんどあらわになるほどたけの短いルーム用のショートパンツ。いつもはストレートで下ろしている黒髪くろかみ長髪ちょうはつは、左右にツインテールで結ばれている。東子と言えば〝綺麗きれい〟という印象いんしょうが強いが、今日は〝かわいい〟と言ったほうが、合っている。


「おじゃま…、します」


 秋は玄関に入った。さわやかで甘い、女性用の香水こうすいのようなかおりがただよう。「これ、いて」そう言いながら秋の足元に来客用らいきゃくようのスリッパを置いた。「ありがとう…、ございます」ガチガチに応え、くつを脱ぎ、ふるえる手でそろえる秋を見て、東子はクスッと笑った。


「あなた、なに、そんなに緊張きんちょうしてるの?」

他人ひとの家に来たこと…ほとんど、ない」


 秋はスリッパを履いた。「こっち、来て」と、東子に言われるままに玄関からすぐの階段かいだんを上がった。三つほどある部屋のうち、一番奥の部屋のドアを東子は開けた。


「入って、どうぞ」

「は…はい…」

 

 秋はドアの前でスリッパを脱いで揃えた。

 その部屋はどう見ても東子の部屋だった。

 青を中心にいろどられたインテリア。

 ベッドカバー、カーペット、カーテン——。

 全てが海の色のような、濃い青空のような。

 綺麗な蒼色で統一とういつされている。


「ここ、座って」


 東子はすわ心地ごこちが良さそうな、むらさき肉厚にくあつ座布団ざぶとんを指差す。「はい…」と秋は緊張した面持ちでそこに正座をする。刀を背中から下ろして右側みぎがわに置いた。


「今、お茶を持ってくるから。足、くずして」


 そう言って一度、東子は部屋を出た。

 壁がけ時計の音が秋の耳にやけにひびく。


「お待たせ」


 東子は、麦茶のポットとグラスを白いテーブルに並べた。

 グラスにお茶を注ぎ、秋に差し出す。


「あり…がとう」


 東子はテーブルをはさんで反対側はんたいがわの座布団に座った。

 座布団カバーには、氷の力を使うアニメのヒロインがかれている。


「結構、新しい家なんだな…」

「お兄ちゃんが、警察けいさつに入ってすぐに買ったの。ローンで」

西威せいが?」

「そう。『東子とうこみじめめな思いはさせないよ』って、言って、ね」


 秋は、あの白魔はくまがそんな良いやつだったのか…、と思った。


「まぁ…もう、人間では、ないけれど…」


 窓の外を見て、遠い目をする、東子。

 メガネに、太陽光たいようこうが軽く反射はんしゃした。


「メガネ、直ったんな…」

「レンズ以外は、なんとか無事だったから」

「お前、どうしてあんなにキレたんだ?」


 東子が大蛇だいじゃ大技おおわざを使い、力を使い果たして倒れた時のことを秋はいた。「お母さん、もう、いないの。このメガネ、形見かたみなのよ」東子はサラッと言う。


「そう、だったのか…ごめん」

「いいの。気にしないで」


 秋はなんとか話題を変えようとする。「あ、あの……」しかし口籠くちごもってしまった。東子は、窓から秋へと目線めせんうつした。


「読んだんだ。遺書…父さんの…」

「あら、そうなの?」

「そこに書いてあった」

「私の父が、左腕ひだりうでを亡くしたこと?」


 秋は身体をびくっとさせる。


「書いて…、あった」

「なんだ、知ってたのね」

「それで…」

「…ん?」

「俺は、霊剥れいはぎを成功させたい。そのために…お前の親父おやじさん、賢二けんじさんに、会わなきゃいけない」


 東子は少しを置いた。


「私、立神たちがみきらいだったの。ずっと」

「…え?」

「あなたのお父さんが『悪魔を人に戻す』だなんて、世迷言よまいごとを言わなければ、父はうでをなくさなかった」——東子の言葉に秋はうつむき、自分のことのように、申し訳なさそうな顔をする。「でもね、霊剥れいはぎを誰よりも応援おうえんしたかったのも、私の父なのよ。だから、められないの」

