父の遺言と翡翠の短刀

~継~


東子とうこ親父おやじが、腕を?」


 しゅうは、自身の父がのこした〝刀闘記とうとうき〟という名の日誌にっしを、食いるように読んだ。そこには、三代賢二が片腕を亡くしたと言う、辛い事実じじつが書かれていた。秋は、ページをめくった。一度、まっさらな空白のページがあらわれた。


(ここで…終わり…?)


 そう思ってもう1ページめくった。

 ふたたび、文章ぶんしょうが書かれている。

 今度は長い。

 文字自体もじじたいも心なしか真新まあたらしいように見えた。

 その手記は、直之なおゆきが命を落とした日の、

 3日前から始まっていた。



《2010年4月10日》


 お前がこれを読んでいるときは、俺がいなくなった後か、それとも秋、お前が俺と同じように癇癪かんしゃくを起こして馬鹿ばかみたいに〝悪魔あくまを人に戻す〟とか、い張っている時だろう。


 俺は一度、霊剥ぎをふうじた。俺は若かった。おさなかったと云ってもいい。出来もしないことを出来ると信じて、意地いじを張って突っぱしった。その結果、数多かずおおくの失敗をかさねた。須賀すがに、いてみるといい。今から、8年前。お前が生まれる1年前。感情かんじょうが抜けて、廃人になった人間が何人も病院びょういんに運ばれた。その家族から忌言いみごとをいくつもびせられた。『こんな状態じょうたいで人に戻ったと、どうして言える!』そんな言葉を、何度もわれた。云われ尽くした。『悪魔祓あくまばらいなど、消えて無くなれ』そう云われることもあった。


 自分が正しいと信じた行いでも、結果がそぐわなければ、人の評価ひょうかと云うものは時として残酷ざんこくだ。無論むろん、完全な形で人に戻せなかった俺が悪い。その〝シワせ〟が、お前にひびくかもしれない。もし、世間の目が、世間の口が、お前を苦しめているのなら、それは俺の責任せきにんだ。しゅう、すまない。不甲斐ふがいない父をどうか許してくれ。


 お前は今7歳になった。すくすく育ってくれた。剣術もよく覚えた。風とも仲良くやっている。こうしておもしたように、これを書いている理由として挙げられる物が一つある。それは、この胸をザワザワとさわる〝何か〟があるんだ。胸騒むなさわぎだ。その内訳うちわけはどうしたことか、俺が死ぬ気がしてならないと云うふざけた内容だ。


 今、立神たちがみの火は、お前の祖母そぼが守っている。祖母は健康だし、しばらく〝火が消える心配〟は無いだろう。しかしどうしてもぬぐえない不安の元凶げんきょうが、お前の母、かすみが〝いまだに火守ひもり人を継承けいしょうしていない〟ことにあるような気がしてならない。近々ちかぢか、かすみに真剣しんけんに話してみようと思う。『火守ひもり人をいでくれないか』と。


 しゅう、この手記しゅきをお前が読むときに俺がどうなっているかは、考えたくはない。だが、最悪さいあくのことがあったと想定そうていして、お前に頼みがある。


 いいか、秋。

 これは、命令でも、なんでもない。

 剣術の師としての言葉とも、思わないでくれ。

 一人の父親が、一人の、将来ある息子に。

 お願いを、する。




 立神秋。


 生きろ。


 何にも負けるな。


 そして、守れ。


 お前の命を。


 お前の大切な人の笑顔を。


 守って生き抜け。


 お前にはそれができる。




「父…さん……」


 和紙わしに、シミがついた。

 点が、一つ、二つ。

 しゅうの涙が、ほほを伝って、紙に落ちた。


「秋……」


 銀次ぎんじは、直之なおゆき遺書いしょの事を知っている〝その時が来た〟と、言っていた銀次の言葉の意味。それは、しゅうが遺書を見る時が来た——それと同義どうぎだった。今ほど、銀次がこの身体ハムスターの姿を情けなく思った事は無い。できる事ならば人間の手で、秋の肩に触れ、背中せなかをさすってやりたい。銀次ぎんじしずかに秋のそばに寄った。正座をして本にかじりつく秋の足を、小さな、小さな前足でやさしくでた。


 刀闘記とうとうきは、まだ続いていた。

 秋は、嗚咽おえつを堪えながら読み進めた。



《2010年4月11日》


 秋、お前は今、悪魔を人に戻したいと強く願っているかもしれない。俺は、それを止めるつもりはない。でなければ翡翠ひすいの短刀も、片眼鏡モノクルも、のこさずにき払っている。ここにまだその道具を遺しているのは、俺自身が希望を捨てきれないともえるし、お前が俺の後をいで完全な形で霊剥れいはぎを成功してくれるかもしれないと、そう思えてならないからだ。


 しかし俺は、霊剥ぎのためにあまりにも大きな犠牲ぎせいを払ってしまった。なさけないことだが、考えただけで手がふるえてしまう。もし、秋、お前が本気で霊剥ぎに命をかけるなら、まずは三代賢二みしろけんじに会いに行ってくれ。奴は冷たいが悪い奴ではない。俺の息子だと云えば話をしてくれるはずだ。そこで〝霊剥ぎがどう云うもの〟なのか。三代みしろは、つつかくさず教えてくれるはずだ。


 それで、まだ不確ふたしかな情報じょうほうで俺もこれから調べる段階だんかいでいるんだが–––〝東京に霊剥れいはぎにくわしい人間が一人いる〟と、鍛冶屋のかなめが、そんなようなことを言っていた。どうも要は云いにくそうにしていたから、深くは訊けなかったが。


「東京…? なんで…要さんが…?」


 秋の涙が少し落ち着いた。


 再び、ページをめくった。

 今までの長文から解きはなたれたような、

 唐突とうとつ簡潔かんけつな言葉で。

 刀闘記——直之なおゆき遺書いしょは終わった。

 最期さいごの文が書かれた日付を見た秋の体は、ふるえずに、いられなかった。


 (あの日だ…父さんが…死んだ日……)




《2010年4月13日》


 秋。


 お前を息子に持てたことを。


 俺は、心から誇りに思う。


 生まれてきてくれて、ありがとう。




 再び先ほどに増して。

 秋の涙腺るいせんが、熱くなった。

 まだ何か書かれていないかと、

 ページをむさぼるようにめくった。

 しかし、本の末尾まつびまで白紙が続いた。

 秋は本を閉じきしめた。

 涙が地面に点を描いた。

 今までき止められていた感情かんじょうのダムが、

 崩壊したように。

 父への想いがしずくとなって。

 その頬を、何度も、何度も、流れ落ちた。




「落ち着いたか?」


 しばらくって、銀次ぎんじが、そっと、しゅうに訊いた。秋は、腕で両目りょうめぬぐう。銀次は、こうなる事を知っていたように、話し始める。


直之なおゆきは、自分の死期しきさとりおった。変なところでかんが鋭いのは、誰に似たんじゃろうな……。自分が死ぬ日の朝に、最期さいごの言葉を、お前にのこした。わしは、お前に訊かねばならん。立神たちがみの人間として。お前の、ジジとして。直之なおゆきの、父として。」


 銀次は大きく息を吸った。


「この〝刀闘記〟の、続きを書く気は、ないか?」


 意を決して、孫に伝えた。


「取り返しのつかん失敗を、おのが若さのためにり返した直之を父と想うなら、想ってくれるなら。霊剥れいはぎをいつか成功させ、その記録きろくを、ここにしるしてくれんか。悪魔を完全な形で人に戻したいと言う、直之の夢をいでやれるのは——お前しか、おらん」


 しゅううつむいている。

 長めの前髪まえがみのせいで、表情はうかがえない。

 本を胸にきしめたまま、秋は立ち上がる。

 銀次ぎんじは、空をあおいきおいで秋を見上げた。


「お前のジジとしては『霊剥ぎなんぞ考えるな』と、わしは、言いたいよ…。ただ悪魔を狩るより何倍も困難な道じゃ。危険も多い。しかしそれではお前の気が済まんじゃろうて…。霊剥れいはぎの道は、いばらの道。『何が霊剥ぎだ』と、言われることもあるじゃろう。大事なもんをうしなうかもしれん。お前がその——」


「じいちゃん」


 秋は銀次ぎんじの言葉をさえぎった。沈黙が流れる。銀次は秋の顔色かおいろうかがった。秋はだまって一点いってんを見つめている。右手で本を胸に押しつけている。何もしゃべらないが、次に発する言葉は決まっている——そんな、決意けついちた、りんとした、清々すがすがしい顔をしている。


 そよ風が吹いた。


 その風は、銀次が今まで感じたことが無いほど。


 秋を一人前の立派りっぱな大人の男に感じさせた。


 秋は空を見上げた。


 涙は、もう頬を伝っていない。




「刀闘記の続きは、俺が書くよ」




 刀闘記


 ~継~

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