「どう…して?」

 

 秋は顔をあげる。

 東子はその目を真っ直ぐに見た。


「私とお兄ちゃん、腹違はらちがいなのよ」


 秋はおどろいた顔で東子を見た。

 今日、初めて二人の目が合った。


「つまり母親が違う…のか?」

「そう。私は、父が再婚さいこんした人のむすめ

「どうして離婚りこんを…?」

「悪魔になったのよ。父の、前妻ぜんさいはね。火守ひもびとだったにも、かかわらず」

「まさか…! ありえない!」

「金に目がくらんだのよ。まずしかったし」

「金……?」

「『寺院じいんの火を消せば、数億円すうおくえん、くれてやる』そんな甘言かんげんまどわされて、多額たがく報酬ほうしゅうに釣られて、火守りの禁忌きんきおかした。みずから緑色の火を消すって言う、暴挙ぼうきょを、ね」

「禁忌を犯した火守りは、悪霊あくりょうへの耐性が、消滅する…」


 秋は、かすみの顔を思い浮かべた。

 かすみは、そんなことは絶対にしない。


「考え方次第では自分を犠牲にして家族に楽をさせようとしたとも取れる。だけど三代家みしろけを待っていたのは人間達の襲撃しゅうげき。『三代みしろは自分の家族をも斬るし、そもそも強すぎるから——悪魔を狩すぎるから、他の悪魔祓いが食いっぱぐれる、この町から出ていけ』とか、理不尽りふじん因縁いんねんをつけられて、ね」


 東子はふぅ…と軽いため息をついた。


「それで昔住んでいた地を追われて、この田舎いなかにきたのよ。悪魔を狩っていた頃は貧しくなかったはずなの。でも、そのころに住んでいた寺を建て替えたり、直したり、方々に寄付や募金なんかもしていたから、結果的に貧しかった。無論、悪魔を狩らなくなってから収入は激減するし、この火ノ花に越しても片腕を失って以来、父はただの住職だし。そもそも今の寺を買うだけでお金は尽きたしで——私もお兄ちゃんも、自分で悪魔を枯れるようになるまで金銭的には何も甘えられなかった」


 西威せい白魔はくまちた理由を、その小さな断片だんぺんでしかないかもしれないが、秋は少しはかれるような気がした。同時に〝多額の報酬〟という点に若干のデジャブを覚えた。


「その甘言は誰が?」

「全く、不明」

「…前妻を、斬ったのは?」

「…わかるでしょ」


 愚問ぐもんだった。

 訊くべきではなかった。

 秋は、後悔した。


「…ごめん」

「気にしないで。私、自分の母親しか、好きじゃないから」

「それで、賢二さんが霊剥れいはぎに手をしてくれたのか」

「もしあの時、斬らずに人に戻せたら、って。思ったのかもね」


 深く、長い、

 海の底に沈むような沈黙ちんもくが流れた。

 時間にして5分は経った。

 カチ…カチ…と鳴る壁掛かべかけ時計の音が、

 先ほどに増して、しゅうの耳に響く。

 自分の心臓の音すらもよく聴こえる。

 東子は、体育座たいくずわりでひざを抱えて、

 自分の足の爪を触っている。


「あ…その…賢二けんじさんに、会ってみたいんだけど…」


「いいわよ。連絡、とってあげる」


 あっさり、OKがもらえた。


「いいのか…? 早ければ今日にも、おっさんに連れて行ってもらえるけど…」


 目を泳がせ、秋はモゴモゴと話す。しかし東子は突然、つんいで近づいてきた。


「…っ! なん…! なにして…!」


 座ったまま後ろに逃げる。

 すぐに、かべに背中が当たった。

 東子は、そのまま——

 女豹めひょうのように近づいてくる。

 Tシャツの肩がはだけて、下着したぎひものぞく。

 行き場を失った秋の、顔の真横に自分の顔をせた。

 東子の髪から、椿ツバキの香りがする。

 口元を秋の左耳に近づける。

 ささやくように。

 そっと——

 女らしい声で、言った。



「ねぇ…その前に、教えて。私の事、好き?」




 刀闘記


 ~椿~

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